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第83話 黒豹は眠れない ②


 さて、戦士兄弟を見送った後、エルザとラウルは席に戻る。泊り客は部屋に引き上げつつあるが、何人かの酔客はまだこれから、といった感じである。


「エルザさん、ここって深夜も開いてるんですか?」

「いや、あと二時間もすれば閉店だよ」

「そうですよね」(さすが王都。酒場の営業時間も長い)


 しかし、次にエルザが放った言葉はラウルを驚愕させた。


「届け出を出せば終日営業もできるよ」

「はい!?」

「実際、そういうお店もあるし」

「お店の人はいつ寝るんです?」


 これはラウルの常識をはるかに超えている。


「まず、店主は店に来ない。お金と口だけ出す感じかな?」

「ええ……」(なにそれ)

「次に、例えば、そうだね……店主は店長を三人雇う。朝店長、昼店長、夜店長」

「もしかして店員も?」

「そうそう。いつ寝るかは別にして、ちゃんと交代できてるわけ」


 これでラウルの疑問は解決できたわけだが、同時に新たな疑問が浮かんだ。それは、店を三倍回せば三倍利益がでるのか、という疑問である。


「それで儲かるんでしょうか?」

「うーん。ブルーノ店長に聞いてみたほうが早いかも」


 それならば、と二人はテーブルを立ってカウンターへと向かう。


「ごちそうさん。美味かったよ」

「ごちそうさまでした」

「それは何よりだ。しかし熊兄弟の歌も良かったな。あいつら北の生まれなのに陽気なことは南国人以上だ……何だ?飲み足りないのか?」


 ラウルはエルザに促されて先ほどの質問をブルーノ店長にぶつけてみた。

 他所の店のことはわからないが、と前置きしたうえで、店長は臥竜亭が終日営業した場合の仮定を述べる。


「ウチの場合はダメだな。酒と料理に金を掛け過ぎてる」

「美味かったです」

「そりゃどうも。それでな、例えば、終日営業で儲けようと思ったら、銀貨三枚で素泊まりさせたり、銀貨二枚で仕入れた年代物のワインを同じく五枚で店に出したりしていたのでは儲からんのよ」


 ブルーノ店長が説明しているのは一般的に言う原価と利益の話である。例えば、ワイン代金と売り上げの差し引き銀貨三枚がそのまま店のもうけになるわけではない。給金、税金その他もろもろを支払って利益が出るかどうかギリギリの数字なのだ。 


「赤字?じゃあ、お給金は……」

「出ない。今の値段設定できちんと支払って三交代するとしたら、到底出せない。そう考えると『白亜のホワイトハウス』のお泊りに金貨が要るってのはむしろ当然だな」


 白亜の館とは最上層にある富裕層向け高級宿屋のことだ。深夜だろうが明け方だろうが、客室内にぶら下がっている呼び綱を引けば魔法のように客室係が現れる。その態勢を終日維持しようとすれば掛かりは莫大なものであろう。


「深夜は閉めないと儲からない」

「そういうわけだ。兄ちゃんも気を付けてくれよ。ウチで遅い時間に呼び鈴を鳴らしても俺しかいないぞ。もうすぐ小さいのも女の子たちも帰してしまうからな」

 

 “小さいの”とは小間使いの少年少女のこと、“女の子”とは女給を意味するブルーノ的表現である。

 ついでに、ウチで女の子と遊ぼうと思ったら早い時間帯に約束を取り付けておけ、という指南をラウルにするつもりだったのだが、エルザが見ているので咳払いで中止し、客室の鍵を取り出した。

 エルザが支払って鍵を手に入れる。ブルーノは奢りの一杯を忘れず、エルザは蒸留酒、ラウルはエールを頼んだ。


「説明しようか?」

「お湯のことだけ聞いておこうかな」

「自動湯沸かし器に貯めてある。風呂を張りなおす時は温度に注意してくれ」

「わかった。ありがと」


 二人は特別室に向かう。ラウルは従僕のつとめを果たすべく先行して扉をあけたのだが、一瞬目がおかしくなったかのような錯覚を覚えた。

 

 寝台が異様に大きい。


 思わず足が止まった二人の脇を女給が通り抜けて寝台横のテーブルに手際よく飲み物を並べる。去り際に客を観察しようとしない教育が見事だ。


 しかし、 二人部屋であることを計算にいれたとしても、この寝台は存在感を主張しすぎている。四人は優に、行儀良く寝れば六人は横になれる。

 だとすれば、この寝台では睡眠以外の作業が実施されるとみて間違いない。

  

「エルザさん、この寝床……」

「あー、なんかごめんね?こんなことになっちゃって」

「へっ?」

「えっ?」


 それからラウルは数分かかってこの部屋の仕様を確かめると同時に、ブルーノ支店長の設計思想についてもエルザと意見交換した。

 早い話が、非常に遺憾ながら我々は目下スケベ部屋に宿泊中である、という結論に至る。


 その過程で彼女は宿屋における殿方のお遊びについても簡潔に説明したのだが、それも彼には衝撃的だった。噂には聞いていたのだが、こうもあけっぴろげに男女の交合が売り買いされているとは思わなかったのだ。


「ひょっとしてエスト村の酒場にいる女給さんも?」

「どの娘かわからないから断言できないけど交渉の余地はあるんじゃない?」


 この世界ではごくあたり前の世俗に関しての質疑応答なのだが、エルザはそっけない。詳しく質問されても困るし、なにしろ王都には男娼と遊べる店もあるのだ。ラウルに変な遊びを覚えられてはジーゲル夫妻に申し訳ない。

 エストにもうひとりヘーガー店長のような変態を増やすわけにはいかないのだ。 


 彼女にとってありがたいことに、彼は適度な興奮で収まったようである。


「寝袋もありますから、寝台はエルザさんが使って下さい」

「本当に床で寝るの?いやいや、悪いよそんなの」

「お金だって払ってませんし、嫁入り前の娘さんと一緒に寝るわけには」

「男の子がそれを言うのはあんまり聞いたことないな」


 議論が長引きそうになったのでいったん打ち切り、続きは入浴後に持ち越すことにして、ラウルは背嚢から下着の替えと手ぬぐいを取り出す。

 一方、エルザは寝台の上に置いてあるものに気付いた。


「おっと……寝間着?この部屋寝間着もあるの!?」

「……」(いたれりつくせりだな)


 ちなみにラウルは大きくなってから寝間着は使用したことがなく、下着一丁派である。


「それでは、お先に」

「どうぞどうぞ」

「私は長風呂だけどいいかな?」

「校長先生からもらった本を読んでますよ」

「そう?そうしてくれる?悪いね!」

「ごゆっくり」


 こうして入浴の順番が決まった。エルザは浴室に着替えと寝間着を持って飛び込み、ラウルは寝床に腰かけて、クラウス学院長から進呈された『まじゅうのひみつ』を紐解く。



まじゅうのひみつ 


ぶん ニコラ・ポートリエ

え  ジョエル・コロー



(字が大きい)

 魔法学院の検問で大した時間を掛けずに持ち出し許可が出た理由がようやくわかった。たしかに学院長は“読みやすい”と言ったが、これは子供向けの絵本なのだ。

 ラウルは子供扱いされたことに一瞬ムッとしかけたが、実は絵本が嫌いではない。幼少時に東方の客人が作ってくれた手製の絵本は今でも彼の宝物だ。


 それに、子供向け絵本であっても重要な情報が隠されているかもしれない。この本がもともとどこに有ったか考えればわかることだ。

(もう少し読んでみよう)



【挿絵】


なまえ   クロバシリ

しゅるい  くも

おおきさ  にわとりのたまごぐらい

せいかく  おとなしい

とくちょう いとですをつくるぞ



 ちょっと待て、とラウルは言いたくなった。挿絵のそれはエストで騒ぎを起こした蜘蛛型魔獣とそっくりだ。縮尺が書いていないので厳密に言うのはむずかしいが、鶏卵程度の可愛らしい大きさではなかった。太った猫か仔犬の大きさだったはずだ。

 性格にしても、大人しいどころか凶暴で手が付けられないかったからこそ、あれほどの騒ぎになり、彼の初陣となる掃討作戦が実施されたのだ。


(どうなってるんだ?)


 彼は目次に戻って本を見直す。

 すると、絵本の後半は『たたかうまじゅう』になっていることが分かった。


 彼は挿絵を前半と見比べてみたが、よく見ると微妙な点で魔獣兵器と異なる点がある。


(蜘蛛の目玉が一個多い……)


 複眼の魔獣に眼球を増やす意味は少ない。これが魔獣と魔獣兵器の差異であるなら、魔石を組み込んだ制御装置の可能性が高い。


(絵本も馬鹿にできないな)


 ラウルは続けて頁を前後させて他の魔獣も見比べる。

 

 実は冒険者たちの間では常識となっている魔石を用いた魔獣兵器の制御方法だが、ラウルは絵本を読むことで初めて知ることになった。エルザの臨時収入が莫大なものになったのも、大量の小粒魔石に加えて超大型の魔石まで手に入ったからである。

 クラウス学院長が特に示唆を与えたわけではないが、ラウルは見事に魔獣兵器の基礎知識を自ら会得したのだ。

 

 ふとラウルは風呂場の様子が気になったが、『北国』の鼻歌が聞こえてくる。長風呂がどの程度なのかは不明だが、どうやらエルザはご機嫌らしい。

 

 ラウルは迷った。

 風呂場の扉にへばりついてスケベ心を満たすか、絵本を読んで知識欲を満たすかの戦いである。その両者は雌雄決し難かったが、絵本好きのラウルは読書に軍配を上げた。ただし、相変わらず文字は大きいが説明文はかなり物騒なものになってきている。



【挿絵】



なまえ   くもがたまじゅう 六ごう

しゅるい  クロバシリをかいりょう

おおきさ  いぬぐらい

せいかく  どうもう

とくちょう こどもとかちくをねらってえさにするぞ 


【挿絵】


なまえ   くもがたまじゅう 十一ごう

しゅるい  クロバシリをかいりょう

おおきさ  うし四とうから五とうぐらい

せいかく  とてもれいせい

とくちょう えさをたべたらきょだいかするぞ 



 まさしくエストを襲った悪夢の再現だった。

 六や十一という数字は実戦投入までに行われた改良の履歴を示すものであろう。子供や家畜をねらったのは所定の行動であり、軍隊のような動きはあらかじめ決められていた通りのものだったのだ。


(魔石の大きさが“せいかく”と関係ある気がする)


 具体的には行動様式と言い換えてもいい。突撃あるのみの子蜘蛛、回避や優先順位の概念まで持っていた巨大蜘蛛は明らかに別物だ。


 さらに恐ろしいのは十一号の成長に関する記述である。いったん動き出したら駆逐されるまで手下の六号がせっせとエサを運んで自動的に大きくなる恐ろしい兵器である。


(あれ、こいつら増えないの?)


 ラウルも気付いた繁殖に関する記述がなかった点は推測するしかないのだが、おそらく制御しきれなくなった場合に備えて制限を掛けていたとのだと思われる。


(そういえば卵が棚に並んでいた)


 棚の卵から出てくるのに失敗して力尽きていた魔獣を見た彼が思わず“不良品かな”と感想を述べ、両親から着想を評価されたことも思い出した。


(魔獣兵器工房だったのか!)


 彼はやっと正解にたどり着いた。


(つかまった採掘作業員の皆さんが食われ続けていたら……)


 ラウルが参加したエスト第四坑道の救出作戦においては、要救助者の死亡を一名に抑えることができたが、五人全員が巨大蜘蛛のエサになっていたらどれだけ巨大化していたか見当もつかない。

 巨大蜘蛛の図体で遺跡からは出ることは難しいが、地下にばかでかい蜘蛛が住んでいますが安全です、魔獣兵器工房が発見されましたがただちに影響はありません、と言ったところでエスト村民は信じるはずがない。それに、図体に合わせて力も強くなるとしたらどうだろう。

 いつの日か遺跡の壁を崩して地中を掘り進み、表へ這い出てこない保証を誰ができるだろうか。

 たかが絵本と思って読みはじめたが、騎士団ではなく住民を標的にした魔獣兵器の恐ろしさにラウルは震撼しんかんした。

 

 それにしても、標的の優先順位が子供と家畜になっているのは、戦意喪失と生産力低下を狙っているのだろうが、正規軍に直接ぶつけるのではなく、子供や家畜を襲って人の心を折りに来る徹底ぶりはすさまじいの一言に尽きる。


 これが魔族の強さ、かつてアルメキア王国を滅亡寸前まで追い詰めた力なのだ。


 入浴の順番がまだ回ってこないラウルは絵本の世界に戻る。


(なになに……空を飛ぶ奴もいるのか)



【挿絵】


なまえ   はちがたまじゅう 二ごう

しゅるい  ヒエンバチをかいりょう

おおきさ  こうしぐらい

せいかく  おこりっぽい

とくちょう とびながらえものでにくだんごをつくるぞ 



(肉団子……人肉かよ……)


 さすがにこれは教育上どうなんだ、とラウルは思った。

 確かに、肉食のハチのなかには帰巣するまでの時間で獲物を加工する種が存在する。原種を改良して作った魔獣兵器なら特性を受け継いでいるのもわかる。

 問題は、子供が読むにしては物騒じゃないか、ということだ。


 そこで彼ははたと気付く。

 “誰の子供が読むのか”ということに思い至ったのである。

 人や亜人の子供を啓蒙して危険に近寄らせないための教育絵本にしては警句が一切書かれていない。

 つまり、『まじゅうのひみつ』及び『たたかうまじゅう』は魔族が出版した魔族の子弟向け絵本だったのだ。


(魔族ってコワイ……)


 自分の家族や友人が肉塊に加工される様子を目撃したら、精神に変調をきたさない人間のほうが稀有けうであろう。蜘蛛型魔獣と姿かたちは違えどハチ型魔獣もまた敵対する人や亜人の精神を目標にした攻撃兵器なのである。


 これを絵本という娯楽として提供できる神経が彼には理解できない。

 逆に言い換えれば、人間と亜人族はそれほど魔族から深刻な恨みを買ったということになるのだが、学校で習う歴史では“大昔に突然魔族が攻めてきたことがあった”としか教わらないのである。

 

「ひゃッ!」


 突然聞こえてきたエルザの短い悲鳴にラウルは絵本の世界から我に返る。


「どうしました!?」


 ラウルは寝床から腰をあげつつ問いかける。


「いや、あの、何でもないッ!」


 彼女は問題のないことを告げるが、彼は浴室の扉を挟んで問いかけた。

 

「大丈夫ですか?」

「う、うん。もうちょっとで代わるから待っててね」 


 再びラウルは待機に入ったが、絵本に熱中するあまり彼は大事な事を忘れていた。エルザの後に入浴するという事は、湯船の中には彼女の成分が多量に溶けだした水溶液、略してエルザ液が満ちているはずである。

 全身を浸してゆっくりするわけだから、接触面積においても持続時間も水筒の間接接吻とは比較にならない。

  

 これを満喫しないで何のスケベ道か。さすがに飲んだりはしないが、湯船に浸かりながらこころゆくまで深呼吸する程度のことは神様も許してくれるはずだ、と彼は勝手に確信している。


いつもご愛読ありがとうございます。

『はたらくまじゅう』じゃないですよ。『たたかうまじゅう』です。絵本描写が難しいので【挿絵】表現にさせていただきました。

そういえば、スカイリム世界の話なんですが、もっとたくさん子供向け絵本があってもいいのに見当たらないな、と思ったことがあります。『アルゴニアンの侍女』?なんのことやら。

徃馬翻次郎でした。

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