第82話 黒豹は眠れない ①
探検家エルザによる幸せのお裾分けは完了した。
明日には戦士兄弟がグリノスヘ出立してしまうので、なんとか間に合った、と表現するほうが正確かも知れない。
臥竜亭において始まった戦士兄弟の送別会だが、たくさん飲み食いをしてくれそうな客を連れて帰ってきたエルザを迎える店長は実に嬉しそうだ。
「お帰り、エルザ。荷物は運びこんでおいたぜ。鍵は後でいいか?」
「そうだね。ちょっと飲みたいから四人掛けのテーブルを頼むよ」
「ほいきた!四名様ご案内!」
この時間にテーブルが埋まっていない、ということは例の巡礼達はまだ大聖堂で祈りをささげているのか、夜遅くまでご苦労なことだ、とエルザは思ったが、なにはともあれ再会を祈っての乾杯と腹ごしらえが急務である。
任務を心得た戦士兄弟は席に着くやいなや、ブルーノ店長のおすすめや献立表もお構いなしに臥竜亭の見どころを説明しだした。
「若、ここは牛肉の赤ワイン煮込みを注文せねばもぐりですぞ」
「女性を伴われている場合は東方渡来の果実酒が鉄板」
どうやら戦士兄弟はラウルに剣術以外の指導も行うようだ。
「同じく赤ワイン風味であれば、子羊のハニー・ロースト。これはエスト特産物の合わせ技が生んだ奇跡の味と申して良いでしょう」
「漬け込まれている果実の種類によってはエールで割っても美味い。何杯飲んだか分からないくらい……」
「はぁ」(兄者さんは食通。弟者さんは何が言いたいのかな?)
「こらこら、将来ある青年を悪の道に引きずり込むのはやめなさい、弟者。兄者を見習ってちょうだい」
ようやくラウルは弟者が何を伝授しようとしていたのかわかった。女性を酔わせてあわよくばスケベに持ち込む算段を説明していたのだ。
これは残念ながらラウルの琴線に全く触れなかった。ほとんど経験のない家族以外の女性との飲み会でロッテに精神操作をかけられ、その直後、リンにフォークで刺されたラウルからは、女性を酔わせてどうこうしようという思考はきれいさっぱり無くなっている。
今夜に限って言えば、兄者の美食解説のほうがよっぽどためになりそうだった。
「例えば、この付け合わせの漬物。根菜は下茹でしてあり、白ワインを基本に酢と砂糖を加えてハーブを効かせ、隠し味はおそらくリンゴ果汁という芸の細かさ……」
そこでラウルは気付く。これは兄者が料理人をつかまえて製法を聞いたのではなく、経験と分析に基づく推測なのだ。
「兄者さん、どうして入っている材料までわかるんです?」
「若、材料が簡単に揃う料理なら自分でやってみることです。なにしろ料理男子は……」
「……」(料理する男は?)
「モテますぞ」
これは目から鱗が落ちる思いのラウルである。お料理上手とは良いお嫁さんの条件ではなかったのか。
「ほ、本当ですか?」
「ラウル君、これは兄者説だからね。旦那がお料理上手だとやりにくい、っていう奥さんもたくさんいるから」
「左様。そのような迂遠な方法でモテてなんとする」
確かつい先ほどまで弟者は女性をいかに酔わせるかについて熱く語っていたはずだが、これは彼の中では正攻法らしい。
自分のやり様を棚に上げて兄を批判する弟者に三人が大笑いした。
このように楽しく酒と料理が消費されていったのだが、飲み食いしながらも四人が四人とも共通して心配していることがある。
それは、旅団長は大丈夫なのか、という一事である。
「フライホルツさん、だいぶお疲れだったね」
「激務だからでしょうか」
真面目に職務と向き合って心を痛めている人物をラウルは他にも知っている。エスト村のヴィリー隊長がそうだ。魔獣騒ぎの被害を自分の力不足と捉えてただならぬ心労の様子だった。
旅団長のやつれ方はヴィリー隊長と通ずるものが有る。
「ただ椅子にふんぞり返っているだけではすみませんからな」
弟者は同意する。
腕自慢の猛者どもを束ねるのは厳しいこと、あからさまに挑戦的な態度を取る幹部もいたりして、舐められないようにするので彼女が精一杯になっていることを告げた。
「あとは不穏な空気と言うか……」
珍しく兄者が口ごもったので、ラウルは気を利かして話から外れるべく申し出る。
「オレ、耳塞いでましょうか?」
「いや、若も一緒にお聞きになってください」
「いいんですか?」
「はい。これは傭兵旅団だけの問題に留まらないような気が……」
「そんなに深刻なの?」
とうとう我慢できなくなったエルザが口をはさんだ。彼女はすでに退団した人間だが、それでも古巣の状況は気になった。
新参者の言う事ですが、と前置きして兄者は声を落とし気味に話す。弟者はエールをなめりながら聞き耳を立てている奴がいないか監視中である。
傭兵旅団本部においては、団員の推薦と投票で選ばれた副長が本部長という肩書で実務を取り仕切っている。旅団長に権限が全くないというわけではないが、これは旧来からの伝統であり、副長が将来の両団長候補であることも同じくであった。
その副長が半ば公然と旅団長批判をはじめた、というのである。
「副長……ゾマーさんだっけ?よく知らないけど」
「ユルゲン・ゾマー。勇敢で腕も弁も立つ男です」
「そこだけ聞くと立派な人に思えるね」
「そんな出来物が旅団長は手ぬるい、何をお考えなのかわからない、とやり始めたらどうなるかおわかりでしょう?」
副長の主張は改革推進だった。その目玉は旅団創立以来守ってきた国家間紛争に介入しない旨の約定を緩和ないし破棄することである。具体的には騎士団や聖騎士団の下請けにとどまらず、第二国軍としての地位を求めて運動せよ、とまで言っている。
「えらく尖がってるね。そんなんじゃ付いて行く人少ないと思うけど」
「主張の中には賛同できる部分もあるのです。例えば、現状我々は死んだらそれっきり、残された家族の面倒を見てくれる者はおりません。しかし、国軍の一部となれば……」
「確かにね」
ラウルは先ほど日雇い戦士とその管理者の苦悩を聞いたばかりだから、副長の主張が正しいように思えた。
しかし、国家の傭兵として人間も相手にします、では傭兵旅団創立の理念なぞどこ吹く風ではないか。それに傭兵旅団を丸抱えするとなると安くはない買い物だ。普通の歩兵のように扱ったのでは割高の軍備拡張にしかならない。
「兄者さん、旅団が国の所属になったとして、何がかわるんですか?」
「まだ国の所属になるとも決まっていませんので推測でしかありませんが、最近になって市街戦や非正規戦の教練が急増したことを考えると……」
「ちょっと待って、野盗や山賊の真似をさせるって言うの?」
エルザの指摘は飛躍しすぎの感があるが、兄者に言わせればあながち間違いではないらしい。正規軍や騎士団同士でにらみ合っているうちに傭兵旅団を敵地へ迂回浸透させ、村や町を制圧させれば、確かに効果的な戦術となるだろう。
しかし、それでは兵隊だけが戦っていた戦争が住民を巻き込んだ総力戦になりはすまいか、という疑問は誰でも持つはずだ。
「それをあえて押し切っているのが副長の改革案なのです」
「それって改革なのかな?」
「今はまだ少数派ですが、少々荒っぽいことをしたほうが儲かる、という実利に魅かれる者が増えています」
「……」(よく似た話を魔法学院で聞いた気がする)
集団を割るような火種がくすぶっている、という点ではラウルの感想は正しい。しかし、住民を巻き込む可能性については、傭兵旅団の火種のほうがはるかに大きかった。
「当然、相手も似たような組織をこしらえて、同じような作戦を考えるでしょう」
「最悪だよ。泥仕合だ」
以前の国家化紛争は一般市民には影響が比較的少なかった。田畑が荒らされることがあっても、住民自身が標的になることはなかったのだ。気楽なもので、戦場を見下ろす山に登って弁当持参の戦争見物や勝敗の賭けをする者もいたぐらいだ。
それが村や街を標的にするようになると言うなら、確かにラウルとも無関係ではない。
「今すぐに、という訳ではありません。そうなりつつある、という事です」
「そうか……道理で旅団長が“早く抜けろ”なんていうわけだよ」
「あの……」
珍しくラウルが口を挟もうとして言いよどむ。
「若、何か?」
「いくさなんて何処にあるんです?確かにアルメキアは四方を囲まれてますけど」
ラウルの疑問はもっともである。アルメキア王国はタイモール大陸の中心に位置する為、過去幾度も戦火に見舞われている。他国が領土を拡張しようとすれば、自然とアルメキアは侵略対象か通り道になる。歴史上、ことを構えたことが記録されていないのは東方諸島だけだ。
しかし、現在は西のムロック連合、北のグリノス帝国、南のサーラーン王国ともに和平が保たれており、戦火の兆しが見えないどころか貿易までさかんに行われている。
副長の改革案は将来にそなえたものであるとしても少し性急過ぎはしまいか。
「若のおっしゃる通り、改革案の第一弾は国内向けです」
「国内……対象は王国臣民ってこと?馬鹿な!」
「エルザ姉さん、お声を小さくお願いします」
店内を見張っていた弟者から警告が入る。
彼の目線を追って見ると、数人の男たちが連れ立って入ってくるところだった。
「これはこれは巡礼の皆様、ご苦労様でございます。直ちにお飲み物を……」
店主の出迎えは礼にかなったものだが、客より客が持っている金に頭を下げている、といった感じだ。そして、さらに容赦のない感想をエルザとラウルは抱いている。
(ちょっと待って、アレが巡礼!?)
(人を見た目で判断してはいけない、って言うけどさ)
更生した不良あるいは改心した野盗とでも言うべきか、とにかく半日大聖堂で心を洗われていたにしては人相があまり良くないのだ。
兄者はいっそう声を落とす。ほとんどひそひそ声である。
「その国内向け事業と言うのが教会の下請けなんです」
「まさか聖騎士のお供じゃないよね?」
「そのまさかです」
改正アルメキア王国法によれば、聖タイモール教会の教義に違反した者の取り締まりおよび摘発は、大司教、司教、司祭長の許可を得た聖騎士団員の任務である。
これに補助職員として傭兵旅団が手を貸せば捜査の効率は何倍にもなるだろう。その一方で旅団は報酬の心配をする必要がないわけで、双方に利得をもたらしうる契約と言えた。
問題は教会や聖騎士団が契約の相手方としてどうなのか、支払い以外の評価を意図的に無視している点だ。
どう考えても組む相手を間違えている、とエルザは思う。
「あのさあ……言っても仕方ないけど、嫌な予感しかしないよ」
「旅団長もエルザ姉さんと同じお考えです」
巡礼の連中が近くの席に着座したため、旅団の話はそこで打ち切りになった。彼らは教会と直接関係がないただの巡礼かも知れないが、用心に越したことはない。
後は、再び陽気な別れの宴となった。
湿っぽい別れを嫌った戦士兄弟がまたもや美声を披露する。
ただし、叙情歌『北国』の歌詞はアルメキアの人には今いちピンとこなかったはずだ。
出稼ぎに来ていた北国の男性が帰国する。当地で恋に落ちた女性が男性を忘れられずに悶えている、という話で、兄弟が自分たちの境遇に寄せているのは明らかだ。
最終的には歌詞の女性は意を決して北国へ旅立つ。雪を踏み分けて追いかけるのである。
(ずいぶん行動力のある女の人だな)
ラウルの感想はこの程度であったが、カウンターで飲んでいた商人らしい亜人の心には刺さったようで目頭を押さえている。雪国出身の人には雪の歌が沁みるのだとすれば、この商人もグリノス帝国から王都に出張ってきている可能性が高い。
実際、冬にはどれぐらい雪が積もる地域の出身なのか、というやり取りがグリノス流自己紹介の一部であったりするくらい雪は身近であり、同時に何もかも白一色に閉じ込めてしまう憎むべき相手なのだ。
歌詞の内容はともかく、周囲の酔客たちは、ああ送別会なんだな、と察して手拍子や盛大な拍手を二人に送ったが、巡礼達は歌が気に入らなかったのか、夜食をエールで流し込むとさっさと部屋に引き上げている。
(聴いていけばいいのに)
聖タイモールの教義に全く知見がないラウルは巡礼達の行動を、ひょっとして夜のお祈りの時間かな、という良心的な解釈をしているが、エルザは違った。
(巡礼らしい会話がない……)
大聖堂の素晴らしさとか神の偉大さに触れるどころか、食前の祈りすらろくにしていなかったではないか。
つまり、彼らは自称巡礼。目的は不明だが巡礼を名乗る正体不明の集団なのだ。
(大聖堂を狙う盗賊団とかなら面白いんだけどな)
物騒な期待を寄せるエルザだが、今のところ何も問題を起こしていない連中を調べる気も、その権限もない彼女は再び意識を宴席に戻した。
兄弟は歌い終えて拍手を浴びながら、残ったエールを飲みほしている。
「では若、エルザ姉さん、そろそろお暇をば」
「楽しい宴に感謝。また会う日までお元気で」
楽しくしたのは主に戦士兄弟だが、四人は互いに握手し抱擁し合って別れた。
「またすぐに会えるんでしょ?」
「ノルトラント経由での往復と向こうで所用を済ませて……」
「約二週間といったところですか」
「そんなに!」(遠い、遠すぎるよ)
「若、世界は広い。われらの故郷は北の最果てでありますがね」
「お立ち寄りの際は……立ち寄りっこありませんな。ガハハ!」
弟者の放った自虐的冗談がいっそラウルには心地よかった。訪ねてくれと頼まれてもたどり着けそうにない。
それほど遠くから出稼ぎに出てこなければならない雪国の厳しい暮らしが彼には想像がつかなかった。
本格的に寒くなれば彼らの故郷への道は雪と氷で閉ざされる。フレッチャー兄弟はアルメキア各地の収穫祭を見逃すことになるが、彼らが自由にグリノスとアルメキアを往復できる季節はまもなく終わろうとしているのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
料理男子がモテる、と言うのは奥さんのピンチヒッターとして期待できるからじゃないでしょうか。どこぞの美食家みたいに「女将を呼んでまいれ」とか「これを作ったのは誰だ」とか言う人はダメなんだと思います。私的には一緒に皿洗いして楽しい人が理想です。
さて、魔法学院に続いて傭兵旅団も何やら不穏な気配です。
これを何とかする力はラウルにもエルザにもありません。
今のところ見ているしかないのが歯がゆいところですが、何の努力や成長もなしに、直面した問題をただちに解決できるほど世の中は簡単じゃないのです。乗り越えられない壁があって当然なのです。
がんばれラウル!強くなれ!
徃馬翻次郎でした。