第79話 日雇いの戦士たち ①
良い宿屋の条件とは何か、と聞かれれば十人十色の意見があって然るべきであろう。
地方の町や村にある一軒しかない宿屋なら選ぶ余地もぜいたくを言う権利もないが、なにしろここは王都である。城外から上層まで含めると宿屋兼酒場は十数軒を数える。
エルザとラウルが到着したのはそのうちのひとつ、『臥竜亭 』である。
最上層には、二食付きで金貨一枚からお部屋をご用意させていただきます、という超高級宿屋も存在するのだが、今日の行商人姉弟には無縁の場所である。
驚くべきことに、そこでは部屋ごとに給仕がつく。専用の召使がいるだけでなく、一流の料理人が希少食材を惜しむことなく用いた料理の数々は宮廷料理に勝るとも劣らない美味珍味であり、王侯貴族もかくやと思わせるような内装と調度品はもちろんのこと、音楽、賭博、スケベにいたるまで様々な娯楽の提供にも余念がない。
ラウルに限らず大多数の平民には縁のない話なので、中層以下に絞って“良い宿屋の条件”について、王都民に聞いてみれば、概ね次のようになるだろう。
まず、大なり小なり酒場併設で営業しているところが多いのだから、飯が美味い、酒が選べる、かわったものが食べられる、という声は男女共通して聞かれる。
女性に意見を聞くと、客室が清潔、便所がキレイ、小さい虫が湧いていない、という具合で、住環境に意識が集中するようである。
また、男性の多くは声を小さくして、どこそこの女給が美人、ノリがいい、あるいはもっと露骨に、あの宿の娘なら銀貨三枚で天国に連れて行ってもらえる、と女給の副業と評価について詳細を教えてくれる者もいる。
取り立てて意見として言われることはないが、安全と信頼は大前提ということは付け加えておく。どれだけ安くとも良心的な接待であっても、目覚めた時には裸にむかれていました、では話にならない。実際、最底辺の宿屋では片目をあけて寝なければならない、というのは誇張でも何でもないのだ。
さて、エルザとラウルを出迎えた臥竜亭店主ブルーノ=カウフマンは新しい宿泊形態を考案して一階の倉庫を改築にかかった。先日客室への転換工事と倉庫の建て増しが終わったところである。
かねがね店主は手前味噌ながら、店で出す美味い酒と飯には自信を持っていた。犬系亜人の鼻にかけて間違いはない、商売繁盛はその証だ、とも自負している。店内のしつらいや調度品にもそれなりに気を配ってきたつもりで、手抜きもない。
しかし、彼はただの酒場の親父ではなかった。いわゆる中間層の新規顧客開拓を目論む宿屋業における挑戦者だったのだ。
この挑戦者は酒場のカウンターで過ごす時間が嫌いではない。忙しく立ち働きながらも、酒臭い喧騒の中から新しい商売のネタを拾うことが楽しみなのである。
「よう!エルザ。しばらく見なかったな。どこへ鼻を突っ込んでたんだ?」
「南方ね。休むつもりが仕事しちゃったけど。そっちは景気いいみたいね」
「へヘッ、見ての通りだ。なんか飲むか?そんでもって南方の土産話を聞かせろよ」
「それもいいけど部屋のほうが先ね。一人部屋を二つ。後は……」
「待った。悪いが満室なんだ。二つどころか一つも無い」
「本当!?」
ラウルは従僕宜しくエルザと店主のやり取りを見守っているが、このままでは床に転がって寝るどころか、別の宿を探さねばならないのではないか、と内心穏やかでない。
一方、当てが外れたエルザは収穫祭前の満室が信じられない、といった様子である。
「本当に団体客なんだ。聖タイモール教の巡礼だとさ。熱心なことで」
エルザは思わず振り返って酒場を一瞥した。それらしい集団は見当たらないが、これには店主が答える。
「みんな大聖堂だよ。巡礼だからな。女子供は連れずに男ばっかりだったんで、本当かよ、って思ったけどな。気色悪いが金払いは問題ないんで今ではいいお客様だ」
男同士で気色悪いことをしようとするエスト在住の人物をラウルは約一名知っていたが、話がややこしくなるので黙っていた。
「困ったな。私一人ならともかく今日は連れがいるし」
「後ろの兄ちゃんかい?」
「うん」
「だったら特別室はどうだ?そこなら何とかなるぜ。ちょっと片付けが残ってるから時間をもらうけど、真面目な話、使用感とかも聞きたいしな!」
「貴賓室?」
「違う違う。そんなのは他の店にまかせときゃいいんだ」
「じゃあ、いったいなにが特別なの?」
そこから店主は声を落として他の客に聞かれないように囁き声で話す。エルザは頷きながら聞いていたが、突然赤面してわずかに飛び上がった。
「ち、違うっ!あの子は荷物持ちだ!」
「わかった、わかったよ!大声出すなって……」
「お世話になってる人から預かってるんだよッ」
何やら行き違いがあったようだが判然としない。ラウルは行き違いに自分のことも入っているように聞こえたが、エルザの話が途中なので従僕らしく知らぬ顔を維持する。
「で、どうする?」
「その特別室はいくらなの?」
「銀貨五枚だが……」
「高ッ!」
「まあ、最後まで聞けよ。まず、酒場から二人に一杯ずつ奢る。水と湯で金はとらねえ。洗濯も言い付けてくれ。ウチの小さいのにやらせる。聞いて驚け風呂つきだぞ!あー、石鹸も付いてるけど持って帰るなよ」
二泊したらクラーフ商会で非魔法式の野営道具が正札で買える、とラウルは思ったが、詳しく話を聞けばそれほど暴利であるとも思えない気がしてきた。
もし風呂が湯船を意味するのだとしたら、これはものすごい贅沢である。
どうやら宿を取るということは鍵付きの空間を貸してもらうという行為であり、飲食はもちろんのこと、様々な役務は基本的に別払いなのだ、と彼ははじめて知った。
上層の高級宿屋では食事も風呂も何もかも込みで勘定する営業形態を既に採用しているが、店主の考案した新しい客室形態は、上流階級御用達と庶民用とのちょうど中間を狙いつつ、ある種の目的達成のために特化したものなのだ。
その目的が何なのかは彼が部屋の扉を開ける時まで置いておくとしよう。
「わかったよ。荷物を預かってくれる?」
「まかせろ。今忙しいが後で部屋に放り込んどいてやる」
「お願いね」
「また出かけるのか?」
「ちょっと旅団本部まで」
「おうおう、マメなこって」
「古巣とのつながりを大事にしている、って言ってほしいわね」
二人とも背嚢を下ろして店主に預け、身軽になった。それはいいが、エルザの素性を聞いて驚いたラウルである。
宿を出て旅団への道を歩きながら彼は質問する。
「エルザさんは傭兵だったんですか?」
「そうだよ。元傭兵の探検家とか珍しくもなんともないけどね」
「はぁ」(そんなに元傭兵って多いのか)
「あれ?ご両親は?聞いてない?」
「は、はい?えー、いや、冒険者仲間だったとしか」
「……」(しまった)
エルザは思わず足を止めて下唇を噛んだ。油断して必要のないことまで漏らしてしまったからだ。半ば傭兵業界の伝説と化している踊る巨人と銀狼が、その息子には傭兵時代をなかったことにしている理由はエルザには全く理解できない。
だからと言って、親が子供に内緒にしていることを第三者が勝手に暴露して良い理由にはなるまい。
もちろん、今ならあいまいな返答でお茶を濁すこともできたが、エルザはラウルの師匠でもある。嘘やまやかしは無いほうがいいに決まっている。
エルザは覚悟を決めた。
歩きながら話そう、と彼女は彼を促す。
「ごめん。知ってると思い込んでた」
「ウチの両親も傭兵だったんですか?」
「うん。本当にごめん。申し訳ない」
「いや、そんな、謝らないでくださいよ、エルザさん」
両親と自分の問題なのだから、事情を知らなかったエルザが謝る必要はない、とラウルは彼女の頭を上げさせる。
実際、彼女に悪気はなかったのだが、ラウルに気を許して喋りすぎたことを反省しており、その結果として生じた不始末を詫びているのだ。
しかし、ここまで来たからには謝るだけではなく、言うべきことを言わねばならない。
「わかった。でもね、今から行くところはさ、もちろん兄者と弟者に会いに行くんだけど、場合によっては、ラウル君が知らないクルトさんとハンナさんの過去、仲間、武勇伝、悪い噂……は無いか、とにかくそういったことを聞くことになるかも知れないんだ」
「父さんと母さんの過去……オレの知らない」
「うん。私の用事だけで終わって、見学で帰ることになるかも知れないけど」
「見学」
「そう。それで、決めてほしいんだ」
「何をです?」
エルザは再び歩みを止めた。
「このまま付いてくるか、それとも宿で待ってるか」
「……」
「付いてこなくても、宿に戻ったら聞きたいことには知ってる範囲で答える」
「はぁ」
元冒険者だという両親の話を信じ切っていたラウルにとって、騙された、という感覚はぬぐい難いものだった。
何か理由あってのことだとは思うが、釈然としない。
なぜ嘘をついた、どうしてだ、と両親をなじるのは実に簡単だが、仮に嘘をついた理由を聞かされても、今度はそれを信じるのかどうか判断材料に困る。
となれば、旅団本部へ行っていろいろ聞いてからでも怒るのは遅くはあるまい。
「付いて行きます」
「わかった。行こうか」
エルザは歩き出しながらも安堵の気持ちを隠せなかった。なによりラウルを丸め込むために嘘をつく必要もなくなり、彼に選択肢と考える時間を与えてあげられたからだ。
しかし、ジーゲル夫妻はこのことあるを予想しなかったのか、とも彼女は思う。それとも引退から二十年経って油断したのか、あるいは何もかも承知のうえで王都へ派遣して、お供につけた私が口を滑らすのも想定内の出来事なのか。
どちらにしても、百年、二百年語り継がれる伝説もあるのだから、ジーゲル夫妻は自分たちの知名度や影響力についてもう少し考えた方がいい、と思うエルザであった。
いつもご愛読ありがとうございます。
宿屋の前振りからはじまりましたが、傭兵の事務所へ行くお話です。宿屋の秘密はその次になります。
はじめての外泊になるラウル君は見学に徹しています。修学旅行とか林間学校がない世界だとこうなるだろうな、と思いながら書きました。
肝心の事務所訪問は次回。
徃馬翻次郎でした。