表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/423

第78話 要塞か牢獄か ③


「あ!思い出しました。エストの件でブラウン男爵から追加報酬をもらいまして」

「ほっほっほ。それは良かったの。頑張ったご褒美じゃよ」

「こちらを校長先生とロッテに」


 そうエルザが言いながら肩掛けカバンから取り出したのは金貨のつまった袋だ。


「なに?まだくれるとな?イカンイカン!あれだけ協力してもらって、このうえ……」


 学院長は手と髭をぶるぶる振って固辞しようとしたが、最終的にはエルザが説得して金貨袋を握らせた。


「お金はいくらあっても困りませんよ、校長先生」

「ではお言葉に甘えて遠慮なく、有難く使わせていただくぞ。正直なところ資料集めはとんでもない金食い虫なんじゃ。それに、良い薬があったらあがなってロッテに飲ませてやりたいしのう。家族が一人増えたぐらいで生活費はたいしてかわらんからの」

「家族……」

「ラウル青年、彼女を放り出すわけにはイカンよ。彼女はもう独りぼっちじゃ。彼女の人生を壊した愚かな大人のひとりとして、誰かが責任を取らねばイカンじゃろう?」

「校長先生は止めようとしたんでしょ?先生の責任じゃないですよ!」

「ラウル君、ロッテが起きちゃうよ、落ち着いて」

「す、すみません」


 つい熱くなって声を荒げてしまったラウルだが、魔法学院長クラウス=ホイベルガーは微笑をたたえて聞いている。そしておごそかに宣言した。


「青年、魔法学院の責任者は私なんじゃよ」


 ラウルはもう何も言えなかった。


 事件を起こした人間を引き取って面倒を見ることはなかなかできることではない。やらかした途端に手のひら返しで距離を置く人間のほうが圧倒的多数であり、現実にロッテはそうなっている。

 学院長はその現実に抗っている。派閥抗争に身を置きながら、彼女のあまりにも薄くなった幸せを一人で支えているのだ。


 にもかかわらず、日常業務は容赦なく積みあがっていく。あちこちの机の上にうずたかく積まれたの書類はその結果、執務机がキレイなのはせめてもの抵抗、という訳だ。

 ラウルは書類の海で溺れる寸前の老人が気の毒で、助けになれないか、と考えている。


「さてさて、私は仕事に戻らんといかん。いまいましいことに書類の一枚一枚に至急だの重要だの書いてあって、おまけに全部目を通して署名をせなばならんのじゃ。お二方、差し支えなければ、続きはまたの機会にしてもらおうかの。えーと、一番日付が古い書類はどの机じゃ?これか!」


 既に日は沈みはじめており、周辺は段々と暗くなりかけている時間だが、学院長は夕飯までにもう一仕事するつもりらしい。

 彼のあまり効率的とは言えない仕事ぶりを見て、ラウルはひとつ思いついたことがある。


「あのー、校長先生は、ロッテの味方なんですよね?」

「うん?いかにも」

「ラウル君?」

「彼女がいまだに学院生のままなのは、ご自分が近くで守る為?」

「左様」

「それなら事務屋、えーと、エルザさん、お世話係の人って何て言うんでしたっけ……」

「書記?秘書?」

「ヒショとしてお雇いになったらいかがでしょうか」

「なんとな?」


 適当な言葉が分からなかったのでエルザの助けを借りたラウルだが、彼の言うお世話係を秘書と翻訳した彼女の手腕もなかなかのものである。

 書類の山から顔を上げた教授にラウルは提案の狙いを説明した。


 ひとつには、学院生でない以上、ある程度魔法や実験から距離を置くことができる。中退になってしまうが、怒る家族もいない点がこの際いっそ清々しい。

 ふたつには、秘書の職場は学院長室である。ほとんどの時間を学院長から数歩の距離で過ごすのだから、監視する手間が省ける。

 みっつには、教授の手に余っている大量の書類仕事を手伝う人ができる点だ。慣れるまで彼女は大変だろうが、日付順や種類別に並べるだけでも学院長は助かるはずだ。


 ちなみに中退の発想はリンから、秘書の発想はエスト第四番坑道の事務衛兵である。


 学院長は驚きと歓喜がまざった表情を満面に浮かべながらラウルに突進し、彼の手を両手で包むように握手した。


「なんたること!ラウル青年よ、礼を言いますぞ!短い時間で見るべきものを見、聞くべきものを聞いただけでなく、このように有意義な提案までしてくれるとは!これは最優先事項としてとりかかることにしよう。いやはや秘書とはな!」


 握手だけでは気が済まなかったのか、抱擁まで交わした学院長は何やら思い出したことがあるらしい。


「そうそう、エストにあった魔獣兵器工房の研究は後回しになっておるから、何かわかるとしても当分先のことになるじゃろう。そのかわり、と言ってはなんじゃが私の蔵書から魔獣の解説本を進呈しよう。不愉快なくだりもあるが絵入りで読みやすいぞ」

「あ、ありがとうございます」(魔獣兵器工房……蜘蛛の巣のことだ)


 土産がわりの書籍をもらったラウルは学院長に別れを告げて学院長室を後にした。再会を約したが、次に王都に来る予定が立っていないラウルは当分会えない可能性がある。魔法学院にしても同じことで、そう度々訪れることもないだろう。

 

 食堂や寮に引き上げている時間なのかもしれないが、職員棟の人影はまばらだ。もう来ることもないと思うと、卒業生でもないのに一抹の寂しさを覚えるラウルであった。

 そうなればあちこち見ておきたい、と見回す彼の目に、来るときにはスケベに必死で見落としていた構内地図が留まる。

 エルザはもう何度もみているのだろう、特に興味はない様子だ。


「校舎、職員棟、訓練場、療養所、売店、食堂、寮……すごい!床屋まである!」

「本当に何でもあるよね」

「何でもある、ってことは……」

「そう。街に出なくてもいいってことだよ」


 これが魔法学院を囲む外壁の意味なのだ。要塞のように頼もしく思える外壁も、見方を変えれば牢獄たりうる。悲しいのは、その牢獄の中で派閥抗争をしている連中である。仮に主導権を握ったとしても、所詮外の世界と遮断された牢獄ではないか。

 それとも何か理由や目的があっての抗争なのか、とラウルは思ったのだが、この時点では皆目見当がつかなかった。


 さて、許可証を返却して退出時の荷物検査を受けるエルザとラウルだが、やはり教授からもらった書籍が問題になる。守衛は学院の職員を呼んで点検してもらうが、結果として問題なしで帰してもらえることになった。

 実は、表紙こそ立派なものだったが、読者の対象年齢がラウルより若干低めに設定されている『まじゅうのひみつ』の内容は機密情報でも何でもなかったのだ。

 

 正門はすでに施錠されていたので、脇の通用門を開けてもらって外に出た行商人姉弟は上層から中層へと道を下る。宿泊予定の臥竜亭と傭兵旅団本部は共に中層にあって、どちらに行くにしても少し歩く必要がある。


「話し込んで遅くなっちゃったね」

「うッ、申し訳ない」

「いいよいいよ、校長先生喜んでたし!」

「それは良かったです」

「うんうん。先に宿をとろうか。収穫祭期間中じゃないから空いてると思うけど」

「やっぱり王都の収穫祭は混むんですか?」

「騎士団の行進、見世物小屋、出店、見物客、サーカス、まあひどい混雑だね」


 旅芸人や出店はエスト収穫祭における恒例の風景だが、王都の収穫祭は規模も何もかも違うようである。

 人ごみがあまり好きではないラウルは、大通りの雑踏が今以上に混むのかと思うとそれだけで疲れる思いがした。それだけに、とりあえず宿を取って旅装を解こうと言うエルザの案には大賛成であった。


 薄暗い脇道をジグザグに下って行くエルザは慣れた様子だが、ラウルは不案内で夜目も利かないので付いて行くのに必死だ。

 やがてたどり着いた酒場兼宿屋『臥竜亭スリーピングドラゴン』は清潔で大きな構えの人気店である。前庭には軒から伸ばした天幕の下で飲食できる場所がしつらえられており、店内から寄せる形で酒食を提供していた。


(いい匂い!)


 暖かい灯りと食欲を刺激する香りに魅了されたラウルは、一刻も早く荷物を下ろして食卓に着きたい誘惑に駆られたが、なにしろ王都も初めてなら外泊もはじめて、というわけで大人しくエルザのやり様を見学するほかない。


 大盛況の酒場をかき分けるようにして進むエルザに付き従うラウルの姿をはたから見れば、まさに鑑札通りの従僕であった。 


いつもご愛読ありがとうございます。

ラウルはロッテを転職させる提案をしましたが、これで助かると良いですね。

えらいぞラウル!惚れるなエルザ!

徃馬翻次郎でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ