第77話 要塞か牢獄か ②
クラウス学院長の講義とエルザの解説はなおも続く。
「普通の時はいい娘なの。大人しくて、家柄を鼻に掛けたりもしないし」
「はぁ」(そうだったかな?)
「その普通の時がどんどん減っておる」
「……」(頭を杖で小突かれた時だけでは?)
「そうね。最近は時々誰としゃべってるのか分からなくなるわ」
「ええ……」(それはわかる気がする)
「どうした青年?大丈夫かね?」
学院長はラウルの沈黙を具合が悪くなったと取ったのだが、実はそうではなかった。彼が生返事をしていたのは先ほどの冷茶実験が妙に引っ掛かっていたからだ。
その引っ掛かりを言葉にすると次のようになる。
校長先生がオレの魔力量を表現するときに、新しいグラスにそそぐのではなく、飲み干していた。少ない魔力量を表現するならちょっぴり注ぐだけでいいはずだ。ロッテを表現したグラスの時は乱暴に注いでいた。こぼすことが目的ならゆっくり注いでも同じなのに、なぜか勢いをつけていた。
「これはどういう意味なんでしょう?」
果たしてラウルの質問は的を得ていたようだ。
「ほっほっほ、素晴らしい観察眼じゃ。よく見ていたな」
「わざとでしたか」
「その通り。魔力も茶も勝手にあふれたり減ったりはせんということじゃな」
「校長先生、まさかロッテもラウル君も人為的な魔力操作を受けていると?」
エルザはラウルの質問によって新たな発見に気付いたようだ。しかし、その新発見はあまりにも衝撃的でラウルをしばらく絶句させるものだった。
(オレとロッテをポンコツにした奴がいる……)
ラウルは魔力が少なすぎ、ロッテは逆に持て余している違いはあるが、それが何者かの仕業によるとは聞き捨てならない。
エルザは興奮のあまり食い気味に学院長に迫った。
「誰が?」
「わからん」
「何のために?」
「見当もつかん」
「どうやって?」
「一時的な魔力吸収はもちろん、増幅も減退も魔法で可能じゃ。しかし、永続的な魔力吸収や増幅、魔力量そのものの変更、器の大きさをいじるとなると、私には到底無理じゃ。これが魔法の仕業じゃとしても未知の術式が使われとるじゃろう。なんせ、とっかかりの発見すらできておらんのじゃからな。このグラス理論にしても現時点では全くの仮説なんじゃから」
最初と二番目の質問に対する学院長の回答がそっけないのは専門外だからである。それこそニンジャや密偵たちが時間をかけて調査する問題だ。
三番目の回答がやたら長いのは学院長の専門ゆえなのだが、それでも最後はよくわかっていない、という悲しい結尾になっている。
しかし、彼は匙を投げてしまっているわけではない。
「鋭意研究、調査中じゃ。続報を待て、青年」
何とも頼もしい言葉でラウルを励ましている。
その彼は学院長に尋ねる。前々から疑問に思っていたことだ。
「校長先生とロッテはエストで何をなさってたんですか?」
「結論から言えば、ロッテが思う存分魔法を使えば彼女の症状が緩和しまいかと考えてのことじゃ……どこから話せばええじゃろうか」
こうして教授の講義が再開された。
まず、魔法学院の敷地内であっても好き勝手に魔法を使えるわけではない、ということを念頭において話を続けるぞい。
学院内で遠慮なく練習できるのは、防御、回復、身体強化、照明、あと学生同士で魔力吸収の練習をすることもあるかな、攻撃魔法は標的相手の『火球』程度に限られておる。なぜ?大規模爆発魔法で隣近所の窓ガラスを全部割るつもりか?学院生の不始末を詫びて回るのも指導者の役目じゃが、結果が分かっていてやらせる奴は指導者失格じゃ。
ほほほ、学院の周囲を囲む壁の意味がわかったかの?そのうちのひとつ、吹っ飛ぶなら自分たちだけでどうぞ、ということじゃ。
うむ?そのへんの山や草原に出かけて試せばいい、というのはもっともな意見じゃが、山火事や制御不能になった際の巻き込み被害を考えれば難しい話じゃの。
なぜ“火魔法”に限った話になるのか、ということじゃが、どういうわけかロッテは火魔法以外の攻撃魔法をなかなか覚えようとしないのじゃ。無理やりやらせれば発動はするがの。うむ、じゃから例の夜這い事件の時に土魔法が使用されたと聞いて私は耳を疑ったものじゃ。
知っとるじゃろうが、火魔法を使う時のロッテはちと危ない。隣で制御してやる人間が必要じゃ。放火魔みたいに聞こえたかも知れんが、言いたかったのは攻撃魔法に関してはロッテは火専門ということじゃ。
そんなロッテの大魔力をあてにして無理やり詰め込まれたのが精神操作と流星魔法じゃ。この二つをほいほい唱えるわけにはいかんのは分かるな?青年。すくなくとも片方は経験あるじゃろ。
まとめるぞ。ロッテの魔法は火、精神、流星。試すとしたら大威力の火炎魔法。誰にも迷惑がかからんように魔力を通さない閉鎖された環境と、夜這いの再現は無理じゃが戦闘時の心理的負荷も併せて実験できる場所となると……
「迷宮ですか」
「そういうことじゃ。優秀な出入り業者のエルザに頼んで、手ごろな迷宮と……」
「優秀な前衛と万が一の時の回復担当って聞いたら思い出したでしょ」
「エルザ隊」(そういうことか!)
「青年と親御さん、ウチの元学院生に出会ったのはエスト南からの帰りじゃ」
「魔獣騒ぎが無かったら西の湖畔で息抜きするつもりだったんだけどね」
するとエストで初めてエルザと出会ったときに彼女が“休暇中”と答えたのは、本当に息抜きであって、一山当てたわけではなかったのだ。“ボコられて再編成中”でこそなかったが、実験結果がお察しなのを考えれば精神的にはボコられていたことだろう。
そんな中で村民救助と蜘蛛退治を最後まで手伝ってくれたのは人徳という他ない。
エルザと魔法学院長クラウス=ホイベルガーは間違いなく人格者だ。
「なにしろ外出許可を得るのが大変じゃった。勅許がないと城門から出られん」
「チョッキョ……」(ってなに?)
「国王様の許可って意味よ、ラウル君」
「お、王様?」(外出に王様の許可がいるの?)
「ほっほっほ。壁の意味がお分かりかな?簡単には外には出さん、という意味じゃ」
「ヒェ……」(それじゃまるで牢屋だよ)
「ま、私一人なら何とでもなるがの。ほっほっほ」
ようやくラウルにも学院の外壁が持つ意味が飲み込めてきた。選ばれた人間風を吹かしている連中が目立つ魔法学院はその実、家畜を囲っておく柵もしくは囚人を閉じ込めておく檻の中なのだ。
さらには衛兵と守衛で、情報流出の有無や不審人物の出入り、普段の生活まで監視されているとあっては、壁の意味は一般家庭や城砦と全く違ってくる。
ここだけを聞くとリンの中退は全く持って正解だった、と彼は言わざるを得ない。
「それにロッテを学院内に置いておくと、私の目を盗んで実験する奴らが出てきおる」
「少しの間でも外へ出す方が彼女にとって安全だった、てことね」
実験の結果は今、ラウルの横にいるロッテの状況を見ればわかる。
「そいつらは誰なんです?」
「筆頭はオクタヴィアン・シュペルヴィエル。シュペル教授じゃ」
「何回聞いても言いにくい名前ね」
「悪党の親玉がわかっているならどうして……」
「青年、恥ずかしい話じゃが、今の魔法学院はふたつに割れておるのじゃ」
ひとつはシュペル教授率いる進歩派といわれる派閥である。魔法学発展のためなら犠牲をも厭わぬ集団であり、目的達成の為ならあやしげな実験にも手を染める。ロッテに精神操作と流星の魔法を仕込んだのも進歩派の連中だ。ちなみに学院長は過激派と呼んでいる。
もうひとつは学院長を中心とする慎重派だ。実験は管理された環境で慎重に行ない、周辺環境への影響に配慮しながら高みを目指す集団である。一昔前までは圧倒的多数派だったのだが、最近は進歩派の勢いを無視できなくなっている。むしろ押されているといったほうが正確であろう。
(果てはロッテの奪い合いか……)
ラウルには単なる派閥抗争を超えているように聞こえるのだが、とにかくそれによって彼女の不幸は終わることなく続いている。
(ある意味オレよりたいへんだな)
少なくともラウルには実験動物としてあちこちいじられた経験はない。
人生の山と谷の落差はラウル以上であろう。最初から魔力最底辺のラウルとちがって、超大魔力ゆえに人生を無茶苦茶にされている。
そこへ精神操作やら流星やら物騒な魔法を仕込まれて、もはや人間扱いされていないのではあるまいか。
「校長先生、質問です」
「ほっほっほ、何かな?青年よ」
「精神操作とか流星とか危ないものがどうして研究されているんです?」
「それは攻撃の仕組みが解っておらんと防御や抵抗のしようがないからじゃ」
「毒と毒消しみたいなものよ。ラウル君」
「左様。元学院生の……リンだったかな、彼女はちゃんと講義を聞いていたようで感心じゃ。“精神操作は外部からの刺激に影響を受けやすい。”刺激方法はちと過激だっだがな」
学院長は教科書か何かの一節を引用してリンを称賛した。すると彼女のフォーク攻撃は理にかなった精神操作の解除技術だったのだ。もう少し手加減してつねったりしても出来たのでは、とラウルは思わず刺された場所をさすった。
さすりながら考えているのは毒と毒消しの例えについてである。確かに麻痺している者に毒消しを与えても効果はないだろう。治療には麻痺の仕組みを解明して、解除するための成分を薬草や生体素材から抽出する研究が必要なのだ。
危ないものを避けるのではなく研究することで防御を容易くする、というのは今までのラウルに無かった考え方である。
(攻撃方法の研究が防御につながる、か)
魔法以外にも何かと応用が利きそうな考え方だが、その思考を中断させたのはエルザだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
エルザ隊がエストにいた理由が明らかになりました。
過去話では『初陣』のあたりにつながります。この機会にぜひご一読ください。
正気に戻ったロッテは『宴会』でご覧いただけます。(一瞬)
徃馬翻次郎でした。