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第74話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑱


 さて、だらしない話だが、この若夫婦はできれば昼前まで寝るつもりで、仲良く朝寝を決め込んでいた。むろん休みをあてにしてのことである。

 一度目を覚ましたハンナがそのまま二度寝することに決めた、その矢先に事件は起こった。


「すみませーん、衛兵隊ですうー。ジーゲルさん、おはようございますうー」


 幾分間延びした呼びかけだったが、ハンナはバネのように飛び起きてクルトを蹴飛ばすと部屋の隅に飛んだ。ようやく身体を起こしたクルトに向かって立てかけてあった剣を放ると、自分も小剣を握って窓際に身を縮めてうずくまる。

 どうやら彼女は衛兵隊にしては多すぎる気配を察知したようだ。

 彼女の動きは飛び道具を部屋の中に撃ち込まれることを警戒した見事なものであり、胸も大事なところも隠さずに武装を優先したことは武人として平均以上である。


 ところがクルトの言動は実にゆったりしたものであった。


「着替えるからちょっと待ってくれ」

「お早く願いますうー」

「おう」

「あなた、包囲されてるのではありません?」

「それならいよいよ武装は止めといたほうがいいな」

「……あなたを信じます」

 

 ハンナは小剣をクルトに渡して身支度を始めた。クルトは自分の剣と一緒にまとめて寝床の上に置いてから普段着に着替える。


 先に見てくるよ、と彼女の後ろ姿に声をかけたが尻尾に元気がない。ひょっとすると異変の原因に心当たりがあるのかも、と彼は思ったが、とりあえず玄関の衛兵に対応しなければならない。もちろん、非武装の一市民としてだ。


 はいはいどちらさんですか、と玄関の扉を開けたクルトは驚きを隠せなかった。


 衛兵はただの一人だけで、三十人は優に超える狼系亜人の集団が所狭しと並んでいた。完全に往来を塞いでいる集団は白地に銀が目立つ外套をそろって着用しており、半数以上が槍と弓で武装している。

 城塞都市内で武装がとがめられないのは衛兵を除けば、聖騎士団員、騎士団員、傭兵旅団員、外交使節である。

 朝っぱらからこんな近所迷惑をやらかすのは余所者に決まっている。だとすれば一体どこから湧いて出た奴等なのか、ウチに何の用なのか、とクルトが思いを巡らせたとき、脳内備忘録の最後の一行に突き当たった。


 全然忍ぶつもりのない“お忍び訪問”が来たのだ。それも予想よりはるかに早く。

 


 衛兵はさっさと引き上げてしまった。交通整理ぐらいしたらどうか、とクルトは文句を言いたかったが、仕方ない。小なりとはいえ軍勢を率いている貴族様に意見するのは勇気のいることだ。

 もう相手が誰かはわかりきってはいるが、一応、一番手近にいて一番偉そうにしている狼系亜人をつかまえて丁寧に質問する。


「どちら様で?」

「ノルトラント辺境伯フリッツ=ヘルナー閣下であるッ!」


 閣下直属の護衛と思われる槍持ちは居丈高に吠えた。どうだ恐れ入ったか、という態度が気に入らなかったので、クルトはこの槍持ちをおちょくることにする。


「あなたが?」

「は?いや、私は……」


 これは彼にとって予想外の質問だったらしい。

 目が左右に振れて口を開け閉めしているがいい気味だ。どうせ平伏するか頭を下げる動作を期待していたのだろうがそうはいくか。第一、自分から名乗らない野郎相手に礼儀もクソもあるか、とクルトはいつもの根性を発揮した。

 すると隊列をかき分けるように、その閣下が姿を見せた。


「……」

「何か?」

「まるで犬小屋だな」


 コイツがハンナをさんざん傷つけた親父だな、とクルトは理解した。なるほど貴族様の典型例で庶民のことなど雑草か虫のようにしか思っていない。護衛の何人かは同じように偉そうだが、ほとんどの者は恥ずかしそうにうつむいている。

 つまり、家来は主君の高圧的態度を快く思っていないのだ。


「それはごもっともなご意見です、閣下」

「開き直りか」

「いえ、粗末な犬小屋に全員は入れませんので、随行の方々に解散なり待機なり命じていただけませんか……閣下」


 意外なことに隊列の最後尾から、その通りじゃ、という年配の男性らしき合いの手が聞こえた。閣下は舌打ちしたが、とがめられないところを見ると身内らしい。

 結局、例の槍持ちと大きな包みを抱えた護衛二名を残して隊列は解散した。噴水広場で待機と言う名の暇つぶしをするようだ。


 二名の護衛以外に残ったのは閣下を入れて四名。これでようやく近所の往来が平常を取り戻した。

 ようやく着替えと身繕いが終わったハンナが姿を見せたが、狼系亜人の顔を見るなり駆けだした。

 

「母様!おばあちゃま!おじいちゃま!」


 一人足らないぞ、とクルトは思ったが指摘はしなかった。閣下を除く四人は輪になって肩を抱き合っている。


「なんだその格好は!」

「会いたかった!」

「ハンナ、苦労したのね……」

「ハンナや、息災だったかえ?」

「小遣いはまだあるのか?ん?」


 ハンナは閣下を意図的に無視しているし、母親と思われる女性も若干勘違いしている。それに、話があるにしても玄関先では具合が悪い。第一に、老人たちを座らせてやりたい。


「ご案内します、閣下」

「……」


 どうやら閣下は機嫌が悪くなると下々の者とは口を利かないらしい。はっきり言ってクルトは帰ってほしいぐらいだったが、ハンナが父親以外の家族との再会を喜んでいる以上、無下にもできない。


 結局、居間のソファーに座布団をあてがって老人二名に提供し、ハンナとその母親には寝室に行ってもらった。そして、二つある椅子を閣下とクルトで使用する体制が整った。

(椅子があと二個は欲しいな)

 呑気にクルトは家具の購入計画を立てようとしたが、その前に目前のごたごたを処理しなければならない。


「初めて御意を得ます。クルト=ジーゲルと申します、閣下」

「……」

「先代当主ギルベルトと申す」

「その妻ロスヴィータじゃ」


 閣下は返事をせず、代わりに祖父と祖母らしい人物が名乗った。


「茶も出んのか!不調法者め!」

「まず、御用の向きをお伺いして、その後私の給仕でよければ……」

「もうよい!」

「では御用の向きをどうぞ、閣下」


 閣下は、城塞都市への視察ついでに立ち寄った、というのが基本的な立場のようだ。本当は八方手を尽くして探していたに違いない。

 しかし、閣下の言い分はこうである。風の噂に聞いた消息を頼りにハンナの居所をつきとめたが、別にどうこうしようというわけではない、ただ、


「あれは泥棒なのでな」


 と聖槍の件を強調するのを忘れず、今まで育ててやった恩を忘れおって、貴族の子女にあるべき振る舞いと義務を放棄した挙句、このようなむさい男と引っ付いて貧乏暮らしとは聞いてあきれる、と口汚く罵った。


(むさい、とは言ってくれるね)

 クルトはなおも沈黙するが、効果なしと見たのか、閣下は語り口を変えた。


「あれの格好はともかく、娘らしい振る舞いを身に着けていたのは驚きだ。こんなことなら早くに貴様を雇ってあれをしつけてもらうべきだったな。二度も出戻って親の顔に泥を塗りおって!連れ帰って性根を叩き直し、貴族の義務を思い出させてくれるわ!」


 要するに聖槍を取り返し、娘を拉致して再利用するつもりだったようだ。

 ソファーの老人たちは同時にため息をついている。うんざりしている気持ちはクルトと同じらしいが、家長には逆らえないのだろう。

 残念ながらクルトは閣下に従うつもりは全くない。


「お言葉ですが、閣下」

「なんだ!」

「ハンナが家を出たのはその仰り様が原因ではありませんか」


 いかにも、という合いの手がロスヴィータから入ったが、閣下は無視して激高する。


「無礼者め!余に意見するかッ!」

「実の娘をアレ呼ばわりして仔犬のような扱いをなさるほうが問題、と存じます」

「黙れ黙れ!下賤げせんの者がァッ!」

「じゃあ黙りますがね。なんなら拳で語りましょうか?」


 黙れと命じた閣下が黙った。彼も相当の腕自慢で物怖じしない男なのだが、目前の大男が放つ殺気に気圧されて言葉が続かなかったのだ。

 一呼吸して殺気を鎮めてからクルトは一気呵成に言葉を叩きつけた。


「ちょっと前にもね、奴隷王とか言うワイトがあんまりしつこいんで困ってたんです。でもね、熱い思いを拳に込めて冷静に語り合ったら、最後には大人しくなってくれましたよ。もしかして私たちも少々話し合いが必要ですかね。結構?それではお帰り願いましょうか」


 と彼が腰を上げかけた時だった。

 

「ジーゲル殿、その話は本当か?」


 ロスヴィータの問いかけにクルトは頷きを返す。


「妻のおかげで命拾いしました」

「聖槍を解き放ったのじゃな?」

「そうです」

「聖槍はいかがあいなった?」


 クルトは左手を掲げて薬指の指輪を示した。


「なんと!ハンナもか!?」


 クルトは頷く。すると突然ギルベルトが機敏な動作でソファーから立ち上がり、クルトに追い出されそうになって憤っているフリッツ閣下を時代がかった口調でたしなめた。


「フリッツ控えよ。ジーゲル殿とハンナは聖槍が認めし夫婦であるぞ」

「え?は?まさか、何をもって」

「指輪を見てもまだそのようなことを!この罰当たりめが!控えい!」

「うう、し、失礼……いたした」


 ようやく対等以上で話をできる環境が整ったようだ。そこへ二階から母娘が仲良く下りてきた。娘は祖父母に茶をすすめるべく湯を沸かし始める。自動式湯沸かし器ではなく、薪ストーブなので、これには母親が興味津々で見守っていた。

 老人たちが状況を説明するとハンナの母親はいよいよ顔を輝かせ、


「ジーゲル様、改めましてハンナの母、イルメラでございます」

「これはどうもご丁寧に」


 と、閣下に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいような折り目正しい挨拶をしてきた。 

二階で何を話したのかは不明だが、おおかた貴族生活より今のほうが性に合っていることを説いたのだろう。そして、彼女は夫に向き直って力説する。


「あなた、ジーゲル様は本当に立派な方です」

「なぜわかる」

「夫婦仲は寝室を見ればわかります。確かウチの寝床は別々でしたかしらね」

「うっ」

「……」(さては使用人と遊んでいるな)


 彼女は娘夫婦の援護をする一方で、夫をやりこめるつもりらしい。閣下は夫婦仲の話になると後ろ暗いところがあるらしく、先ほどまでの勢いはどこへやら、防戦一方に追い込まれている。


(ハンナの弟を目指してイルメラさんとスケベすればいいのに)


 クルトはそこではたと気が付いた。もしかしてフリッツは跡継ぎがいなくて焦っていたのではなかろうか、娘を物みたいに扱うのは男子誕生が思うに任せないことの裏返し、と考えれば納得がいく。

 納得はするがハンナにしたことが許せない彼は一本だけ閣下に釘を刺しておきたかった。


「これで私たち夫婦のことは諦めてくださいますか?閣下」

「仕方なかろう!イルメラ、いくぞ!昼食会に遅れるッ!」

「お見送りを、閣下」

「勝手にしろ」


 ノルトラント辺境伯フリッツ=ヘルナーは、なんとか退出時だけは威厳を保つことに成功した。槍持ちとイルメラ夫人を従えて、肩で風をきりつつ足を踏み鳴らしながら噴水広場への道を上って行った。


いつもご愛読ありがとうございます。

衛兵の呼びかけは乳酸菌飲料を売りに来るお姉さんの発音でお願いします。

がんばって嫁を守ったクルトをほめてあげてください。話し合い(物理)は忘れましょう。

徃馬翻次郎でした。

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