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第73話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑰


 通りに出た二人は振り返って深々とお辞儀をする。拍手喝采と口笛は二人の姿が通りの闇に消えるまで止むことなく続いた。

 二人を祝う群衆の中にマッツとザーワもいる。彼らは副長と同じ中途参加組だった。


「いやあ、飲んだ!楽しかった!そうは思わんかのう?ザーワよ」

「マッツよ、お前が目一杯楽しんでどうするんじゃい」

「ワシらが楽しゅうなかったら旦那と姉御も嬉しゅうないと思うがのう?」

「むう、一理ある」

「なんじゃ、えらく大人しいのう」

「姉御のことじゃ」

「姉御?いつのまにか奥さんらしゅうなって、何の心配もないじゃろが」

「今日は騒ぎをおこしたらしいがな、まあ、マッツの言う通りじゃ……」

「何が心配なんかわからんのう」


 実はザーワは最近になってハンナの素性を偶然知った。

 アウラー指揮下の調査部門に資料室のようなものができ、本好きのザーワは任務中以外は入り浸って、趣味と仕事を両立させていたのである。

 その日、ザーワが読んでいたのは紋章の解説本だった。

 高貴なお方からの依頼もあるわけだから、契約することになる相手について知っておくことは礼儀と交渉において調査部門が果たす最低限の役割と言えなくもない。


 きっかけとなったのは、その本の付録としてついていた名家の紋章一覧だ。


◇ 


【紋章について】


 現在、タイモール大陸に置いて確認されている紋章の数は数千を優に超えると言われ、そのすべてを把握するのは相当の難事業、ほぼ不可能と言って良い。

 なぜなら、今こうして執筆している最中にも新しい紋章が生み出され、紋章官の仕事を増やしているからだ。

 東方諸島の“家紋”をも紋章としてとらえるなら、その数はさらに増える。こちらは単純な図形と紋様の組み合わせであるから、ある程度の系統だった分類が可能だが、紋章官のような管理者がいないことを考えれば、把握も分類も容易いとは言えない。

 なにしろ紋章を使用しているのは王族や騎士だけではないのだ。紋章官の承認を受けていない商家や業者が看板がわりにしているものも入れれば、その数はもはや無数と言い換えても過言ではないだろう。


――中略――


 アルメキア王国とグリノス帝国で一般的に使用されている紋章の様式に話を戻すが、例外なく中心に箱型、圧倒的に多いのが盾形の升目を配置する形式である。

 盾の上部に兜ないし王冠。兜の場合は向いている方向にも意味がある。王冠は言うまでもなく王族であり、その装飾に意味がある。

 盾の左右は支える形で動物や魔獣が配置される場合が多い。亜人の場合は関連する動物が描かれている場合がほとんどだ。

 盾の下は草花が横に広がっているか、家訓や警句を書いた巻物が広げられている描写、もしくはその両方である。

 巻物の文句は特に様式が決まっているわけではない。

 例えば、ある王族の紋章には“労働、家族、祖国”と単語の羅列が書かれており、また、ある騎士団の場合は“敢然と挑む者が勝利を得る”と短文になっている。そして“あらゆる人の友”とは有名な蒸留酒業者のものだ。


――中略――


 紋章の中心部の升目は自己紹介かお国自慢と解釈していいだろう。だいたいは四分割して国旗や地域の特産物、自然や景勝地の縮小版、武門の家なら武器を描く場合もある。

 先述の蒸留酒業者なら麦、川、釜、樽といった具合で非常にわかりやすい。


――中略――


 このように、紋章とはそれだけでひとつの学問が成り立つほどの要素を含んでいる。見る者の目を楽しませるだけでなく、言葉を交わさぬ自己紹介として機能し、紋章を背負う者には自分の所属と誇りを再認識させる道具なのである。


【アーケイ・ボーノ ポール・ライン共著 エムブレムの謎 巻末付録付き限定版】



 ザーワは何気なく巻末付録の名家紋章一覧をめくっていただけなのだ。この紋章は姉御の胸当てに刻まれていた紋章と瓜二つじゃ、と気付いた時には危うく声をあげるところだった。

 同室内で資料を整理していたアウラーは耳を少し動かしたが、聞かなかったことにしてくれたらしい。

 ザーワはこのあたりから声を落としてマッツにしか聞こえないように注意している。 


「姉御はやはり貴種でいらしたんか」

「聞いて驚くな、マッツよ。姉御の御実家は北方の狼じゃ」

「げぇッ!すると姉御は伯爵令嬢!?」

「声を小さくせんか、アホッ!」

「すまぬ、ザーワよ。これは、つまり……」

「旦那の正念場はまだこれから、ということよ」


 思わずつばを飲み込んだマッツだが、ひとつ気付いたことがある。


「旦那には言わんのか?」

「言わん」

「なぜじゃ?」

「聖槍と指輪の話を聞いたじゃろう」


 ザーワ曰く、聖槍の結界は解除される場面しか見ていないが、奴隷王を一瞬で消し去ったあたりからして、人知をとっくに超えている。指輪にしても同じ。旦那と姉御はあっさり身に着けたが、ワシなら触るのも怖い、と正直なところを述べた。


「すると……」

「これは神サンの仕業じゃ、マッツよ」

「つまり?」

「触らぬ神に、と言うではないか」


 ザーワの感覚のほうが一般的であり、正しいと言えよう。

 彼は話を続けて、すでに大きな力が働いているなら、周りの者がよけいな茶々を入れてもロクな結果にならない。最悪こっちが命を落とす。だから離れて見守ることに決めたのだ。姉御の正体を旦那に告げない理由とはそれだ、旦那には悪いがマッツも命が惜しかったら黙っておれ、と珍しく怖い顔で告げた。


「な、なんだか悪い予感……」

「それは後でじゃ、マッツよ」

「が?」

「まず灰色熊をキレイにするのが今できる旦那への恩返しじゃと思うぞ」


 招待客やただ酒を食らっていた連中は家路につき始めている。既に旅団員たちは散らかした店内や玄関を片付けだしていて、このあたり傭兵旅団は妙に行儀がいい。

 

「確かにそうじゃ、さすがザーワは旅団一の知恵者じゃ」

「フフフ、それでは汚物入れのバケツを持たせてやろう」

「な、なんでじゃ?」

「それで貴様の悪い予感は的中じゃ、旦那の厄払いができて良かったのう!」

「前言撤回じゃ。ザーワは旅団一の詐欺師じゃ」


 そう言いながらもザーワは同じバケツを持って店内を清掃し始めた。これには女給や下働きの者たちが大喜びである。


 店主は銭勘定をしていたが、預り金からほんの少し足が出てしまう計算だ。これは旅団員たちが高い酒をけっこうな勢いで空にし、希少品のチーズを残らず平らげたせいである。

 たいして考えるでもなく、店主は追加請求をせずにジーゲル夫妻の結構祝いにすると決めた。実は店主もこれほど楽しくて気持ちのいい宴会は初めてだったのだ。



 宴会が終わった深夜から翌朝にかけて行なわれたジーゲル夫妻のまぐわいを事細かに描写するのは無粋というものであろう。

 濃密さのなかにもお互いを信じ切っている夫婦の絆が感じられ、寝物語と仮眠をはさみつつ明け方まで飽きることなく番った。何しろ今日は二人とも休みなのだ。

 しかし、寝物語にはクルトにあっと言わせる内容も含まれていた。


「あなたの馴染みは灰色熊のでしょ?」

「な、なんだ突然」

「魔族、小柄、色黒、大人しい、見た目は私と正反対ですね」

「……」(なぜわかった)

「他の女給たちは銀貨をさっさとしまったけど、あの娘だけ涙目で握りしめちゃって」

「むう」(なるほど)


 しかし、この話の行先はいったい何処なのだ。怒るでもなし、責めるでもなし、と思うクルトの心拍数は急上昇だ。


「でも、もう必要ありませんね?」

「……」(そう来たか)


 要するに俺の下半身事情に釘を刺しに来たか、彼は思ったのだが、彼女の思惑はもう一段階ななめ上に飛んでいた。


「かわりに私が女給の格好をして寝床に入れば問題は解決です」

「な、なんだと?」

「簡単よ。古着屋で仕入れて補正すればいいの」

「ちょっと待て、そんなこと誰に教えてもらった?」

「フランプトン夫人よ。青果店の初仕事の時だったかしら」

「青果店……」(そんなことも教えるのか?)


 この提案は古着屋に発想を得た彼女独自のものなのだが、彼はフランプトン夫人の教示によるものと勘違いしている。


「汚れても破けても、古着だと気兼ねしなくて済みます」(受け売りだけど)

「汚す!?破る!?」(高度過ぎる……)


 これは灰色熊でも経験が無かった。と言うより、実行に移すと女給に怒られて出入り禁止になる公算が大である。


「気に入りませんか?」

「いや、気に入った!」(フランプトン青果店恐るべしッ!)


 フランプトン夫人が聞いたらハンナの独創力に卒倒してしまうような話だが、ごく自然な形で、この日からクルトにとっての女性はハンナ一人になった。


いつもご愛読ありがとうございます。

拾った物を装備する神経がわからないというザーワの感覚が普通なんでしょうね。

この世界にはコスプレという概念が存在しません。

ハンナさんは流行の最先端を先取りしていたわけです。

すごいぞハンナ!うらやましいぞクルト!

徃馬翻次郎でした。

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