第71話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑮
一方のハンナは商店街をさまよっていた。
彼女はクルトに付いて行くと決めている。問題はそう決めたうえで、どのような方法を取るかという点に集約されている。
愛するクルトが重要視しているのは子供を授かった際の環境整備だ、と彼女なりに把握している。生物的には子を産みさえすれば親にはなれるのだが、自分が娘や息子の範たりうるか、と問われると確かに頼りない。
自信を持って教えられるのは槍と弓、乗馬は誰にも遅れは取らない。クルトには披露していないが美声をもってする詩の朗読もなかなかのものだ。
あとは読み書き、算術、魔法言語の初歩、使用人や出入り業者の扱い方、テーブルマナー、宮廷儀礼がほんのお触り程度。
仮にこれらを子供にしこんだら、出来上がるのは貴族か傭兵の候補生であろう。クルトの“死か肥やしか”の二択ほどひどくはないが、貴族の名門から逃亡したので、傭兵一択になっている点ではクルトよりひどい。彼には鋳掛屋と武器整備員の経験がある。
彼女にもようやく自分に足りないものが見えてきた。
ある程度の財産を維持するのは大前提であろう。金銭の不足が原因で進路を制限させはしない。彼女は財産管理の専門家を周旋屋に紹介してもらうことにした。
悔しいが、自分にたりないのは世間知といわれる一般常識だ。名門子女の家庭教師や導師とはその勉強のための存在なのだが、無視して狩りや射的に明け暮れていたツケを払う時がついにきたようだ。
恥じらいと慎みについては、先週身をもって学習したばかりだ。
後は、間違っても“野盗団の頭目になりたい”などと娘が言い出さないよう、お手本になるような物腰と挙措を身に着ける必要がある。
彼女の方針は決定した。
魔術師や治癒師になるには特別な資質が必要らしいが、普通の魔力さえあればそれ以外のどんな職業にも就くことができる。何でも好きなものにおなりなさいな、と自分が絶対に言ってもらえなかった言葉を子供にかけてやるのだ。
子供の進路を幅広くするために、あらゆる相談に応じられるようにするために、自らも視野を広げるのだ。
それでこそ頼りがいある親であり妻であろう。
彼女は商店街の風景が急に鮮やかになったような気がした。気が晴れたことで視野が鮮明になったのである。浮かれているわけではなく、やるべきことが明確になったことによる気分の変化が原因である。
繰り返しになるが、後はその方法だけだった。何気なく周囲を見回す彼女の目に入ったのは一枚の貼り紙だった。
◇
フランプトン青果店
急募!
従業員 一名
軽作業 接客 販売 清掃
帳簿付けできるかた優遇!
委細面談
◇
なんとまあ一人で何もかもさせる気か、使用人ならオール・ワークスもいいところだ、とハンナは上流階級式の皮肉を心の中で呟いたが、同時にひらめくものがあって、貼り紙をひっぺがすと件の青果店へ向かった。
店は犬系亜人の夫婦が切り盛りしているようだ。個人商店にしては間口が広く、たしかに夫婦ふたりで店舗兼自宅を回すのは厳しいかもしれない。
何らかの事情で欠員が出たようだ、と彼女はあたりをつける。
「店主!」
「へい、お嬢様……いや、奥様?何をご用意しましょうか」
「客じゃない。これよ」
ハンナは求人広告を示して面談の実施を要求する。
「あなたが?ちょいとお待ちを。おーい、オマエ、降りてきてくれ!」
「手を止めて申し訳ないね」
「え?それはいいんですが、あなた、ひょっとして……」
そこへフランプトン夫人と思われる女性が姿を現した。
「お客様かしら?いらっしゃいませ」
「いや、ほら、求人への応募だよ」
「まあ、ご応募ありがとうございます」
店主の説明では今まで娘と三人で回していたフランプトン青果店だが、娘の結婚が急に決まり、そのための欠員が発生したことによる求人広告だったようだ。
しかし、ハンナにはひとつ疑問がある。
「それはめでたいな」
「へへ、どうも」
「ありがとうございます」
「しかし店主、嫁がれるなら前もって求人を出しておけたのでは?」
「それは、これでさあ」
店主は腹を膨らませる仕草に両手で曲線を描く動きを添えた。
「あなた!もう、すいません」
夫人が店主をたしなめる様子を見てハンナはようやく理解した。亜人の常、“子供が出来てからが夫婦”をフランプトン夫妻の娘は実行したのだ。
めでたいことには間違いないが、同時にフランプトン青果店から働き手が一名減った。
「まあ、そこからはてんやわんやで、はい」
「改めてお祝いを申し上げるが、どう?私はここの採用基準にかないそう?」
「あなた、こちらのお嬢さん、もしかして……」
「そ、そうだ。あなた傭兵旅団の銀狼さんでしょう?」
そう言われると旅団で飼育している動物のように聞こえるが、ハンナは首肯しておく。
「ウチは旅団みたいにびっくりするような報酬とか出ませんよ」
「決まった額が定期的に払えるほうが立派だと思うけど」
「そりゃ、どうも……じゃなかった、ウチは用心棒は募集してないんです」
「銀狼さん、お名前はなんとおっしゃるの?」
「ハンナ……です」(ヘルナーは省略しとこう)
フランプトン夫人は主人より勘働きが鋭かったようだ。ハンナをしげしげと見てから質問を開始した。
「ハンナさん、お給金はどうでもよさそうね」
「な、なにを言い出すんだ、オマエ」
夫人は主人に推理の根拠を簡単に説明した。まだ若い傭兵旅団の精鋭が身体を壊したわけでもないのに、異業種の求人を目にとめる時点でおかしい。収入の点で比較にならないのだから目的は金銭以外、気分転換かそれとも本当に青果店に鞍替えしたいのか。
「だいたい奥さんの言うとおりね」
「本当ですか!?」
「こっちも不安だから本当の目的を教えてくれたら即採用なんだけど……」
ハンナは質問に直接答えるのが難しかったので、雇用契約の細部を詰める形で目的を説明しようとしている。
求人広告に掲載されている仕事はもちろん、家の方の仕事も任せろ、そのかわりに昼食付にしてもらうが、その準備と後片付けも手伝う、と彼女は言う。現在休暇中なのでその間を試用期間にしてくれて構わない、と付け加えた。
雇用契約の要点は普通なら給金や勤務時間、その他待遇に関するものが一般的だが、彼女の場合は、万端宜しくご指導ありたい、何でも練習するから教えてくれ、という被雇用者の意気込みのようなものが主眼に置かれている。
「こんなの聞いたことない。オマエ、どうする?」
「採用ね。ハンナさん、悪いけどその格好は着替えてもらうわ」
「制服が必要?」(形から入るというのは正論ね)
「ちょっと違うわ。野菜や果物の汁は服につくと取れないものもあるから」
「なるほど」(洗濯屋まかせにしていたから……)
早くもフランプトン夫人の新人研修は開始されたようだ。旦那は目を白黒させている。求人を出したら銀狼が飛び込んできたのだから無理もない。
そして旅団指折りの精鋭が妻のいう事を大人しく聞いている様子は小さな奇跡だ。
「四軒先の古着屋で買うといいわ。手紙を書いてあげます」
「古着?お古?」(信じられない!)
「汚れるって言ったでしょう?いつまで続くかわからない仕事に新品なんかいりません」
「わかった」(簡単に辞めたりしないぞ)
「返事は“はい”」
「はい」(くっ。我慢だ、我慢)
青果店員への変身を果たすべく、ハンナは初めての中古服購入に出かけた。布の服のあまりにも低そうな防御力には呆れたが、城壁内ではこれで十分なのである。
駆け去るハンナを見送りながらフランプトン夫妻の会話は続く。
「はぁ、銀狼さんは結局なにがしたかったのやら……」
「わからないの?あなた」
「オマエはわかったのか?給金もらう前から持ち出しになってるってのに」
「花嫁修業よ」
「なんだって?」
フランプトン夫人はそれ以上主人に取り合わず、さあ仕事仕事、と彼を急き立てた。
その実、彼女はハンナを実の娘のように仕込もうと考えている。
きっと事情があって人生のやり直しをなさっている、とは思うがこと指導に関しては一切の手抜きをするつもりはないフランプトン夫人であった。
◇
【フランプトン青果店のあの娘】
いらっしゃいませ。御用をお伺いしますわ。はい?ああ、ハンナですね。あれはもうここにはおりません。一昨日エストヘ旅立ちました。
ええ、傭兵旅団の巨人さんと一緒に。結婚式はいつだったかしら。お客様は最近こちらに?まあ、遠いところをようこそ。今後ともごひいきに。
そうそう、今なら自信を持っていいお母さんになると保証しますけど、最初は何をさせても危なっかしくて、本当にこの娘大丈夫かなとヒヤヒヤしたものです。
いえ、筋は良かったんですのよ。できないんじゃない、させてもらえなかったんだ、ってずっと言ってましたっけ。そんなくちごたえ許しませんでしたけどね。
最後は嫁に出すのが惜しいくらいで、ずっとウチにいてくれないかって主人が泣いてしまうくらいの……お客様も?そうですよね、本当に寂しくなりました。
ええ、本当の娘ではありません。ほら、ウチは犬であの娘は狼でしょ。一時期お預かりしていた関係です。
お客様、傭兵旅団の銀狼さんはご存知ない?あの娘がその銀狼さんです。たまたま同名だと思ってた?そうですね、ハンナなんて名前ありふれてますからね。それに、最初にウチに見えた時と比べると見た目から物腰からずいぶん変わって……
あら、そのような美しい花束を私に?主人が嫉妬しますわ。
【店主夫人と勇気を振り絞った男性の会話 フランプトン青果店前】
◇
いつもご愛読ありがとうございます。
謎の男性はただのモブです。花は捨てるのがもったいないので差し上げた体でお願いします。
徃馬翻次郎でした。