第70話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑭
新居に戻るとマッツとザーワが現れ、封筒を受け取ると素早くカバンに収めて無言のうちに姿を消した。留守番のハンナが姿を見せるが、なんと彼女の引っ越しはもう完了していると言うではないか。
「どうやった?」
「旅団のみんなが押しかけて……」
「なるほど」
「あっという間だったわ」
二人は揃って新居の扉をくぐったが、出かける前とは様相が一変していた。什器もそろい、何より食器が二人分あるのは当たり前だが小さな感動だった。
夫として一番にやるべきは寝台の使用感を妻と共に確かめることだ、という心の悪魔を浄化して、クルトはあたりを全部見て回った。花柄もレースも少ないが、そんなことは問題ではなかった。
ハンナと協力して積み上げた第一歩なのだ。確かに今は借りものの住まいだが、持ち家に挑戦するころにはお互いもっと進化しているはずだ。
そして、そのためには乗り越えねばならない壁がひとつだけ残っていた。
「マッツとザーワは何だって?」
「例の事件の顛末をあらかた教えてくれたよ」
「……闇から闇へ、でしょ?」
「なぜわかる?」
「どんな事件でもそう。教会がちょっとでもからむとこう」
「支部長が怒るのも無理ないな」
「最近は特にひどい」
ハンナの故郷は聖タイモール教会の影響が少ないために問題にならないようなことが、アイアン・ブリッジや特に王都では思わぬ被害をもたらすことがある、と彼女は言う。
事件や事故に教会関係者の影が見え隠れるだけで当局は委縮し、捜査すら満足に行えない場合があり、泣き寝入りしている人もかなりの数にのぼるようだ。
アルメキア王国法が改正されて、教会への反抗が国家への反逆と等しい罪として裁かれるようになってからは、その傾向がさらに顕著だ。
王様と大司教ではどちらがえらいのやら、という冗談が冗談で済まなくなる日が近づいている、とも言われる。
行きつく先は宗教が絡んだ動乱の時代だ。
そのような時代に夫婦そろって傭兵とはあまりにも救いがないではないか。
子供が傭兵になりたいと言い出した時に自分たちに止める資格があるのか。
もうクルトは不安を隠しておけなかった。
「なあ、ハンナ」
「なに?」
「俺たち立派な親になれると思うか」
「ずいぶんと気の早い質問ね」
本当は二人とも離れるつもりはないのだが、ハンナは仮初の夫婦と言う立場を崩していない。子供が出来てから考えれば良い、という考えの持ち主でもある。
ところがクルトはそうではなかった。
「子供が欲しいと思うのはおかしいか」
「まあ普通じゃない?」
「そうなったときに父親も母親も傭兵じゃ……」
「言ってる意味は分かるわ。クルトはどうするの?」
「退団」
「それで?」
「転職する。休暇中に筋道だけでもつけたい」
ハンナはわざと突き放した言い方をしている。クルトの真意を測りかねているのもあるし、心の砦に飛び火しないか警戒しているためでもある。
さらに言うならせっかく二人で暮らしていこうと引っ越した矢先に、自分からもめごとを増やしてどうするつもりだ、と半分怒っているせいでもある。
それでも辛抱強く事情を聞いているのはクルトに対する愛あってのことだ。
「えらく子供にこだわっているみたいだけど?」
「ああ」
「聞かせてくれる?」
「俺の親が死んだ時……」
「うん」
「俺は死ぬか親の跡を継いで畑の肥やしになるかの二択だった」
「……」(二択?どっち選んでも死ぬ二択?)
クルトは言う。世界はこんなに広いのに、どうしてそんな狭い二択しかなかったのだ。両親には選択肢を増やしてやる気力も残っていなかったのだろうが、それにしてもひどすぎる。村に鋳掛屋が立ち寄らなかったら、おそらく何度目かの冬を越せずに死んでいただろう。ハンナに出会うこともなかったろう。
「俺は幸運だったが」
その幸運を子供にも期待するのはそれこそ運任せだ。できるだけ多くの選択肢を子供に与えてやろうとすれば、傭兵という職業は必ず足かせになる。高い殉職率、緊急呼び出し、不安定な収入、どれも問題があるのに夫婦二人とも傭兵ではなおさらだ。
ハンナとずっと一緒にいたい。子供には広い世界を見せてやりたい。
人生を変えるのは難しい。急に変えるのはもっと難しい。準備が必要なんだ。
肺腑から絞り出すような声に乗せられた真心は疑いようのないもので、それだけにハンナの心の砦を開城せしめた。
ただし、無条件開城ではない。心の整理が必要だった。
「私はどうしたらいい?」
「それこそ一番考えてほしい点だ」
「選べるの?」
「今なら」
付き合いきれないと番の解消を宣言するのも自由、子供ができるまで傭兵を続ける従来案も可能、クルトに協力してまだ見ぬ子供のために一肌脱ぐのも自由、と大雑把に彼は説明した。
「頭……冷やしたい」
「うむ」
「ちょっと歩いてくるよ」
「俺もそうするか」
二人は夕飯までには戻ることを約束して、合い鍵をそれぞれ持ってから家を出た。日はまだ高く、夕方までにはかなり時間がある。
この際にクルトは脳内備忘録に残っていた“城塞都市武器屋探訪”を実行に移すことにした。
この時期のアイアン・ブリッジは装備や魔法道具の見本市のような状況を呈している。
理由のひとつとして、城塞都市周辺に残された迷宮の多さと治安の悪さがあげられる。
魔獣騒ぎや野盗団の跳梁がない限り、迷宮探索以外で武器の切れ味や防具の性能を試す機会はほとんどない。魔法道具にしても効果を試すには相手が必要だから、不具合が出ないかどうか確かめる絶好の機会が実戦なのである。
不謹慎な言い方をすれば、武器屋なら上位種の魔獣に攻撃が通るか試してほしいし、防具屋なら死なない程度にひどい目にあってもらって貫通や破損の有無を調べたいのだ。
クルトはいくつか武器屋をのぞいて出番を待っている品を何振りか握ってみたが、どうも頼りないのだ。奴隷王に一瞬で武器を破壊された記憶がよみがえるのである。
最後にクルトが訪ねた武器屋は東方諸島出身の刀匠が自ら槌を振るう店で、看板商品はもちろん東方刀なのだが、これは彼の好みではない。わずかに反りのある細身の片刃剣の印象がいかにも弱々しく、これまで店前を素通りさせる原因となっていた。
(入ってみるか)
これは彼の気まぐれ、気分転換としか言いようがない。時間つぶしと言ってもいい。
店内は東方刀限定というわけではなく、東方風以外の品々も置かれている。“こんなこともできますよ”という刀匠の宣伝か、あるいは売り上げの為だろう。
店の奥が工房らしく、槌撃つ響きが伝わってくる。
それにしても、勝手に刀を鞘から出すな、という注意書きが目立つ。
(それぐらいで傷む武器ってどうなんだ)
店内にはもう一人客がいて、店員に一声かけてから抜刀していた。刀身を見るときには片方の手で口をふさいでいる。
(息もだめってことか?)
これはもうクルトの感覚では武器ではなく芸術品である。とてもではないが自分には合わない、とクルトが判断し、邪魔したな、と一声かけて帰ろうとした時のことである。
「気に入らないかい?」
白髪の男性が汗をふきながらにこやかに語りかけてきた。妙な形の帽子をかぶって白色が目立つ上着を着ている。帽子をとめていたあごひもも解いて、まあ上がりなよ、とあごをしゃくって奥へ誘った。
「気を悪くしたなら謝る」
困ったことになったな、と謝りながらクルトは思ったが、店主と思われる初老の男性は怒ったふうでもなく店奥の座敷へと招じ入れた。
クルトは東方式の上り口は初めてだったのだが、店員が靴を脱ぐように教えてくれた。
脚の短いテーブルが据えられた“茶の間”と称する空間の左奥が工房、右奥は住宅と広い板の間に接続しているようだが、板の間の大部分はなにも家具が置かれていない空っぽの倉庫のようだ。
店主はクルトに座るよう勧めながら、
「いや、そうじゃねぇんだ」
と手を振って否定した。
店員らしき若者が茶碗を二つ出してきたが、クルトの茶碗だけ木の皿が敷かれている。
店主の言い分はこうである。
もし自分の作刀が客の期待に応えられなかったのなら一大事だ。逆に、使ったこともないのに勝手に東方刀の価値をきめられたのでは沽券に関わる。もし勘違いしていることがあるなら、自分も客も訂正して情報交換する良い機会ではないだろうか。
要するに食わず嫌いはよせ、ということだ。
「実は戦闘中に折られまして」
「ウチのか!?」
「違います」
店主は明らかにほっとしたようだ。そう言えば名前を聞いていなかったな、私はシンカイと申す、と丁寧に名乗ってお辞儀をした。
相手が丁寧なときは礼儀を守るクルトも居ずまいを正してから名乗り、一礼した。
「旅団の巨人さんか」
シンカイはクルトの名前を知っていたようだ。彼はちょっと考えてから、工房を見ていかねぇか、とクルトを誘った。
またとない機会なのでクルトはシンカイに従って工房に姿を現した。
「おい!数打ちの駄物があったろう。アレ持ってこい!」
「カズウチ……ダモノ……」
「大量生産、低品質」
今度は別の店員が言葉を言い換えてくれた。どうやら東方諸島とはおもてなし精神にあふれた国らしい。
「言っとくが私の作じゃないぞ。火箸はどこだ!」
どうやらシンカイの作刀に感激した客がその場で下取りに出して差し替えた品らしい。
「巨人さんに敬意を表して特別に実験だ。一応、目に注意しといてくれ」
「ああ」
金床の上には刃を下にして東方刀が置かれ、店員が柄を握って固定している。
「いいか?いくぞ?……ふっ!」
短い気合と共にシンカイの火箸が振り下ろされて東方刀の背を強打した瞬間、鈍い音を立てて刀身が折れた。切れ飛んだという訳でもなく枯れ枝のように落ちた。
とっさにクルトは奴隷王の妙技を思い出して青くなる。
シンカイが彼を見て、
「これをやられたんだな?」
と自信ありげに尋ねる。
「まさに。肘と膝で挟んで」
「相手は人間か?そいつは相当の手練れだぞ」
「ワイトです」
「ワイト……」
「嫁が助けてくれなければ死んでいました」
鬼でも嫁さんにしていたのか、とシンカイは笑ってそれ以上追及しなかった。折った東方刀の後片付けを店員に命じて、ふたたび茶の間に戻る。
「見たろ?折れない剣なんてないのさ」
「はぁ」
「使い方次第では斬撃や刺突でも折れや曲がりは発生する」
時間があるなら腕の方もひとつ見せてくれないか、使い方の確認程度でいい、とシンカイは今度は板の間のほうへクルトを連れて行く。どうやら板の間は剣技の訓練場らしい。
訓練場に入るときに、シンカイは足を止めてお辞儀をする。東方人は礼儀にうるさいと聞いていたので、クルトも形だけ真似をしておいた。
「私は木刀、巨人さんは木剣でいいか。革手袋してるね?よし」
二人は離れて立ち、互いに礼をかわした。
(手を狙う宣言……)
革手袋の有無を聞いたのだから、クルトの予測は間違いがない。それよりも彼を困惑させたのはシンカイの構えである。
なんとシンカイは構えていない。
正確に言えば木刀を脇に垂らしたままだ。
にもかかわらず、クルトは打ち込みを躊躇した。力を抜いた姿勢だが、それだけにシンカイがどう受けるか予想できなかったからだ。
「来ない?それではこちらから」
無造作に距離を詰めてくるシンカイはあっというまにクルトの攻撃範囲に侵入した。
(なめるなッ)
杖をついて散歩中の老人を暴行するようで気が引けたが、クルトはありったけの力を込めた横殴りの一撃をシンカイに見舞う。
しかし、その老人の杖が摺り上げるように一閃し、巨人の木剣を宙に飛ばした。
クルトの手に残ったのは疼くような鈍痛だけである。
宣言通りに腕を狙われ、木剣を飛ばされた。実戦なら両手首が宙を舞っただろう。
「だめだよ。腕じゃなくて腹で斬らなくちゃ」
クルトが思わず自分の腹を撫でると、シンカイはにこやかに首を横に振って告げた。
「こりゃ、使い方に問題ありだな」
老人と侮ったわけではないがクルトの完敗である。この日以降、シンカイの店へのクルトの日参がはじまり、ほどなくして彼は弟子入りした。
◇
【踊る巨人】
踊る巨人?ああ、クルト=ジーゲルだろ。知ってるよ。一応、兄弟子なんでな。ここでも時々飲んでたよ。でも深酒はしなかったな。時間になったら帰るんだ。すごい美人の奥さんがいてさ。見たこと?あるよ。あの銀狼だよ。すごいだろ?
いつだったかな、ウチの店のぞきに来てさ。そうそう、客だったんだよ、最初は。すぐに師匠と打ち解けたのにはびっくりしたけどね。亡くなった師匠もピンときたとか言ってたっけ。
そりゃあ怒ったよ。警戒したよ。こちとら何年一緒にやってると思ってるんだ、ふらっと入ってきて印可でも取られた日にゃ面目まるつぶれ……インガ?免許状のことさ。
それでもなあ、こっちもそのうち分かったんだよ。アイツはさ、技術の習得以外なーんも興味ないの。免許とか一番弟子とか全く頭にない。それでみんな恥ずかしくなっちまってさ、そこからはいろいろ教えたよ。兄弟子だからな。二年でモノにしてやったよ。
アイツは師匠の剣術の相手もしてたぜ。最初はボコボコに殴られてたけど。力任せの剣技が通用しなかったんだろうな。真っすぐ振る訓練からやり直してたよ。
けどな、最後に見た時の剣は、そりゃもう清流よ。あの体躯に不釣り合いなまでの美しい剣筋、うう、思い出しても身震いする。
そのころからよ、踊る巨人の異名が聞こえ始めたのは。傭兵旅団にどうしてもって頼まれた時だけ出かけてたっけ。あの剣だったら斬られてもわからないうちにあの世行きだぜ。精妙の剣だ。嘘じゃねえ。
ウチにいたのは都合二年と少し、師匠は別れ際に魔法鍛冶の道具一式を譲ってたよ。免許状と製法秘伝は俺が引き継いでいるってわけ。
結局、俺がイノウの二代目を継いだのはアイツが居なくなったからさ。今?さあね。確か王都の南のほうでなんとかっていう珍しい金属が見つかったんで、美人の嫁さん連れて移り住んだ、って聞いたっけ。
もし王都の南で、剣も鍛冶も半端ない大男を見つけたら、それが“踊る巨人”ってことだな。
【刀匠イノウ・センカイと傭兵エルザ・プーマの会話 『灰色熊』にて】
◇
いつもご愛読ありがとうございます。
シンカイさんの剣術モデルはテレビで見た某流派の総帥です。アナウンサーが構えた竹刀を片手斬りで宙に飛ばしていました。アナウンサーの「エッ?エッ?」みたいなリアクションが面白かったです。スタスタスタ、ポーンみたいな感じで一瞬の出来事だったので撮ってる方は困ったと思います。
徃馬翻次郎でした。