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第69話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑬


 アイアン・ブリッジ城内でも中層の下町にある『灰色熊グリズリー』は名前の通り、熊系亜人の店主が切り盛りしている酒場兼宿屋だ。お世辞にもキレイとは言えない外観だが、店内は意外と清潔で質の悪い客も少ない。

 うっかり羽目を外し過ぎると熊にとっちめられるからなのだが、その気になれば女給と遊ぶこともできる人気酒場で、傭兵旅団の客も多い。


 クルトはハンナを連れ出すにあたって“今日は難しい話はもうしない”と約束していたので、まず、長期契約をしている部屋を見てもらって私物の量を確認してもらった。


「これだけ?収納箱が二つ。以上?」

「衣服、その他、以上」  


 箱の中身を説明する彼の言い方がおかしかったのか、ハンナはぷっと噴き出してから、引っ越しが楽でいいね、と言いなおした。


「狭いだろ?」

「言っちゃなんだけど……物置みたいね」


 彼は革鎧を脱いで支部長より拝領の剣を外すと、気楽な格好になって寝床に腰かける。彼女も追いかけるように横に座ったのだが、ちくちくしてあまり座り心地が良くない、と彼女の顔に書いてある。


「この壁大丈夫なの?」

「倒れたことはない。音は、まあ、お察しだ」


 彼はそう言って耳に蓋をする仕草をして彼女をくすりと笑わせたが、彼女はすべてを把握していない。ここで宿泊するなら覚悟しないといけないことがあり、それを彼女は知ってか知らずか、ああそう、という程度の反応しか返してこない。

 ハンナ邸でクルトが感じていた“勘違い”はこれだ。下々の暮らしは知識として知っているのと実体験とでは重みが違う。


 今夜は実戦形式で下々の暮らしの一部をご体験あそばしていただこう、というわけだ。

 

 さて、本格的な夕食の前に二人はエールで乾杯した。

 これは純粋に生還祝いだ。二人とも生還は望外だったから、ことさら冷えたエールが沁みた。クルトは頭からかぶるはずだったエールを飲みながら、ハンナと繋がった運命の巡り合わせにも乾杯する。

 ちなみに精算は都度方式で酒や料理が運ばれるたびに給仕に支払うやりかたである。

 

 今やクルトの脳内備忘録は支部長のおかげで圧縮され、アウラーのおかげで整理されている。新婚生活の住まいと暮らしに集中することができた。


 つまみ盛り合わせをつつきながらエールをおかわりし、新居の予算について打ち合わせをするうちに、ハンナにようやく活気が戻ってきた。

 炊事と洗濯を分担する割り当てや購入予定物資を話すのも実に楽しそうである。彼女が野営に屋根と壁が付いた程度の感覚で話しているのが気になったが、あえてクルトは指摘しなかった。


 最初からなんでも完璧にできる者などいないし、あらかじめ決めた計画が何の障害もなしに回る保証もない。その都度お互い修正すればいい。

 あるいは今夜のように、すさまじい現実を見聞きすることで計画が具体化する場合もあるのだ。

 クルトが予想するすさまじい現実の内容は間もなく明らかになる。


 クルトがハンナに彼女に料理の注文をまかせてみると、やはり肉好きであった。魚は勧められれば食べる程度、野菜に関しては彼のほうが摂取量が多い。これはほぼ草食で育ってしまったことが原因らしい、と彼は自己分析している。


 テーブルに届けられた骨付き牛すね肉の香草焼きは美味だが取り分けるのに手間がいる。あまり時間をかけるとハンナが骨ごと持っていきそうなのでクルトも必死だ。


「早く早く!」

「待て。切断中だ」


 切り分けるのは主人の役目と決まっているらしい。相手は狼なのに行儀の悪い犬を叱るような言い方になってしまっているが、彼女は気にしていない。

 

 悪戦苦闘の結果、ようやくそこそこの大きさの肉片が取れたので、彼女の取り皿に乗せる。お先に、と言って牛すね肉を賞味するナイフとフォークのさばきはお嬢様のそれだ。

 食べ方というにはあまりにも優雅な彼女の挙措に見とれていた彼も負けじと残り半分の骨付き肉と格闘する。こちらは野趣あふれたかじりつきに近い食べ方だ。

 その食べ方のほうがおいしそうね、と彼女は言うが絶対に真似しようとは言わない。その言葉に皮肉は含まれていなかったのだが、彼は恥じ入って彼女を見習うことにした。


(本当に同じナイフか?)


 切れ味の違いを疑うほど彼女のナイフはよく切れていた。


(これが格の違いッ……)


 長年の習慣がそう見せているだけである。


(得手は槍だけでなくナイフもかッ!)


 刃先に真っすぐ力を乗せる練習をすべきだろう。


 幾度かエールをお代わりし、間に蒸留酒も挟んだが彼女は一向に酔わない。飲み比べをすれば彼に勝ち目はないと思われた。潰れないのは、あれやこれや話をしながらなので飲み続けにはならないからだ。

 

 やがて夜も更け酒場の閉店が告げられる。クルトは銅貨を二枚支払って水差しとコップを手に入れた。ハンナに持ってもらって階段を上がり、扉を開けて彼女を中に招じ入れた。

 他の酔客も帰り、あるいは二階の部屋に引き上げている。


 今度は下着だけの格好になりながら先刻と同じように寝台に座って話す。ただし、夜も遅いから声の大きさは控えめだ。酒の効果か彼女は終始上機嫌で話す。本当はいくらでも飲めるが、一人で飲んでもつまらないので家に酒は置いていないらしい。


「しかしハンナは全然酔いが顔に出ないな」

「陽気にはなるよ」

「俺は眠くなる」


 そうクルトが答えた瞬間、陽気も眠気も吹き飛ばす状況の変化を二人の聴覚が捉えた。

まぎれもないまぐわいの声音である。ハンナはぎょっとして横を向き、口を押えながら隣室を指さしている。

 クルトは、そうだよ、という感じでうなずき、彼女の推測が間違っていないことを教えてやった。


 これは女給の副業という奴だ。酒場の営業終了後に客とどのような関係になろうとそれは自由恋愛、金が介在していても知りません、というのが店主の公式な立場である。

 店主が女給から上納金をとる店もあるが、灰色熊では全額女給の手取りになる。労働意欲も接客態度も向上するであろう、と見越しての店主判断による。


「ちょっと近すぎじゃない?」

「二部屋向こうだと思うんだがな」

「か、帰る」(そんなこと聞いてない!)

「おい、俺を置いていくな」


 腕をつかまれ彼に囁き声を耳に吹き込まれた彼女はおかしくなりそうだった。


「どうせすぐに終わる」


 立ち上がりかけていた彼女は寝台にへたり込んだ。彼に水差しからコップに注いでもらった水を一気に飲み干す。酒にたいする耐性は鉄壁だったが、他人のまぐわいを聞くことになるのは初めて、つまり耐性なしだった。


(まさかこれを聞かせるために?)


 そのまさかである。

(変態!スケベ!下衆!)


 屋外初夜が聞いてあきれる。


(こんなの他人や隣近所に聞かせられない)


 それこそクルトの思うつぼである。


 ようやく彼女は慎みや恥じらいというものを理解した。奴隷王墓所に援軍が駆けつけた夜もまぐわおうとしたがあれは間違いだった。彼に求められれば土手でも原っぱでも応じるつもりだったが、やはり当初の肉体接触基準を遵守しつつ、周辺環境に配慮したスケベが重要である、と彼女は痛感した。


 周辺環境と言えば、新居の環境もよく考える必要がある、と彼女は気付く。隣家まで密着していない敷地とのぞき込まれる心配の少ない二階の寝室は外せない。

 ある程度の条件をつけた物件探しは専門職の助けが不可欠だ。

 いつしかなまめかしい声は止み、いびきや小声の会話以外は聞こえなくなった。


「な?すぐに終わったろ?」

「はい?そ、そうかな?」(聞き耳立ててどうするのよ、私のバカ!)

「毎晩ではないが、だいたいこんな感じだ」

「へぇ……いや、えっと、ひとつ提案があるんだけど」


 ハンナの主張は今世話になっている周旋屋をもう一度使うというものだった。


「そんなに気に入っているのか?」

「周旋の同業者で三人比べて……」

「ふむ」

「一番嘘が少なかった、と思う人」


 なぜわかるのか、という質問には言を左右にして彼女は答えなかった。理由は見破り方を学習されて対応策を取られることになったら困るから、ということのようだ。

 そんなことしないよ、とクルトが言うと観念していくつか披露したが、目線、発汗、その他微細な仕草を観察する方法らしい。

(それって決めつけ、思い込みじゃねぇのか)

 彼は対応策を考えるまでもなく、嘘を見破る方法をあきらめた。


 さて、やっと静かになった灰色熊の夜は更けていく。クルトはハンナが寝息を立てるまで肩を抱いていたが、いかんせん寝床が狭い。

 ろくに寝返りも打てないクルトは朝には背中が痛くなっていたが、同時に買い物予定にひとつ付け足すものを思いついた。

 頑丈で大きくて寝心地の良いベッドだ。

 二人の愛の巣だ。



《五日後》


 アイアン・ブリッジの石橋を向こう岸まで渡って、ムロック連合の村々をちらりとのぞいてみる小旅行から帰ってきた二人を待っていたのは周旋屋だった。

 紹介された賃貸はハンナの希望に過不足なくかなうもので、早速二人は契約と家賃の前渡しを行った。

 かねて予約していた家具類を搬入する手配りをし、クラーフの城塞都市支店へ行って決済資金を補充して新居に戻ろうとした時である。

 帰り道の往来でザーワとマッツに呼び止められた。


「旦那!姉御!お帰りなさい!」

「ムロックはどうでしたかのう」

「荒れようは正直こっちよりひどいかもな」

「ちょっと待って。旅行先言ってたっけ?」

「姉御、旅団員の居所把握はずいぶん厳しくなっとります」

「城門を出るときに衛兵から行先を聞かれませんでしたかのう?」

「あれか」

「監視されてるみたいだけど仕方ないね」


 これから引っ越しと聞いて斥候たちは、旅団支部に行ってからすぐに駆け付ける、と言い残して立ち去ろうとした。手伝いがいるほどの荷物じゃないからいいよ、と断るクルトにザーワが渡すものが有る、と耳打ちする。


「ではのちほど」


 ハンナが手を繋ぎながら何事かと聞いてきた。


「なんかくれるんだとよ」

「他人の耳目をはばかるもの……」

「引っ越し祝いじゃないよな」

「部下からもらう気?冗談でしょ」


 ハンナは意外とこういうところに厳しい。冗談が通じない。


「冗談だ」

「本当かな」

「さあ、戻って支払いを済ませよう」

「そうだね!」


 新居に戻ると家具屋が店員を連れて搬入許可と支払いその他を待っていた。家具屋は慣れた手際で幅広のベッドや武器用の棚を据えつけ、重そうな整理ダンスもあっという間に配置を完了した。

 支払いを済ませて納品書にも署名したのだが、家具屋たちが帰らない。微妙な間があいたが、ハンナが状況を理解して銀貨を一枚家具屋に投げてよこした。


「これで一杯やってちょうだい」

「これはどうも奥様!」

「今後ともごひいきに」


 クルトはハンナの機転に救われて恥をかかずに済んだ。彼は彼女に礼を言うと、留守番を頼んで酒場『灰色熊』へ向かった。長期契約を終了して精算しなければならない。


 灰色熊に着くと、マッツとザーワが待っていた。


「懐かしいですのう。酔いつぶれて部屋で寝かしてもろうた思い出……」

「何が思い出じゃ。アホみたいに飲みよってから。ちっとは学習せんか」


 なぜお前たちが感傷的になる、とクルトは聞きたかったが二人にとってもそれなりに思い出のある場所だったらしい。

 クルトの荷物整理箱は二つしかないので、斥候たちが一つずつ持って部屋を出ようとした時だ。ザーワが謎のようなこと言った。


「旦那、ワシは寝台の上に大事な書類を落としてしまいました」

「なんだと?」

「ザーワはうっかりさんじゃのう」

「ご自宅でお待ちしてますので手早く読んで届けてください」

「姉御にはうまく言うておきますからのう」


 確かに寝台の上に大ぶりの封筒が置かれている。二人は箱を持って出て行き、残った荷物は剣と革鎧だけだ。

 言われた通りにクルトは書類に目を通し始めた。



〇月〇日


取り調べ対象者:元傭兵旅団員 レイナード(団員資格はく奪)

取り調べ容疑 :反逆 禁止薬物の所持及び使用 旅団内における無許可物品販売


1.反逆

 容疑の事実確認以前に言語不明瞭 錯乱により本人確認すら不能

 自傷行為激しく危険と判断したため鎮静剤投与 療養所に戻す


2.禁止薬物所持及び使用

 上に同じ


3.無許可物品販売

 上に同じ


〇月△日


 支部長命令 処刑の延期 本人確認すら不能な場合の刑罰について幹部と議論


〇月×日


 聖堂司教来訪 レイナードの身柄引き受け歎願 掃除夫として雇用とのこと

 

 支部長保留 緊急幹部会議 多数決 レイナード釈放 支部長用コップ損壊


記録作成者 アウラー



 アウラーが調査部めいた仕事をもう始めていたのには驚いたが、肝心のレイナードからは一切の供述が取れなかったようだ。関与が疑われた教会の連中に身柄を引き渡してしまったのは痛いが、処刑しないのなら致し方のない選択だ、とクルトは一応納得して、もう一通の書類に目を通しはじめた。



取り調べ対象者:サクジロー・シムラ 王都在住 美術館長 依頼主 通称教授

取り調べ容疑 :旅団員を囮に使用した遺跡調査 


〇月〇日


瘴気除去と記憶混濁からの回復 言語明瞭 本人確認により本名判明 

容疑事実について一部否認 以下はシムラ氏供述

 

 ええ?私が旅団員さんを罠にはめた挙句エサのように使って遺跡発掘を?(震え)

 そんな大それたことを私が……。いえ、ところどころ記憶はあるのです。情けない話ですが覚えている範囲でしかお話できません。(水を飲む)

 

 最初は王都で私が運営している美術館に客がありました。いえいえ、引退後に道楽でやってるようなものです。蒐集品はなかなかのものですがね。(省略)

 客ですよね、それがこのあたりから記憶にもやがかかったようでして。私はサーラーンのピラミッドが好きで専門的に調べておりましたから、その話だと思うのですが……。

 はい、気付いた時にはもうサーラーンに居りました。現地の部族長や有力者に顔が利くものですから、相当あちこち掘り返したのだと思います。

 資金源?自宅と美術館を質に入れたんですよね、そのあたりは覚えています。もう狂ったように金をかき集めて……発掘成果?……そう言えばどうしたんでしょう。まさか!調べもせずに売り払うなんて!奴隷王?……なんてことだ。私は……(気絶)(覚醒)


 もう大丈夫です。水をどうも。

 精神操作の可能性ですか……私の専門外ですが、それならあの夢見心地もうなずけます。なんですって?記憶喪失を装ってしばらく療養する?何のために?私が命を狙われているっておっしゃるんですか?助けていただけるのなら仰せの通りにいたします。王都の美術館が人手に渡らないよう手を回してくださると?いよいよ有難いことです。(相談)


追記 発掘作業員のうち一名が連絡とれず 行方不明 


記録作成者 アウラー ザーワ マッツ 


◇ 


 驚愕の事実が判明した。教授すら誰ぞの操り人形だったのだ。

 確か名前の発音が難しいから教授と呼んでいたはずだ。たしかに珍しい東方の姓名だが発音できないほどではない。すると精神操作をかけた奴が“教授”である可能性、難しい発音の姓名を持つ者である可能性は相当高い。つまり、そいつが黒幕なのだ。


 供述している時の話し相手はおそらく支部長だと思うが、教授の命を救うために窮余の一策を授けている。単に護衛をつけるだけでは一生狙われるから、非常に賢明な判断だと思われた。


 さらに思うのは、この調書が秘密文書として扱われているらしい点だ。おそらくこれで調査は打ち切り、教会の圧力もあって事件は闇に葬り去られるのだろう。

 実は支部長はわざとこの件を漏らしている。少なくともこの件で命を危険にさらした人間は知る権利がある、と考えてのことだ。


 封筒を手にしてクルトは部屋をあとにし、灰色熊の店主に長逗留の礼を言って清算した。

念のため封筒は脇にはさみ、革鎧を肩に下げて隠した。

 彼の新居に戻る歩みに力が入らなかったのも無理はない。

 調書の読後から沼地に足を取られたような感覚が取れないのだ。直接の関連性が見つからない二つの事件だが、彼には何者かの長い腕が社会全体を取り巻いているような気がしてならないのだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

シムラさんのモデルはちょび髭のあの方です。最近見ませんがお元気なんでしょうか。

あと、うまく原稿を切れなかったので少し長いです。

徃馬翻次郎でした。


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