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第67話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑪


さて、問題の聖槍結界解除である。


 解除はハンナに一任、見届人としてクルト、マッツ、ザーワが控えている。見届け人は例の小ぶりな素焼きの壺を墓所手前に運び込んで大量に積みあげていた。

 この壺の中身は黒炭液と呼ばれる粘着質の液体である。



【いわゆる黒炭液について】


 我々が着用している雨具が水をはじくのも、船底から海水が沁み出してこないのも、全ては黒炭液のおかげ、というのは世界の常識となっているが、この不思議な液体の発見と利用については興味深い話が伝わっている。

 今でこそ防水素材として我々の生活に密着している黒炭液だが、当初は見向きもされず、次には兵器として利用され、防水素材として着目されたのは一番最後であった。


――中略――


 この異臭を放つ黒くてねばねばした液体が我々の社会で重用されるようになった歴史はまだまだ浅い。

 当初はその刺激臭から毒沼のような残留魔素の一種かと思われたのであえて近寄ろうとする者はいなかった。やんちゃな子供が服にべったりつけて帰ってきたのを見た母親は、いくら洗っても落ちない黒い汁を悪魔の仕業だと考え、泣く泣く焼却処分した服が勢いよく燃え上がるのを見た彼女の考察は確信に変わり、その信ずるところを村中に触れ回った。


 悪魔の所業と聞いては聖タイモール教会が見逃すはずもない。悪魔は火あぶりが信条の彼らは勇み立った。黒い沼を焼き払うよう命じた司教は、その勇気を一生後悔することになる。火をつけた本人がびっくりするような大火災を起こしたのである。

 鎮火は困難を極め、数週間にわたって異臭と黒煙を上げながら燃え続けた様子は、やはり魔族の置き土産としか思えず、司教の勧告もあってこの液体には誰も近寄らなくなり、池や沼に黒い水が湧いていたら衛兵に通報する学校教育までがなされた。

 

 しかし、後年になって、悪魔と宗教的権威を恐れない学者が液体を採取し、実験を繰り返したのちに発表した研究結果は“これは石炭が液状化したものである”というものだった。それなら可燃性の高さもうなずける、というものである。

 

 この発表は悪魔の仕業に怯える民草を安堵させ、効能を分析したり用途を考えたりするる学者を急増させたが、同時に聖タイモール教会の権威を失墜させた。

 何しろ悪魔払いと称した放火により、あたり一面の牧草地や山林を消失させたのだから、地域住民が一時期そろって教会への寄進と参詣を見送ったほどの怒りようだった。


――中略――


 簡単にまとめたが、資料を精査した結果、黒炭液の発見から最初の研究発表まで実に百年近い時間が経過していた。

 読者諸賢は黒炭液の効能と歴史以外にも、“盲信は進歩を妨げる”件についても心を留め置かれたいものである。


【ミーン・メイ著 黒い水と消えない炎 より】


※刊行前に発禁処分 版木と試し刷りのみ王都のマグスが所有している。



 クルトもハンナも黒炭液のことは知っている。ただし、彼の場合は焼夷兵器として、彼女の場合は実家が所有している小型船舶の防水船材としてだから、多少の違いはある。 


 見届け人の準備が整ったのを見たハンナは墓所入り口に向かい、聖槍を握る。途端に槍は砂のように崩れ去り、一陣の風の後には銀色の小さな輪が二つ残った。


 それは夫婦の証とも聖槍が最後に残した祝福とも言えるものだったが、さしあたり感動に浸っている時間的余裕がないので、彼女は素早く指輪を回収して射撃台へと登った。


 彼女は臨時編成された火矢隊の指揮を執る。今回は射手各自が魔法『着火』する手間がかかるが、前回のアンデッド軍団迎撃とは比較にならない多勢なのでさして問題にはならないはずだ。


 さて、これで見届け人たちと墓所内部を隔てるものはなくなったわけだが、今のところ墓所内部には何の動きや気配も見られない。

 見届け人三人衆は示し合わせて黒炭液壺の投擲を開始した。


 第一投が墓所入り口を通り過ぎて一階広間の床に着弾、音を立てて割れた壺は半固体の中身をゆっくりと床に広げ始めた。

 何も反応がないまま第二投を開始しようとした三人は、突如として上がったものすごい絶叫と悲鳴があわさったような遠吠えに一瞬動きを止めた。


(まだまだ居やがるじゃねぇえか)


 クルトが懐かしくさえ感じたアンデッド軍団の雄たけびだが、実際は大騒ぎからまだ三日しか経っていないのである。

 第二投を完了した時点でマッツとザーワはクルトに退避を促した。


「旦那、先に退いてもらえませんかのう?」

「ワシらはもう少し投げてから下がります」

「わかった。遅れるなよ!」


 クルトは二人の肩をたたくと一目散に梯子へ向かった。登り切ったらそのまま第三投、第四投と粘っている斥候たちを待つ。

 元気よく投擲を続けていた二人だが、第五投がいきなり雑になった。正確に表現するなら投げるというより残り全部を転がすような勢いで墓所入り口へ押しやっている。


「射手!着火!」


 ハンナが下した火矢隊への号令は目標を目視した、という合図でもある。 

(来やがった)

 クルトがそう思うまでもなく、マッツとザーワは全力疾走で梯子に駆け寄ってきた。ここから先はアンデッド軍団の勢いを傭兵旅団の迎撃がしのげるかの勝負だ。

 攻撃開始を告げるハンナの号令が響き渡る。


「放て!」


 初弾は強烈な鳴弦めいげんの一斉射撃、何しろ数が違う。クルトが斥候たちを引っ張り上げて梯子を回収した時には、墓所入り口ではすでに火災が発生、第五投の壺を踏み砕いてしまったのだろうか、引火して射手の視界を遮ってしまうような黒煙が上がる。


 クルトは安堵した。最初に出くわした亡者の突撃より、数は少なく勢いも弱い。むしろ刺激臭と黒煙のほうが辛いぐらいだ。リッチのような上位種も見当たらない。どうやら聖槍の結界発動時に入口近くにいた亡者たちは全員浄化されたようだ。


 彼は支部長とアウラーに自らの安堵を伝えることにする。“どうやらいけそうだ”という知らせは支部長を満足させ、アウラーの眉間からしわを取り除いた。

 ついでにクルトは、水で濡らした手ぬぐいが突入隊員に必要では、と献策して直ちに受け入れられる。何しろ臭く煙い。その原因は黒炭液由来だけではないのだ。


 壁の下では火だるまになったドラウグルたちが走り回り、普通の矢に変更した射手の動く的になっている。


 奴隷王の所業を伝説通りに考えるなら、彼らも被害者と言えなくもない。

 しかし、理性を失って人間を襲う以上、脅威として駆除されてしまうのは仕様のないことだったが、せめて教授が開封しなければ、永遠に人の世と隔絶されていたかも知れないのに、まさしくこれは人災だ、と思いながらクルトは火葬と処刑の模様を見下ろしていた。


 炎上したドラウグルを介して墓所内にまで延焼した火災は、第四投までの黒炭液にまんべんなく火をつけながら広がり続け、奴隷王の離宮を高温のパンがまに変えた。二階以上は蒸し焼きと燻製である。


 アンデッド軍団の突撃は散発的になり、今度こそ奴隷王軍団の殲滅せんめつは間近であるように見受けられる。墓所入り口を突破して飛び出してくる奴も絶えた。

 ついに支部長は突入部隊の整列を命じたが、ひとつ小さな問題が発生する。


 部隊長が命じた陣形は二列横隊だったが、棒切れ一本でしれっと混ざりこもうとしたハンナが列外と居残りを命じられ、薪割り斧をかついだクルトも同じく待機を命じられる。

 二人は揃って遺憾の意を表明した。


「お前たちが旅団の精鋭であることは間違いない」

「だったら」

「列外は不当である、と抗議します」

「丸腰で参加されたら何でもありになるだろうが」

「薪割り斧」

「支部長にはただの棒切れにお見えになるかも知れませんが、先祖伝来の逸品です」


 ええもう大きい子供か、と支部長は観念して自分の当番従卒を呼んで荷物を取りに行かせた。支部長の従卒は騎士の槍持ち盾持ち剣持ちのように洗練こそされていないが、それだけに気を遣うことなく用事を頼める雑用係、といったところだ。

 やがて従卒が持ってきた包みを開くと意匠がよく似た長剣と小剣が姿を現した。


「褒賞の前渡し、結婚祝い、何でもいいから装備して後列配置!」


 大喜びの二人は了解の応答。ちなみにこの夫婦剣とでも言うべき二振りの剣は、現在ジーゲル夫妻の寝室で飾り棚におさまっている。

 クルトは薪割り斧を当番従卒に渡して返却を依頼し、ハンナは先祖伝来のはずの棒切れを投げ捨てた。

 二人とも方法はともかく戦列に復帰する資格を得たわけだ。


 後列配置にしたのは一列下がった視野で指揮の補助をさせるためである。マッツとザーワも同じく後列だから間違いない。前列の連中にはアンデッド退治の経験がない者もいるから、面倒を見てやれ、ということだろう。


「前列前進!後列は支援体制!」


 前列はとにかく進んで墓所入り口になだれ込み、一列横隊を素早く展開する。後列はドラウグルの焼け焦げや残骸を脇に片しながらの前進だ。

 教授の魔石式照明器具もこけたり足が折れたりしているが、まだ光量を保っている。これなら照明魔法の必要もない、というわけで制圧は順調に進む。

 

「二列横隊!部屋の幅に合わせて間隔とれ!」

 

 やけに号令がよく通ると思ったら、支部長と従卒はしっかり最後尾についてきている。

 クルトは支部長に思わずぼやいた。


「俺には留守番させようとしたのに?」

「私もよ!」

「先頭に立つのは論外だが、後備なら文句は無かろう」


 これは部隊長としての心得ごとの話だ。指揮官先頭は華があって士気も高まるが、負傷や戦死した場合を全く考えていない。そんなやつのことを部隊長は“論外”と評したのだ。


「文句を言ってないで、小隊を預かったつもりで指示を出せ」


 よくばり支部長は、この際に下級指揮官の養成も狙っているらしい。これはクルトやハンナにとってもいい経験だから二人に否やはない。

 二人は支部長の命令に従って指示を出し、マッツとザーワも見習い始めた。


「前方、上り階段」

「左右の小部屋に注意よ!」


 的確な指示により、一切の不意打ちを受けることなく掃討戦はすすむ。前列の何名かはおっかなびっくりだったが、負傷者も出ない。

 二階に上がる際にごく小規模の迎撃を受けるが一瞬で制圧する。


「まだ足音がするのう」

「言うても少ないがな」


 マッツとザーワが間もなく作戦終了であることを告げる。実際、掃討は順調そのもので、初のアンデッド退治に精神的衝撃を受けた隊員も出ていないようだ。


 しかし、三階に上がった瞬間。旅団員が足を思わず止める状況があった。


 三階は王の間。レイナードが奴隷王の一撃で戦闘不能にされた場所だ。その逆方向にテラスへの出口と思われる扉があったのだが、そこで生き埋めが発生していた。


 埋まっているのは数名のドラウグルだった。アンデッドだから生き埋めと表現するのは妙な気がするが、とにかく地上を目指して穴を掘っていたらしい。

 もっとまともな道具があれば脱出に成功していたかもしれない。気の毒だが前列組が引きずり出して始末した。


いつもご愛読ありがとうございます。

やっと奴隷王墓所が片付きました。黒い水は石油よりは湧出タールみたいな体でお願いします。

徃馬翻次郎でした。

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