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第3話 エスト村の鍛冶屋 ①


 エスト村はアルメキア王都の南東に位置する。

 二十年ほど前に、近くの鉄鉱山から魔力を帯びた砂鉄すなわちエスト魔砂土が発見され、折しも魔鉱炉の発展時期と重なって、村の人口は一気に増えた。

 エスト村の遠景は魔鉱炉の煙突が目立つ。


 ちなみに魔鉱炉とは“魔石式反射溶鉱炉”の略であり、魔族による画期的な発明である。

 まず、魔力を通さないレンガとモルタルで溶鉱炉を組み上げる。使用するレンガは迷宮の壁材が最適とされている。

 次に炉内を燃料で高温に保ち、エスト魔砂土に代表される希少魔力金属に魔石と少量の鉄鉱石、さらに石炭を加えたものを投入する。

 すると、高熱と魔力が充満した環境下で閃光と共に合金が生成される。エスト魔砂土を使用して生成された黄色いつやをもつ合金はエスト鋼と呼ばれ、武器や防具の素材として重宝されている。

 エスト鋼を武器や防具に加工するには魔法鍛冶道具が必要で、これも魔族の専売特許のような状態である。エスト鋼を扱うには、鍛冶の師匠から魔法鍛冶道具を譲ってもらうか、けっこうな額を支払って購入する必要がある。


 さて、エスト村が人口千三百人を超える“村”にしては少々大きな集落になっているのは鉱山以外にも理由がある。もともとエスト村は、北西に王都、東へ行けば東方諸島への船が出るポレダの港町、南にいけばサーラーン王国という交通の要衝なのだ。

 現在、南のサーラーン王国との国境警備は全く穏やかなものである。念のためといった程度の砦がいくつかあるぐらいで、野盗団を取り締まる街道沿いの哨戒部隊のほうがよっぽど気合が入っている。

 過去には国境線沿いに長大な城壁を築こうとしたアルメキア王もいたようだが、設置と維持に莫大な資金が必要とあって、計画はいつの間にか立ち消えとなった。これを平和ぼけと見るか節約と見るかで意見が分かれるところではある。

 人・物・金の動きが活発で王都に近く、他国との輸送も便利、もともと森林・水源・牧草地は豊富にある。さらに、エスト鋼という新しい金属産業が伸びつつあり、無いのは海産物だけというエスト村は繁栄の一途をたどり、今なお人口は増加傾向にある。

 エスト領主の男爵が集落の外周に塀を築いて街へと改名したがっているという話は噂でもなんでもない。監視塔と石造りの壁で外敵の侵入を防ぐことができれば今まで以上の発展と税収が見込める、というわけだ。


 そのエスト村の中心からかなり離れた場所に一軒の鍛冶屋がある。火災の危険があるから集落から離れたところに店を構えた、というのは表向きのことである。

 ジーゲルの店の主は人ごみから離れたところで、エスト鋼に集中したいだけなのだ。


 金属が火花をあげてぶつかり合い、時折激しい水蒸気があがる鍛冶場で、もう秋もなかばだというのに大粒の汗をかいて槌をふるう男が二人。鋼を熱し、叩き、のばすを延々と繰り返す作業だが、主鍛冶を務める男の表情に倦怠はみられない。


(今日の鉄はいい具合だ)


 向こう槌を務める息子のラウルを相手に、店主クルト=ジーゲルは今日も槌をふるう。 

 妙な話だが、素材の状態を見極めるためには、素材である金属との対話が必要だ、とクルトは信じている。言葉ではなく精神を通わせる対話だ。

(言葉じゃうまく言えねえが)

 口伝を否定する気はないが、感覚に頼る部分を解った気分になってもらっても困る、というので、理論を一通り教えた今では言葉少なに弟子を指導している。


(うちっぷりは悪くねぇ)


 クルトはちらりとラウルを見て評した。立った状態で大ぶりの槌を主鍛冶の指示通りに振り下ろす過酷な肉体労働が“向こう槌”である。息子の肉体は向こう槌が務まるほど順調に生育したのだが、精神がよくない、とクルトは考えはじめている。


(まだまだ雑念が多いな)


 鍛冶の名工はこれを一番弟子にどう伝えればよいものか考えあぐねている。

 

 一方のラウルだが、こちらもまた困っていた。

 習作のナイフや短剣は父親からも、まあいいんじゃねえか、と言われる程度の鍛造技術を身に着けた。もう少し腕を上げたら商品棚に置いてやる、とも言われたが要するに現時点では不合格ということだ。

 むろん先ほどからの父親の目線にも気付いている。


(どうせまた集中しろとか気持ちを込めろとかだろ、わけわかんねえ)


 根性論が気に入らない、というわけではない。技術的にああしろこうしろというのは理解できる。そのなかに心や精神を通わせる意味が理解できないのだ。


(何が気にいらないって言うんだよ)


 実は魔法鍛冶の場合は特に、気持ちを込めるという作業が魔力的な意味で大事だったりするのだが、クルトの目から見て、普通の鍛冶においてもラウルの“心”は物足りない。

 クルトにはその原因がおおよそわかっている。ラウルは鍛冶の道に進む以前に心が歪んでしまったのだ。

 

 ラウルは小さいころ、かつての父母と同じ冒険者にあこがれていたが、なぜか魔法習得に全く進歩がなく、冒険への想いを断念した過去がある。

 魔法習得の大前提となる魔力の保有量がラウルの場合は生まれつき払底していたのだ。

魔力と一口に言ってもその大小には当然個人差がある。大量破壊が可能な攻撃魔法を唱えることができる魔術師になる素質を持つものは少なく、高度な回復魔法を詠唱可能な司祭や治癒師にいたってはきわめて少ないゆえに奇跡と呼ばれるのだ。

 人や亜人の大多数はごく初歩の魔法を唱えることができるにすぎず、『着火』や『止血』ができれば良しとされ、魔道具の使用に問題がなければなおよろしいとされる。

 それがラウルにはできなかった。

 “冒険者”とは迷宮や古代遺跡を探索して財宝を発掘して売却、その過程で製作した地図を販売することを生業とする人たちの総称だ。他にも魔獣の討伐や希少素材の収集、その他もろもろの依頼をこなして報酬を受け取ることで生計を立てている。

 もちろん、死の危険と隣り合わせのうえに収入は安定しないのだが、一山当てればしばらく遊んで暮らせる、栄誉の腕前ともなればお召し抱えの話にもつながる、思う存分腕試しができる、冒険談でモテる等の理由によって人気の職業なのだ。

 その冒険者にとって腕力や特技以外に欠かせないものが“魔力”だ。

 例えば、探検家は魔法の地図等の魔道具を扱う為に魔力が欠かせないし、敵対する生物の拍動を探知したり、魔力の痕跡や罠を発見するための魔法が必須とも言える。

 腕力自慢の戦士や騎士なら魔力は必要ないと思われるかもしれないが、装甲や分厚い皮膚、防御魔法で守備力を盛った相手には通常の攻撃は通用しない。強化された守備力を突破するには魔法鍛冶で強化された武器が必要であり、その力を引き出すには魔力が大前提、というわけである。

 魔術師や治癒師にいたっては魔力を使用するのが日常業務だ。この世界では大小の差はあれ皆が魔力を有しているが、魔術師や治癒師の保有魔力は多ければ多いほど良い。もし迷宮内で魔力切れを起こして即座に補充ができなかったら悲惨の一言に尽きるからだ。

 魔力が乏しい者でも冒険者のお供はできるが、馬匹と大差ない扱いを受ける。逃走時に身代わりにされることもあるから、正確に言えば逃走手段としても使える馬以下だろう。

 

 さらに、魔力が重要だという話は冒険者に限ったことではない。

 高度な回復魔法や浄化を職務とする司祭や聖騎士は高魔力保持者が揃っている。職人は魔道具を用いた特殊素材の加工に、商人は鑑定に魔力を使う。木こりやお百姓さんでも力仕事の前には身体強化魔法で筋力をあげて仕事がはかどるようにする。

 魔力の大小が将来の進路や収入を左右する世界において、ラウルの魔法下手、正確に言えば魔力無しに近い人生は、開始時点から他人と大きく差をつけられていた。魔力を必要としない仕事もあるにはある。料理人や芸術家のような特殊な才能を持つ職業を除けば、単純作業か肉体労働のさらに下請け、その給金は雀の涙だ。

  親同士の会話になれば自然とよその子供と魔力を比較して“ウチの子は少ない”とか“ちょっと天才じゃないかしら”という声は世間一般ではよく聞かれるが、どうやらラウルの魔力量は測定不能なくらい低いらしいと司祭から告げられた時のジーゲル夫妻の衝撃がいかばかりか、今のジーゲル一家の様子からは到底うかがい知れないほどのものだった。

 しかし、並の夫婦なら子供の将来を案じて悲嘆にくれるところを、ジーゲル夫妻は持ち前の豪気で乗り切った。

 せめてラウルが大きくなるまで鍛冶屋を守り抜き、魔法鍛冶職人を雇って共同経営で食べていけるようにするか、あるいはやりたいことができたら家を出るときの支度金にしてやるか、と二人でこつこつ銀貨をためて来るべき日に備えた。

 しかし、どんな職業であれラウルが幸せならいい、とジーゲル夫妻は思いきれなかった。かつて自分たちや買い物客の冒険談をいきいきとした顔で聞き入っていた息子の顔を思い出してしまうのだ。


 それでもラウルが家にいるうちはまだよかった。学校にいくようになるとどうしても他人との比較で傷つき、心の歪みを大きくしてしまうことになった。


 村の学校では、読み書きや算術にくわえて魔法文字や詠唱の初歩といった授業がある。もっとも、魔法を日常生活にどう生かすかという導入に始まり、最終的には、むやみに私闘で攻撃魔法をつかうと制裁がある、魔法でイタズラするのはだめ、騙す脅すはもってのほか、といった倫理や社会規範を覚えさせる意味合いが強い。弱い風魔法でスカートめくりなぞ企てようものならけっこうな土魔法でこぶだらけにされても文句は言えない、という暗黙の掟に関しては教えてもらわなくとも体で覚えることになる。

 ついでに魔力の大小でお友達を差別してはいけません、という常識も叩きこんでくれればよかったのだが、学校の運営母体であり教師派遣を行う教会にそのような考えは抜け落ちていたようだった。

 実際、教師が何と言おうと、魔力が普通にある子弟、特に潤沢な魔力を保有する者から見ればラウルは異質な存在であることに変わりはなく、最初はからかわれ、後にいじめられ、思春期の頃には“不能”呼ばわりの容赦ない仕打ちを受けた。

 ラウルも頑張ったのだが、ごく小さな『着火』程度の火魔法が限界だった。青筋立てて魔力を込めてもロウソクのような小さく頼りない灯り以上にすることがどうしてもできなかった。

 『止血』にしても同じだった。百人に一人くらいいる上手な子供は転んでこしらえたけっこうな擦り傷でもキレイに治して見せたが、ラウルはそれどころか“痛いの飛んでけ”が限界で、とてもではないが実用には向かない。

 照明魔法『光球』にいたってはホタル程度の淡い光が体から離れない。これはこれで可愛らしいのだが、離れた暗所に向かって飛ばしたり、上級者が光量を大きくして目つぶしにする本来の用法とはかけ離れている。

 教える側からすれば理論はともかく実習となると、ラウルを見学させる以上の配慮は難しい。授業中でも遠慮なく失笑したり野次る連中には叱責以上の指導もこれまた難しいから、ますますいじめは遠慮のない陰湿で下品なものへと進化する。

 それでもラウルは泣き寝入りなどせずに、しばしば物理的に大暴れして反撃したものだが、喧嘩をして帰って来ると両親がなんとも言えない悲しい顔を見せる。自分以上に親も傷ついているのだとわかってしまうと、ラウルはもう何も言えなかった。親子の衝突にありがちな“誰が生んでくれと言った”系の八つ当たりをすることもほとんどなかった。

 泣き言を言わない代わりに全部ため込んで、心が歪んでしまったのだ。

 

 いつもご愛読ありがとうございます。

 魔砂土は真砂土から拝借しました。読み方は“まさど”です。真砂土は雨に弱いと評判の土壌なのですが文学表現では美しい砂のことを指すそうです。

 主人公は鍛冶屋の跡継ぎですが魔法が使えません。そのために小さい頃はいじめられ、大きくなっても魔法不能ゆえの苦労をします。でも負けるなラウル!がんばれラウル!

 往馬翻次郎でした。



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