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第65話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑨


さて、昼食時にはハンナの機嫌はすっかり平常に戻っていた。彼女の切り替えの早さというか、意見を衝突させてもねちねち後をひきずらない性格をクルトは有難く思った。

 

 機嫌の瀬踏みではないが、今後のことも兼ねてクルトはハンナに現住所を聞いてみる。

 もちろん同棲どうせいの打診である。


「確かにばらばらに住むのはもったいないよね」

「今の家は?」

「えーと、ほら、噴水の広場からすぐのところ」

「……」(高級住宅街)

「賃貸だけど良いところだよ。とても静かだし」

「ああ」(まいったな)


 よくよく話を聞いてみると特に高級志向というわけではなく、周旋屋しゅうせんやのおすすめで、女性の一人暮らしならこちらがよろしゅうございますよ、という案内でそのまま契約したようだ。

 ちなみに、周旋屋とは不動産業者と人材派遣業を兼ねている人物及び店を指す。

  

「クルトは?」

「酒場の二階で長期契約中だ」


 こちらは階下のバカ騒ぎも隣室から聞こえてくる艶めかしい声も気になりません、財布と命以外に取られるものもないですし、というような屈強な男性向けの物件である。

 潰れるまで酒を飲んでも寝床はすぐそこ、その気になれば女給たちも至近、という利点はあるが、治安や静穏性という点ではハンナの住処とは比較にならなかった。

クルトは中の下くらいの環境で広めの収納があるそこそこの賃貸物件を探す折衷案を出した。ハンナの住処に転がり込むのも一案だったが、それでは全くのヒモになってしまう気がしたのだ。


「中層の賃貸は嫌か?」

「いいじゃない。買い物も便利だし。休暇は家探しだね」

「そうだ」

「楽しみ!」


 身の丈に合った住処、というクルトの説得をハンナはあっさり受け入れた。家賃を折半する件は不思議な顔をされたが、それでクルトの気が済むのなら、と反対しない。一度お互いの住処を訪問して荷物や家財道具のかさを調べて新居の収納にあわせよう、という話にも異論はなかった。

 クルトは話が順調に進むのを喜んだが、先ほどの口喧嘩を思い出してもいた。

 

 喧嘩の結果わかったことは、彼女は人格や生き方といった領域に踏み込まれると猛烈に怒る、ということだ。

 “子供ができるまではお試し期間”なのだから、決定的な衝突があれば簡単に別れてしまうような間柄である。にもかかわらず、火中の栗をあえて拾おうとする彼の本音は、少しでも長く一緒にいたいから、このままでは子供が生まれてもかわいそうだから、という素直な気持ちであり、そこに嘘はない。


 しかし、ハンナは頑なだ。それこそ聖槍の結界のようなものが彼女の心にあって、侵入する者を容赦なく攻撃する。

 その防御をもう少し下げてもらわないと、話し合いも何も取り付く島もないのだ。 


(一緒に暮らしながらお互い修正するしかない)

 結局、この結論に至ってしまうのだ。今やクルトの脳内備忘録の最優先事項はハンナの情報収集だった。


 午後になっても援軍の後続は到着しない。積載している荷物の重さにもよるが、日没から夜半になってしまうのでは、と思われた。


 その間亜人組は木工作業を続けたり、手の空いたものは射的の練習をしている。作業班は製材後も棒状に切り分けたりしていたので、クルトは何ができるのか気になって見学していたのだが、これは梯子はしごだった。 


 当然の準備であり配慮であろう。突入するときは飛び降りればいいが、万一の時の退却や逃走には必要不可欠だ。

 

 クルトは出来上がった梯子をひとつ借りて急造陣地の射撃台に上り、足場を確かめてから飛び降りた。


(アウラーさんは心配してたが、しっかりした出来だぜ)


 クルトはそう思いながら梯子を立てかける。二、三度足を乗せて体重をかけてみたが問題ないようだ。

 彼は歩を進めて墓所入口へと近寄り、腰を下ろして扉に突き立った聖槍を見やる。


 やがて開始したのは無言のうちに行われる聖槍との対話とも言うべきものだった。


(聖槍よ。夫婦の槍よ、聞いてくれ)


 クルトに聖槍が応答するということはない。対話と言うよりは一方的な語り掛けなのだが、彼は構わずに心の中で語りかけた。

 まず、彼は礼を述べるところから始める。


(お前のおかげで命拾いをした)


 同時に彼は緩やかに頭を下げた。


(せっかく助けてもらった命だ。大事にするよ)


 彼は頭を上げて槍を見たが、槍はあいかわらず静謐せいひつな気配を漂わせたままだ。清い空気は感じるが、応答する気配はない。


(もうすぐ消えちまうんだよな)


 槍は答えない。


(頼める義理じゃねぇが、俺とハンナを見守っていてくれ)


 瞬間、聖槍が青白い燐光に包まれ、輝きを増した。慌ててクルトはもう一度頭を下げる。

今度こそ、何らかの応答を聖槍から得られた気がしたのだ。

 如何なる返事であったのか知る術はないが、叱責や拒絶のような感触ではなかった、と彼は解釈した。


(許された)


 クルトにあるのはその一念である。


「変わった人ね」


 静寂を破ったのはハンナであった。


「槍に向かって頭を上げたり下げたり」

「いつから居たんだ?」

「見てたのは最初から」

「むむ」


 彼女は並んで座った。


「私もお別れを言おうとは思っていたけど」

「……」

「先を越されたね」

「すまんな」


 二人は確かに命拾いをしたが、その身代わりとなるものはどうだろうか。人でも物でも無念に変わりはありまい。せめて見送って別れのあいさつをしようというのは、自然な発想であり、礼儀であろう。


「槍も武器庫に飾っておかれるよりずっといい。ってさ」

「会話できるのか?」

「まさか。適当だよ」

「おい……」

「だから、感謝の気持ちでお別れしようよ。敬礼とか?」

「それは、そうだ」

「そうじゃないと私も悲しいよ」


 聖槍に対する感謝の気持ちは二人とも等しく持っている。ハンナは槍の気持ちを勝手に代弁したが、これは、悲しい別れはよそう、という思いの表れだ。

 続けてハンナは槍の思い出について語った。湿っぽい語り口ではなく、彼女の相棒としていかに役に立ったかの武勇伝だった。

 クルトは時々相槌を打ちながら聞き、ハンナに質問もした。

 最終的に二人は、槍の最後の瞬間ではなく、してのけてくれたことをお互いの思い出に刻もうと誓いあった。

 

 ほどなくして援軍の後続部隊が到着した。

 

 支部長率いる後続部隊はアイアン・ブリッジ中の荷馬車をかき集めたらしく、速度を犠牲にしてまで運んできた物資があるようだった。

 野営道具はもちろんだが、アンデッド対策の秘密兵器とでも言うべき小さな素焼きの壺を満載していたのだ。中身は何かの液体らしいが、封をしていても鼻を刺すような異臭が漏れてくる。 

 支部長は御者台から飛び降りるなり、配下を引き連れて建築現場を視察した。


「クルト!ハンナ!大事ないか!」


 呼ばれた二人は梯子を急いで登ろうかとも思ったが、状況説明をするために墓所入り口にとどまった。やがて、壁の上に支部長が顔を出した。


「支部長、こちらへ」


 クルトが手招きしたので、支部長は壁から飛び降りて駆け寄り、三人で握手を交わし合って生還を祝った。建造物が完成している以上、何らかの方法でクルトとハンナが墓所の問題を解決していたことになるのだが、実際にその方法を聞くと、レイナードの活躍以外は奇跡や神秘としか言いようのない出来事の連続で、正直なところ支部長は面食らっている。

 しかし、生還者の二人と扉に突き立った槍を見ては信じるほかなかった。


「なんとまあ不思議なこともあるものだ」

「その不思議で助かりました」

「いつ結界の解除にかかりますか?」


 この役目だけはハンナが果たす必要がある。当然クルトも付き合うつもりだ。


「もう日が暮れる。念には念を入れて明朝だ」


 了解の返答をしたクルトだが、失念していた報告事項を思い出す。


「支部長、後で発掘現場の建物内を……」

「何かね?」

「教授の発掘成果、墓泥棒の戦利品、あー……」

「言いたいことは分かった。契約に沿った処理が必要、ということだな?」

「ええ、まあ、そうなんですが」

「言いにくそうだな」


 実は、と切り出すクルトは確かに言いにくそうだった。マッツとザーワは教授の正体を直接見知った者たちだし、アウラーをはじめとする旅団員に事の顛末てんまつを語って聞かせるのも特に問題は無かった。

 しかし、支部長相手だとそうはいかない。

 パトリック=クライバーは誇り高き男で、いったん怒ると手が付けられない。


 そして、今週はすでにレイナードに虚仮にされている。このうえ危うく教授に食い物にされるところでした、という報告はどのような影響を彼にもたらすのか、クルトには想像もつかなかった。

 

 支部長は“怒らないから言ってみなさい”という姿勢で話の続きを促すが、クルトは言い淀んでしまう。見かねたハンナがお得意の短縮版で教授の正体を明かした。


いつもご愛読ありがとうございます。

私自身、長い間使っていた品物を廃棄するときは塩まいて礼を言うタイプの人間です。

ましてや聖槍でしょ?すごい!こわれた!じゃなくて相応のリスペクトがあってしかるべきかと。

徃馬翻次郎でした。

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