第64話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑧
亜人全般に言えることだが、人間平均をはるかに超える体格と腕力の持ち主が多い。岩ネズミ系亜人のように変化を鉱山労働や掘削作業に生かす者もいて、肉体労働全般において、人間比で二人力、三人力と言われるのはこの世界における一般常識である。
その亜人たちに向かって人間が力勝負を挑めば、腕相撲であれ荷運び競争であれ勝って当然、負けるようなことがあればそれこそ名誉の問題に関わるのだ。
今朝の挑戦者はクルト、競技種目は穴掘り競争である。
始める前にクルトは伐採と加工現場を視察した。作業は荒っぽいが手早いもので、次々と建材が生産されている。しかし、若干グダり気味と言うか単調な作業ゆえに弛緩した空気になりつつある。
このような時に事故は起こりやすい。小休止を入れてねじを巻きなおすのが定石だが、クルトは自分をネタにした見世物を提供することにした。
「傭兵の兄弟姉妹よ!一番の力持ちはだれだ!」
一同作業の手を止めて、何だどうした、と集まってくる。
「ワイト殺しのクルトとひと勝負する奴はいないか!」
正確にはワイト殴りである。始末したのはハンナと聖槍であろう。
「どうした!穴掘りは岩ネズミに任せます、ってか?」
露骨な挑発だったが、果してランドルフと名乗る犬系亜人にしては大柄な男が進み出て、鼻息荒く勝負を受けた。戦い前の握手を交わしたが、クルトは彼とほとんど面識がない。
しかし、腕の太さはいい勝負だ。力自慢は間違いなさそうである。
「あのクルトとお手合わせできるとは光栄だ」
「やっとお出ましか」
「おいおい、えらく大きな口をたたくじゃないか」
「大きいかどうかは勝負の後までわからんぞ」
「言ったな!負けても泣くなよ!」
開始位置に着く前に勝敗の審査基準が発表される。
競技は墓所入り口から開始され、直線を墓所と反対方向に掘り進める。しばらく進んでから内側に折れ、その中間点に目印の棒きれが付きたててある。ここから少しでも相手側に食い込んだ時点で勝利となる、というわけだ。
審査員は体格がよく似たマッツとザーワである。両者がしゃがめる空間の確保、高さ的には膝の位置まで掘ることが条件であり、深さ不足や雑な掘り方は減点対象である。
今や競技会場はお祭り騒ぎだ。旅団内での賭博は禁止されているから賭け屋こそ出ていないが、両者への声援が乱れ飛んでいる。
「勝つのは旦那だ!」
「いやいや、いくら旦那でも亜人にゃ勝てねえ」
「わからんぞ。“巨人”だぞ」
「相手がランドルフじゃ分が悪いよ」
「やっちまえ!」
「……」(言葉が汚い)
最後の煽りはハンナだった。場は最高に盛り上がったが、聞いていたクルトは、後で言い聞かせる必要がある、と思った。
「旦那、準備はいいですかのう?」
「ランドルフ、シャベルを選んで」
審査員の二人も楽しそうに役割を果たしている。そして、いよいよクルトとランドルフが開始位置につく。サーラーンの大競馬もかくあれかし、の大盛況だ。
「さっさとやれ!」
「……」(本当に言葉が汚い)
「両者、ヨーイ」
「かかれ!」
ザーワの号令と同時に二人の巨漢は猛然と穴掘りを開始した。
ランドルフはかなり正確なシャベルさばきで見た目に似合わぬ丁寧な仕事ぶりだ。力任せに五、六掘りで規定深度に到達してしまうのだが、その時点で減点の難癖をつけようもない見事な仕上がりだ。
一方、クルトには作戦があった。荒掘りと仕上げ掘りを交互に進める二段構えである。一見、工数が増える様に思われるかもしれないが、荒掘りが大体の見当で進めることができる分、疲労が少ない。試しに仕上げた部分をマッツに座ってもらい、審査が通ればその部分にそって面一に仕上げるだけだ。
この作戦が図に当たり、じわじわとクルトが差を広げ始めた。仕上げ掘りができた際の一気に進んだ感が与えるランドルフへの心理的圧力も大きかった。大方の下馬評をひっくり返す形での競技進行にどよめきと拍手が起こる。
ところが、クルト優勢で進む状況をランドルフが一変させた。クルト式二段構え工法を導入して急速に施工速度を上昇させたのだ。
「ヘヘッ、真似させてもらうぜ!」
「なん……だと!」(やると思ったよ)
道具は同じ。今や工法も同じ。となれば結果は想像がつく。ランドルフの圧勝だった。かくして、大歓声につつまれて第一回奴隷王杯穴掘り競争は終了し、クルトはランドルフの腕を掲げて優勝の栄誉を讃えた。
ランドルフも“あのクルトに勝った”ことで誇らしげである。女性旅団員からも黄色い声がかかってまんざらでもなさそうだ。あれだけ働いて座り込んだりしないあたり、やはり亜人の体力は桁違いだ。
(同じ条件だと亜人に勝つのは厳しい、か)
クルトは己の鍛錬不足を感じながら残りの穴掘りと残土処理をする。掘った土は丸太を立てるときの枕材や寄せ土として使うので、溝際に寄せておく必要があるのだ。
みんながひと時疲労を忘れ、見世物に熱中したことで活力が復活した。娯楽の少ない世界ではたとえ運動競技ひとつでも馬鹿にはできないのだ。
ハンナは途中から煽るのをやめて大人しく観戦していたようだが、観衆が伐採と加工作業に戻ると、敗戦の傷心に浸っているであろう夫を慰める妻の役割を果たすべく、食堂に戻って水を木の椀に汲んできていた。
「飲む?」
「くれ」
「はい……見事な負けっぷりね」
「ぷふッ、面目ない」
「穴掘り半分、娯楽半分でしょ?一石二鳥とは策士ね」
「むむ」
見るところはちゃんと見ていた。それほど察しが良いのなら、とクルトは愛と幸せのハンナ改造計画を発動させることにする。
「それよりお前はあの汚い野次を何とかしろ」
「何よ、命令するの?」
クルトの汗を拭くハンナの手が止まった。頭ごなしの言い方をされたら誰でもムッとするものだが、彼女の場合は少し反応が過激だった。
「何とかしてください」(妥協)
「イヤよ、余計なお世話よ、この負け犬!」
とうとう彼女は怒って木材加工へ戻って行ってしまった。実はクルトのお小言が父親やかつての配偶者にさんざん言われた上流階級用矯正説教に似ていたので反発しただけなのだが、言葉の勢いで悪態が出てしまったのだ。
一方、クルトはそれなりに傷ついている。犬系亜人に負かされて“負け犬”とはなかなかの皮肉で効果的な悪口だが感心している場合ではない。木の椀をもったまま、というわけにもいかないので、元の場所に戻しに行きながら彼は考えている。
(もう一度、落ち着いた場所で話をしよう)
邪念を払うように再びシャベルを手に取って作業を再開していると、マッツとザーワがやって来た。
「旦那、アウラー隊長が丸太を搬入してええか聞いとられますがのう」
「やってくれ」
「了解。おーい!運んでくれ!」
ザーワは搬入開始指示を伝えながら長い綱をほぐしだした。マッツと二人で引っ張る係を受け持つらしい。
運び込まれた丸太は尖ったほうを下にして溝に突っ込まれる。搬入班が斜めになった丸太を起こしながら、引っ張り班が丸太の上方先端に綱をかけてゆっくり引けば、やがて垂直に立つという寸法である。
搬入班はその姿勢を保持したまま次の丸太を待つ。隣の丸太が同じように立てば二本まとめて綱で結わえる。完全に起こす前に綱を挟んでおけば8の字型の結束になり、壁としての強度が増す、というわけだ。
次々と丸太が立てられ、穴掘りで出た残土が根元へ掛けられてゆく。さらに横倒しの丸太が正面の壁にそって積まれ射手の足場を形成した。
仕事はこれで終わりではない、大ぶりの木槌で立てた丸太を叩き込んでいく。
とうとう門のない砦が墓所の入り口に出現したが、その目的は明白である。聖槍の結界が解除された場合にアンデッド軍団の残党が出てくれば包囲攻撃をかけるための陣地だ。
一応の完成なった建造物を見ながらアウラー隊長がクルトに話しかける。予定より大幅に工期を短縮できたはずなのに表情がさえない。
「クルトさん、これで強度は十分でしょうか」
「アウラーさん?」
「私はアンデッド軍団の突撃を見ていません」
「……」(不安だよな、そりゃあ)
一階にいた亡者の群れは主にレイナードが片づけた。奴隷王は浄化されている。しかし、聖槍の結界を逃れた連中は必ずいる。全員が玄関口で消滅しているはず、というような楽観的推測に基づくなら、こんな砦は必要ない。
アンデッドの親玉がいなくなっただけであり、危険評価は相変わらず高いままなのだ。
真面目なアウラーは命令された工事を完了したうえで、
「壁が保つのか……正直不安です」
となおも作戦の行方を危惧している。クルトは彼の不安を取り除いてやりたかったが、下手な気休めや楽観論は聞きたくないだろう、と思ったので自分の経験を話すことにした。
「俺たちの時は……」
「はい」
「火炎壁とレイナードの勢いがいつ終わるかヒヤヒヤだった」
「そうでしたね」
「今回は堅固な壁があって、しかも俯角が取れる」
俯角とは斜め下に見下ろすことができる角度、及び射撃体勢のことである。
「時間を気にせず一方的に撃てるぞ」
「確かに」
「腐肉まみれになる心配もないしな」
「それは……そうですね!」
ようやく明るさを取り戻したアウラーを見てクルトは安心した。無理をして陽気にふるまう必要はないが、指揮官の顔色が悪いというのは部隊運営上問題がある。
レイナードのように薬物で気分を盛りあげていたような指揮官は願い下げだが、空気が部下に伝染することを考えて、いつも通りの雰囲気を維持してほしかったのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
穴掘り競争の元ネタは木下藤吉郎の城壁修理、ハンナの煽り文句はスカイリムの喧嘩勝負です。
「大きいほうに10ゴールド」は旅団規則に抵触するので使えませんでした。
徃馬翻次郎でした。