第62話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ⑥
《》は時間経過です。
ホラー苦手な方はご注意ください。
「し、支部長ッ、罠はありません!けど……これは……」
「どうした、報告せよ!」
支部長は命じながら旅団員を二人連れて突入する。あとの二人は玄関の監視だ。
「オイ、何だよこれ……」
「ヒッ」
あろうことかレイナード家は怖いものなしのはずの旅団員が思わず絶句してしまう恐怖の館だったのだ。
壁一面に絵具やロウ石のようなもので文字が書かれている。三分の一くらいは宗教的な祈りや経典からの引用だが、ひと際目を引くのが不気味な言葉の羅列だ。
“なぜ皆神を拒絶するのでしょう。クライバーは不信心者の異端者です。火あぶりです。お命じ下されば私が神に代わって裁きを下しいいいいひいいいいますうううう敵敵敵敵”
“聖水聖水聖水なぜ神は聖水をもっとお与え下さらないのです。もう売れるものはありません。家も手放しました。ささげるものはこの身しか残っておりません。カネカネカネ”
“神よお助け下さい。かゆみが止まらないのです。まるで虫が体の中でではいずりまわっているようです。ああかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆ うま です”
支部長も恐怖にからめとられそうになったが、かろうじて持ちこたえて、命令の声を張り上げることで自らを鼓舞した。
「聞けッ!薬品ビンと経典を押収、壁の文字を写し終えたら封鎖しろ!」
支部長の一喝で旅団員たちは正気を取り戻す。
「し、支部長、表に衛兵が来とりますが」
「知られてもかまわん。いや、協力を要請しろ。もう我々だけの問題じゃない」
「支部の職員を動員してかまいませんか」
「許可するが、キモの太いのを選抜しろ」
命令を下し終わると、支部長は速足で歩きだす。早く本部に戻って対応を副長と検討せねばならないのだ。
壁に書かれていた文言の一部は自分に対する反逆の証拠だが、聖水の検査はもちろん、レイナードの金回りや女関係、日常の交友範囲も調べる必要がある。
自分の管理不足と読みの甘さを支部長は責めた。考えの浅い宗教野郎が引き起こした些細なもめごとなどではない、とこの時になってようやく思い知ったのだ。
ついに支部長は駆けだした。
後に残された五人の旅団員は任務を分担して動き出す。戸口で監視、衛兵との情報共有、
証拠の押収にあたりながら、最後には気味の悪い筆写作業が大量に残っている。
皆が思った。野盗や魔獣と戦う方がましだと。
《二日前》
そして、翌日の夜には傭兵旅団内の薬物汚染が発覚した。
この時点でレイナード隊と教授は野営地を引き払って発掘現場へと向かい、そろそろ到着しようかというころだ。呼び戻すには遠く、クルトの危惧していた緊急事態がすでに発生していてもおかしくない。旅団員の非常呼集はすでに実施されているが、編成と準備にはもう少し時間が必要だった。
昨日の時点で、支部長はレイナードを反乱容疑で拘束する部隊をいちはやく送り込むべきだったのだが、彼は慎重を期して薬師の検査結果を待った。
旅団所属の薬師によれば、回復薬成分に馬用の興奮剤が添加され、小量のムロック産麻薬の混合で仕上げに砂糖も少し入っているらしいとのことだ。
これで反乱と違法薬物所持及び使用の疑いが固まった。
聖水は思っていた以上に高級品だ、と支部長は何となく感じたが、薬物汚染の対応に一日中追われて、それこそ薬師に胃薬と頭痛薬を処方してほしい思いだった。
朗報があるとすれば蔓延の規模がほとんど無しに近かったことだろう。これはレイナードが嫌われていたことによる。もし、支部長やクルトが広める側に回っていたら支部全体が薬漬けになっていたとしてもおかしくない。
疲れ切っていた支部長は、金回り、入手経路、黒幕、という覚書を書いてから眠りに落ちた。
《昨日》
翌朝、支部長はようやく準備の整った増援部隊を率いて出発するにあたって二つの任務を自らと部隊に課した。
ひとつにはクルトとハンナが生きていれば協力して墓所の封鎖を行なうことだ。調査の結果財務状況がかなり悪いことが判明した団員が絡んでいる契約など、ロクな結果にならないと思って間違いない。招集に応じた旅団員には、伐採と土木工事用の道具及びアンデッド対策を指示したが、これで事足りることを願うばかりだ。
ふたつにはレイナードだけでなく教授と現地作業員も拘束するという荒っぽいものだった。この時点における支部長の認識では、レイナードと教授は無関係であり、教授が何らかの犯罪や陰謀に加担しているわけではない、というものでしかない。
にもかかわらず、全員拘束の命令を下したのはレイナード憎しが勢い余っての暴走である。こうなったら両者が共謀してようがしていまいが、しょっぴいて背後関係まで徹底的に洗ってやる、というヤケクソ気味の決断を下したわけだが、結果としてこれが教授の命を救うことになる。
結構な大部隊編成になったのはレイナードが抵抗した時の用心でもある。なにしろ馬用の興奮剤を飲んで麻薬までキメた人間がどのような力を発揮するのか、誰にも見当がつかないからだ。
ふたつ目の件に加えて、もしクルトの不安が的中したら事態はもはや収拾不可能、発生する損害は予測不能、もはや自分の首ひとつでどうにかなるものではない。
要するに、傭兵旅団支部長パトリック・クライバーは、己の見る目のなさに憤りつつ、底の知れない絶望感にとらわれ始めていたのだ。
◇
いつの間にかハンナがクルトに寄り添って彼の手を握っている。二人ともレイナードがドラウグル相手に大暴れしたおかげで命を拾ったのだが、その原動力が狂気と薬物であると知ってしまっては素直に喜べない。
それに、体力的にも相当過酷な訓練所生活をどうやってレイナードが耐えきったのか、前々からクルトは疑問に思っていたのだ。その回答が薬物使用とは悲しいことであり、最終的に反逆につながるとあっては、何ともやりきれなかった。
話をじっと聞いていたハンナがつばを飲み込み、アウラー部隊長に質問する。
「つまり、クルトの手紙がきっかけでレイナードの悪事が露見したと?」
「そういうことですね」
「彼はどうなるの?」
「反逆に対する刑罰はご存知ですよね?話を聞くために治療はしますが」
「教授はどう?結構な悪党だったけど」
「私の推測になりますが?」
「聞かせてよ」
「具合がわるそうなので、療養所で様子を見ながら取り調べ、ですかね」
「荷運び君たちは?」
「連絡先が確認出来たら調書を取って終わりかと。賃金については後日」
ハンナの流れるような質問に淀みなく答えるアウラーは何の書き付けも見ていない。いずれ彼も歳をとって退団する日が来るが、裏方が再雇用で手放さないだろうと思われた。たとえ別の仕事に転職したとしても才覚を発揮して出世しそうな彼だったが、この件の予想だけは大きく外れる。
レイナードの処刑と教授に対する取り調べが、想定外の展開を見せるのはもう少し後のことだ。
さて、焚火を囲んだ旅団員の面々からせがまれて、奴隷王やアンデッド軍団との戦闘を語って聞かせている間はまだよかった。前半はレイナードの活躍、終盤はハンナのおかげで命拾いしたのは間違いのない事実だ。
マッツとザーワが臨場感たっぷりに情景描写や巻物を広げる形態模写を混ぜるので、一同大いに盛り上がった。何よりの証拠として墓所の扉に槍がささっているし、傭兵旅団最強と言って差し支えない番が誕生している。
ただ、レイナードの薬物依存や反逆に話が移るともういけなかった。
ざわめきが立ち上り、吊るせ、埋めちまえ、という罵りも混ざる。もともと彼が好かれていなかったせいもあるが、仲間を裏切る奴は許せない、ということだろう。ましてや支部長が的にかけられていたのだ。親分を狙われて黙っている子分がいるはずもない。
ちなみに、傭兵旅団内において反逆の罪が確定した際の刑罰は絞首刑でも生き埋めでもなく斬首刑である。
一方、教授が計画していた恐るべき傭兵使い捨て作戦には全員が押し黙った。
誰もがアンデッド軍団の餌食になるか仲間入りをする可能性があったのだ。
そして、遅かれ早かれドクロメダルは奪われアンデッドが墓所からあふれ出し、周辺の集落を飲み込みながらアイアン・ブリッジに迫ったことだろう。
聖堂の司教や助祭が奴隷王とかいうワイトに太刀打ちできるとは思えない。聖騎士を投入したとしてもリッチの魔法攻撃をかいくぐってドラウグルをあしらいながらワイトにせまることは不可能だ。
傭兵旅団の総力をつぎ込んだとしても予想される結果は同じ。王都の宮廷魔術師や魔法学院の幹部を編成に加えて大司教の祝福を受けた聖騎士団を並べたとしたら何とかなるかもしれないが、アイアン・ブリッジは王都からあまりにも遠い。
つまり、順番の違いはあっても、みんなお仕舞になる予定だったのだ。その運命から逃れさせてくれたのは、墓所の扉に突き立っている聖槍だ。素手でワイトを気絶させたクルトだ。家宝をだめにして結界を張ったハンナだ。
増援の旅団員たちは誰もが伝説の一部となったような高揚感を味わった。同時に、好き勝手にクルトとハンナの話を盛り始めた。
巨人と銀狼の伝説は現時点でもかなり尾ひれのついたものになっているが、もはや改変と誇張はとどまることを知らなかった。
しかも、物語の最後で英雄同士が番になるのだ。この部分が女性旅団員たちの琴線に触れたらしく、奴隷王墓所の森を縁結びの聖地にすべきでは、というトンデモ案まで飛び出している。
こうして嬉しい再会の夜は更けていった。二人きりの生活から急に大所帯になったが、正直安堵したというのがクルトの正直な感想だ。少ない人数での当直は疲れるし、何より寂しい。
彼は仲間と囲む焚火のほうが明るく暖かい気がした。気のせいか心も温かくなった気もした。
いつもご愛読ありがとうございます。
薬!ダメ!絶対!なんですけど、現代の軍隊でも補給品に入ってるところは意外と多い、と聞いたことがあります。みんながみんな平気で人を殺傷できるわけじゃないってことですね。
徃馬翻次郎でした。