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第60話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ④


 万全の逃げ支度を整えてから監視に入ったクルトは暗闇に目を慣らしながら、ハンナは耳をすましながら状況の変化を待っている。 

 やがて、目視できない敵味方不明集団の様子を感じ取ったのは、やはりというかハンナだった。


「敵じゃないかも」


 万が一のための小声による会話だが、ハンナが言うには待ち伏せを警戒して手前で減速したり、包囲するために散開したりする気配が全くないらしい。

 果たして、懐かしくさえ感じる声が聞こえてきた。


「旦那ァ!姉御ォ!無事ですかいのう!」


 マッツの声だ。

 クルトとハンナが警戒を解いて建物の陰から出ると、時を置かずして犬系亜人が変化したと思われる山犬にまたがったマッツが駆け込んでくる。山犬から飛び降りた勢いそのままにクルトに抱き着いて再会を祝う抱擁をかわした。


 マッツが本気で喜んでいるのは尻尾からもわかる。そう言えばハンナの尻尾はどうだったか、とクルトは妙なことに気付く。まぐわいの最中にあまり振ったり立てたりしていた記憶がない。

そう言えば池のほとりで後ろから抱き着いた時も背中より先に尻尾が目に入って当然だったはずなのに、いや待てよ、もしかして俺に怯えていたのか、と彼は思いだそうとするが、マッツの揺さぶるような手荒い歓迎に思考を中断される。


「それでこそ旦那だ!骨とう品のアンデッドなんて目じゃねぇ!」

「ハンナのおかげだ」

「姉御の?」

「ああ」


 山犬変化を解いた亜人はザーワだった。

 再会を喜んだ四人だが、聖槍の結界により奴隷王を撃破、少なくとも墓所入り口からはアンデッド軍団は出てこれない、という報告を援軍の部隊長にする必要があった。

 ハンナは聖槍の結界について斥候たちに説明し、死ぬかと思ったけどまあなんとかなったわ、と胸を張っている。あまり長く引き留めても邪魔になると思ったのか、彼女の説明は要点のみを伝える簡略版だった。


 マッツとザーワも要点をすぐに飲み込む。

 そこへ傭兵旅団の増援が到着した。かなりの数だが、マッツとザーワのように犬系亜人を二人一組にして交互に変化することで行軍速度を大幅に上昇させたようだ。見れば数人だが街道警備の騎士団員も混ざっている。


 それにしても、たとえ亜人変化を計算にいれたとしても早すぎる増援の到着だ。そのからくりをクルトは聞きたかったのだが、マッツは報告任務がある。ザーワはその前に乾いたのどを潤すべく、水樽を探しに食堂へ入って行った。


「姉御、あいさつとお話は後にして、先に報告に行かせてもらいます」

「それがいいね」


 それでは、と言いかけた彼を引き留めたのは、食堂から転がるように飛び出してきてクルトの前で急制動をかけ、直立不動の姿勢を決めて放ったザーワの絶叫に近い祝辞だった。


「お、おめでたくあります!旦那!姉御!」

「ザーワよ、今頃何を言うておるんじゃ?生還祝いはもう言うたわい」

「アホッ、そんなことは当たり前じゃ!ほれ、耳を貸せ!」

「なんじゃい偉そうに……そりゃ本当かいのう?どえらいことじゃぞ」

「旦那と姉御の顔を見て気付かんかったワシのうかつさよ」

「そういえば姉御はつやつや、旦那はよれよれ……間違いなしじゃ!」

「「おめでたくあります!!」」


 いやどうも、と返しながらようやくクルトは斥候たちの祝辞が何を意味するか理解した。

ハンナが赤くなってうつむいていることから見ても、番もしくはまぐわいのことを指しているのは明らかだ。


 方法は不明だが、どうやら食堂に仮設した愛の巣で行われていた夫婦の営みをザーワは感知したらしい。犬系亜人の鋭い嗅覚によるものかも知れないが、訪問者がいないのをいいことに散らかしすぎたな、とクルトは汗をかきながら反省した。


 焚火の周りで陽気に騒ぎたてる斥候たちは目立つ。休息を終えて仕事にかかろうとしていた傭兵旅団の面々が、いったい何事だ、と聞きに来たのは当然だろう。

 理由を伝え聞いた旅団員たちのなかでどよめきが起こり、やがて拍手喝采へとかわった。既にワイトのむくろを枕に契ったなどと言う尾ひれのついた伝説まで語られている。


 旅団員たちがかわるがわる祝辞を述べに来るのを、これはどうもご丁寧に、と握手したりお辞儀したりして返しながらも、新しい夫婦の前途を祝福してくれる人たちが現れたことにクルトは満足していた。


 祝辞を受けている間に部隊長らしき人物との情報交換もすみ、伐採と土木作業は明日からでも問題ない、と聞いて彼は明らかにほっとしていた。

 部隊長はアウラーという壮年の亜人だったが、年相応に落ち着きがあって部隊のまとめ役にぴったりの人物である。クルトは組むことがほとんどなかったものの、年下の者にも丁寧に話す物静かなしゃべり口が気に入っている。

 祝辞も簡素だが心のこもったものだった。


(喜んでる……よな?)


 クルトはハンナの顔をのぞき込もうとするが、照れ隠しにしては結構な力で突き飛ばされた。すっころぶクルトを目にして旅団員が一層はやしたてるものだから、先ほどからクルトに話しかける順番待ちをしていた騎士団員が話に割り込めず、どうしたものかと身じろぎしている。


 その様子を見たアウラーが団員たちに、かかれ、と号令をかけた。そうでもしないといつまでたっても旅団員たちがクルトを放さないからだ。


「失敬。クルト=ジーゲル殿は?」

「私です」


 敬意を含んだ呼びかけにクルトも丁寧に応じる。早速、首にひもで掛けていた旅団員証を引っ張り出そうとしたが手が空を切ってしまった。池のほとりで裸になった時にポケットに入れたのだと気づいて慌てて取り出し、騎士団員に示す。


「では伝達する。おそらくこの墓所はアイアン・ブリッジ伯が命ずる掃討対象に指定されるはずだ。傭兵旅団支部長殿にもいずれ正式の依頼が届くと思われる。支部長殿は荷馬車隊と共に明日には到着する予定。貴殿の部下とアウラー部隊は所定の行動を完了後、支部長殿の到着を待てとのことだ。伝達終わり」

「承知しました」


 支部長からの伝言を受領している間にも、荷下ろしと野営の準備をする喧騒が周囲に響き始めた。 

 犬系亜人は夜間の作業が苦にならないので、実に手際よく野営の準備をすすめている。、下ろしている荷物の中に伐採や土木工事に使用する道具が目立つが、本日の作業は物品の準備だけで、残りの作業は明日以降のようだ。

 

 いくら犬系亜人とはいえ明るくなってからの方が手元は見やすいし、不意の事故も少なくなるはずだから、この部隊長の判断は正しい。それに休めるときに休んでおくのが戦力維持の基本でもある。

  

 ちなみに、旅団員がみんな製材や大工の仕事に長けている、と言うわけではない。必要に迫られて身につけた技術、と言ったほうが正確だろう。

 例えば、小規模な地域紛争に加担することにでもなったら優勢な騎馬隊と一戦交えることも十分ありえる。そんな時に短時間で鹿砦ろくさいのような障害物や、馬防柵を構築出来たら互角以上の戦いができる。他にも橋を落とされて迂回を強制されそうになった場合や、猛烈な射撃で前進すらままならない時にも木こりや大工の真似ができれば時間の節約になったり、無駄な損耗を避けることにもつながるのだ。


 他方、騎士団員たちは一息入れたら街道警備の拠点に戻るとのことだ。


(この近くにそんなのあったかな?)


 旅団員証を首に掛けながら、クルトがそう思ったのも無理はない。地図を忘れたうえに、マッツとザーワの偵察報告にもなかった情報だからだ。


 彼らに聞いたところでは、ここから街道に出てもう少し王都よりのところに岩陰を利用して作った雨露をしのげる程度の拠点があるらしい。

 人の気配や炊煙があるのは深夜から早朝にかけてだから、斥候たちの偵察に引っかからなかったのも無理はない。


 しかし、予想をはるかに超える速さで到着した援軍はいったいどういうことであろうか。明日中に荷馬車隊が到着するのなら、クルトたちに遅れること二日で既に城塞都市を出発していた計算になる。


 クルトが計算している間でも傭兵旅団の面々は野営の準備に余念がない。慣れた手際で携帯式のテントを張り終えた。魔力で形状を縮小できる優れもので旅団員が遠征するときのお供だ。

 ハンナは、マッツとザーワに携帯食料に不安があるなら教授の補給物資を使え、と指示して自らも夕食の準備にとりかかった。


 傭兵旅団にはハンナ以外にも女性旅団員が在籍している。ただし、男性と比較すると数は少なく、およそ七対三以上の比率であるが、これは後方支援要員まで計算に入れた場合である。ハンナのように前線任務まで引き受けるものだと、その数はさらに少ない。


 どの旅団支部や本部においても、受付や補給品の担当、療養所の薬師や職員に女性旅団員が多く見受けられるのは気のせいではない。


 受付に見目麗しい女性職員を配置するのはよくわかる。酒場の女給のような露骨な真似はしなくとも、武骨で野蛮な汗臭い男どもで充満している印象を緩和せねば、客が怖がって帰ってしまう。なにしろ客商売なのだから見た目は重要だ。

 療養所職員に女性が多いのもうなずける。誰でも負傷した時は優しく癒してほしい。回復量の大小に薬師や職員の性別が関係あるはずもなかろうが、幼少時に高熱を出した経験がある者の中には母親の冷たい手を思い出す者が多いのも事実である。どういうわけか父親のごつごつした手は少数派だ。

 

 ただし、忘れてはならないのは、旅団員は全員が訓練所第一段階を通過している、という事実である。男女の別なく戦えない者を雇うつもりはない、という意思が徹底されていて、究極の男女平等が実現されている、と言い換えることもできる。


 その女性職員たちから様々な形で敬慕を受けているのがハンナだ。呼称だけでも、姉、お姉様、姉上、嬢、おひい様、と言う始末で、なかには秋波を送ってくる者もいた。

 強いオス探しを公言しているにもかかわらず嫌がらせや罵言ばげんを受けた経験がないのは、彼女の目力だけで人を殺せそうな視線もとい人徳と面倒見の良さがなせる業なのだろう。


 援軍のなかにもそうした戦闘要員の妹たちが何人かいて、ハンナを手伝い始めている。湯を沸かしたり、携帯食料や保存食にひと手間加えて温かい食事に変えていた。

 クルトは食堂にしつらえていた愛の巣を撤去して食事班の邪魔にならないよう片づける。逃走用の馬車から放り出した後に回収した財宝が邪魔だが、脇に寄せる形で調理のための空間確保になんとか成功した。


 傭兵旅団の娘たちは決してさぼっているわけではないのだが、作業中ずっとハンナを中心にしゃべりっぱなしだ。おまけに、時折クルトをチラ見しながら“きゃーッ♡”とか“ぎゃはあ♡”だの奇声を上げるので、彼はいたたまれなくなって焚火に引き返すことにした。


いつもご愛読ありがとうございます。

クルトとハンナの新婚旅行は終わりました。援軍がなぜはやく着いたのかは次回以降のお話。

ごくごく微量のホラー要素を含みますのでご注意ください。

あと、登場人物のメモを冒頭に割り込んでいますので、ご利用ください。

徃馬翻次郎でした。

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