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第59話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ③


翌日もクルトとハンナの散歩は続く。


 逢引きの場所を固定するのは良くない、と世間の恋愛指南者は訳知り顔で言うが、どうやらこの夫婦にはあてはまらないようだ。この二人にとっては場所より相手が重要な要素だったわけである。


 新しく番となった二人はお互いを信頼しきっているが、ただし、家族や一族郎党まで含んでのこととなると話は別だった。

 とりわけハンナの周辺が謎のままであり、聖槍を失敬した件で不穏な状況を招きかねないとあっては、クルトは彼女のことが心配で仕方ない。しかし、彼は無理強いすることなく彼女自身から口を開くのを待つことにした。


 おそらく、今日明日で話の進展はありそうにない、と感じたクルトは散歩に集中することにしている。ただし、散歩というには二人はあまりにも密着しすぎているので歩みは遅い。


「アイアン・ブリッジに戻ったら……」

「うん?」

「まずこの丸腰を何とかしなくては」

「そうだね」


 クルトの魔法剣は奴隷王に折られて一時的に薪割り用両手斧を借用しているが、現在は薪割り場の切株に突き刺さったままだ。

 ハンナの聖槍は墓所の扉のところで結界を展開中、彼女も採掘道具用の交換柄を借用して、今は杖代わりとして彼に持たせていた。


 二人で棒きれ一本という、実にこころもとない装備で奴隷王墓所の森を逢引き中なのだが、聖槍の結界にいるうちはまだいい。戦闘に巻き込まれることもないはずだ。

 しかし、傭兵旅団の任務に復帰するとなれば丸腰では仕事にならない。これまた休暇中に装備の更新を企画せねばなるまい。今やクルトの脳内備忘録は余白がかなり少なくなっていた。


 さて、無言でも楽しい散歩には違いないのだが、話の接ぎ穂に詰まった彼は、得意武器について彼女に聞いてみる。すると、やっとまともに答えられる質問が来た、とばかりに彼女は勢いよく話し始めた。


「槍はもう見たでしょ、剣と小剣は並、自分で言うのもなんだけど弓はちょっとしたものだよ。騎射も得意なんだけど見せる機会がないのは残念だな。狩りに行くなら猟犬を連れて行くと便利だよね。あと、かわったのだと……」

「多芸だな」(やっぱり弓使い……犬?)

「でしょ?」

「弓は見ていないが」

「うん。槍が手に馴染んじゃってさ」

「悪いことをしたな」

「だから、それはもういいんだって」


 何気ない会話の中にも実家の社会的身分の高さを思わせるものがあった。

 遊牧民でもないのに騎射をよくする、というのは武人のたしなみもしくは貴族の余興、あるいはその両方という可能性が高い。

 当然だが馬を所有したら面倒を見る必要がある。馬小屋と飼い葉は最低限、運動させるための牧場に加えて世話係の専門職員として馬丁ばていを雇う必要がある。馬具や馬鎧はもちろんだが、矢もただではない。これも自分で作らないのなら買うか職人を雇うことになる。


 つまり、乗馬は気の遠くなるような金食い虫なのだ。さらに騎射を練習できるような敷地や領地の持ち主で猟犬まで飼育しているとなると、ハンナの実家はただの金持ちどころか名門貴族ないし地方領主である可能性まで出てきた。


(これは腹をくくらんといかんな)

 相手の権力や社会的地位に恐れをなすクルトではない。しかし、上流階級の人間に特有の行動様式はいくつか知っていて、それが時には庶民にとって大迷惑極まりないことも知っている。


 例えば“お忍び”である。

 やんごとない身分の高貴なお方が、突如として臣下の自宅や領内の店をお訪ねになる。

いずれかの時点で訪問された相手は客の正体に気付き、上を下への大騒ぎとなるわけだ。一方、高貴なお方は“よいよい、忍びじゃ。気にせずとも良い”とか言いながら明らかに相手の反応を楽しんでいる。

 散々大騒ぎをしながらの接待に皆がくたくたになるのだが、高貴なお方がおかえりになった後には名誉や誇らしげな気持ちのようなものが残る。

“あのようなお方がこんなところへお運びくださったのだ”という感動は接待の疲労を吹き飛ばしてしまうような効果が非常に高い。高貴なお方もその効果を見越して訪問している。

 つまり、お忍びとはそういう高貴な方々のお遊び、ということができよう。


 クルトのくくった腹は、ハンナの実家からのお忍び訪問を覚悟した、という意味である。 ハンナがそのお忍び訪問の可能性を考えてなさそうなのは仕方がない、とも彼は思っている。なぜなら彼女がその身分の高いお方だからだ。

 まだまだ先のことだが覚えておこう、という彼の気持ちは立派なものだったが、ヘルナー家のお忍び訪問は彼が予想していたよりもずっと早く来ることになる。


 現在、奴隷王墓所の森にはクルトとハンナの二人だけだ。きままにいちゃついて、腹が減ったら飯を食い、気分が盛り上がったらまぐわう。場所の不気味さと交代で行う当直を除けば新婚旅行と言えなくもない。


 念のため、クルトは結婚式について亜人式なり故郷の風習なり、何か希望はないか、とハンナに聞いてみたのだが、どうしたことか彼女はあまり話に乗ってこない。乗り気ではないどころか式は不要だとまで言い出した。

(実家の絡みかな)

 このクルトの推測は正確ではない。ハンナは立派な結婚式を二回も挙げていたのだが、結婚式の華麗さと、その後に営まれる結婚生活の幸せさが必ずしも比例するわけではないことを身に沁みて知っているだけなのだ。

 クルトとの結婚式は新郎を槍で刺すというぶっ飛んだもので、おまけに初夜は屋外という並外れたものだったが、新婦のハンナは文句を言うどころか望むところだったのである。


 ちゃんとした式を挙げようという彼の意見は常識と愛情に満ちたものだったが、最終的に彼女は謹んで辞退した。

 

 これは、自分たちだけで幸せになるのだ、というハンナなりの決意と覚悟なのだが、クルトはそれを良しとしていない。彼はできるだけ大勢に祝福してもらいたがっており、結婚に関して有している一般的な男女の立場や意見が逆転したような状況は滑稽こっけいでもあり、悲しくもあった。

 

(また宿題が増えた)


 もはやクルトの脳内備忘録は余白がない。ハンナと相談して解決できそうな問題も多いが、彼女が起因となっている問題はもっと多い。援軍が来るまで新婚生活を楽しむのもいいが、スケベ以外でもっと彼女のことを知る必要がある、と彼は痛感した。


 クルトが足を止めてじっとハンナを見つめていると、彼女が目をつむってしまった。その流れで唇を頂戴したが、この強く美しいが、二回の結婚ですっかり心を傷めてしまっている妻をどうすれば幸せにできるか、彼は考え続けている。


(やはり祝福が必要だ)


 聖堂にいる司教のことではない。ひとつには傭兵旅団の仲間たち、もうひとつにはやはりハンナの家族だ。彼女は嫌がるだろうが、どうにかして説得しなくてなならない。

 クルトがあれこれ考え込んでいるとハンナに顔をわしづかみにされて、接吻に集中するよう無言の叱責をうけたので、謹んで仰せに従う彼であった。 


 昼食を食べ夕方になっても援軍は到着しない。夕食も食べ終わって、これは当初の予定通りあと一泊二日かそれ以上の延長戦を覚悟しなければならないのか、とクルトはスケベな喜び半分で観念しながら食堂の寝床で横になっていた。

 しかし、当直中のハンナが異常に気付く。


 遠いが足音だ。


 彼女は食堂へ駆け込み、仮眠中のクルトをゆすってみたが彼は眠りこけて目覚める気配がなかった。彼女は仕方なく彼の背中を蹴ってから小声で報告する。


「足音、四足、複数、まっすぐ近づいてくる」

「むう……援軍か?」

「早すぎる、と思う」


 ハンナはクルトの手を引っ張って立たせながらクルトの指示を待った。


「焚火は消さずに宿舎の裏へ回って様子を見る」

「戦うの?逃げるの?」

「両方だ」


 焚火を消して真っ暗闇にしてしまえば迎撃に便利だが、飛び道具がないうえに夜目が利かないクルトが戦力から脱落する。もし戦闘を選択しないのなら、ハンナの夜目に期待しての逃走だ。


「大きく迂回して街道に出られるか?」

「まかせて!」


 マッツとザーワの周辺偵察のおかげで逃走経路は設定済みである。さらに、変化した銀狼に追いつける者はそうそういない。

 

 彼我の戦力が不明な時点で迎撃の可否を決定するのは不可能である。偵察と射撃を受け持つ斥候たちが部隊にいたら、入手できた相手戦力の情報と旅団部隊の状況次第でクルトは焚火を消して待ち伏せを指示していただろう。

 しかし、現状で夜間戦闘能力を持つのはハンナだけであり、飛び道具の援護もない。つまり、接近中の相手次第では逃げの一手に徹するつもりなのだ。

 聖槍の監視を放棄することになるのは問題があるが、ハンナ曰く結界の発動者以外がどうこうできるものではないらしいので、クルトはその言を信じることにする。


 二人は軽く接吻をして別れると、それぞれ宿舎と食堂の裏に陣取った。クルトには足音など聞こえないが、ハンナはずいぶん遠くから接近中の部隊に気付いたようだ。


 まっすぐ発掘現場を目指しているのなら野犬や狼、その他野生動物の集団である可能性は低い。ここにあるのは保存食がほとんどで生肉はないからである。レイナードから血の臭いを嗅ぎつけたかもしれないが、それなら荷馬車を追うはずだ。


 つまり、こちらを目指している連中は変化した亜人、それも何か用事があってのことだ、ということになる。


 何であれ“待つ”というのは忍耐のいる動作である。


 パンが焼けるのを待ったり、恋人との待ち合わせは楽しい要素も加味されるが、こと戦闘においては精神をすり減らすものでしかない。待ち伏せとなると、周辺を監視しながら身を隠し、場合によっては攻撃の可否も判断せねばならない。

 さらに、今回は逃走するかどうかの判断も任されているクルトは斧をにぎる手に思わず汗をかいた。


 一方、ハンナは目を閉じて聴覚に集中しているが、これは相当勇気のいることだ。急接近される可能性もあるのだが、そのあたりはクルトを信頼しているらしい。

 斧を振り回しながら焚火を蹴散らかして突撃するであろうウチの旦那にぶち当たる奴らは気の毒なことだ、と接近してくる連中の心配までする余裕がある。


 現状では接近中の集団について敵性の有無は判然としていないのだが、とにかく二人の監視体制は完成した。


いつもご愛読ありがとうございます。

現代日本の感覚で言えばハンナさんはバツ弐です。当節珍しいヒロイン(閑話内)ですね。旦那さんは気にしないって言ってるし、こういうキャラ設定があっても良いと思うのは私だけでしょうか。

私だけでしょうね。

ちなみに彼女が丸くなるのはもう少し後です。

徃馬翻次郎でした。

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