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第57話 在りし日の妹背あるいはその結縁 ①

時系列が前後した時は《》でお知らせしていますのでご注意ください。


《現在 エスト村 ジーゲル家の台所》


 茹で上がったマカロニはバターとレモンで味付けし、サイコロ鹿肉と乾燥トマトの炒め物が食卓に彩りを添えている。

 豪華と言っていい昼ご飯だったが、クルトはひとつだけ注文を出した。


「緑が足りない」


 巨人がつぶやくのを聞き逃さなかった銀狼は台所へ取って返し、洗っておいたルーコラをちぎって水を切り、炒め物の脇に盛りつけて彼我ともに満足した。

 やはり、料理というものはもちろん味も大事だが、滋養と見た目も欠くことのできない重要な要素ではなかろうか。“目で楽しむ”という言葉はラウルのスケベの為だけにあるわけではないのだ。 

 新鮮なルーコラの追加は色と芳香でもって炒め物の見た目と風格を何倍にも増した感覚を二人にもたらした。また、ちょっとした辛みは口の中をさっぱりさせる効果も併せ持つ。


「これでどうかしらね?」

「いい匂いだ。たまらん」

「よかったわ」

「すまんな」

「いいのよ」


 料理と後片付けは別にハンナの聖域というわけではない。手が空いていればクルトも参加するし、腕を振るって一品こしらえる場合もある。ラウルがいれば“洗っとけ”と命じてさらに手が増えるわけだ。特別取り決めをしたわけではなく、傭兵旅団の任務で野営をしていたころからの習慣が同棲を経て今も続いているだけのことだ。

 ルーコラにしても“こうした方が美味いのでは”と“なら試してみるか”のやり取りを二十年反復しているにすぎないので、注文をつけられたハンナが気分を害したふうもない。

 仲良し夫婦は今もって仲間同士であり、恋人たちであった。


 昼食前の話題は出張中のラウルに人間としての試しを仕込んだ、というものであったが、食前の祈りもそこそこに、食事中はきれいさっぱり忘れてご馳走に集中した。それこそ料理の造り手への敬意というものであろう。


 食後のお茶を飲みながらの話題は、最近増加した息子からの質問についてだった。いわゆる夫婦の馴れ初めについて聞かれた場合における回答を事前に夫婦間で調整しておきたい、というハンナからの発議である。


「親がどんな人物なのか、興味を持ってくれるのは嬉しいけど……」

「全部は話せんな」

「そこよ。傭兵の話とか死にかけた話とかに興味を持たれてもねえ」

「同感だ」


 鍛冶屋の息子向けに荒事要素控えめの調整が必要、という点においてジーゲル夫妻は即座に合意した。最終的に完成した話は、元は冒険家仲間だったがアイアン・ブリッジでの休暇中に転職して今に至る、という端折はしょるのにもほどがある短縮版だが、かつてラウルにせがまれて話した冒険譚ぼうけんたんとの整合性を考えると、あまり微に入り細を穿った話もできないが、なんとか筋の通った話をこしらえた。

ところが、二人はひとつ大事な問題を忘れていたことに気付く。


「でもラウルは今エルザさんと一緒よ?」

「ああ」

「エルザさんは私たちのことご存じよね」

「うむ」

「雑談で傭兵の話は出るわよ」

「……」(しまった)


 ジーゲル夫妻は知らないことだが、雑談どころかエルザの訪問予定に傭兵旅団本部が含まれている。ラウルが付いて行けば旅団の古株たちが“あのジーゲルの子か”となるのは必定で、そこではじめて両親の素性を聞く羽目になるのだ。

 

 やり直しである。せっかく書き上げた原稿を、これじゃあ売れませんよ、と版元に突き返された作家のように二人は短縮版なれそめに手を加えることになった。

 改訂の骨子は、やっぱり嘘は良くない、端折るのもほどほどに、というものだ。

 具体的に言うなら、傭兵時代からの開始は避けられない。場合によっては冒頭がラウルへの謝罪文になる可能性もある。何しろ息子は両親のことを冒険者だと信じ込んでいる。


 確かに傭兵は危険で血なまぐさい仕事だが、冒険者全般が安全な仕事、と言うわけではない。傭兵と比較して野蛮で乱暴な印象が少なそうだから冒険者という体にしたのであって、親として子供を危険から遠ざけたい一心で吐いた嘘なのだ。


 ここに至ってその親心が裏目に出たわけだ。

 しかし、話を練り直した結果、任務の中で恋に落ち転職して家庭を持ったという流れが自然になった。自然というより嘘偽りのない事実である。


 ここまでは話しても大丈夫、という線引きは慎重に行われたが、その作業中にクルトは忘れたくとも忘れられない桃色の日々とスケベの数々を思い出した。


「それにしてもお前、あの頃はほとんど毎日……」

「毎日?……毎日……あっ♡」

「よくもまあ飽きもせず」

「確かにその通りだけど、そんなことラウルに話せるわけないでしょ!削除削除!」

「大事なことだ」

「大事であることには同意しますが、そのくだりは割愛させていただきます」

「今だって大事だ」(いくつになっても可愛いな)

「ちょっと!その話はいいでしょ、もう♡」


 ラウルがいないのをいいことに、またしても発生した仲良し夫婦のチュッチュチュッチュは息子の留守によって発動した室温低下の効果を打ち消した。それどころか台所を桃色の空気で充満させつつある。

 もし店のほうから案内を請う声がしなければ、まだ明るいのにもかかわらず別種の事態が発生していたであろう。


「お客様ですよ。あなた」

「ええい、客が邪魔だ!」

「それはだめよ」

「むう」

「だめ」

「止むを得んな」


 製造業兼客商売でそれはなかろう、というハンナの意見は至極当然である。唇を袖口でぬぐったクルトは、客をないがしろにした恐ろしい台詞をなかったことにして接客に出た。

(ラウル……早く帰って来い)

 息子が帰ってきたら商品知識を叩き込む課業を増やそう、販売員として一人前になれば一日中鍛冶場と店に置いておける、とクルトは自分の自由時間を増やす作戦を画策中だ。

 “自由時間”とは自分本位な言い方になるので、“夫婦の時間”と表現するほうが正確かも知れない。酒場にも賭場にも娼館にも足が遠いこの男の自由時間と言えば、それは妻のことなのだ。 

 

 恋人たちの思い出は奴隷王墓所の森で手をつないで歩いた瞬間が最高潮だったが、危ない橋を渡り終えた高揚感や若さゆえの勢いに加えて思慮しりょ不足を多分に含んでいるまだまだ青いものだった。

 それはそれで批判するようなことではないのだが、現在のジーゲル夫妻と比較してみると何かが違う。信頼、忠誠、連帯でもない。言葉で言い表すのが難しい何かが足りない。

 

 それを説明するには再び二十年前までさかのぼる必要がある。



《過去 アイアンブリッジの東 奴隷王墓所 発掘現場》


 クルトとハンナは寄り添いながら扉に突き立っている聖槍を見つめていた。

 彼は左手の手のひらを透かしてみたり回してみたりしたが、傷ひとつないきれいなもので、痛みもなければ彼女に突き通された痕跡も見つからない。 

 不思議なこともあるもんだ、と彼は首をかしげていたのだが、その動きが彼女を心配させてしまったようだ。


「痛む?」

「いや。全く」

「本当は槍を一緒に握ってもらうだけでよかったんだけどさ」

「ああ」

「もし扉を押さえてる手を放したら奴隷王が出てきちゃってたよね?」

「そうだな」

「だから扉ごと……」

「問題ない」(痛いのは痛かったが)


 ハンナはクルトの左手をとり、その甲をちろりと舐めた。彼女なりの詫びのつもりだったのかも知れないが、彼は思わず欲情してしまいそうになる。

 あわてて彼は気を散らして彼女に槍について質問することにした。


「ハンナ単独では聖槍の結界は発動できなかったのか?」

「それはできないんだ。聖槍の由来……夫婦の話、覚えてる?」 

「ああ」

「言い伝えでは旦那が槍使いで奥さんが弓使いだった気がする」

「ふむ」(ウチと逆?ちょっと違うか)

「危なくなると奥さんが槍に祈りを込めて旦那の攻撃力を……」

「なるほど」(言い伝えも馬鹿に出来んな)


 彼女の故郷における言い伝えでは攻撃力上昇の方法までしか語られてはいない。ここから先は彼女の祖母による夫婦めおとの槍解説となる。



【聖槍の解放】 


 ハンナや、ばばは応援しとるぞ。フリッツの阿呆め、こんなところに強いオスなどおるはずがないんじゃ。ある程度危ない仕事をしとるか、己を高めるためにあえて身体を死地に置くようなマネをしとる奴でもない限り、お前の眼鏡にかなうオスはそうそうおらん。ギル爺も昔はそりゃもうほれぼれするようなええ身体♡……オホン。

 

 自分の目で確かめるとなればお前も危ない目にあうんじゃろうが、婆はそれだけが心配じゃ。見つからんように夫婦の槍を持って行け、あとはええように言うておく。心配無用じゃ、伊達に歳は重ねておらんわい。


 今から教えることが実際に使う日が来ないよう、婆は祈っとるよ。聖槍の力を解放せにゃならん時は、お前だけじゃない、連れ合いの人も命を落としかけている、ということじゃからな。

 怖がらんでもええ。大事な人と自分を守らねばならん時が来たら、迷わず聖槍に頼るんじゃぞ。ええな。ほほ、お前のことじゃ、使いどころを間違える心配なんぞ婆はこれっぽっちもしとらんわい。

  

 オホン、まず夫婦で聖槍を一緒に握る。おそらくお前ひとりではうまくいかないはずじゃ。言い伝えと違うからのう。

 次に、柄に刻まれた聖句を唱和して心を一つにするのじゃ。それから、お前の魔力は一族でもなかなかのものじゃから、ええか、手のひらから水を注ぎこむ感覚で……そうじゃ。ハンナはできる子じゃ。

 さすれば、無限の力を内包した聖なる気が放射される。その力は不浄の者どもを浄化する閃光ぞ。気は自らの身を犠牲にして世界を守る正しき者たちへの陽光なのじゃ。

 そのあとはおそらく砕け散ってしまうじゃろうな。誰も試しとらんから何とも言えんが。


 出かける前にイルメラとだけは話をしておけ。お前の母者は口にこそ出さんが、ずっとお前の味方じゃ。フリッツはどうでもええ。あのバカ息子め、かわいい孫娘の結婚相手に家柄だの何だのどうでもええことばっかり気にしおってからに。そうそう、ギル爺から小遣いを預かっとるぞ。どれどれ……こりゃ奮発しおったな。さすがは我が夫じゃわい。


 そろそろ時間じゃ。月明かりもない。隠してある小舟で川下りを楽しむのを忘れるな。それで追手はけるじゃろ。

 これこれ、涙をふかんか。これが永の別れでもあるまい。きっと古今無双の強いオスを、信頼に足る立派な男を見つけるのじゃぞ。

 ほれ、はよ行けい!


【 ノルトラント辺境伯の屋敷 ハンナの出奔当日 ロスヴィータ・ヘルナーとの会話 】



 ハンナは祖母とのやり取りを思い出しながら、聖槍の結界に関する要点のみをクルトに伝えた。

(夫婦の槍か……なるほど)

 番宣言は奴隷王を浄化した後だったから、結界の発動要件は形式上の問題ではなかったらしい。そうするとハンナに刺される直前の“私を信じているか”の問答がどうやら夫婦になる誓いの言葉だったようだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

マカロニゆでている間に前編を回想していたって邯鄲の夢みたいで格好良くないですか?ちょっと違うか。あと、クルトの「緑が足りない」はフォールアウトのミュータントネタです。

ちなみにクルトの声は立木文彦さんで脳内再生して遊んでいます。「ええい客が邪魔だ!」のところだけ池田秀一さんの声をあてると楽しいかもしれません。ハンナはいろいろ試してるんですが、しっくりこないので困ってます。

徃馬翻次郎でした。

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