第56話 とある恋人たちの思い出 ⑮
発掘現場の宿舎と食堂は今朝まで稼働状態にあったのだから、仮拠点の構築はきわめて簡単で、これという作業も見当たらなかった。強いてあげるなら荷馬車に載せきれず投棄していくことになった盗掘品に雨露が当たらないように、食堂へ押し込むぐらいのことだった。宿舎のほうはすでに金銀財宝で満杯状態、食堂も寝台をひとつ持ち込むと足の踏み場もなくなり、残りは教授の研究成果がうずたかく積まれていた。
夕飯は屋外の焚火で簡単にすませ、以後は三時間交代で当直をする。二人一度に寝床に近づくと全く休息にならないので、交代の申し送りは焚火そばですることにした。
ただし、野盗や得体の知れない者の接近を警戒するのではなく、聖槍の結界が主な監視対象である。
(昨日もこうして焚火を見つめていたっけ)
クルトは昨日に焚火前で悩んでいたことを思い出そうとする。どうしたことか、かけらも思い出せない。その後から今朝にかけてとんでもない体験を立て続けにして、命拾いをした挙句、嫁さんまで来てしまったのだから無理もないことだ、とは思う。
ひとつ見過ごせないのは自分の武装だ。魔法剣を奴隷王に破壊されてしまったため、現在の装備は薪作り用の両手斧である。クルトやハンナでなくとも十分に殺傷能力を持った凶器だが、重要なのはそこではない。
今は亡き魔法剣はけっこうなお宝を吐き出して最近購入した自慢の品だった。奴隷王への攻撃で右腕切断もきまったあたり、己の目利きが間違っていたとも思えない。
しかし、いくら短い付き合いとはいえ、ああも簡単に折られてしまうと、相棒に裏切られたような例えるのが難しい感覚が戦闘後もずっとクルトの中から消えないのだ。
相手が奴隷王だったから、という言い訳は確かに成り立つだろう。しかし、これから先奴隷王と同等の敵に出くわす可能性がないと言い切れるか、また剣を折られて泣くのか、そのせいで仲間が死ぬのか、ということを考えた場合、この機会に自分の武装と剣技を見直すべきではないか、との結論に至った。
剣技に関しては傭兵旅団内にも指南してくれそうな人の心当たりが何人かある。武装に関しては休暇中に城塞都市の武器屋を回ってみる、あるいは王都から取り寄せる、あるいはいっそ納得がいくまで自分で作ってみるか、と彼は素人考え丸出しで鍛冶の道へ踏み出す決意まで固め始めた。
しかし、まずは休暇である。
エールを頭からかぶって生還を祝うかどうかは別にして、ハンナと新婚家庭を営むつもりなら新居やら家財道具やら、考えることがたくさんあった。城塞都市の武器屋探訪と道場破りとでも名付けるべき計画はそのあとだ。
たとえ元鋳掛屋で武器整備の経験が豊富であっても、鍛冶の技術などそう簡単に身につくはずもないのだが、とにかくこれが名工ジーゲルの第三歩である。
焚火相手の夜更かしにしては珍しく良案を出したクルトだった。
さて、当直交代時にクルトは聖槍の白昼夢についてハンナに短く説明しておいた。神秘体験を他人に話すのは勇気がいるが、夫婦なら話しておくべき、という彼の判断である。
「うーん……そう言われれば何か見たような気もするけど」
「そうか」
「聖槍の閃光をまともに見ちゃってさ、目がくらんで……」
「なるほど」
「だめだ。お役に立てず申し訳ない」
「気にするな。あと、故郷の神様が鳥系亜人の姿ってことはあるか?」
「どうだろう。おばあちゃまなら何か知ってるかも」
「ほう」
「聖槍の結界を教えてくれたのもおばあちゃまだし」
祖母の呼称が一般家庭とずいぶん異なる点をクルトは聞き流したが、事情に詳しい人がいるのなら、いずれかの機会に話を聞いてみたいものだとは思っている。
さらに、家族の話を聞いていて思いついたことがある。クルトは天涯孤独の身の上だが、ハンナには家族が大勢いるようだから、結婚式もしくは縁戚を招いてのお披露目のようなものが必要ではないか、ということだが、これも休暇の間に考えることにした。
(考えることが急に増えた)
当直を交代して寝床で横になりながらクルトはなおも思案中である。
これからは何事もハンナと話し合っていけたらいいな、とクルトは思うが、彼女の気性ではそれも難しいかもしれない。彼女は自分自身の考え方を強固に保持しているし、おまけに異様に誇り高い。世間でよく言われる、お互いの信頼関係の上にあぐらをかきすぎてはいけない、という金言を彼女と接するときはより大事にすべきだろう。
それに、番になるための試しは相当敷居の高いものだったから、番を続けるための試しも同様に厳しいものなのでは、と想像がつく。
(要するにもうひと工夫必要だな)
眠りに落ちる前にクルトはまとめてみた。例えば、欠点があるのに大目に見てもらっている状態をお互いに続けていたらどうなるだろうか。遅かれ早かれ決定的な破綻となって表面化するはずだ。つまり、クルトはハンナにもう少し大人しくなってほしいと思っているが、逆にハンナもクルトに言いたいことがあるはずなのだ。
クルトの言う“工夫”とは破綻を回避するための話し合いと言い換えても良い。せっかく一緒になったのだから、できることなら長く連れ添いたい。そのためのひと工夫を考えねばならないのだ。
(また宿題が増えちまった)
しかし、クルトは文書作成も不得手で口もうまくない。ならば赤心を吐露するしかないのだが、できればハンナの心を傷つけない言い方をしたい。このような時に彼は自分の学のなさを恨むのだった。
一夜明けたが援軍はまだ来ない。城塞都市との距離を考えれば当然だが、二人体制の当直ははっきり言って身体に良くない。四人は無理でも三人いたらまとまって寝ることができる時間が全然変わってくるのだ。これは見張りの集中力にも関係してくる。最長であと三日はこの状態が続くわけだから、寝起きクルトの気分がすぐれなかったのも無理はない。
一方、ハンナは元気で肌のつやも良い。
「おはよう!我が夫よ。指示はまだかな?」
「二人しかいないときは呼び捨てでいい」
「わ、わかった」
「やっぱり他人がいても呼び捨てで頼む」
「番なのに?」
「呼び方で扱いを変えたりはせんよ」
どうやらハンナは番となったオスに親愛の情を呼称で示そうとしたようだ。案外、何事にも形から入る性分なのかも知れない、とクルトは思った。それはそれで可愛らしいことだが、形式を重視する質なら注意が必要だ。些細な事でもいさかいの種になる。
「朝食後、手分けして燃料の確保、水と食料の確認、周辺の偵察」
「了解。後は?」
「か、各自待機」
「昼までだね。一緒に過ごしていいのかな?」
「許可する」(なんて目をするんだ……)
最後の許可にだけ小隊長の威厳をかろうじて込めることができたクルトは早速朝食の準備にかかった。並行して水と食料の確認を前倒しで実施したが、こちらの方は在庫を心配する必要が全くなかった。荷運び人夫の分が一気に不要になったのだから当然ともいえる。
二人で準備した朝食を食べながら午前中の任務を割り振った。ハンナが薪拾いと偵察ならクルトは薪割り、といった具合だ。
新生活の役割分担もこんな感じでうまくいけばいいと彼は願っているが、残念ながら家事はもう少し複雑だ。さらに子供がいれば起こして学校に行かせるだけで一苦労だし、急に熱を出したりして混乱に拍車をかけるのは世の常である。
今は二人だけだからどうとでもなるが、子供を持つまでに修正する部分がお互いたくさんある、と感じるクルトだった。
クルトの思い込みはずいぶん先走った感があるが、それはハンナの身体におぼれてしまっているゆえの考えである。口にこそださないが、決して手放すまいと心に誓っている。
その結果、子供ができるのはごく自然なことだ。心配なのは娘が生まれた場合である。お世辞にも“銀狼”が淑女のお手本たりえるとは思えない。母親と同じ女傭兵に仕込むならともかく、できることならいろんな選択肢を与えてやりたい。
したがって、ハンナには家庭に入ることも視野に入れた人生の軌道修正をお願いしよう、とクルトは考えている。問題は彼女に傭兵を引退する気がさらさらなさそうなことだった。
(正直に頼むしかないかな)
よく食べるハンナの口元を見ながらクルトは話しかける機会をうかがっていたが、自分勝手に先走った計画を発表しても、一回寝たぐらいで調子に乗ったと思われるかもしれない、という考えが頭をよぎった。
結局、この件は城塞都市帰還後に改めて場を設けることにする。休暇中に冴えた考えが飛び出す可能性も捨てきれない。焦ってハンナとの関係にひびを入れることもないだろう。
「よし、薪割りだ」
「ここを片づけたら私も出るわ」
「頼む」
「任せて!」
クルトは時折小休止を挟みながら午前中いっぱい斧を振るって無心に薪を量産した。材木と格闘してひと汗かいたクルトは、昼食前にハンナとも食堂の寝床でひと汗かいた。
クルトが誘えばハンナは拒まないのだが、彼はさすがに心配になる。がっつきすぎて嫌がられはしないか、というもっともな懸念だ。彼は意を決して彼女に懸念を表明した。
懸念を伝えられたハンナはしばらく珍しい動物をみるような目でクルトを見ていたが、私はいつ何時求められても気にしない、と断ったうえで、もし人前なら接吻程度に自重したほうがお互いの社会的面体の為ではないか、という意味の言葉を臆面もなく告げた。
余談だが、この時をもってクルトとハンナの肉体的距離感が両者話し合いのうえ公式に設定されたわけだが、この距離感が二十年経過したのちも健在であり、息子をはじめとした関係者を悩ませたり羨ましがらせたりしていることは驚きの一語に尽きる。
昼食とその後は聖槍を監視しながら、手をつないで周辺を散歩するという逢引きの真似事までしてのけた二人だが、いい雰囲気なのにクルトが何か言いにくそうにしているのを見て取ったハンナが身体を寄せながらたずねた。
「何か言いたそうね」
「ああ。聞いてくれるか。いや、なんと言うか……」
「ごゆっくり」
「どうも。いや、そうじゃねぇんだ。もう少しまとめてから言うよ」
「番に遠慮は無用だよ」
「頼もしいな」
散歩があまりにも楽しかったクルトはハンナに持ち掛けるつもりだった例の相談を飲み込んだ。よく考えたら息子が生まれた場合でも、自分がその父親として模範とする人物に足るか、と問われれば甚だ疑問だからだ。
傭兵が子供を持ってはいけないという法律はないし、家族を養うために傭兵稼業を営んでいる者も数多くいる。しかし、収入が不安定な職業であることは間違いないし、殉職の危険が極端に多い職場であることも事実であった。
ここに来てようやくクルトにも幸せな家庭を持つために必要なものが見えてきた。
鋳掛屋のように巡業を必要としない、そして、傭兵のように死ぬ危険がない職場と持ち家、そして多少の蓄えがあれば、この世界では人並み以上の暮らしと子供を食わせていくことができる。
傭兵旅団の武器整備係もその条件に当てはまりそうではあるが、一人が食っていくのが精々の給金という点で安定した職業とは言えなかった。
あまり悩んでいると始末書のように口走っていまいそうなので、クルトは思案を打ち切ってハンナとの逢引きに集中することにした。
散歩とは健康のために歩くものだと思い込んでいたクルトにとって、ハンナと歩く奴隷王墓所の森が新鮮な驚きと高揚感に満ちているのは不思議で仕方ない。連れ合いがいるだけでただの散歩がこうも格別なものに変わろうとは思いもしなかったのである。彼女も同じ想いであれば良いが、と彼女とつなぐ手に思わず力が入った。
一方、ハンナも番が熊みたいな見かけによらない優しい男であることに満足していた。まぐわう頻度について相談を受けた時には吹き出しそうになるのを堪えねばならなかったが、こっちの意思と人格を無視されるよりずっといい。それでこそ伴侶というものだ、と彼とつなぐ手に想いを込めた。
世界有数の危険な場所で生き延び、愛を紡いだとある恋人たちの思い出とはおおむね斯様なものであった。
いつもご愛読ありがとうございます。
とある恋人たちの思い出、いかがでしたか?ジーゲル夫妻の馴れ初め前編はこれでおしまいです。
後編はもうしばらくお待ちください。表題だけは在りし日の妹背あるいはその結縁、というそれでけで一冊書けそうな立派なものがついています。
次回の更新をお楽しみに!
徃馬翻次郎でした。