第55話 とある恋人たちの思い出 ⑭
残された補給物資の中から乾燥果物を見つけて食べたので、ハンナは甘みで精神的に落ち着いたのか、簡単にだが聖槍にまつわる話をしてくれた。
昔々、ハンナのご先祖様がアルメキアに居住しはじめたころの話だが、ここと同じようなアンデッド騒ぎがあったらしい。どこからともなく現れた聖者がアンデッド退治を手伝ってくれる志願者を募集したが、誰もが怖がって名乗り出なかった。
見かねたハンナのご先祖様にあたる若夫婦が聖者のお供としてアンデッドの巣窟に向かったが、実のところは嫌な仕事を新参者に押し付けたのが真相らしい。
それでも若夫婦は死力を尽くして聖者を助け、アンデッドの巣窟から亡者を一掃した。その時に若夫婦が使用していた槍が聖槍だ。聖者の祝福を受けた槍はその後も若夫婦とその子孫を守護し、富と繁栄をもたらしたという。
話を聞いていたクルトは青くなった。もし聖槍に何かあったら弁償できるような代物ではない。あの槍に神聖な力が宿っていたことは間違いない。奴隷王を一瞬で浄化したこと、その後の白昼夢のような世界、どれをとっても超常現象だ。
ハンナに礼なり詫びなり言う必要がある、とクルトは焦りながら言葉を口にする。
「借りができた」
「簡単に言うんじゃないよ。その借りって返せるの?」
ここで初めてハンナはクルトに怒った。ということは、あの値段の付けようのない槍は役目を終えてしまった、ということだ。清浄な空気を生み出している結界が何日持つのかはわからないが、扉から引き抜くと朽ちてしまうか、やがて破片も残さずに砕け散るのだろう。
安易に借りをつくって返せなかった人の末路は先ほど目にしたばかりだ。クルトは格好良く“借りができた”と言ってしまったが、返済が命懸けになる可能性を考えたら、安易に口から出すべき言葉ではない、という彼女の言い分はもっともである。
しかし、それではクルトの気が済まない。ハンナは命の恩人なのだ。
「何をしたらいいのか言ってくれ」
「いいよもう。お互い死ななかったんだし、それが大事でしょ」
「そうか」
「そう!」
「すまん」
「ああもう、そこまで言うなら貸しにしとくよ。これでいい?」
生き残った喜びを今は分かち合おう、というハンナの考えは傭兵でなくとも正しいと言える。明日をも知れぬ世界ではこの気持ちこそが肝要なのだ。
「そんなことより何か忘れてない?」
「何だ」
「大将には始末書作成という大事な仕事が残っているでしょ?」
「お、おう」(しまった!忘れてた!)
「アハハ、私は手伝いませんからね。がんばって、大将」
「先に頭を冷やす。身体も洗いたい」(ついでに泣きたい)
「マッツとザーワが見つけた水場?」
「ああ」
「私も後で行くよ。お先にどうぞ」
「おう」(とほほ……)
すっかり意気消沈したクルトは革鎧を外して気楽な格好になった。時間は昼過ぎぐらいだろうか、明るい間に身体を洗って、暗くなる前に仮拠点を再構築せねばなるまい。
援軍到着まで最長で四日、ハンナと二人で墓所入り口を監視することになるから、少しでも疲労を軽減できるような工夫を考えておきたい。
水場へ向かう前に、ハンナが銀狼形態に変化して城塞都市まで一走りすれば援軍を早く連れて来れる、という案をクルトは思いついて彼女に水を向けてみたのだが、これはきっぱりと拒絶される。
“疲れた”というもっともな理由を聞いて、またもやクルトは己のうかつさに恥ずかしい思いをした。逆の立場だったらどうだろうか。とりあえず横になって寝たいと言ったに違いない。ハンナに頼り過ぎている自分をクルトは情けなく思った。
ハンナは彼女なりに思うところがあった。疲労を理由にして伝令を拒否したが、厳密には小隊長代理への抗命であろう。もっともクルトは命令ではなく要請という形式をとっていたし、疲労という嘘の理由でもあっさり受け入れて口論を避けている。
いかつい見かけによらない気遣いにクルトを好もしく思う点が増えたが、実のところ、彼女は聖槍の結界を見届けてから任務完了といきたかったのである。
クルトの始末書ではないが、一族の家宝を失う以上、その最後を見届けて記憶もしくは記録する必要があった。
仲間の命以上に大事なものはない、と言い切って聖槍に最後の務めをさせたハンナだが、家宝と言うだけでなく、今まで自身を守ってくれた相棒との別れは辛いものが有った。だからこそ、ここに残って相棒と永の別れをする、その時にはご苦労様の一言でもかけてやるつもりなのだ。
さらに、ハンナにはこの場を離れるわけにはいかない理由がもうひとつ出来ていた。
一方、クルトは水場に到着して手早く全裸になっている。
マッツとザーワは昨日の周辺偵察で、発掘現場からそれほど遠くない場所に流れのある小さな池を発見していた。沸かさずに飲むとお腹を壊すかも知れないが、身体を洗い清めるには十分の水質と水量だった。
クルトは誰にとがめられることもなく開放的な気分を満喫していたのだが、ふとハンナの言を思い出してしまった。むろん、始末書の件である。
身体を洗い清めて頭を冷やせばいい文面が浮かぶかもしれない。奴隷王の危機が去った以上、支部長にごめんなさいしなければならないのは確実だ、とクルトは例によって謝罪の文句を吟じ始めた。
肩まで浸かっていた池からしぶきを上げて立ち上がり、調子よく声を張り上げる。
「つまりィ、あろうことかアホ小隊長の指揮に疑念を抱きィ、反抗的な態度をとったばかりかァ、さらには悪徳依頼主の面前でェ……」
「それ謝る気有るの?」
彼は小娘のような悲鳴をあげて再度池に飛び込んだ。見れば毛布を二巻抱えたハンナが失笑しながらクルトを眺めている。毛布は野営道具か宿舎の寝台かどちらかのものだろう。
銀の胸当ては食堂に置いて来たらしく、鎧下だけの格好になっている。
やがて池のほとりに毛布を二枚重ねて敷き始めた。
「悪いがもう少しだけ待ってくれ。すぐに出るから……」
「早速で悪いけど、借りを返してもらおう、と思うんだ」
クルトの話に耳を貸す様子が全くないハンナは手袋を外し、ブーツを蹴り飛ばすように脱ぎ捨てた。続いてズボンを脱ごうとしたので、クルトは慌てて背を向ける。
「なぜ今脱ぐ?」
「わからない?」
疑問に疑問で返す彼女は上着も脱いで今や下着姿である。髪留めを外して見事な銀髪を揺らしたが、クルトは赤くなって背を向けたままだ。お構いなしにハンナは下着を脱ぎ、生まれたままの姿でクルトとの間を詰める。足音をさせないのはさすがだ、とクルトは妙なところに感心したが、もう手を伸ばせば届く距離だ。
クルトはハンナを見ないようにしながら事情を聞いてみることにした。
「あ、あの、ハンナさん?」
「こっちを見て」
「いや、ちょっと何を言って……」
「いいから見ろ」
ハンナの命令にはある種の凄みのようなものが込められていた。これではどっちが小隊長かわかったものではない、とクルトは思わないでもなかったが、ついに彼女の命令に従って彼女の裸身を拝見することになる。
「番の裸身に何かご不満でも?」
「いや、そんな……つがい?」(俺結婚したの?)
「借りを返してもらう、って言ったよね」
「聞いた」(まさか……)
「今からクルトは私の夫だ」
「お、おう?」
ハンナはクルトをお相手審査に合格させた。それではあまりにも一方的なので、借りを返してもらう、と言って番を宣言してみたものの、これは彼女にとっては一種の照れ隠しだった。本当は身も心も彼にぞっこんなのだが、口に出すのが恥ずかしいので、さしあたり拒否権のない形で彼と結ばれることに決めたのだ。
一方のクルトだが、困惑のなかには実に複雑な感情が入り混じっている。ハンナは命の恩人であり、一生かかって借りを返せ、と命じられたら喜んで従うつもりだ。
もともと彼女が時々見せる可愛らしい表情はとても魅力的で、露骨な強いオス探しと伝法な物言いさえやめてくれるのなら、ぜひお近づきになりたいと今でも思っている。
しかし、男を見る彼女の目がまるで競技会か何かの審査員のようで、もうひとつ、気に入らない相手なら目上の者でも喧嘩上等の態度が、彼の手を引っ込めさせていたのだ。
ついでに言うなら、クルトは据え膳を見逃すほど奥手ではないが、ハンナと結ばれることに関していま少し釈然としていない。端的に言えばハンナより乙女心成分がクルトは多かった、と言えなくもない。
しかし、ハンナはそんなクルトの態度を躊躇と考えたので、自分の過去を少しだけ話してお互いの理解を深めようとした。
「私がはじめての相手ってわけじゃないよね?」
「いや」(はじめては酒場の女給さんです)
ハンナは喋りながらクルトの横に滑り込んで池に浸かった。
「村娘を手籠めにしたとか?」
「それはない」(したいとも思わない)
返事を聞くなりハンナはクルトの唇を奪う。クルトの手がハンナの胸に触れたが、お構いなしに接吻を続けて、ようやく口を放すと満足気に話を再開した。
「結構。私も初物ではない」
「……」(それは気にしないが)
「望まぬ結婚が二回。せいせいした離婚が二回。三度目を強制される前に家を出た」
「なるほど」(名家のお嬢さんだとは噂で聞いた気がする)
ハンナは故郷の暮らしについても触れる。彼女の故郷には独特の習俗があり、男女関係についてのものをまとめれば、子供ができるまでは仮の夫婦、それまでは離婚もきわめて簡単、新婚夫婦は試用期間のようなもの、というような感じになる。
番になったのだからもっと気軽に私の身体に手を出せ、というのは乱暴な言い方だが、要約するとそうなるのだから仕方がない。
「説明は以上だ」
「ああ」(上官から作戦を説明された気分だ)
「クルトについては、そうだね、お互いに背中を預けて戦うことができる、信頼に足る相棒になれる、ということが分かっただけで十分だよ」
「うむ」(それは嬉しいが)
ハンナが水を滴らせて池からあがったので、クルトも付き従って敷かれた毛布の方へ移動する。もう彼女も彼も前を隠すようなことはしない。
「では私を検めてもらう」
「なに?」
「鏡なしで自分の背中は見えないでしょ」
「うむ」
「今日一日であちこちぶつけたの!」
「そ、そうだったな」
「あざがあるとか、思っていたのとちがうとかで返品は受け付けないからね!」
言いながらハンナは毛布に座り込み、美しい髪をたくし上げて背中をあらわにした。
「きれいな背中だ」(あざどころかシミひとつないな)
「……」(な、なによ。いきなり雰囲気だしちゃって)
我慢できずに後ろから抱き着いたクルトに対して、首筋まで肌を桃色に染めたハンナが応じる形で開始された濃密なまぐわいの模様を描写するのは野暮というものであろう。
大半はハンナ主導で行われた為、若干野獣の交尾を想起させる激しいものとなったが、どうやら二人の肉体的相性に問題はなかったようである。
二人が精神的にも結ばれた魂の番になるのはいま少しの時間を要する。
いつもご愛読ありがとうございます。
申し訳ありませんが具体的なスケベ描写は全カットです。
ハンナの口調と物腰が改造されるのはなれそめ後編までお待ちください。
がんばれクルト!その嫁はかわいいけどいろいろ大変だぞ!
徃馬翻次郎でした。