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第54話 とある恋人たちの思い出 ⑬


 かつて、物理攻撃でこれほど殴られたワイトは存在しないであろう。奴隷王にしても、父親にだってこれほどぶたれた記憶はない。彼は当初屈強な戦士に敬意を表して消し炭にしてやるつもりだったのだが、詠唱完了する前に殴られた。いったん離脱しようと身動きするたびに殴られた。霊体化魔法を詠唱するたびに、蹴りを放とうとするたびに、戦士の腕を貫いている手刀に力をこめようとするたびに、駆け付けたメス亜人に注意を向けるたびに、容赦なく殴られた。

 攻撃力云々より衝撃で脳が揺れた。魔法と技術を蓄積するために秘術で生身を保っていた臓器は振動に弱い。眼球等はとうの昔になくなっているが、それでも視界は地震以上に揺れて、気持ち悪くて吐きそうになるという気分を彼は数百年ぶりに味わった。

 そして意識を失う。有史以来はじめてワイトに状態異常『気絶』が発生したのだ。


 ようやくクルトは殴るのをやめたが、疲れ切って息をするのも目を開けているのも辛いぐらいだ。ハンナがクルトの身体を支えながら奴隷王の手刀を引き抜き、回復薬を取り出して飲ませようとする。


「ク、クルト、生きてる?」

「ああ」

「指示は出せる?」

「正直代わってほしい」

「わかった。それ飲んで待ってて」


 ハンナはマッツとザーワを気絶状態から正気に戻してレイナードの治療に当たらせた。いつ何時奴隷王が覚醒するかわからないので応急処置だけだ。教授は覚醒させずに逃げ散っていた荷運び人夫を呼び集めて馬車まで運ばせることにする。レイナードも同様に馬車まで運ぶ。城塞都市で本格的な治療を受けさせることにするが、それ以前に再封印不可能な状況で逃げ切れるかが問題だ。

 全員で逃げようとすると馬車内の盗掘品が邪魔なのだが、人夫たちは投棄するのを嫌がった。おそらく歩合の約束でもあるのだろうと察したハンナが一喝すると荷運び人夫たちは一瞬で従順になり、宿舎の毛布を使用して教授とレイナードの収容場所までこしらえた。

 ようやく逃亡の準備が整ったところで、クルトの腕にザーワが巻物で回復魔法を発動させた。クルトの銀の籠手はもう両方とも使い物にならない。右腕のものは手刀貫通で割れており、左腕のものは過剰殴打によって原型をとどめていない。

 籠手を外して治療してもらいながら、クルトはザーワにささやいた。


「頼みがある」

「何です?」

「馬車隊を指揮して城塞都市へ……」

「旦那はどうするんです?」

「お前らが追いつかれねえように、ここで粘る」

「奴隷王相手に殿しんがりなんて無理ですぜ。殺されます」

「大丈夫、やばくなったらハンナに乗せてもらって逃げるさ」

「旦那……死ぬつもりじゃ……」

「レイナードのほうが死にそうだろ」

「茶化さんでください!」

「何があっても振り返るんじゃない。突っ走れ」

「旦那……」

「心配ならマッツと二人で爆発魔法の罠でも仕掛けて来い」

「そうします。おい、マッツ!」


 斥候は補給物資の巻物を手早く確認して補充し、二階へと続く階段と壁画の間を結ぶ線上の床に魔法の罠を設置した。踏むと爆発する単純なしかけだがそれだけに効果的だ。

 店売りで簡単に手に入る物だと威力不足で高位のアンデッド対象だと粉砕に至らないし、そもそも浮遊や飛行能力を有する者には全く効果がないが、移動手段が徒歩に限られるような相手には抜群の足止め効果が期待できる。

 斥候たちはすぐに墓所から出てきて御者台に飛び乗った。


「旦那、姉御、お先に!」

「……」

「ああ」

「早く行け!急がないと途中で追い越すよ!」


 マッツは元気よく別れを告げたが、ザーワは何事かを察して無言のままだった。

 馬車を見送るとクルトはハンナに手伝ってもらって、壁画の間の扉を人力で閉めた。これでドクロメダルがあれば見事作戦成功で、胸をはって傭兵旅団支部へ顔を出せるのだが、メダルは奴隷王が処分した。間もなく彼が目を覚ます。そして墓所二階の小部屋を開けて家臣団を再編成、たちまちここへ殺到するだろう。

 クルトは大きく息をひとつ吐くとハンナに語りかけた。


「行っちまったな」

「そうね」

「えらい騒ぎだったな」

「まだこれからでは?」

「いい男が見つかるといいな」

「何を言って……まさか……」

「さあハンナも行った行った。ここは俺一人で十分だ」

「ちょっと何格好つけてんのよ、一緒に逃げるんでしょう!?」


 遠くから奴隷王の絶叫が聞こえた。ようやく気絶から回復したらしい。


「ほら、お客さんだ」

「やめてよ…そんなの…」

「時間がない」

「うるさい!聞きたくない!」

 

 奴隷王の絶叫に雄たけびのようなものが加わった。数も相当多いようだ。クルトは扉に手を置いて力を込めた。隠し扉だから取っ手やくぼみが付いていない点が厳しいが他に方法がない。


「死んでもここは通さない。こんなことで死人を出したくないんだ」

「その死人に大将が入るのはいいって言うの!?」


 連続した爆発音が聞こえる。マッツとザーワが仕掛けた爆発魔法の罠が猛威を振るっているようだが、ここにアンデッド軍団が殺到するのも時間の問題、いくらクルトの腕力が桁違いとはいえ、いつまで扉を押さえていられるかわからない。


「小隊長代理クルト=ジーゲルは任務を全うした。大事なのはそれだ」

「仲間の命以上に大事なものなんかあってたまるか!」


 突如としてクルトとハンナを猛烈な寒気が襲う。扉の向こうには怒り狂った奴隷王がいる。それしか考えられない。もう一刻の猶予もないと判断したハンナは意を決してクルトに問いかけた。


「大将は私を信じてるよね?」

「早く行って……なんだと?」

「返事をしろ!どうなんだ!」

「ああ……」


 信じている、と言葉を続けようとしたクルトは激痛のあまり、もう少しで扉から手をはなすところだった。左手の甲にハンナの槍が刺さって手のひらを突き通し、クルトは扉に縫い付けられたような体になっている。


「うぐっ」(ハンナに刺された……)

「大将、柄の聖句が見えるか?」

「ああ、なんとか」

「できるだけ声をあわせて読むんだ。魔力は私が流す」


 ハンナに刺されるとしたらレイナードか教授だとクルトは思い込んでいただけに、この一撃は衝撃的だった。その衝撃で一瞬気が遠くなりかけたが、痛みが彼を正気に戻した。

 彼女が愛用している銀の槍には柄の部分に何か文句が彫られていることにはクルトも気づいていた。家訓か著名な武人の名言だと思って気にしていなかったが、どうやら特別な意味があるらしい。クルトはもう目がかすんできそうだったが、聖句を読み取りハンナと息を合わせて唱和した。


「「正しき者に与えられし精霊からの祝福」」


 何も起きない、と二人が思った瞬間、ついに扉の隙間から奴隷王の指先が姿を見せた。強引にこじ開けようとしている指から見るに、右腕の再生にも成功しているらしい。

 もう限界だ、とクルトは覚悟を決めたが、ハンナは槍を放そうとしない。それどころか、この意味不明な儀式をもう一度試そうとしている。

 そして土壇場どたんばで何事か思いついたようだ。


「私たち……正しき者たち……」

「な、何だって!?」

「もう一度!正しき者たち!」

「わかった!」


 ハンナは聖句冒頭を少しだけ訂正しての再挑戦を提案してきた。何をしようとしているのか皆目見当がつかないが、クルトはハンナを信じて最後の力を振り絞って唱えた。


「「正しき者たちに与えられし精霊からの祝福!!」」


 瞬間、目もくらむような閃光と槍の穂先を起点にした衝撃波が発生してクルトとハンナは墓所の外へ向かって吹き飛ばされていた。


 周りの景色が一切目に入ってこない真っ白な世界でクルトは不思議な体験をする。


 明らかに時間の進みが遅いのだ。

 きわめてゆっくりと後方に吹き飛ばされながら、クルトは周囲を見渡した。

 左手の甲はハンナの槍で縫い留められていたはずなのに、どうやって外せたのか傷も見当たらない。ハンナは自分と同じように左横で飛翔中である。このままだと受け身が取れずに後頭部を打つことになる、と気付いたクルトは背中を丸めて後頭部を手で守った。その動きも実に緩慢なじれったいもので、もう少し早く動けないものか、と心の中で文句を言ったほどだ。

 身体を丸めたことで墓所の入り口がちらりと見えた。やっとのことで陽の光を見ることができた奴隷王が、扉に突き立っている槍からの光線を浴びて細切れに分解されつつ灰になっているところだった。彼の後に続いていたリッチやアンデッド家臣団も同じように分解されている。

 奴隷王復活の危機は永遠に去ったのだ。

 槍はいよいよ光量を増し、周辺の瘴気を打ち払っている。 


(あの槍は相当な希少品じゃねぇのか)


 相当も何も、タイモール大陸に二本しかないと言われている聖槍の片割れであり、ハンナの実家が家宝のように大切にしていた超絶希少品である。彼女が家出する時に祖父母が一族の反対を押し切って持たせてくれたものだった。

 むろんこの時のクルトは知る由もない。


 さて、受け身の体勢を取りながら着地まで待っていたクルトは他にすることがなくなったので、何気なく空を見てみる気になった。雲も太陽もない真っ白な空だったが、クルトは半透明な存在が上空にいることを鋭敏な感覚で察知した。

 正確に表現するのは難しいが、裸足にサンダル、鳥系亜人のような羽が特徴的で長衣をまとった人物が羽ばたきながら墓所入り口を見下ろしている。大きさで言うと常人の五、六倍もあろうか。

 あまりにも不思議な現象を目撃したクルトは思わず声に出してしまった。


「あ、あなたは神!?」


 聖タイモール教会では神は人間そっくりの見た目をしている、との教義だが、今クルトが見ている神々しい存在は鳥系亜人そのものだ。

 もう少し見ていたかったクルトだが、その願いはかなわず突然色彩豊かな世界に引き戻されてしたたかに背中を打った。


「いてて……」(何だったんだ、あれは)

「……」


 一緒に吹き飛ばされたハンナは受け身を取るのに失敗したが、低木の茂みに突っ込むことで怪我を免れたようだ。周辺を見回すと予想していた以上に飛ばされている。食堂や宿舎をどうやって飛び越えたのか全く記憶にない。

 あわてて墓所の入り口まで戻ってみると、槍が刺さったまま扉が開いている。にもかかわらずアンデッドたちの気配も瘴気もない。むしろ清浄な気に満ちている。

 

「た、助かった……のか?」

「そうみたいだね、大将」


 周囲の安全を確認した二人はようやく長話をする気になった。絶体絶命の窮地を脱したとたん、急に喉の渇きと空腹を覚えたので、まずは食堂へと足を向けて何か食べるものを探すことにする。ものすごい衝撃波が発生したはずだが、食堂内がとくにひっくりかえっている様子はない。これも不思議の力と言わざるをえない。

 水樽を開けて喉の渇きを癒したクルトは、何よりもまずハンナに礼を言わねばなるまい、と思った。


「ハンナが?」

「私というよりは槍だね」

「槍……」


いつもご愛読ありがとうございます。

つまり、聖槍の結界のくだりはウェディングケーキ入刀みたいなもんなんですよ、と言うとお前のところの結婚式は旦那をぶっ刺すのかと言われそうですが、たとえですよ。たとえ。隠喩?

ちなみに双子槍の片方はジーゲル家で現役です。ということは……。

徃馬翻次郎でした。

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