第51話 とある恋人たちの思い出 ⑩
念のため五人全員で安全を確認する。なんと六体ものドラウグルが残っていた。小部屋の出入り口付近で転倒したらしく、脚を踏みつぶされている。彼らは順序良く出てくるというところまで知性が残っていなかったらしい。
前衛組が手分けして残党を始末しているところへ教授が荷運び人夫を連れて入ってきた。大量の破壊済みアンデッドと腐肉破片を隅に寄せて、照明を設置する作業と調度品の持ち出しを並行して行うので、作業に当たる者はめいめい覆面をして煙と刺激臭を直接吸い込まないようにしている。
「みなさん!ご無事で何より!」
「ドラウグル程度、神の御業の前には何でもない事です」
「……」(これが無事に見えるのか?)
「……」(死にかけたんだぞ!何でもない、とはなんだ!)
疲れてきっていたせいか、クルトは教授の言い草にムッとした。大量に積まれた亡者と腐肉片の山を見て、ひとりを除いてよれよれになった傭兵旅団員を見て、無事と言える神経はどうなんだと思う。なにより、この後もう一仕事させてやろう、という意図が透けて見えてぞっとした。
ハンナは突如として発揮されたレイナードの神がかり的攻撃に圧倒されたが、何でもない、という言葉が引っかかった。自分は神の加護とやらで守られているかも知れないが、他の旅団員を等閑視しておいて好き勝手暴れただけではないか。
レイナードに対する反感は彼女の番審査条件に影響を与えた。彼女はたとえどんなに強いオスだろうと“宗教野郎は除く”ことにしたのである。
さて、直ちに次の封印を解いて探索を続行することになる、と思っていたクルトはいささか拍子抜けする。教授はいったん外へ出て休養と補給をしてはどうかと提案したのだ。
これには全員が異議なしであった。
宿舎で使用していた寝台が外に出され、かわりに大量の財宝や調度品が押し込められて倉庫に転用されていたので、六人は食堂に入って休息を取ることにした。
戦闘中はものすごく長く思えた時間の経過だが、太陽を見たところお昼にはまだ早いと知って傭兵旅団員は驚きを隠せなかった。すくなくとも昼過ぎくらいの感覚だったのだ。
「さあ、新しい水樽を開けましたぞ。飲むなり顔を洗うなりご自由に」
「聞いたか?小隊!休め!」
今度の号令には誰も反抗しなかった。問題は今後の展開である。
「さてさて、日はまだまだ高い。もうひと仕事いけそうですな?」
「もちろんですとも。神の僕に不可能はありません!」
「ちょっと待ってくれませんか、教授。小隊長も聞いてください」
疲れを知らぬ神聖小隊長は別として、クルトはもう限界だった。援軍を呼び寄せて安全に掃討したい。できたら臨時雇いの魔術師や治癒師も連れてきてほしい。なにより心身ともに疲労していない連中と交代させてほしい。
彼の要求は至極当然のものだったので教授も賛同してくれた。
「わかりました。命あっての物種、ご随意になさってください」
「では早速……」
「ただし、私からはビタ一文出しませんよ」
「は?」
「傭兵旅団の負担になる、という意味です」
「なんですって?」
「そういう契約なのですよ、ハンナさん」
横で聞いていたハンナがクルトの代わりに教授へ食ってかかったが、教授は平然そのもの、彼女の剣幕にびくともしない。おそらく出るとこに出たとしても教授に軍配があがるような契約になっているのだろう。教授の自信はそこから来るわけだ。
今度こそハンナはレイナードにキレた。
「聞いたか?小隊長さんよ。説明がいるよな?コラァ!」
「説明だと?なんだ貴様その態度は?上官に向かって!」
「姉御、落ち着いて」
「短気はいけません」
クルトや斥候たちが憤るハンナをなだめる図式はもう何度目だろうか。荒ぶる銀狼をなだめつつクルトはレイナードを問いただした。
当初、レイナードは言を左右にして認めようとしなかったが、最後には観念して洗いざらい白状した。これはクルトの尋問が特別うまかったわけではなく、怒り心頭のハンナに怯えたからである。
やはりというか旅団支部が把握している契約金額と教授の主張する金額に少々開きがある。小細工自体は陳腐なもので、旅団支部長の承認を受けた書類の数字を0から6や8に書き換えることで教授への請求額を増やす方式だった。
つまり詐欺と横領と文書偽造が発覚したわけだが、この場で彼を裁く権限がクルトにはない。小隊長を解任して拘束し、正式な調査と支部長の裁定を待たねばなるまい。
ザーワに教えてもらいながら傭兵旅団規則を読み上げたクルトの解任宣告によりレイナードは小隊長ではなくなった。拘束しないのは温情ではなく、この後まだまだ荒事が控えているからだ。他国の戦奴隷のような扱いをレイナードに強いることになるのだが仕方がない。
流れでクルトが小隊長代理となるが、元小隊長は肩を落としてうつむいたまま黙ってしまったので、教授がかわりにクルトと話を続けた。
「この際です、私も包み隠さずお話しましょうか」
教授は契約内容を解りやすく説明してくれたが、重要なのは事態の急変についての条項が抜けている点だ。普通は“その都度話し合う”とか“両者の合意に基づいて”などの条項をつけて、援軍を呼ぶ費用について相談する余地を残しておくものだ。
今回の契約にはその条項がないから、何人増援を呼ぼうが教授の財布には全く影響がない。全て旅団の持ち出しになってしまうのだ。
食堂隣の宿舎からは金属がぶつかり合う音が聞こえる。こうしている間にも次々と黄金が積みあがっているのだ。それでも金はもう出さないと教授は言う。
どうやらレイナードが教授に一杯食わされたらしいことが明確になった今では、クルト内における教授の境遇に対する同情や社会的地位に対する敬意は消え失せている。乱暴な物言いになるのを辛うじてこらえ、教授に契約の中身を聞いてみることにした。
「その契約だが……」
「はい」
「奴隷王に会うまで続くのか?」
「まさか。そんな恐ろしい契約では受けてくれる方が見つかりませんよ」
「ふむ」(それはそうだろうな)
「期間契約です。正確には明日一杯です」
「契約の要点は?」
「私の行くところへはどこでも付いて行くこと、ですね」
教授によれば、旅団への依頼書類は三泊四日の要人身辺警護という簡単なお仕事、補給物資支給、食事付き、護送対象の荷物を上げ下ろしする作業班は手配済み、という破格の好条件に加えて日当は応相談で前払いも可にしておいたらしい。
今だから言えることだがこれはエサだ。果してレイナードが釣れた。
なんとレイナードが汚職を働くのは教授の想定内であり、さらにはレイナード隊の全滅まで計画に入っていた点が恐ろしい。もしアンデッドの掃討に失敗しそうな気配を教授が読み取った時はドクロメダルの出番だ。再封印して傭兵旅団に出向き、しれっと行方不明部隊にかわる部隊派遣の再依頼をすれば良い。支部長がぐずるようなら偽造契約書の存在がものを言う。
壁画の間の調度品を換金すれば、これをエサにして大部隊の派遣依頼や冒険者部隊を編成することも十分可能で、同時に自身の財政赤字も一気に解決する。
様子見のレイナード隊が一階の掃討に成功したのは嬉しい誤算だった、というわけだ。
(なんて奴だ)
クルトは恐ろしかった。今日一番恐ろしかったのはアンデッドの大群でも神聖小隊長でもなく教授その人だった。甘い契約をちらつかせて捨て駒を確保するやり口は悪徳商人はだしで、その捨て駒の扱いは独裁国家の指導者も真っ青だ。
(殺してやる)
ハンナは槍を握りなおした。今すぐ教授を殺して埋めてやりたい。確かに今回の件はレイナードのアホが欲の皮を突っ張らせたのが原因だ。しかし、彼をはるかに超えた悪党が目の前にいた。旅団員を魚釣りのエサのようにしか考えていない畜生だ。むしろ教授を殺さないで済ませる理由があったら教えてほしい、と彼女は思っている。
ハンナの殺気を敏感に感じ取ったのであろう。教授はひとつの提案を出してきた。あともう一部屋付き合ってくれたら、契約を完了したことにして報酬を満額支払う、というものだ。
「どうですか?元小隊長さんの借りも棒引きにするという条件もつけましょう」
「待て、何の話だ?」
「教授、それは秘密のはず……」
「彼は私に借金があるのですよ。何度か依頼でご一緒しました時のご縁でね」
「レイナード、貴方やってることの意味わかってるの!?」
「か、金が必要だったんだッ!」
「それでずっとゼニの話ばっかり」
「旅団員の誇りはないんかのう?」
ハンナが刺す相手を教授からレイナードに変えようとしたので、クルトはハンナの肩に手を置いて制止する。マッツとザーワもあきれ顔だ。レイナードはクルトをすがるような目で見てくるが、声を掛けてやる気にもなれない。
金属のぶつかり合う音が隣の宿舎から聞こえなくなった。かわりに荷馬車のほうが騒がしくなる。宿舎に入りきらないので積み込み先が荷馬車に変更されたようだ。
「どうです?考えていただけましたか?巨人さん」
クルトは思わず身震いした。教授のねっとりした声に底知れぬ不気味さを覚えたのだ。
「ひとつ聞きたい」
「どうぞどうぞ」
「まさかとは思うが最後の一部屋は王の間じゃないだろうな」
「そのまさかです」
「死ぬぞ」
「私にはこれがありますので」
教授はドクロメダルをひらひらさせて示した。危なくなったら封をして仕切り直しですよ、という捨て駒宣言だ。これにはとうとうハンナが激高して槍先を教授に向けた。
「下郎がッ!それほど王の間が見たくば首をねじ切って放り込んでくれるッ!」
「姉御、いけませんって!」
「ザーワさんがおっしゃる通りです。私の部下の口をどうやって塞ぐつもりですか?十人とも皆殺しですか?おお、こわいこわい」
「くッ」(覚えておれ!楽には殺さんぞ!)
「教授、あんまり姉御を煽らんでくれますかいのう」
マッツは言葉穏やかだが目が笑っていない。実際、クルトの許可が下り次第十一人全員、場合によってはレイナードまで殺すつもりでいるから、教授を見る目は吊り下げられた枝肉を見る肉屋の目だ。
一方、クルトはもう喉がカラカラだった。会話の中で抜け道がないか探していたのだが、
契約を軸にした教授の策にキレイにはめられてしまっている。
この策を無理に破ろうとすれば、ハンナがザーワに抑えられて我慢している民間人の横殺を実施することになる。レイナードの借金なんぞは知ったことではないが、教授が出してきた新提案の条件を満足させつつ自分たちが五体満足で帰ることができる新々提案をひねり出さねばならない。
意を決したクルトはつばを飲み込んでようやく言葉を紡いだ。
「取引できるか?」
「聞きましょうか」
「王の間へは行く」
「ほう。それで?」
かすれ気味の声でしぼり出されたクルトの発言に全旅団員が彼を凝視する。ハンナとマッツは教授を始末する気になっていたからなおさら驚いた。ザーワは複雑な表情だ。いくらクルトの旦那でもそういつもうまくはいきませんぜ、と言いたいのかもしれない。レイナードは嬉しそうだが、借金を返す目途が立って単純に喜んでいるのだ。
「入る。見る。危ないようなら引き返す」
「それが取引になりますかね」
「教授の命を守るためだ」
「取引はそのためだと?」
「教授に死なれたら契約未達だろ?」
「ええ。そうなりますね。それだけですかな?」
「まだ死にたくない」
「正直な方ですね。わかりました。受け入れましょう」
違約金さえなければ何もかも放り投げて逃げてしまいたいのがクルトの正直な気持ちだ。破格の好条件を目くらましにして、追加費用に関する条項を抜き、途中で投げ出した場合の罰金を桁違いにしておく。考古学者兼墓泥棒が考えついたとは思えない周到な罠にはまったくもって恐れ入った。
クルトが社会規範や道徳を一切無視する野盗団の頭目ならば別の解決手段を選択しただろう。裏切るような同輩も、出し抜こうとする取引相手とその従業員も同罪だ。つまり、今頃レイナードと教授とその部下は息をしていない。
その方法をクルトが採用したとしても問題がある。人の口に戸は立てられない、という現実だ。社会生活を営んでいる者には家族、友人、親戚、隣人、その他大勢の人間が関わっているから、完全な口止めなど不可能なのだ。
いずれかの時点で誰かが行方不明に気付いて捜索願、冒険者への依頼、話が大きくなったら一周回って傭兵旅団へ持ち込まれることも考えられる。
戦争中なら敵の手にかかった演出で闇に葬ることもできるが、平和が邪魔してそれも難しい。合法的に解決するとなればクルトの選択肢はそう多くないのだ。
あえて教授の新提案に乗って、なおかつ身の安全を確保する。これしかない。
いつもご愛読ありがとうございます。
唐突だがよいこのみんな!どんなに困っても自分の名前と住所しか書いていない白紙にハンコを押しちゃだめだぞ。ポンジロウとの約束だ。世の中には教授よりもっと怖い人間がたくさんいるぞ。
徃馬翻次郎でした。