第50話 とある恋人たちの思い出 ⑨
両側の小部屋から数えきれないドラウグルがあふれ出してきた。中には丸盾と湾刀で武装した者もいる。ということはこの大群はアンデッド家臣団と奴隷たちの混合、というわけだ。眠りを覚まされた怒りか、それとも宴会の追加料理が何百年経っても出てこないことに腹を立てているのかはわからないが、とにかくすごい叫び声と勢いだ。
ドラウグルはスケルトンと比べればはるかに腐肉の付きがよく、ゾンビやマミーにはない多彩な動きや武器を使用した攻撃をしてくる。学者の中には知性が残っていると主張する者もいるほどだ。当然、うっかりドラウグルを目覚めさせてしまった素人冒険者には暗い未来が待ち受けている。
クルトは素人ではなかったが、ここまでの数は見たことがない。しのぎ切る自信も全くなかったが、それでも対応を斥候たちに指示した。
「火炎壁!左右!急げ!」
「ただちに!」
「これで防げるとええがのう」
ザーワの復唱は頼もしいものだが、マッツの不安も解る。王都の雑踏だってこんなに混んではいない。大広間はもう満員だ。できるなら入場制限をかけたいくらいのすし詰めで、
こちらに向かって走りながら転倒するもの、踏みつけるもの、防衛線まで距離はあといくらもないが、かろうじて火炎壁の展開が間に合いそうだ。
地面設置型防御魔法『火炎壁』はちょうど曲尺のような形状の火柱を噴射して敵の接近を阻止する。うっかり近づこうものなら足を焼き切られるほどの火力だ。もちろん水に抵抗できないという分かりやすい弱点があるが、敵に魔術師がおらず、巻物を所持も使用もしない、重装備どころかほぼ全員が裸足のアンデッドを相手取っている現状においては最適の防御魔法と言える。
エルザは、と見ると銀の槍を構えているが、彼女を押しのける様に隊列の先頭に進み出たレイナードを見やってクルトは愕然となった。
あろうことか聖水を飲んでいる。
「小隊長、一体何をしてるんです!?」(それ飲めるの?)
「うん?神の加護を信じないのかね?」
亡者の群れはもう目前だ。火炎壁への突撃を迂回しようとすれば、当然攻撃は中央正面に集中する。宗教野郎はどうするつもりだ、とクルトは詰める。
「何を言ってるんです!命令を出すのはあんたでしょう!」
「命令?では見ていたまえ。神の力を!」
レイナードは戦棍で盾を打ち鳴らすと、兜の廂をおろして突撃した。クルトとハンナは数歩遅れて左右を固める。マッツとザーワは半弓で火矢の支援射撃に移るが、四人とも顔色が悪い。斥候たちにいたっては小刻みに震えている。
生きて帰れそうにないのだから当然のことだろう。火矢にいちいち着火しなくとも火炎壁越しに射撃すれば良いことだけが救いだ。
しかし、この期に及んで小隊長は退却命令も後退戦闘の指示も出さなかった。となれば小隊員が受領した命令は“神の力を見ていたまえ”なのだが、現状は生還の見込みがない死守命令と同義だ。
小隊長の命令を待たずにクルトとハンナは身体強化魔法を唱え始めたが、おそらく焼け石に水だろう。この数は支えきれない。クルトはちらりと斥候たちを見て、教授を担いで逃げる様に指示したが拒絶される。慕ってくれるのはまことに結構だが、クルトは犬系亜人二人分の死体を背中に乗せられた気がした。
状況は絶望的で、教授を逃がすことすら不可能だと思われた瞬間、誰の目にもにわかに信じられない映像が飛び込んできた。
腹を空かせた亡者の群れがレイナードに接触したと思った瞬間、彼が振り回した戦棍は大量のドラウグルを吹き飛ばして腐肉の破片に変えた。戦棍を振りかざす間に盾で殴る。猛烈な速度で繰り出される両腕の攻撃には、尋常でない力が込められているらしく、吹き飛ばされたドラウグルの中には天井に貼り付いている奴もいた。
「神を恐れぬ不浄の者どもめ!神罰をくらうがよい!」
いつから神の代理人になったのか、レイナードは物騒な言葉を叫びだした。
騎士団や傭兵旅団に限らず、戦闘の前後で祈りをささげる者は居る。村や都市に帰還後、無事を感謝し殺生の罪を告白するために聖堂に詣でる者はもっと多い。
しかし、彼の祈りの言葉は異質で明らかに神の愛とは程遠い。クルトには神の愛をもとに何かと難癖をつけてくる宗教野郎のはずだが、アンデッドを葬る際には何をしようがすべて免罪されるとでもいうような暴れ方だ。クルトでも息切れを起こすような攻撃速度なのだが、レイナードはますます馬力をかけて攻撃を続行する。
「神のォ!御元にィ!送ってェ!やるゥ!」
すでに戦棍は腐肉片で溝が埋まっているが、彼は構うことなく振り回す。攻撃に集中するあまり隙だらけなのだが、クルトとハンナが脇を固めて打ち漏らしを始末することに集中しているので、取りつかれるのをかろうじて防いでいる。
小隊長は身体強化魔法を使用せずに戦闘開始した。ならば彼は魔法のお化粧なしということになるが、そのすっぴん小隊長がにわかに信じられない速度の攻撃を繰り出している。
「神をッ!讃えよッ!我をッ!崇めよッ!」
ついにレイナードと神が祈りの中で一体化してしまった。もはや高揚というより暴走に近いが、その暴走が亡者の群れをせき止め、押し返してすらいる。
ところが、朗報ばかりというわけにはいかなかった。
「旦那ッ!火炎壁が落ちます!」
「もう火矢も打ち止めですぜ!」
亡者の群れを正面攻撃に限定させて横に回り込まれることを防いでいた火炎壁がまもなく発動終了する、火矢も全弾射耗したという悲鳴のような斥候たちの報告だ。
報告はクルトに向けてのものだったがレイナードにも聞こえているはずだ。包囲攻撃を受ける可能性もある危機的報告なのだが、神と一体化した小隊長は無視した。
「来い!来いッ!もっと来いーッ!もっとだーッ!」
語彙はだんだんと貧弱になっているのだが、竜巻のようなレイナード旋風の勢いは今や最高潮に達している。いつまでこの勢いが続くかわからないが、クルトは彼に賭けることに決めた。亡者の群れに押し包まれて無残に一生を終えるより、一か八か攻勢に出ることにしたのだ。
「マッツ、ザーワ、火炎の巻物!俺とハンナの援護!」
「「了解!」」
「前に出るのね!」
「やるしかない!」
クルトは左回りにハンナはその逆回りでレイナードの横に並ぶ。お互いの武器が傷つけあうことのないよう、十分な間隔を空けて攻撃を開始した。
クルトが振り回す長剣は魔法鍛冶製で火属性が付与されている。触れれば火傷、攻撃にうまく魔力が乗れば炎上も狙える。そこへクルトが腕力にものを言わせての攻撃である。たちまちレイナードの左横は火葬場と化した。
右側のハンナも銀の槍を風車のように振り回して亡者の群れをなぎ払った。
本来、槍は刺突用の武器である。長槍なら落下の衝撃を利用して打撃に使うこともできるし、斧槍だと斬撃をくわえることもできようが、彼女が振るう短槍はもっぱら刺突専門のはずだ。それが青白い光跡を残して美しい軌道を描き、亡者の群れを打ち倒している。
魔法鍛冶製の武器ではなかったはずだが、明らかにハンナの腕力以上のものが槍の攻撃力を底上げし、最適の使用方法以外でもアンデッドの大群を払いのける結果を出していた。実際、彼女だけが突出しそうになってしまい、逆に危険になったほどだ。
「マッツよ!姉御の右後ろから援護するんじゃ!」
「一々言われんでもわかっとるわい!ザーワよ!」
時折思い出したように斥候たちの火炎の巻物が展開されて、前衛の突撃を援護している。当然だが、巻物の数には限りがあるから弾切れの心配は常につきまとう。魔法の発動間隔は明らかに弾切れを心配したものになっている。
大広間はこげ臭いと黒煙が充満して相当に息苦しい。換気が大してよくないところへさらに異臭を放つ黒焦げ亡者を追加するのはたいへんな苦行だ。それでも止めるわけにはいかない。魔術師抜きでアンデッドを相手取って、なおかつ小隊員の人数以上に火力を出そうとするなら、この方法以外にないのだ。
数瞬が永遠にも思われる時間感覚を誰もが覚えるが、ようやく亡者の人口密度が低下してきた。
(まさか、いけるのか?)
クルトはようやく希望の光を見出した。生き残れる。生きて帰ることができる。帰ったら休暇を取るんだ。当分仕事はやめだ。エールを頭からかぶってやるんだ、と思いつつ煙に目をやられて涙目になりながらも攻撃の手を休めない。
(なんとかなるものね!)
ハンナも想いは同じである。今のところ仲間は全員無事、小隊長はどうでもいいけど。
帰ったら洗濯だ。お風呂だ。もし臭いや汚れが取れなかったらどうしてくれよう。服は買えばいいが乙女(?)の肌はどうする。その時は座れなくなるまで小隊長の尻を思う存分蹴ってやる、と思いつつ刺激臭に顔をゆがめながらも攻撃速度を上げた。
やがて、期せずして五人一丸となった攻撃は亡者の群れを一掃した。攻勢限界に達するかと思われた直前、ようやく亡者の津波が途絶えたのだ。
「ウオオオオオ!……ゴホッゲッ、オェ」
レイナードの雄たけびとせき込みが勝利を宣言したが、腐肉の破片でひどい有様だ。他の旅団員の面々も肩で息をしている。
「マッツ!水ッ!」
「へいッ、姉御!」
ハンナはマッツから水筒を受け取ると頭から水をかけて洗顔を始めた。クルトも手ぬぐいを取り出して顔を拭く。ザーワが水筒を差し出してきたので、礼を言って一口もらうことにした。一息つくことでクルトはようやく生きた心地がしてくる。
(助かった!)
これは彼だけでなくハンナもマッツもザーワも等しく同じ気持ちだった。レイナードは身体中にへばりついた腐肉を振るい落した後、またしても聖水を飲み干していた。
「むうううん、神からの祝福ゥ!奉仕への報酬ゥ!」
「小隊長……」(また飲むの?)
「何だね、クルト?そんなに不思議かね?」
「ええ、てっきり聖水は散布するものかと」
「アンデッドを寄せ付けぬのだ。体に悪いはずがなかろう」
「いや、はい……その通りです」
クルトは抗弁するのをやめた。聖水が真に神聖なものなら、飲んで煙が出たり爆発しない以上、少なくともレイナードは邪悪な存在ではないわけだし、何しろ今生きているのは神聖小隊長のおかげなのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
非戦闘員を抱えているクルトたちは後退できません。
ゴリラみたいな小隊長のおかげで助かりましたが、次の戦いはどうなることやら。
がんばれクルト!その量の水じゃ臭いは落ちないぞハンナ!
徃馬翻次郎でした。