第48話 とある恋人たちの思い出 ⑦
ありがちなことに、恐怖の暴君を打倒したのは反乱だった。
暴君は敵を作りすぎただけでなく、敵味方の区別もつかなくなっていた。国民としては我慢の限界だったろう。しかし、重臣の何人かはすでに人間を辞めており、大勢の奴隷や兵士までも次々と作り変えられている。
時間が立てば立つほど反乱軍は少数派になり、最後には誰一人残らなくなる。国の未来を憂えた重臣たちは結託し、命からがら逃げのびて潜伏していた宮廷魔術師を探し出して協力をとりつけ、自分たちの生命と財産を全て注ぎ込んで賭けに出た。
重臣一同は私財を投じて王のための離宮を建てた。贅の限りを尽くした離宮はいたるところに黄金が敷き詰められ、財宝や調度品も王宮をしのぐかと思われたと言う。
重臣たちは“生身のままでいたいので、どうぞこれでご容赦を”というもっともらしい理由をつけたのだが、王は罠に気付かずアンデッド家臣団を引き連れて移り住んだ。
落成祝いの宴は盛大に催され、気色の悪い血酒や腐肉が並ぶ宴席は形容しがたい悪臭をまき散らしていたが、重臣たちは我慢して列席した。ここで出席を拒否しては王の疑いを招いてしまう。生きて帰ることのかなわない決死の囮と化したのである。
アンデッド家臣団も別席をもうけられて大喜び、王もたいそうご満悦で直ちに刈り取る予定だった重臣たちの命をもう少し伸ばしてやろうかと考えていた時に、事件は起こった。
なんと、列席していた重臣全員が自ら毒を仰いで落命したのだ。しつけの悪いアンデッド家臣たちがさっそく死体にかみついたが全く歯が立たない。使用された毒物は魔獣の石化毒を濃縮したものだったのだ。
王が気付いた時には離宮にある全ての扉には封印がなされ、埋め立て工事の真っ最中だった。重臣たちのうち、くじびきで当選した一人が生き残りを命じられていたのだ。彼は涙ながらに使命をまっとうし、事態の収拾後は修行僧となって犠牲者の冥福を祈り続けた、ということだ。
宮廷魔術師は生き残った国民を引き連れて他国に移り住んだ。
サーラーンに居住していた某部族が迫害と脱出行の歴史を部族の起源としていたが、この件と無関係であるとは言えない。むしろ、この物語の信憑性を高める傍証であるとすら言える。
離宮からはからはしばらく魂消るような叫び声がきこえてきたが、やがてそれも聞こえなくなり、離宮を埋め立てた場所は王の墓と呼ばれることになった。
どうした拍手はまだか、というような顔つきで教授は話を締めくくったが、クルトは拍手どころかめまいがしてきた。
話自体はとても面白いし聞きごたえがあった。奴隷王をだまして罠にはめた知略と覚悟は大したものだ。封印した者が生き残って仲間を弔う最後も泣ける。しかし、めまいの原因はそれらではない。
そんな恐ろしい墓をよく暴く気になったな、という一事だ。
控えめに言って神経を疑う、とクルトは思った。ハンナも似たような感想だ。斥候たちは聖堂に立小便をひっかける罰当たり野郎を見る目で教授をながめている。
ところが宗教野郎のはずのレイナードが大人しい。聖タイモール教以外のことには関心がないのかもしれないが、最後の修行僧のくだりを聞いていなかったのだろうか。
眉間を揉んでめまいを緩和してからクルトは質問を再開した。
「封印とやらはどの程度のものなんです?」
「むろん抜かりはないですぞ。見たまえ!」
教授が胸ポケットから取り出したのは分厚いメダル状の円盤だ。どうやら魔法道具らしいが、ドクロ紋様がなんともまがまがしい。
「サーラーンでの発掘調査でみつけたものだ」
とうとうエルザが頭を振りながら焚火を離れて最初の当直に立った。話の続きを所望したものの、聞くに堪えなくなったようだ。
「これが封印の鍵であることは間違いない」
「なんと!大発見ですな、教授!」
「左様。今まで墓の位置すら特定されていなかったのだ。歴史に残るぞ!」
「離宮が当時のままだとして、言い伝えが実話だとすれば……」
「控えめに言って億万長者ですな!」
今やこの二人の組み合わせはクルトの精神にとって猛毒だった。ここまで傭兵旅団の名誉と自分自身の誇りのために仕事を投げ出さずに来たのだが、世の中には守るに値するのかどうか甚だ疑問な人間も存在するということをクルトは骨身にしみて知った。
マッツとザーワも思いは同じらしく、悔しそうな顔で依頼主と上官をにらんでいたが、やがてため息をつきながら魔法の巻物を取り出して準備にかかった。魔法陣に署名を書き込んでおいて安全装置代わりの一筆だけで発動するようにしている。
クルトは、食堂の机を借りれば作業がはかどるはずだ、と斥候たちに提案した。
みんなが食堂へ引き上げた後、クルトはしばらく焚火を見つめて考え込んでいた。
結局のところ、傭兵とは人間にとっての剣のようなものだ。凶器と言ってもいい。それ自体に善悪はなく、すべて振るう人間の意思次第なのだ。当然、凶器が考え事をするはずもないし、してもいけない。
もし傭兵として一流を目指すのなら、今の小隊長に抱いているような反抗心を捨てて己を殺す必要があるだろう。歯車のように求められた役割を果たすことにのみ集中すべきであろう。
しかし、金の亡者や名声を求めるあまり人の道を踏み外そうとしている人でなしの為に剣を振るっている俺の手はどうなる。すでに薄汚れたものになっていることは間違いないが、この汚れはどれだけ洗っても取れない気がしてきた。
偉そうなことを言っておいて、つまるところレイナードと大差ないのではないか、守るに値しないのは自分も同じではないか、俺はここで一体何を……。
「考え過ぎだ」
「ハンナ……」
いつの間にか焚火の向こうにハンナが立っていた。
「考えが読めるのか」
「何時でも何処でも寝る人間が焚火相手に夜更かしはおかしいよね」
あの巨人が真剣に考え込んでいる、というだけでも周囲に与える影響は大きい。ハンナでなくともクルトを知っている者なら誰でも気が付くということだ。
「あいつらには気分よく帰ってもらって終わりなんだろ?」
「そうだ」(ハンナにとって教授と小隊長は同列らしいな)
「だったら我々も同じ。生きて帰ることだけを考える」
「……」
「案外、何も起こらない可能性もあるよね?」
「ああ」(ない、と思う)
「先客がいてすでに盗掘……調査済みってことも」
「うむ」(それが一番いいけど鍵つきなんだよな)
「よし!当直交代!始末書の文面でも考えてろ!」
どうやらハンナは元気づけに来てくれたようだとクルトは気付いたが、礼を言う前に彼女は食堂へ入って行った。椅子を並べてひと眠りするのかもしれない。
クルトが当直を交代してしばらくしたころ、最後にハンナが残した言葉を思い出した。
“始末書”である。
折り目正しい言葉をつづるだけでも面倒なのに、損害を算定して正式な文書にせねばならないのだ。そして、真摯な気持ちで相手に謝罪の意を伝える必要もあった。
今回の依頼に関して言えば、確たる証拠や前兆もなしに旅団の人員を留め置いてごめんなさい、待機させていた期間と人数は以下の通りです、と言った感じだ。さらには、待機させなかったら稼げたはずの収入についても触れなばなるまい。
言われた通り、クルトは当直に立ちながら始末書の文面を考えている。考えているうちに口に出てしまったが、誰も聞いていなかったのが幸いである。
「えー、私ことクルト=ジーゲルは自身の不注意から傭兵旅団に対し無用の損害を……」
苦手な作業に没頭している間にクルトは悩んでいたことをつかの間忘れ、ハンナの提案だけを頭に残すことに成功する。
必ず生きて帰るのだ、と彼は意を強くした。
いつもご愛読ありがとうございます。
始末書は大人用反省文とでもしておいてください。本当はトラブルのレポート、謝罪文、対応策、弁済方法などを一つにまとめて、社長さんにごめんなさいしてもらうための書類です。
始末書と聞いてギクッとした方には申し訳ないです。
ちなみにクルトさんの始末書は謝るところから一切進みません。
徃馬翻次郎でした