第46話 とある恋人たちの思い出 ⑤
出発前から不穏な空気を味わってしまった傭兵旅団の面々は考古学者兼墓泥棒を護衛しての旅をどうにか続けている。“帰るまでが遠足”とは使い古された警句だが、“生きて帰って来れるか心配”な人たちにおくる警句はないのか、と小隊長兼宗教野郎に嫌味のひとつでも言ってやりたいクルトだったが、その前に乗車をマッツと交代したザーワから話を聞いておきたかった。
したがって本日の二号車御者の一番手はエルザである。いつもの鼻歌がないのは後席の会話を聞いているからかも知れない。
「昨日は大変だったな」
「全くですわ。教授は歴史の話、隊長はゼニの話ばっかり……」
「すまん。今日はゆっくりしてくれ」(やっぱりな)
「そうさせていただきますぜ。それで、お話はなんでしょう?」
「隊長はもう処置なしだ」
「それは異議なしですな」
「教授が気になる。何か聞いてないか」
「いかんせん手綱を握りながらですからのう……」
ザーワは勉強家である。知識階級出身ではないのだが、マッツに本を読み聞かせている様子はよく見られる。彼のカバンにはさまざまな状況に対応した魔法の巻物が詰まっており、攻防どちらにも役立つ。
昨日後席で教授が小難しい話をしていたとしても、博学ザーワならひょっとして何か耳に残っていないか、クルトは期待していたのだ。
◇
【いわゆる魔法の巻物について】
―前略―
魔法には唱えるものと描かれたものの二種類が存在することは先に述べた。続いて発動の条件や魔力の使用方法について述べるので、利点や欠点を整理しながらそれぞれ参考にしてほしい。既に見知っている内容だとは思うがよく聞いておくように。
入門講座だからといって試験でふざけた答案を書いたら喜んで落第にしてさしあげるので、そのつもりで。
まず、詠唱は呪文を唱えることで発動させる魔法技術であり、基本的に術者本人の魔力を使用する。構文や発音を間違えると発動しない。もちろん噛んでもいけない。詠唱失敗の結果は何も起きない。無しだ。詠唱に費やした時間の無駄は自己責任だが、戦闘中や冒険者部隊の一員だった場合はそれだけでは済まなくなるぞ。わかるな?自分や仲間の血を見たくないなら噛まなくなるまで練習することだ。
魔法に見合った魔力量に足りない場合、または魔力切れを起こした場合はどれだけ正確に詠唱しても発動しないか、かなり縮小された規模でお情け程度に発動することになるか、のどちらかになる。
自分の魔力残量を把握して、回復手段を手近に確保しておくことだ。迷宮の奥深くで魔力切れを起こして仲間からお荷物とかポンコツとか呼ばれるのは嫌だろう?そうならないよう準備することが肝要だ。
また、魔力量や適性の都合上、誰もが魔術師や治癒師になれるわけではないので、高位の詠唱魔法使用者はおのずと数が限定される。諸君らのようにな。だからといって人を見下すような態度はとらないことだ。片目を開けて寝るはめになっても知らんぞ。
ついでに言っておく。誤解されがちだが、杖のような魔法道具は絶対に必要というわけではない。杖、帽子、指輪などはあくまで補助器具としての役割を果たすものなのだ。
親に買ってもらったお道具を見せびらかすのも結構だが、日ごろの修練こそ重要なのだ、ということを忘れないように。
まとめるぞ。正確な詠唱、適性、魔力が大前提。諸君らに求めるのは修錬と準備、それから謙虚な受講姿勢だ。聞いているのかね中段廊下側の居眠り君。
―中略―
次に、魔法陣は描かれた魔法ということができよう。この技術を使用するには魔力と筆記具が必要となるが、正しい図形と構文を知ってさえいれば誰でも描くことができるのが魔法陣の特徴である。いいか?描くのは誰でもできる。自分を特別だと思わないことだ。
仮に壁や床に絵具や白墨で魔法陣を描いた場合でも、魔力さえこめれば発動する。
詠唱魔法と似ているが、大威力の魔法陣を描いてもそれに見合った魔力が術者に備わっていなければ発動しないぞ。こっちは縮小版お情け魔法が発動することもない。なぜなら魔法陣に発動規模や方向まで明記されているからだ。
魔法陣を大魔力無しで使用可能にし、携帯小型化に成功しただけにとどまらず、商品化までされたのが巻物や木札だ。これらに描かれた魔法陣や構文にはあらかじめ発動に必要な魔力が一回分込められている。魔法陣記入前の無地巻物は売店に置いてあるから暇なときにのぞいてみるといい。
例えば店売りで“火炎の巻物”を入手したとする。こういうものは、あと一、二筆描き加えるだけで発動準備が完了する。だいたいは術者の署名とさらに安全装置として魔法陣の外周が一か所欠いてあるとかだな。
描き加えるには魔石インクのペンや東方では矢立と呼ばれる携帯筆記具を使用する。筆記具を失った状況など緊急時には自らの血液を用いる場合もある。
使用する際は火柱が出現する方向や範囲に注意しながら少量の魔力を加えるように。親切な巻物だと“こちらを前方にして敵に向けよ”とか注意を書いてくれている場合もあるが、黒コゲにはなりたくないだろう?慎重に扱うことだ。
言うまでもないが、できるからと言ってあちこちで魔法陣を見せびらかすような真似はしないことだ。身に覚えのない事件の犯人にされたり、聖騎士団のお世話になっても助けてやれないぞ。
質問?……どこから足が付くのかとな?君は“ジョンが命じる”とか“スミスの名において”のような構文を飾りかなにかだとでも思っていたのかね。犯罪に使用するつもりならその時点で自白だよ。級友の名前で試すのもやめておきたまえ。その級友が魔力をこめないと発動しないし、王国法違反の罰も決して軽くはないぞ。覚えておくことだ。
―中略―
このように、巻物や木札に代表される携帯式魔法陣は高位魔法を自ら詠唱するには魔力が足りない者たちへの救済措置、あるいは冒険者が迷宮を探索するさいのお供として、今や欠くべからざる存在である、というわけだ。
魔術師以外は買わなきゃならんがね(笑)
そろそろ時間だな。次回はこの続きから。休憩時間まで自由にしてよし。
ただし、静かにな。
質問かね?かまわんよ。君は初めて見る顔だな……編入?そんな制度あったかな……ある?まあ良い。なになに……術者以外の魔力を用いて魔法を使う方法?巻物以外で?確かに“基本的に”と言ったから応用として方法は存在するがね。悪いが犯罪の相談なら他所をあたって……違う?
よかろう、読むべき資料の一覧を書き出してあげるから図書室で調べてみなさい。勉強熱心なのは感心だが、あまり気味の良い話ではないぞ……問題ない?それなら結構。
【魔法学院 クラウス・ホイベルガー助教の講義風景(魔法学入門)の一部】
◇
ザーワはあごに手をやりながら考えている。あるいは順序良く整理してから話そうとしていたのかも知れない。
「教授は王都から来たとのことですが」
「そう聞いている」
「その前はサーラーンの南で墓どろ……発掘調査をしていたそうで」
「初耳だ」(地の果てじゃないか)
「何でもそこで見つかった発掘成果が今回の調査における鍵だとか」
「ほう」
「今度こそ間違いない、とも言っとりました」
「むう」(何回かハズレを引いた、と)
ザーワは間諜の訓練は受けていないはずだが、ちゃんと聞き耳を立てていたようだ。さすがは熟練の斥候だ、とクルトはザーワをほめた後、二人して休息に入った。
教授は今回の探索で大当たりを引くと想定しているようだが、金銀財宝つかみ取りではなくアンデッドの大群より取り見取りだったらどうなる、とクルトは心配する。
何しろ臨時雇いで魔術師や神職経験者を小隊に編入するようなアンデッド対策を省いている。たしかに経費を抑えることは大事だ。けれども、値段のことばかりに気を取られているとロクなことにならないのではないか、という鋳掛屋や武器整備職員としての経験からしても、今回の護衛任務は嫌な予感しかしないのである。
さて、昼になったので昨日と同じ簡単な食事を済ませてからクルトはエルザと御者を交代した。だんだんと主街道をそれて脇道に入ってきているのだが、それでも野盗団の襲撃がない。ひょっとして野盗の拠点になるような砦跡とか洞窟がないのかも、とも思ったが、集落から立ち上る煙や人通りまで絶えてしまうと、何やら寂しさを通り越して不気味なものを感じてしまう。
ハンナも気になったらしく周りを見回している。
「寂しいところだね。集落どころか人っ子ひとりいない」
「ああ」(確かに……)
「先乗りしている連中がいるらしいから安心だけど」
「らしいな」
「油断したね。地図もない」
「すまん」
「謝らないでよ。私も今気づいたんだ」
この会話は、依頼主に引きずられる形で事前調査を怠ったな、というハンナの指摘とクルトの謝罪である。
たしかにアンデッドを想定した準備はしてきたが、肝心の逃走経路を設定するための周辺地図を装備に加えるのを失念していた。
戦う前から逃走を考えるのはおかしいと思われるかもしれないが、アンデッドを相手にすると分かっている場合には重要な要素のひとつである。
一般的な話をすると、やっかいな状態異常にかかった者や部位欠損のような重症者、魔力切れを回復できない魔術師や治癒師が出てしまった場合、それが迷宮でも遺跡でもいったん仕切り直しに拠点へ帰還することは珍しくない。大規模な野盗や山賊の討伐でも数に負けて力つきるのを防ぐための一時的撤退はよくある作戦だ。
問題は退却時に発生する敵の追撃をどうかわすか、ということである。
転移魔法やその根幹となる召喚魔法がほぼ幻の存在となっているこの世界では瞬間移動は不可能だ。したがって、陸上での高速移動手段と言えば馬か亜人の変化に期待するほかない。
現状では人員六名に対して馬は四頭いるから、野営装備や食料をあきらめれば変化と組み合わせて高速で逃げることができる。人間や魔獣相手なら、よほどの恨みを買っていない限り、振り切ってしまえば一応の安全と言っていいだろう。
しかし、アンデッド相手だと勝手が違う。奴らは疲れを知らない。日光に弱いという弱点はあるものの、二十四時間不眠不休で眠りを妨げた犯人の匂いを追跡する。途中であきらめたりすることもない。そして、周りの集落や村を飲み込みんで仲間を増やしながら、いつの日か逃げた先まで追いかけてくる。
つまり、彼らの眠りを覚ました以上は全て駆逐するか、墓所に押し返して再封印するしかないのだが、逆に数と勢いで押し切られそうになったらどうするか、ということも考えておかねばならない。
地図はそのための道具なのだ。現場から援軍が期待できる拠点までの間に、足止め用の罠をしかけられそうな場所をさがし、集落があれば逃走経路から外す。やみくもに逃げたのでは、アンデッドのお仲間を増やすだけになってしまうからだ。
扉や蓋の開いた迷宮から魔物や亡者の群れが出てこない保証はどこにもない。
(まいったな。コイツは俺の失敗だ)
どちらかと言えば小隊長の責任なのだが、クルトは思わず自分自身に落胆した。手綱を握りながら次善の策を検討するが、到着次第周辺を偵察するぐらいしか思い浮かばない。
(今は手綱と見張りに集中しようか)
もう野盗団のひとつでも出てくればいいのに、それを理由にアイアン・ブリッジへ引き返すのに、と滅茶苦茶な願望をちらりと抱いたクルトだが、そんなときに限って平穏無事に旅は続く。
いつもご愛読ありがとうございます。
校長先生が魔法学院の教授陣で下っ端だったころの話をぶっこんでみました。
ゼミの先輩でやたら厳しい人がいたとか、そんな思い出に引っ張られて書いてしまったかも知れません。
徃馬翻次郎でした。