第45話 とある恋人たちの思い出 ④
夕闇がひたひたと押し寄せてくる。一号車が野営予定地を見つけたらしく、街道を離れて移動し始めた。やがて木々に囲まれた空き地に出る。焚火の跡がいくつかあるから、旅人たちの定番野営地なのだろう。水場は近くにないようだが、薪が確保できて馬を休ませることができる見通しの良い平面となると、そう多くはないようだ。
レイナードが野営準備の号令をかけたが誰も聞いていない。すでに全員が忙しく働いているのだ。教授ですら夕飯に食べたいものを選んでいた。
マッツとザーワは馬の世話をしている。水樽を開ける許可を教授にもらって馬用の革袋に移している。四頭とも馬具を外して立ち木にくくって毛布を背中に掛けてやる。後は順番に飼い葉と水を給仕してやれば馬たちはご機嫌だ。
ハンナは枯れ枝と乾燥した樹皮をあつめて焚き付けをこしらえている。誰かが石を並べて作った焚火跡を再利用させてもらったので、小さい焚火の準備はすぐに完成した。教授が身悶えしながら見ていたので、ハンナは着火係を譲ってやった。早くハムだか何だかをあぶって食べたかったようだ。
そこへ手斧で枝や朽ち木を打ち払って回っていたクルトが帰ってくる。朝まで火を絶やさないようにするには心もとないが、とりあえず夕飯の調理をするには十分だ。
そして、やっとレイナードも自分の立場とやるべき仕事を理解したようだ。いくら隊長でもこのような小部隊で腕組みして監督を決め込んでいいわけがない。むしろ率先して仕事を見つけても良いぐらいだ。ようやく火の番を買って出た彼に薪を渡しながら、
(こいつ野営の経験あるのかよ)
というもっともな感想をクルトはもったが、そう思われても仕方がないほど、レイナードには威張る以外の能がなかった。
もし肝心の墓地探検で役に立たなかったらどうしてくれようか、という怒りに近いものすら湧いてくる。傭兵旅団の訓練は体力的に相当きつかった記憶があるが、どうやってレイナードはそれを乗り越えたのか、クルトにはさっぱりわからなかった。
しかし、依頼の行程はまだ序盤である。発掘現場に到着すらしていない。
ここでもめても仕方がない、とクルトは諦めた。まずは煮炊きの準備をして食事、教授を除いた五人で作成する不寝番の順番を決めて、できるだけ身体を休める必要がある。
ひとつ嬉しい誤算があったのはマッツとザーワが意外な料理上手だったことだ。小麦粉をバターで炒ってルーをつくり、焼いた塩漬け牛肉にジャガイモとニンジンを投入した。野外でちゃんとしたシチューが食べられることに皆が感動し、教授もあぶりハムを堪能した後にパンとシチューを賞味した。教授は、いささか力強さが足りませんな、と美食家のようなことを言いながらもおかわりを所望するあたり、斥候謹製のシチューは至高の味だったことがうかがえる。
また、皆で後片付けをしているあいだに、斥候たちは周辺を偵察して洗い物に使えそうな水たまりを見つけてきた。偵察をしながら、さらに薪拾いまでしてきた斥候たちに免じて、彼らが担当することになっていた最初の当直を免除するよう、クルトは不寝番の再編成を小隊長に進言した。
レイナードは難癖をつけて拒否しようとしたが、教授のとりなしで進言はしぶしぶ受け入れられる。教授の様子から察するに、よほどシチューが効いたらしい。
一方、マッツとザーワは大喜びである。
さて、最初の当直に立つ前にクルトはハンナから小声で話しかけられた。
「よく我慢できるね」
「上官や先輩の命令は聞くもんだろ」
「そいつらがアホだった場合は?」
「……」(小隊長のことだな)
「命懸けの仕事でアホの言うこと聞いてたらどうなるんだよ?」
「……」(どうもこうも死ぬわな)
「アンタを批判してるわけじゃない。教えておくれよ、クルト」
危険な兆候だった。小隊長本人に面と向かって言えば間違いなく命令不服従、処分対象、
旅団から追い出されても文句は言えない。クルトも言いたいことを我慢しているのだが、彼より早く我慢の限界にきた小隊員が出てしまった。
クルトは今も昔も口がうまいほうではない。しかし、小隊員の反乱を防ぐためにも言葉をつくして説得しなければなるまい。
「ハンナの言うとおりだな」
「ハァ?」
「帰るか」
「いやいや、いくら何でもそれはまずいよね?」
「俺も我慢の限界だ」
「……」
ようやくハンナが落ち着きを取り戻した。ただ愚痴を聞いてほしかっただけなのに、自分よりさらに上乗せした怒りをたぎらせる小隊員を生み出してしまった。
攻守逆転とはこのことだが、クルトの怒りの半分はハンナを落ち着かせるための演技である。もう半分は本気で怒っているだけに演技が自然に見えた。
クルトはハンナの様子を見ながら同調から説得へと切り替える。
「ハンナさんよう、本当に放り出して逃げたらどうなる?」
「どうって……契約不履行で訴えられて……」
「そうだよな。この世界で依頼人裏切ったらオワリだよな、でも一番はアレよ」
「どれ?」
「傭兵旅団は子守もできねぇのかって世間様から舐められるってこった」
やっとハンナはクルトの言いたいことがわかった。これは名誉の問題なのだ。それも個人的な問題だけだはなく、傭兵旅団の一支部にもとどまらない、本部を含めた旅団全組織の評価に関わる問題なのだ。
「そりゃあ今回の作戦はクソだ。上官もクソだ。首までどっぷりクソにつかった気分だ」
「だったらなんで……」
「クソ相手でも裏切って放り出したらクソと同じになっちまう」
やたらとクソの多いクルトの話だが、レイナードのようないけすかない奴でも見捨てるわけにはいかない、という意味である。助け合う仲間を選り好みしていたのでは任務で組める相手が限定されてしまう。傭兵旅団のような組織でそれはまずい、と言いたいのだ。
しかし、ハンナの言い分もよく分かる。上司は能なしで何やら隠し事までしている。このままではハンナがレイナードに再度食ってかかるのも時間の問題だ。
そこでクルトは、小隊長が信頼出来きそうにないのが分かった時点で打てる手は打ってきたことを数少ない朗報としてハンナの耳に入れておくことにした。
「援軍の手配りはしてきた」
「本当?いつの間に……」
「待機要請だから、当面は俺たちだけだ」
「……わかった」
「なんだよ、何にもなかったら一緒に支部長に謝ってくれるんだろ?」
「ちょっと、何でそうなるのよ?絶対イヤよ!さっさと当直に行け!」
ハンナは納得してくれたようだが、本当に何か起こったとしても援軍は間に合わない。何日か後で敵を討って骨ぐらいは拾ってくれるかもしれないが、そもそも相手次第では援軍を呼ぶ暇さえ与えてもらえないかも知れないのだ。
カンテラに目盛付きロウソクを入れながらクルトは薪の残量を確認した。マッツとザーワのおかげで朝食の支度まで不足することはなさそうだ。
日付が変わるまでの三時間をクルト、ハンナ、レイナードの三人で当直をし、夜が明けるまでの五時間を斥候たちも入れて五人で回す編成である。レイナードが自分を編成から外して八時間を四人でやらせるつもりではなかったと信じたい。
クルトの穏やかでない疑念をよそに静かな夜は何事もなく更けてゆく。
いつもご愛読ありがとうございます。
焚火を囲みながらの会話でヒントに気付いたり、思考に進展があるのって良いと思いませんか?
私だけですかね。
徃馬翻次郎でした