第42話 とある恋人たちの思い出 ①
ジーゲル家のなかが突然寒くなった。
室温に変化があったというわけではなく、元気の塊みたいな人間がいなくなったために活気のようなものが失われた、という意味である。
クルトとハンナは昼食の準備を始めたが、その動きはやや精彩を欠く。たくさん食べる人間が一人欠けけるだけでこうも違うものかと、ジーゲル夫妻は寂しくも感慨深げだ。
現在、息子のラウルは王都に出張中で帰りは最短で明日の夕方か夜になる予定だ。昨晩は食欲がなかったらしく、せっかくの鹿肉ステーキも半分残して早くから寝てしまった。
朝にはなんとか回復していたようなので王都へと送り出したがハンナは心配顔、クルトは知らん顔である。
「あの子、大丈夫かしら」
「心配か?」
「あなたは心配じゃないの?」
「エルザがいる」
「だけど……」
「そう言うお前もえらい試しを仕込んだじゃねえか」
「あら、見てたの?」
「ああ」
これは秘密の大銀貨のことを指している。クルトはちゃんと見ていて、ラウルがいなくなるまで黙っていたのだ。“試し”とは試験とか審査という意味だが、ハンナは大銀貨でいったいラウルの何を試そうとしたのだろうか。
「はじめての王都に舞い上がって紛失するか盗まれるかは半々ってとこね」
「ふむ」
「それは問題ないわ。もっと注意深くなるでしょうから」
「ほう」
「無意味に散財するようならもうお金は任せられない。私が管理します」
「お、おう」
「酒場や娼館でキレイどころと遊んで帰ってきたりなんかしたら……」
「別に問題じゃねぇだろ」
「問題じゃなくなるのは自分で稼いでからでは?」
「ハイ」
「薪割り、炉の番、水汲みで一生を終えてもらおうかしら」
「むう」(エライことになったぞ……ラウル……)
“予期せぬ大金を手にした瞬間に人は豹変する”とハンナは常々思っている。世間では“酒を飲ませると本性が出る”とも言うらしいが、彼女はそれをあまり信じていない。自分がいくら飲んでも酔わないせいもあるが、酩酊で出るのは本性というよりはその人のダメな部分と言ったほうが正確だし、酒量によっては調査結果自体が信用できない、というのが彼女の持論だ。
これから先もラウルに外回りをさせるなら当然大金に触れる機会も増えるだろう。そのたびに心配していたのでは身が持たない。王都行きの機会を利用する形にはなったが、ラウルの金にたいする姿勢や使い方をハンナは見ておきたかったのだ。
その意味においてハンナは我が子といえどもラウルを全面的に信用していない。彼には大銀貨をお守りがわりという説明で押し付けてあるが、実は、使い込みなり犯罪なりをやらかす前に試して、その資質があるようなら店の金を触らせない、あるいは彼女の目の黒いうちは監視下に置くようにする、という強烈な抜き打ち試験なのだ。
実際に不始末や犯罪をやらかした子供の保護者が世間様に詰められたときによく使う“ウチの子に限って”などという言葉はたとえ強制されても口に出したくない。そうなる前に見極めることこそが保護者の責任であるとハンナは考えている。
かつてラウルは学校時代にちょくちょく暴力と破壊の嵐を巻き起こしたが、そのたびにジーゲル夫妻は謝罪と修理に走り回った。しかし、ハンナはたしなめる以上の指導はしていない。もし、暴力と破壊が息子自身の憂さ晴らしや弱い者いじめの過程で発生したものなら、その時はラウルを始末した後、監督不行き届きで自分も死ぬ気だった。
この価値判断は過激と思われるかもしれないが、“力ある者は力なき者のために力を振るう”というハンナの実家における家訓が影響している。ラウルは自己防衛のために力を振るっただけなのだから、なるべく暴力は避けてほしいと思いながらも責めはしなかった。
繰り返しになるが、ハンナの中ではラウルの暴力と破壊はおとがめなしなのだ。むろん世間様には平謝りである。
力の使い方に関する試しは済んだ。そして、“我が子よ、大金を手にしてもどうかおかしくならないでおくれ”という願いを込めながらラウルの心を見極める試しが実施された、というわけだ。
「番だけじゃなくて息子も試すのか」
「当然。可愛いとか大事とかは別問題よ」
「むう」
「命懸けで守る以上はね?」
試すことは試すがタイモール全土を敵に回しても、最後までハンナはラウルの味方であり続けるだろう。それはラウルがさえない人間でもかわらない。しかし、守る以上は対象の価値を知っておきたい。“試し”とはそのための評価試験なのだ。
「そうか」
「納得したかしら?」
「……」
「あなた?」
「昔を……思い出していた」
「あら♡それって新婚当時かしら?」
「もう少し前だ」
昼食用に太いマカロニをゆでて、ラウルが残した鹿肉ステーキを刻んでドライトマトと炒めながら、二人は二十年前の記憶を反芻していた。二人には関係がないが、時期的にはダブス爺が酒におぼれて人生を見失っていたころの話である。
その記憶とはラウルが聞きたがっていた二人の馴れ初め、格好よく言うなら“とある恋人たちの思い出”とでも言うべきものだった。
《過去 アルメキア王国西方 城塞都市アイアン・ブリッジ》
魔族侵攻が最後に行われてから数十年経過したが、毒沼の撤去や迷宮探索及び掃討は遅々として進まなかった。勇者制度の採用によりなんとか大魔王を打ち取って、国境線を押し返して和平を結ぶことには成功したのだが、国力の低下は一朝一夕に回復しなかった。生き残った男女にとにかく出産を奨励することもできたが、その手段は瀕死の国家には使えない。まずは食糧増産から始めなければ待っているのは飢餓地獄だ。
したがって、食糧増産の前提条件である人が住める土地と耕作地の確保、そのための毒沼撤去や迷宮破壊の任務は最優先とされ、アルメキア王国では冒険者をつのり傭兵旅団と契約して、その任にあたらせていたのだ。後年、壊滅していた騎士団の再編と戦力培養が完了するまでは苦しい時代が何年も続いた。
現在の自然豊かなアルメキアの風景を見ている者からすれば、信じられないような瘴気に満ちた世界だった。それほどまでに魔族の侵攻は衝撃的で、人と亜人を追い詰めたのだ。
それなら和平交渉の時に“散らかしたところは片づけてから帰ること”を魔族に承認させればよかったのだが、あれこれ条件をつけられる状況ではなかった。和平に不満ならもう一回どちらかが滅ぶまでやるか、という魔族の態度があからさまで、人・亜人連合は和平交渉期間中ずっと冷や汗のかきっぱなしだった。そして、やはりというか魔族もそれはお見通しだった。
現在に至るまでタイモール大陸から迷宮が一掃されていない理由は、そもそも数が多すぎるうえに魔族が撤去せずに放置したまま引き上げたからなのだ。
◇
【いわゆる迷宮について】
献身的な冒険者たちの情報提供により、今や迷宮の研究は加速度的に進行している。当初は魔族の前哨基地ないし階層型の縦深陣地と考えられてきた迷宮だが、それ自体が一個の生命体ではないかという学説が唱えられるにいたって、学会及び諸業界における論争の展開と研究の発展は目覚ましいものが有る。
―中略―
長々と述べてきたが、ここで私は新たな発見を報告をしたい。
一部の迷宮は魔法道具である、という説とその証左である。
ミーン・メイもとうとう血迷ったか、とご心配の読者諸賢はどうか最後まで拙著を読んでいただきたい。必ず真相にせまっていただけるものと私は確信する。
実は、新発見の端緒となったのは魔族の子供が口にする童歌である。以下に歌詞を記すが楽譜は割愛する。
♪ ねえお聞きよ 宝石箱にご用心 さわっちゃいけない 開けてもいけない
♪ ねえお聞きよ 種が芽吹いたら 近づいてはいけない 遊んでもいけない
♪ ねえお聞きよ 勇者共が来たら 教えてあげればいい そこに宝物がある
おわかりいただけただろうか。これは楽しい童歌ではなく、魔族が子供へ注意喚起と戦争指導をするための教材なのだ。
つまり、宝石箱とは正確には“迷宮の種”と言われる魔法道具であり、人食い宝箱と種類を同じくする罠の一種なのだ。道端に落ちている宝石箱など怪しいことこのうえないのだが、ひっかっかる人は常に一定数いて、噛みつかれて失血死する人も多い。
芽吹くとは犠牲者の血肉と魔力を糧にして迷宮が成長することであり、人一人の養分で成長する迷宮は、玄関と直線通路の突き当りに宝箱、その直前に落とし穴という三部屋構造に形成されることがほとんどである。さらに犠牲者の数が増えれば増えるほど、迷宮は部屋数を増し、やがては魔獣や主と呼ばれる非情に強力な魔獣の個体までも生成するに至る。
最後の歌詞は身の毛もよだつ鬼畜の所業だ。魔族が人間を迷宮に誘導する役目を子供に背負わせていた証拠である。
―中略―
最終的には、魔族も迷宮に関しては収拾がつかなくなっていたのだろう、というのが私の推測である。現に魔獣の巣に突入した冒険者部隊が魔族と思しき白骨死体を発見する事案は数多く存在している。なんらかの事故で魔獣が魔族の制御を離れて暴走したとしか考えられない。迷宮も同じことではないか、と私は考えている。
勇者にしろ迷宮にしろ、戦後の混乱と荒廃は、互いの陣営が後先考えずに制御不能な力を戦場に投入した結果であると言えるかもしれない。
【ミーン・メイ著 迷宮考察 悪魔の童歌 より】
◇
クルトとハンナが出会ったのは、アルメキアがようやく本来の自然を取り戻し、人々が食うや食わずの生活から抜け出してしばらくたったころである。
そうは言ってもまだまだ魔獣騒ぎは頻繁にあり、突然活発化する迷宮も現在とは比較にならないほどの数が報告されていた。
両親は元冒険者だとラウルは聞いていたが、正確には傭兵旅団の城塞都市支部に所属する剣士であり、二人とも界隈では名の知られた凄腕だった。
傭兵旅団は組織として任務を請け負うこともあれば、迷宮探索の冒険者部隊に助っ人として参加したり兵士の訓練教官として傭兵を貸し出すこともある。数こそ少ないが攻撃魔法が達者な者や中級の回復魔法を詠唱できる者もいたり、専属の薬師や武器職人まで抱えているあたり、少数精鋭の軍隊と言っても過言ではない。
騎士団と異なるのは国家への忠誠心だろう。アルメキアに腰を据えているのは契約あってのことであり、契約期間満了の際に他国が好条件を出せばさっさと本部を移転しかねない連中なのである。
依頼者と金に忠実な戦闘集団にはあらゆる国籍と人種の入団希望者が集まる。入団すると誰でも最下級の兵卒となって訓練所に放り込まれるところから開始される。前歴(投獄や賞金首)照会もあっさりしたもので、受付窓口近くの壁に賞金首の手配書が一面に貼ってあり、“お前はどれだ?”と聞かれるだけである。つまり、現役の犯罪者以外は採用試験を受けられる、という寸法だ。
訓練所生活が採用試験の実技と面接を兼ねており、見込みのある者は訓練継続を指示されて、最終的には屋内戦闘や鍵開けなどの特殊訓練へと移行する。素質無しと判断されたものは退団か補助職員としての参加を勧告される。荒事専門とはいえ全員が戦闘要員というわけではない。武器の手入れをする技術職員も補給物資や依頼の管理をする事務職員も必要である。それに、少々の怪我なら司教に頼る必要などない、と豪語できる療養施設まで備えていた。
本部だけではなく全ての支部が孤立した状況でもしばらく持ちこたえられるようになっている精強な集団なのだ。
これは世間一般の採用試験と同じだが、入団申し込みの際には採用担当から志望動機を聞かれる。
一番ありふれているのは金銭的なものだ。自慢の腕を金に換えてやろう、というわかりやすい動機であり、クルトとハンナも少なからず心に抱いている動機のひとつではあるが、二人には採用担当に話していない秘密の入団動機があった。
クルト=ジーゲルの入団動機は合法的に暴力を振るえるから、という物騒なものだった。拳闘士であれば人体をどれくらいの力で殴れば壊れるのかを常に研究しているのだろうが、どんなに立派な武器をクルトが手に入れてもそこらの人間や動物で試し切りをするわけにはいかない。誰にとがめられることなく実験できる機会と場所が必要だったのだ。
クルトはそもそも貧農の出だ。アイアン・ブリッジ南方の集落に生まれ、両親は魔族に荒らされた土地を耕し続けた後、相次いで早死にした。小柄な両親に似ない体格と人並み外れた腕力を持つ青年に育ったクルトは進路に迷った。両親の後を継いで畑の肥やしになるか、それとも街へ出て一旗あげるか、である。
転機となったのは集落を訪れた鋳掛屋だ。ろくに鍛冶屋もないような貧しい集落には、訪問鍋釜修理業者とでもいうべき鋳掛屋が時折姿を見せる。携帯式の炉とふいごを用いて熔かした鋳鉄を掛けて鍋釜の穴をふさぐから鋳掛屋と呼ばれる。
鍋釜修理をする様子を飽きもせず眺めていたクルトは、そんなに珍しいのか、と声を掛けられたのを幸い、さんざん話を聞き倒してから家と畑を処分して鋳掛屋に転職した。
名工ジーゲルの第一歩である。
最初は先輩に付き従って各地を転々としながら技術と小銭を蓄積し、最終的には城塞都市へと移り住んだ。そこで傭兵旅団員募集の掲示を見て応募したのだが、当初の採用は戦闘要員ではなく武器部門の技術職員としてである。今まで手にしていた道具は鋤や鍬、最近になって金槌だったのだから、これは仕方がないだろう。したがって、来る日も来る日も給金を貯めながら団員が酷使した武器の整備と調整に当たる日が続いた。
名工ジーゲルの第二歩である。
ある日、整備の終わった長剣を旅団支部の裏庭で振ってみたところ、意外に鋭い刃風が鳴った。面白くなって振り回しているところを支部長に見られて、あのデカイ剣士は誰だ、という話になり、再試験と訓練からやり直すことになって今に至るというわけだ。
人斬りの魅力に憑りつかれているわけでは決してない。武器が値段通りの期待に応える代物かどうか身体を張って実験している、自分の刀剣に対する目利きを試していると言い換えてもいい。
ただし、その試しはもはや荒試しとでもいうべきもので、とにかく力任せの斬撃を続けて刀剣の頑丈さを確かめるものだった。その攻撃を目撃した人たちから“巨人”の異名をつけられたが、本人はいたって真面目に実験をしているつもりなのだ。
他方ハンナ=ヘルナーの入団動機は、自分より強いオスを探している、という出会い目的だった。出会い目的というと何やらいかがわしい響きをもって聞こえるかもしれないが、何が悲しくて自分より弱いオスに身体を任せねばならんのか、という強者を尊貴とする亜人の常とでも言うべき本能に従ったまでのことである。楽をしようと思ったわけではないが、傭兵旅団なら強いオスがごろごろしているだろう、と思っただけなのだ。
ハンナは狼系亜人の中でも貴種の血を引いたお嬢様で相当な財力を持った名家の出なのだが、見合いと称して自分より弱いオスをあてがわれるのはこりごりだった。それに純血を保持する云々という考えにもうんざりしていた。人間や魔族にだって強いオスはいるだろうに、もう結構私は自分で相手を見つけます、と彼女は半ば家出同然に実家を飛び出したのだが、思いのほかお相手探しは難航した。
故郷を発つ前に、両親よりも仲の良かった祖父母がいろいろ道具や金を持たせてくれたので、当座の生活はもちろんのこと、かなり余裕のある経済状態だと言えた。
お相手の条件にしても、年齢、容姿、収入、家柄、魔力一切不問というガバガバ設定にしてあるにもかかわらず、ただ一点、自分よりも強いという条件の敷居が高すぎて、乗り越えてくる挑戦者がなかなか現れない。
具体的には、最低でも自分の面倒を見れる人物、できれば同等、望むべくはハンナを超える戦闘能力の持ち主が理想的なのだが、アルメキア中探しても、これがなかなか難しい。
自分では高望みをしているつもりはないのに全くうまくいかない。ハンナは溜まりに溜まった鬱憤と欲求不満を散らすために、変化して深夜の野原を駆けまくった。その疾走を目撃した人たちから“銀狼”の異名を奉られ、彼女をますます孤高の存在にしている。
そして今や流れ流れてアルメキア西端のアイアン・ブリッジに至り、傭兵旅団に所属することとなった現在もその状況は改善されていない。しかし、人食い狼のように恐れられようが、本人はいたって真面目に未来の番を今日も探している。
ちなみに、当時の二人は特別息の合った相棒というわけでもなく、たまに任務で一緒になる程度の面識である。クルトのハンナ評は“美しいが許可なく男を採点する雌狼”といったものであまり好意的とは言えない。逆にハンナのクルト評は“人間にしてはなかなかやるからとりあえず及第点をやろう”という上から目線のもので、今の夫婦仲からは考えられないような遠く離れた関係だった。
もちろん男女の仲にもなっていない。
ある事件が起こるまで二人はただの同僚だった。
いつもご愛読ありがとうございます。
両親のなれそめ編です。ラウル君たちは一回休みです。場合によっては長い休みです。
このお話の目玉は、いかにしてクルトとハンナはひっついたか、です。
アホ上司とエグい客に負けるなクルト!落ち着けハンナ!
徃馬翻次郎でした。