第40話 おのぼりさん ③
「お待たせ致しました、お若いお客様。ダブス=ミドルトンが御用を承ります。どうぞ何なりとお申し付けください」
「は、はい」(邪魔するなよ……いい声だなオイ)
またもや貴重なスケベ時間を邪魔されてムッとしたラウルだが、あまりにも優雅で洗練された挙動と落ち着いた声に彼は思わず態度を改めた。見れば眼鏡をした年配の犬系亜人がお辞儀から身体を起こすところだったが、かなりの歳のはずなのに姿勢にぶれがなく動きに無駄が見られない。
相手が名乗りをあげたので、ラウルも礼儀正しく応じた。
「はじめまして。ラウル=ジーゲルです」
「ジーゲル様……不躾ですがもしやリンお嬢様のお友達では?」
「ええ、そうですが」(リンが何をしゃべったか気になるけど)
「何かにつけて爺やと呼んでくださいました。おっと、お喋りが過ぎましたな」
「いえいえ、ラウルと呼んでください、ミドルトンさん」(いい人そうだな)
「私もダブス爺とお呼びください、ラウル様。では、こちらへどうぞ」
リンを介してではあるが、意気投合した二人は孫と祖父のように連れ立って店内を移動した。案内された一角は、他の商品と比べてどう贔屓目に見ても不遇な扱いを受けている。ありていに言えば在庫処分市だ。
「ダブスさん、旅行用品なんですが、実は……」
「伺っております、ラウル様」
「オレ、魔力がからっきしで」
「……」
「お金もそんなに持ってるわけではないんです」
「問題ありません。爺が見繕って差し上げます」
「お、お願いします」(やっぱりいい人だ!)
「お任せください、ラウル様」
ダブスが商品の中から選んだのは寝袋と薄手のフード付き外套、それに道具袋のような形状の何かである。
まず、寝袋は羽毛が封入されているもので、畳むときは圧縮しながら空気を抜き、丸めて背嚢にくくりつけるものだ。外套はいわゆるターポリンと呼ばれるもので、表面を薬品処理して水をはじくようにできているが、少しタール臭がする。道具袋から出したのはブリキの箱のようだ。密封できるようにするためか金具がついていた。
ラウルは目下用途不明のブリキ箱について質問してみる。
「ダブスさん、これ弁当箱じゃないですよね」
「ただ今、開けて御覧に入れます。ラウル様」
ダブスはラウルのアホな質問を馬鹿にするでもなく、微笑みながら金具を外して箱の中身を披露した。焚き付けと着火道具、小さい弓ノコ、テグスと釣り針に錘までついている。
「釣り?」
「木の棒とミミズがあれば可能かと存じます」
「はぁ」(そりゃそうだけど)
「さや付きの鋭利な小刀があると便利でしょうな」
「うん」(自分で追加するの?)
「後はお好みで回復薬や解毒剤、保存食や地図等……」
「わかった!これ七つ道具ってやつでしょ?」
「そう思慮いたします。ラウル様」
つまり、焚火と魚釣りを短時間で可能にするための非常用七つ道具である。周りの自然環境にもよるが、凍死や餓死で人生を終えることにないように考案された商品なのだ。
余談だが、凍死というと猛吹雪や極寒の世界を想像しがちだが、睡眠不足や栄養失調等の条件が重なれば、氷点下以上の気温でも生命が危険な状態になる。
ダブスが選んだ商品は全て体温低下を緩和するものや極限状態における栄養補給を想定したものだ。
このままでは七つに少し足りないが、用途に応じて自分で追加すれば良い。密封できるようになっているのは中身を濡らさないための用心だ、とラウルは気付いた。。実はクラーフの名前を冠した御大層な商品名がついているのだが、ダブスはラウルの“七つ道具”という表現を尊重した。
「爺は裁縫道具と布切れの追加をおすすめいたします」
「あまり得意じゃないんですけど」
「もし寝袋が破けた場合、直ちに修理できませんと羽毛が散ってしまいます」
「な、なるほど」(気温次第では死活問題だ)
「緊急の際にはラウル様ご自身を縫うこともできましょう」
「わかりました」(怖いことをさらっと言ったな)
ラウルはダブスの提案と手際の良さを全面的に信じ切っている。商品案内だけでなく客の要望に沿った情報提供も忘れていない。あまり利益にならない取引でも手を抜かない態度にラウルは感銘を受けた。
「その裁縫道具や地図はここで手に入りますか?」
「ご用意できます。ラウル様」
「それじゃあ、それもついでに……」
ここでダブスは小声になった。正確に表現するならラウルにしか聞こえないような不思議なしゃべり方をしていて、口元の動きも少ない。
「おすすめ致しかねます。ラウル様」
「な、なんで?」
「過剰な装飾や高品質のせいでお値段が普及品とは比較になりません」
「そんなに?」
「中古品をお気にされないようなら、下町のマグスを紹介いたします」
「マグスさん……」
「古道具屋でございます。ラウル様」
言うが早いかダブスは胸ポケットから名刺を取り出して、何やらすばやく裏書きしてからラウルに握らせる。もうこのダブスという老人は筋金入りだ、とラウルは脱帽した。
客を失望させないため、無理な買い物をさせないため、そのためなら他社を紹介するような男だ。
しかし、ラウルにはひとつだけ気になることがある。クラーフ商会的にはそれで大丈夫なのか、という当然の疑問だ。
「ご懸念には及びません。ラウル様」
「いや、でも……」(従業員がそれではいかんだろう)
「納得がいきませんか」
「そりゃあそうですよ」
「そうですか。それでは爺の昔話はいかがですかな。お時間をいただきますが」
「ぜひ聞かせて下さい」(気になる)
ラウルはちらりと買取窓口を見たが、エルザの姿は見当たらなかった。どうやら地下の金庫へと下りて行ったようだ。まだまだ時間もあるようなので、購入商品をまとめながら話を聞くことにする。
短縮版ダブスの人生とは概ね次のようなものだ。
とある名家の家令を務めているダブスは愛妻と二人暮らし。子供は早くに独立したので後は身体が言うことを聞かなくなるまで主人に仕えて引退しようと思っていた矢先、病気で妻を亡くす。今から二十年以上前のことだ。
妻を失った悲しみは大きく、紛らわせるために酒におぼれた。浴びるほど飲んだ挙句、相手かまわず喧嘩を売って殴り倒されるような生活を続けた結果、家令として長年奉仕してきた某名家からはあっさりとお払い箱を通告され、絶望に打ちひしがれたダブスの人生はますます荒んだものになっていった。
そこへ家令時代に懇意にしていた先代のクラーフ商会長が訪ねてくる。こんなダブスは見るに忍びない。ウチの若い者に交じって小遣い稼ぎをしてみないか。なあに売っても売らなくてもかまわん、ダブスの好きにやってくれ、という申し出だった。
先代商会長の死亡後もダブスはクラーフに籍を置くことを許されている。どうやら遺言にダブス特権が明記されていたらしい。本人が辞めると言うまで本店に置いてやるように、という友情にあふれた言葉だったようだ。
とまれダブスは生きる気力を取り戻した。
以来、ダブスは毎日出社して接客と雑用を担当している。銀食器やグラスを磨いている姿をよく見かけるが、彼を指名して取引する得意客もいる名物店員とも言える存在である。
ちなみに、接客と雑用にはたまに姿を見せるリンの相手も含まれていた。仮にリンが商会長の孫娘とかなら、出世に燃える若い社員が先を争って接遇したかも知れないが、クラーフ一族最末席であるグスマン支店長の娘では、ただの社員販売として邪険にされない程度が関の山だったろう。
ダブスはどんな客でも裏表なく接する。リンがなついたのもそのあたりを敏感に察知したからに違いない。
しかし、ダブスは押しの強い接客が好みではない。これが原因で売り上げの個人成績はあまり芳しくないのだが、それでもクビにならないのは先代商会長の遺言のおかげである。
本人は商売の仕事をけっこう楽しんでいるのに、若い社員の中には個人成績を鼻にかけて“じいさん、いつまで頑張るんだい”とか“もう(辞めても)いいんじゃないの?”などとあおるバカタレがいたことだけは残念だ。
元気になった今では家令の仕事に復帰したいとも思っている。とはいえ、酒乱でクビになった過去が災いして採用しようという者もいない。
彼の現況とは概ねそのようなものであった。
「そんなことが……」
「とんだお耳汚しでしたな。さてさて、お買い上げありがとうございます」
「いくらですか?」
「リンお嬢様からのご紹介ですから、二割引きとして……」
「はぁ」(紹介じゃないけどリン友割……)
「キリ良く銀貨八枚を申し受けたく存じます」
「それでいいんですか?」(儲かってるのかな)
「十分儲けさせていただいております。ご心配なく、ラウル様」
どうやら端数までオマケしてくれたらしいと察したラウルは合意して、言われるままの銀貨を出して手渡した。ここで値切ろうとするのは罪のような気持ちすら感じる。銀貨の残りも六枚になってなんとも寂しい限りだが、彼はハンナからもらった秘密の大銀貨を思い出した。まさか旅行用品の購入が大銀貨の出番とも思えないが、帰りの駅馬車賃に困ることがないと分かっているだけでも心丈夫だ。
いつもご愛読ありがとうございます。
唐突ですが、私はメイドより執事派です。私自身は朝起こしてもらうのと服の手入れと飲み薬の管理ぐらいしか仕事を思いつきませんが、コウモリ男世界の富豪に使えるセバスチャンみたいな人がいいです。
ダブスは執事キャラです。物語中盤以降で転職の機会があるんじゃないかと思います。
ちなみに妄想中は藤村俊二さんか八奈見乗児さんの声をあてています。(遅筆の原因その1)
徃馬翻次郎でした。