第38話 おのぼりさん ①
ヘーガー店長という名の神の導きにより、疾風のごとき速度で街道を暴走した駅馬車は、日没どころかまだ明るい間に王都城外の厩舎に到着した。
城壁外にはけっこうな大きさの集落が点在しており、田畑や牧場も多い。ヘリオット木材を何倍にもしたような建材業者や蜜蜂亭ほど清潔な感じがしない宿屋兼酒場もある。
城壁内と比べれば飲み食いも泊まるのも城壁外は安くつく。ただし、安酒か吐瀉物、あるいは小便もしくはその全部を混ぜたようなすえた臭いが漂っている。
滞在予定の宿屋がここではないと知って、ラウルは安堵した。
門の手前には石造りの小さな橋が架かっていて、そこそこの水流のある川が流れている。いずれは大河になって海に注ぎ込む支流なのだろうが、これまたラウルが間違っても飲んだり水浴びしたりしたくなるような水質にはほど遠いものだった。色もひどいが臭いも負けず劣らずの便臭に近いものがある。王都は下水道が完備されていて、行きつく先がこの川であるゆえの悪臭なのだが、もし彼がそれを知っていたらのぞき込んだりはしなかっただろう。
到着するなり鼻が曲がる思いをしたラウルだが、見るもの聞くもの全てが新鮮だったことは間違いない。田舎者丸出しで視線を左右に振っている様子は、まさしくおのぼりさんそのものだったが、エルザは彼を馬鹿にするでもなく時折短い解説をしている。ひとつには彼女自身が初めて王都を目にした時の興奮を思い出していたせいでもあり、短い王都滞在中にラウルにできるだけの社会見学をさせてやりたいためでもあった。
やがてクレマー親子に遅れること数分、二人は王都守備隊の衛兵が守る正門に到着した。
「ラウル君、お財布の用意はいいかな?」
「へっ?」
「入都料だよ、入都料」
「まさか出入りにお金がいるとか?」(ウソだろ)
「そうだよ。王都では息をするのも有料なのだ!」
「銀貨一枚と小銭が少しならすぐに出せますけど」(本当かよ)
「うんうん。本当は難民や逃亡奴隷の流入を防ぐためだろうね」
「トウボウドレイ?」(奴隷って給金の出ない労働者のことだよな)
「アルメキアに奴隷はいないはずだからね」
「はぁ」(まだ王都に入ってもないのに恐ろしい話ばっかりだ)
「審査もあるからね。ここはひとつ、お姉さんに任せてくれるかな?」
「お、お願いします」
エルザはラウルから銀貨を一枚預かると、詰所の窓からこっちをにらんでいる衛兵のところへ歩み寄った。商用、一週間以内、宿泊先という単語と二人の姓名が復唱付きで聞こえてくる。
どうやら衛兵たちのなかに顔見知りがいたらしく、彼女とかわす会話も詰問調ではなく親しみのあるものだ。手荷物検査もおざなりで、抜き打ち検査も省略、本来しなければならないはずの凶悪手配犯の人相書きとラウルの顔とを照合することも省略している。
(エルザさんはすごく信用されているよな)
明らかに簡略化されて顔を見ようともしない審査を受けながらラウルは、念入りに荷物を調べられなかった点について感謝していた。例の鞭を見とがめられたらどうしようか、と気をもんでいたのだ。いきなり没収ということになりはすまいが、それでも用途について正確な説明をすることにはなるだろう。そうなれば釈放と同時に王都において官憲立ち合いの元で変態の仲間入りが確定する。
ラウルは改めてヘーガー店長が伸ばす魔手の長さに絶望した。
さて、エルザが紐のついたメダルを二枚持って帰ってきた。
「面倒だから荷物持ちの従僕ってことにしちゃった。ごめんね」
「オレはかまいませんけど、ややこしいことになりませんか?」
「それは大丈夫。もらうもん貰えば衛兵は文句ないのよ」
「はぁ」(本当かな)
「姓名申告で“あのジーゲルなのか”って引っかかっちゃったけど」
「それで?」
「小遣い稼ぎに雇ってあげました、で問題なしよ」
「なるほど」
「さ、行こうか。ゆるやかだけど坂道だから頑張ってね」
「はい。このメダルはどうしましょう?」
「首にかけて失くさないでね。帰るときにここで返却するから」
こうして書類上エルザの家来になったラウルはようやく王都の門をくぐることができた。
件のメダルは鑑札と呼ばれる入都許可証だ。居住している者には王都民証が発行されており、出入りのたびに金銭が必要になることはない。
鑑札は小さいながらも歴とした魔法道具であり、残り滞在日数が印字されていて大聖堂が鳴らす正午の鐘と連動して変化する。印字の色によって観光、商用、公務という具合に滞在目的がわかるようになっており、外国の使節や地方領主の訪問は公務に分類されるので入都料が発生しない、というわけだ。他にも騎士団の紋章や傭兵団の登録証は鑑札代わりとして通用し、これも入都料免除となっている。
つまり、騎士や傭兵でもないのに王都民証や鑑札を所持していなかったり、鑑札を所持していても数字が消えている者は不法滞在、というわけだ。
銀貨だけでなく浮かれる気分まで奪い取って行くような、用事を済ませてさっさと帰れと言わんばかりの制度を目の当たりにして、ラウルは小さな不愉快を覚えた。
しかし、王都の門をくぐって顔を上げた彼の目に飛び込んできた風景は衝撃的で、一生涯忘れることのない思い出になる。
植え込みや花壇の色とりどりの華やかさ、様々な調味料や香辛料が混ざった雑多な匂い、どこからこんなに湧いて出たのだと思うような雑踏の混み具合、商店の従業員から掛かる呼び込みの声に圧倒されながら彼は歩を進めた。おのぼりさんの風情を隠そうともせず、次から次へと現れる初体験にスケベそっちのけで目を奪われた。
「うわぁ……」(これが……王都……)
「クラーフ本店は中地区の一番上だからね……ラウル君、ちゃんと前見てる?」
「す、すいません」(恥ずかしいぜ)
恥ずかしいもなにも、この時点でラウルは本人の気付かない間に二回ほどスリの被害に遭っている。スリ師は熟練の早業でもって油断の塊になっている彼から小銭入れを難なく頂戴していた。ところが、中身がとんでもなくシケているのに落胆する間もなく、獲物に施された刺繍に気付いて愕然となる。
“ジーゲル”
スリ師は腹の底から震えあがった。知らぬこととはいえ、よりにもよって犬神様の身内に手を出してしまったのだ。
犬神様の御名はエストにとどまらず、王都にまで聞こえている。半殺しの目に遭って拘留された後、更生して釈放された野盗の生き残りが、王都の暗黒社会にも触れて回ったためだ。ジーゲル夫妻に楯突いては危険だ、というのは今やアルメキア暗黒社会の一般常識なのである。
犬神様の御身内がなぜ王都にお出ましになってまで荷物持ちのような真似をなさっているのだ、とスリ師は首をひねりつつ、ふたたび早業を駆使して財布をラウルに返却した。
これにもおのぼりラウルは全く気付いていない。
直後にラウルの小銭入れを獲得した二人目のスリ師は一人目と同様の思考をたどった後、なんと返却時に自分が持っていた銅貨を何枚か小銭入れに足していた。これは犬神様への謝罪とお供えである。
これ以後、ラウルは王都でスリの被害に遭うことは一切なくなった。たとえ金貨をむき出しでポケットにいれたまま雑踏を歩いても、である。
つまり、王都で彼の顔を最初に覚えてくれた人間は暗黒社会の住人たちだった、ということになる。
いつもご愛読ありがとうございます。
はじめての王都です。着くなりスリにやられ、所持金を増やしてしまいました。
スカイリムではじめてホワイトラン(最初の街)に来た時のドキドキを思い出しながら書きました。
構造的には長崎や尾道みたいな都市の一番上にガウディが乗っかってる感じですかね。
なお、ごっこ遊びには景色の妄想も含まれます。(遅筆の原因その2)
徃馬翻次郎でした。