第34話 王都への道 ①
王都とエストを連絡する駅馬車は二頭立ての屋根付き馬車が一日に一便であり、予備車両と牧場の馬を引き出せば最大三便までの増発が可能である。増発した場合でも運行は一度に行われる。
運行はエストを朝に出て途中の集落で昼休み、王都に着くのは早くて夕方になる。天候次第で路面状況が悪化することもあるから、季節によっては日没ぎりぎりの到着になってしまうこともよくあることだ。
エストから王都までは比較的治安の良い街道だが、夜間運行は絶対にしない。もちろん野盗団を警戒してのことだが、昼休みに立ち寄る集落にはアルメキア騎士団が小さな駐屯地とのろし台兼監視塔を置いているので、白昼堂々の襲撃もまず考えられない。
王都行の駅馬車はエスト北門前の厩舎前から発車する。
北門に向かう前に蜜蜂亭に向いエルザが宿を引き払った。その後エスト第四番坑道に下りて、特別報酬の魔法素材を受領するという運びになっている。
「おまたせ、ラウル君」
「行きますか?」
「うん。行こう」
エルザの装備は強化鞭と背嚢に肩掛けカバンが加わっていた。背嚢はかなり膨れ上がっているから、ここに金貨なり報酬の一部が入っているのかもしれない、とラウルは推測した。すぐに取り出したい荷物を肩掛けカバンに収納しているようだが、ラウルはそのカバンのたすき掛けが気になって仕方ない。
山脈を分断する清流とでも表現すべき絶景を目に焼き付けたラウルは、エルザと連れ立ってエスト第四番坑道へ向かい、入口を封鎖していた衛兵に通してもらうと地下二階の広間へ降りて行った。
そこには巨大蜘蛛の成れの果てが素材別にビン詰めや梱包をされたり木箱におさまったりして受取主の到着を待っていた。衛兵も何人かいて梱包作業と書類作成に余念がない。
一昨日は野戦陣地の一部にされていた机が本来の役割を取り戻して、臨時事務官を拝命した衛兵の事務机として活躍していた。
その事務衛兵がこちらに気付いてあいさつしてくる。
「お待ちしておりました、エルザさん」
「おはよう。早速でわるいけど、こっちの三つでいいのかな?」
色の悪い象牙様のものが束ねられた包み、怪しげな瓶詰がたくさん入った木箱、岩石状の何かを厳重に梱包した重そうな物体をエルザはそれぞれ指さして尋ねた。
「そうであります。受け取りにサインをいただけますか」
「はいはい。これでいい?」
「結構であります。外までお運びしましょうか?」
「気持ちだけもらっとくよ。忙しそうだしね」
事務衛兵は喜色を隠そうともせずエルザに甘えることにしたようだ。本当は慣れない事務仕事で手一杯なのかも知れないと思った彼女は、衛兵には頼まずに荷運びラウルと打ち合わせることにした。
一方、ラウルは受け取り伝票が複写になっているのに気付いて、エルザが控えをもらうのを見ていたのだが、複写の理由を質問する前にエルザが話しかけてきた。
「瓶詰は私が持つから、ラウル君は残りを頼めるかな?」
「わかりました。こっちは牙で、この大きい石みたいなのは……」
「魔石だよ。これだけ大きいのは珍しいから落とさないでね」
「了解」(ちょっとデカすぎじゃね?)
「頼むね。落として割れたりしたらお姉さん泣いちゃうから」
「き、気を付けます」
ラウルが複写の質問を忘れてしまうくらい驚いたのも無理はない。今まで鍛冶屋で扱っていたものと比べれば、犬と馬のようなものだ。単純計算したとしてもかなりの値打ちだろう、と彼でも想像がつく大きさである。
実は大きいものはかなりの付加価値がつくので、落として割ったら泣く、というエルザの言い草は大げさでも何でもない。
◇
魔法と魔法道具が高度に発展した現在において、魔石の重要性はあらためて語るまでもないだろう。魔術師や治癒師が持つ杖の先端、魔法武器の柄、職人が持つ道具の握りを見れば、大きさはともかくとして、そこには必ず魔石が光っているはずだ。
ある時は術者の魔力を底上げする補助として、またある時は武器や道具そのものの性能を高めるものとして、我々の生活になくてはならない存在だと断言できる。
また、制御された環境下で燃焼させると熱量の増加以外に様々な効果を生み出すことも知られており、鉱工業以外にも兵器としての利用が研究されつつある。
―中略―
次に、周知の事実ではあるが、今一度魔石の生成について述べておきたい。
魔素が集積して生成されたものが魔石であり、生成の過程と生み出される母体によって大きく二種類に分別される。
まず、鉱山魔石と呼ばれる魔の国の地下で長い年月と地層の圧力をかけて魔素が自然集積されたものがある。その採掘と加工は魔の国の主要産業として国家を支えている。
もうひとつは生体魔石と呼ばれる魔族や魔獣の体内に存在するものだ。当然だが魔石を取り出せば魔族や魔獣は死んでしまう。魔族と和平が締結された現在においては、迷宮や野良の魔獣を狩る以外の入手方法は売買か窃盗である。
―中略―
最後に、近年まで魔族の秘術とされてきた魔石の利用方法について説明したい。
前述した術者の補助という役割だけでなく、付呪で魔法の術式を魔石に書き込んで魔法道具や魔法武器の核にすえる技法が確立されて久しい。
実は、その付呪が単純な術式に留まらない高度な思考や動作を含めた疑似的な魂とでも言うべき内容を書き込むことができる、と言えば賢明な読者諸氏はお気づきになられたであろう。
土人形や巨神兵の核のことである。金銭的価値以外に評価されることがなかった魔石の大きさだが、疑似的な魂魄とでも言うべき存在を書き込むことができる“容量”のようなものとして再評価せねばならない、となると話は別である。
なお、この件は研究途中であるため、読者諸氏には続報をお待ちいただきたい。
【アーケイ・ボーノ ポール・ライン共著 続・魔石論(初版)】
※全体的に良書だが魂のくだりが宗教的に不穏当であるとして、当局から最後半部分の黒塗り処分を受けた。第二版以降は頁自体が存在しない。
◇
衛兵が荷造り紐を丁寧にかけてくれていたおかげで持ち運びは楽だったが、鍛えたラウルの腕力でも少しキツいと感じるほど、魔石と牙はけっこうな重量だった。
(ちょっと重いな、オイ)
肉体的疲労を精神でおぎなうべく、ラウルは前を進むエルザの尻と尻尾が揺れるのを観察することにしたが、自分の手にしているものが超のつく高級品、別して魔石は替えがきかないと知らされてからは、どうも気が散ってエルザの尻に集中できない。
(だめだ。足元に集中しよう)
涙をのんでラウルはスケベを自粛した。荷運びとしての任務を全うしようというごく当たり前の思考なのだが、ラウルがスケベを断念するためには尋常でない精神集中が必要である。
しかし、最長であと二日お世話になる相棒の気分を害しても自分のためにならない、そうなったら旅が楽しくない、という高度な戦略に基づいた、人によっては当たり前の判断を下した結果なのだ。
一方、エルザも割れ物を運んでいるので落とさないように必死だった。おかげでラウルの粘着質な視線には気付かずにエスト北門の厩舎にたどりつく。
他に乗車客はいないらしく、二人組の亜人御者に手伝ってもらって積み荷を馬車の一番奥に詰め込む。ラウルとエルザも背嚢を下ろして積み荷の近くに寄せておいた。
まもなく発車らしいが二人は馬車の外で待つことにする。いったん発車したら長い時間座りっぱなしになる予定だからだ。今は少しでも背筋を伸ばしておきたい。
「ふーう!助かったよ、ラウル君」
「お役に立ててよかったです」(エルザさんは伸びまで色っぽいな)
「いい天気だし旅行日和だよ」
「ですね」(目の保養日和だよ)
「あのーエルザ嬢と若旦那ァ」
やや上向きに躍動するエルザ山脈を思う存分堪能するという目の保養を邪魔されたラウルは一瞬むっとしたが、声の主が駅馬車の御者だと気づいて直ちに態度を改めた。
「お代をいただきやす。お嬢と、えーと……」
「ラウル=ジーゲルです」
「えっ!ジーゲル家の坊ちゃん?」
「はぁ、そうですが」(ここでも坊ちゃん……)
「こいつは豪勢だ!エストの英雄を二人もお送りできるなんてよう」
エルザは馴染みの客らしい。戦利品を載せて移動するのも今回が初めてというわけではないのだろう。一方、またしてもラウルは坊ちゃん呼ばわりだが、同時に英雄の呼称も獲得していたようだ。
村人だけでなく村にいない時間の多い御者のような人にまで、一昨日の救出作戦は知れわたっているらしい。彼が帰ってきたときに酒場で一杯やって仕入れた尾ひれ付きの噂話かもしれないが、言われて悪い気はしない二人だった。
「お代をいただくなんて滅相もねぇんですが、こっちも生活がかかってまして」
「気にしないで。こっちもそっちも仕事だよ」
「いくらですか、おじさん」
「乗るときに銀貨一枚、降りるときにもう一枚いただきやす」
エルザは肩掛けカバンから財布を取り出して銀貨を二枚、御者の手に握らせる。御者は礼を言って御者台に戻って行った。
「降りるときの支払いはまかせたよ、ラウル君」
「わかりました」
「こうやってお財布を分けておくと便利じゃない?」
「たしかにそう思います」(とっさに出せなかった)
「万が一ってこともあるよね?野盗とか泥棒とかスリとか」
「な、なるほど」(お外コワイ)
危機管理と分散の話である。よく言われるブーツの底やベルトの裏に秘密の金貨とは幾分誇張された話だが、そこまで徹底しなくともエルザの話は聞く価値がある。故郷から遠く離れた土地で一文無しになった自分を想像したラウルは青くなった。
(ヘーガー店長にいい小道具がないか聞いてみよう……ヘーガー……)
良い着想を得たついでに何かを思い出してさらに青くなったラウルだったが、出発直前の駅馬車を呼び止める声が彼を現実世界に引き戻した。
いつもご愛読ありがとうございます。
久々に眼福をするラウル君です。
しかし一日に二回もラッキースケベとは豪勢だなラウル!その分次回で不幸になります。
徃馬翻次郎でした。