第33話 木剣と鞭 ④
「ヘーガーの野郎はとんでもないものを考えたね」
「同感です」(思う存分叩くつもりだったんだ……)
ヘーガーの趣味に付き合うつもりは全くないラウルだが、この鞭は気に入った。殺傷を否定する武器というのがなんともおかしく、ヘーガーらしいとも思える。しかし、この趣味に付き合って回復術式を魔石に刻んだ治癒師か神職経験者が一人はいるわけだが、ラウルには見当もつかなかった。
ただし、ラウルが気付いたように魔力の都合上、彼が使用しても回復魔法は発動しない。ラウルの訓練に使うなら、鞭で叩いてくれる人を別途見つけてくる必要があるわけだが、エルザは当分相手ができそうにないと聞いている。
ラウルは彼女以外で訓練に付き合ってくれそうな人を順番に思い浮かべた。
両親、リン、コリン、ウィリアム、ヴィリー隊長、校長先生、ロッテ。ラウルを鞭打つのをためらうか、妙な絵面になってしまうような人物ばかりだ。
おかしくなった時のロッテかヘーガー以外に適任者が思いつかない。
ラウルはヘーガーの遠大な計画に戦慄した。
さて、エスト村に向かうのにちょうど良い時間になったので二人は出発することにした。ラウルは荷物のなかにヘーガーの回復鞭を入れる予定だ。留守中に両親が捨てたりしないとは思うが、念のための用心である。
早朝訪問のおかげで、エストでの荷物積み込みを計算に入れても駅馬車の発車まで十分余裕がある。そこで、最後の打ち合わせをもう一度全員ですることにした。
「エルザ、王都ではどこに泊まる?」
「私はいつも臥竜亭です」
「そこなら安心だ。もし部屋が取れなかったら……」
「物置部屋と簡易ベッドでも頼んでみます」
「そうしてくれるか。丈夫だから床に転がしても問題ないとは思うが」
「床はかわいそうよ、あなた」
「……」(そうだそうだ!)
ラウルは心の中で文句を垂れながら背嚢を点検した。自分で詰めたのではないから、確認しておかないととっさに取り出せなくて慌てることになる。
一番底には着替えが緩衝材がわりに詰められ、その上に厳重に梱包された守り刀と納品書が鎮座している。おやつ替わりのビスケットと手ぬぐいが続き、首に近い位置の隠し内ポケットには小銭入れが入っている。ハンナが追加した銀貨もここだが、彼女はクルトに内緒で大銀貨を一枚追加していた。彼女曰く、お守りのようなもので基本的に使ってはいけない、外泊で恥をかかないようにする緊急避難的資金だそうだ。
説明が回りくどいのが気になったが、“お守り”として背嚢にしまっておくことにした。
サイドポケットの片方には水筒、もう片方には例の鞭を束ねて突っ込む。何も考えずに適当に突っ込んだのだが、どういうわけかサイドポケットに束ねた鞭が気味悪いくらいすっぽり納まってしまった。
「父さん、護身用の武器はどうしようか」
「いらん」
「エルザさんもいるでしょ、ラウル」
「旅商人だとして短剣ぐらいかな?」
非常事態以外における民間人の武装は衛兵や騎士団に見とがめられる恐れがある。冒険者や傭兵でもないかぎり、特に治安の良い地域や街をうろつく際には特に重要なことだ。強盗や野盗と間違えられるような真似はやめておけ、というジーゲル夫妻の意見である。
実際、傭兵旅団に登録しているフレッチャー兄弟は登録証を常時携帯している。衛兵に誰何されて装備をあらためられたら登録証を見せればよい。エルザは軽装だから問題にされたことはない。考えようによってはロッテや校長先生が装備している杖のほうがよっぽど危ない気がするが、これも問題にされたことはないらしい。
エルザの提案する短剣はラウルの心配とジーゲル夫妻の意見との間をとった折衷案だったが、この短剣もできるだけ人目に触れない位置に装備するよう注意する必要がある。
戦争中でも魔族侵攻の最中でもない以上、民間人がことさら武装を誇示して周囲の人間をいたずらに緊張させるようなことがあってはならないのだ。
鍛冶場の収納から短剣を取り出して、ようやくラウルは準備が整った。
しかし、取引相手は富裕層の中でも上層に位置するクラーフの本店である。応対に出る者が支配人であれ末端の店員であれ、グスマン支店長と対面した時以上の緊張をする羽目になるだろう、とラウルは予測した。
「父さん、口上はいいの?」(練習したい)
「ああ?毎度どうも。今後ともよろしく。これぐらい言えるだろ?」
「本当にそれだけ?」
「もう少し丁寧にね、ラウル」
「そうだよねえ」(父さんはそれでいいかも知れないけどオレはだめだろう)
ハンナの指導で“お引き立て”や“またのご用命”などという上流階級向けの口上をラウルが必死で覚えている間に、エルザは外に出て変化した。ラウルが荷物を背負って表に出た時は、しなやかな身体を伸ばして準備運動をするクロヒョウが待っていた。
魔法防具が変形したと思われる金の装具は黒い身体と相性が良く不思議な高級感がある。
後ろ足の足輪は紫か濃紺かよくわからないが、ラウルはそれ以上観察するのをやめてエルザの背中にまたがった。あらぬ妄想をしすぎて走行中に振り落とされたりしても文句は言えないからだ。
「行ってきます!」
「気を付けてね、ラウル!」
「頼んだぞ、エルザ」
「おまかせください!」
こうしてラウルは王都に向かって出発した。納品という名のおつかいに過ぎない仕事かもしれないが、考えようによってはエルザの護衛付きで社会勉強をする機会でもある。
朝の清々しい空気が快くラウルの肺を刺激する。彼がエストを自らの意思ではじめて飛び出すことになる記念すべき一日の始まりだった。
いつもご愛読ありがとうございます。
やっと首都にいく準備ができました。皆様の応援のおかげです。
がんばれラウル!都会の荒波に負けるなラウル!
徃馬翻次郎でした。
※変化亜人の足輪云々は下着の色についての話です。