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第32話 木剣と鞭 ③


「そうだ。ヘーガーから預かってきたものがあるんだ、ラウル君」

「はぁ。仮縫い完成はまだ先のことだと聞いてましたが」

「冒険と調教のお供に使ってくれ、らしいよ?」

「まあ、何かしら?」

「むむ」

「……」(訓練じゃなくて調教って言った……)


 エルザが足元から持ち上げたのは光沢のある黒革が随所に使用された背嚢はいのうだった。収納量も十分で寝袋をくくり付けられるようになっている。銀色の金具が大人しめの高級感を演出している一方、滑車や突起物が見当たらないのでラウルは安心してありがたく使わせていただくことにした。


「大事に使わせてもらうよ」

「手入れを忘れるな」

「いただいてしまっていいのかしら」

「魔法はかかってないみたいですが、たしかに良い品ですね」

「ラウルを気に入ったようだな」

「手紙ともうひとつ何か入ってる」(嫌な予感しかしない)


 ラウルは震える手で手紙を開封した。



愛するラウルちゃん♡


 採寸にこうふ……熱中して渡すのを忘れちゃった♡

 贈り物をエルザ嬢に預けるから遠慮なく使ってね♡

 久しぶりに会えてとっても♡とってもうれしかったわ♡ラウルちゃん♡


あ・な・たのヘーガー♡よりXX


 ♡追伸♡エルザの強化鞭とちがって痛くないからね♡



 背嚢からは黒革の鞭が転がり出た。ヘーガーの店に展示されていたハタキ状のものではなく、黒光りする光沢以外はエルザが武器にしているものに似ている。

 ラウルはこの鞭の用途を正確に把握して青くなったが、エルザも用途を知っているのか、笑いをこらえてうつむいたまま震えている。

 一方、ジーゲル夫妻は同じく用途を把握しながらも少し違った感想をもったようだ。

 クルトはラウルの手から手紙をもぎとろうとしたが、ラウルは私信と強弁して何とか死守に成功する。ところが、その行動がかえってジーゲル夫妻の疑念を招いた。


「ラウル……お前……」

「大丈夫よね?母さんが聞いたら倒れるようなこと、無いわよね?」

「ないよ!してないし、されてもないッ!」

「あれ、こっちには弱い魔法がかかってますね。なんだろ?」

「なんだと?」

「まさか、いかがわしい類の……」

「……」(魔法武器ってことはオレ用じゃない?)


 探検家エルザが手に取って調べてみたが、どうしたことか魔法の効果がわからない。武器の攻撃力を上げたり何らかの属性を持たせるのが魔法鍛冶のだいご味だが、この鞭には他者を傷つけてやろうという意思のようなものが感じられない。ウィリアムが見せてくれたスリングショットの鉄弾とは真逆のような感じと言えた。

 

 ヘーガーの鞭は全く矛盾した存在であり、不気味でもある。

 おまけにハンナが心配しているいかがわしい類の魔法がかけられている可能性もあるわけで、そうなったらヘーガーも無事では済まないだろう。

 しかし、ラウルはクルトにこそ食ってかかりたかった。この危険がわかっていながらヘーガーの店に行かせたのではないか、と小一時間問い詰めたい気持ちである。

 とはいえ、魔法の効果を確かめないことには文句も言えない、ということでエルザとラウルが店の裏で検証することになった。幸い、朝の駅馬車まで時間はかなりある。


 その間にジーゲル夫妻はラウルの旅支度を手伝ってやることにした。

 ハンナは水筒とビスケットを布袋に入れて携帯食をこしらえ、旅慣れた手際で着替えと手ぬぐいをまとめる。銀貨も十数枚出してきたが、旅費にしてはえらく多い。これは旅行道具でいいものがあったら少々高くても手に入れろ、とのことだ。王都で買えば値段も相応に高くなるはずだが、値段に見合った高品質のものを探す機会でもある。

 クルトは守り刀を保管庫から取り出し、化粧箱の上からきれいな布で梱包した。クラーフに押印してもらう納品書を用意したあとは、背嚢の点検に取り掛かった。ラウルを異世界に引きずり込む道具がこれ以上出てこないか、常人には理解しがたい仕掛けが隠されていないか調べるためである。


 一足先に裏手の試射場に出たエルザは標的人形相手に魔力を込めて鞭を振るってみた。乾いた音が鳴って標的人形を揺らすが、炎上もしなければ氷結もしない。帯電した様子もないので、どうやら属性付与ではないとわかる。

 これ以上の検証は生き物相手にする必要があるが、それをラウル相手に実施してしまってよいものか、エルザは悩んでいた。


「どうです?エルザさん」

「うーん。確かに魔法武器なんだけどなあ。こんなの初めてだよ」


 エルザは困ってしまったが、いろいろな可能性を考えているうちに今回の訪問でやり残したことを思い出した。


「そうだ!王都の後はしばらく会えないと思うし、宿題出しておこうか」

「はい、エルザ先生」(宿題……)


 素直な返事をしたラウルだが、宿題という言葉の邪悪な響きには久々に寒い思いをした。

ただし、今回は書き取りでも暗唱でもないのが救いだった。一人でもできる訓練となるとおのずと種類が限られてしまうが、果たしてエルザは棒きれで地面にいくつかの円を互い違いに描き始めた。

(これはケンケンパ?)

 ラウルからは子供の遊びに見えたようだが、石ころは使わないし着地する足が制限されている枠も存在しない。


「注目!戦士の基本動作その一!」

「おお」(なんかはじまったぞ)

「足さばき、だ!」

「はぁ」(思っていたのと違う……)

「食いつき悪いな?オイ」

「すいません、先生」

「仕方ない。地味だもんね。でも今のラウル君にとって一番大事なんだよ」

「わかりました。お願いします」


 気を取り直して師弟に戻った二人は、手短に訓練の意義と必要性について話し合った。相手が魔獣であれ野盗であれ、攻撃の対応は回避か防御である。お金と訓練時間のかかる装甲も身体強化魔法のための魔力も持たないラウルは回避を人力で鍛えるしかない。

 相手が攻撃を続けてスタミナ切れを起こすまで回避を続け、一瞬の隙を見つけて反撃するか逃走を試みる戦法の基礎となる訓練だ。情けないとか格好悪いという感情は捨てろ、ある高名な武人も当たらなければどうということはないという名言を残したぐらいさ、とエルザは締めくくった。


「よし。やってみようか」

「はい、先生!」


 元気よく返事をしたラウルだが、よく見れば円同士の間隔がケンケンパと比べるとかなり遠く、ななめ前に移動をしなければならない。大きな溜めや腕を使った反動が必要なほどではないが、少し体のバネを利かす必要がある、と彼は判断した。


「はじめ!」

「行きます!」


 ケンケンパの端に立ったエルザが合図代わりに手の中で鞭をしごいて鋭い音をたてた。ラウルは勢いをつけて連続した跳躍を難なくこなす。年齢平均をはるかに超えた身体能力の持ち主にはそれこそどうということはない程度の課題だった。


「いいねえ。思っていたよりずっといい」

「どうも」(ちょっと簡単すぎじゃね?)

「往復!」

「はい!」(反復練習かな?)


 ラウルが背を向けた瞬間エルザの鞭が高らかに鳴った。

 合図ではない。どうやらラウルが何か間違えたらしい。


「何考えてるの?敵に背中見せてどうすんのよ?刺されたいの?」

「え?は、はい?」(怖いッ)

「私を、見ながら、後ろに、飛べ」


 またもや鞭が鳴る。短く区切られた命令の内容は極めて明確だ。しかしながら、そもそも人間の骨格や筋肉組成は後方跳躍しやすいように作られてはいない。ラウルがためらっていると、エルザは束ねていた鞭をほぐして伸ばし、猛獣使いのように彼を急かし立てた。


「さあ!やれ!」

「はい、先生!」(いきなり難易度があがった)


 ラウルの感想はともかくとして、エルザが叩き込もうとしている足さばきの訓練は、一般的にバックステップとして知られている回避技術へとつながる、初歩中の初歩だが大事な基礎作りなのである。

 真後ろへの回避では相手の武器が飛び道具や長物だった場合、避けきれない場合がある。ケンケンパの配置に角度が付いているのは、ななめ後ろへの回避を身に着けるためなのだ。

 慣れた戦士は避けざまに反撃を食らわすことも可能なのだが、ラウルが反撃込みの回避を習得するのはまだまだ先の話である。

 

「ほっ」

「次ッ!次ッ!」

「くっ」(む、むずかしい)

「足元!見ない!」


 ラウルは初めての経験に戸惑ったが、バックステップの練習としては一番難易度の低い初心者向けのものである。戦場がきれいな地面ばかりとは限らない。冒険者たる者、不整地や揺れる船上のような不安定な足場も当然想定しなけらばならないのだ。

 

「もう一回!前へ!」

「ぐっ」(連続はキツいぜ)

「早く!飛べ!」


 エルザは容赦なく鞭を振るう。野盗や魔獣に待ったは通用しない。着地点を狙う奴もいるだろうから、次の跳躍まで時間をかければかけるほど危険が増す。それを警告するための鞭がラウルの足元を襲い、土煙を上げた。


「はい!後ろ!」

「ぎっ」(ム、ムリっす)

「下を見るんじゃないッ!」


 騎士団や傭兵旅団の訓練担当もかくやの勢いで振り下ろされた鞭がとうとうラウルの太ももに当たって音を立てた。服を破いてこそないがかなりの衝撃だ。

 

「ブヒィッ♡」(しまった、つい……)

「な、なに?ぶひ?」


 ヘーガーの英才教育と刷り込みによって漏れてしまったラウルの悲鳴だが、熱くなって我を忘れていたエルザを正気に戻す効果を生んだ。彼女は負傷の確認もしたいようなので訓練は中断となる。


「ごめんごめん。つい夢中になっちゃって」

「大丈夫です、先生」

「ちょっと待って。痛くないの?」

「けっこう痛かったんですが、だんだん気持ちよくなって……」

「いやいや、今はそういうの要らないから」

「まじめな話です、先生」

「うん?それってまさか……」


 意外なことでヘーガーの鞭に掛けられていた魔法の効果が判明した。エルザが考えもしなかったことだが、なんと衝撃と同時に弱い回復魔法が攻撃対象に発動する仕様になっていたのだ。

 確かに手紙に“痛くない”と書いてあったが、その意味がようやく判明した。ラウルはエルザに向こうを向いてもらってからズボンを下ろし、命中個所を確認したが痕跡すら見当たらなかった。

 趣味の延長がこじれて生み出された品だが、本来の用途はともかくとして、回復するけいこ道具としては画期的だ。ともすれば必殺の一撃になりかねない木剣と比べれば優しさでできている部分が多い、と言うべきかもしれない。


いつもご愛読ありがとうございます。

ヘーガーさんに悪気はありません。本当にラウルが好きなだけなんです。

がんばれラウル!染まると元に戻れないぞラウル!

徃馬翻次郎でした。

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