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第348話 続・ノルトラントにて ①


 グリノス帝国での冒険を終えたラウル=ジーゲルはようやく春たけなわのアルメキアに姿を現した。彼の現在地はノルトラントである。正確にはノルトラント北と呼称されるアルメキア最北端の大規模集落に立ち寄り、彼の祖父である辺境伯フリッツ=ヘルナーと祖母のイルメラ夫人に挨拶をしてから王都へ向かう算段であった。

 後世の歴史を知る者や学者連中は突如としてラウル主従の足取りが鮮明で確かなものになる点を喜ぶ。リン=クラーフが遺した手紙にあたるまでもなく、ヘルナー家ゆかりの記録や絵画作品等にラウルが登場するからだ。

 辺境伯の御気色ことのほか宜しく重畳の至り、とはヘルナー家の家宰が日誌に書き記した文言であり、ラウルとリンの来訪を大いに歓迎していた様子がうかがえる。ラウルとフリッツはノルトラント騒乱を巡って因縁の有る相手だが、片田舎まで孫夫婦が来てくれたことに感情が動かない祖父母などいないのだ。実際は、主人の表情から感情をくみ取ることに長けている家宰だったからこそ、フリッツの仏頂面から歓喜の意を抽出できたのだが、フリッツの内心が日誌の文言とさして離れていないあたり、有能家宰の手腕恐るべし、といったあたりであろう。

 なお、上記の絵画に関しては面白い話がある。例えば、『辺境伯大地に立つ』と号された作品の中央には、老いてなお盛んで他を圧する威を放つフリッツが何かの書類か設計図を片手に指揮状を振るっている姿がやや遠景から描かれていた。背景は荒涼とした土地に転がされている建築資材だ。彼の左右には家臣団がかしこまっており、開発工事を陣頭指揮する辺境伯を詳細に描くことで彼の威厳を暗に示しているのだ、とされていた。よく観察すると、その一団にひときわ目立つ人物が描き込まれているのがわかる。頭をかきながらアホ面を晒している大柄な青年は一見この場に相応しくない気する不思議な存在だ。これは家臣の子弟が辺境伯の訓導を受けている場面である、と長らく解されていた。件の人物が身に着けている衣装が貴人のものであることから、おそらく身分の高い有力貴族の関係者であろう、と結論付けられていたのだが、はるか後年になって絵画の修復技術が向上したことにより、描き足しや塗り直した痕跡まで分析できるようになって、謎の人物がラウルではないのか、という説が浮上したのだ。新説の決め手はラウルの肩にしがみついている白い爬虫類の存在である。彼がグリノスから帰郷した時に、愛玩動物にしては奇妙な生き物を連れていたことは複数の記録から確認できる。この描写は『辺境伯大地に立つ』にもあったが、加筆されてその存在を消されていた。ラウルが辺境伯本人より目立つ事態を懸念して修正の憂き目にあったか、あるいは、不思議の存在を画題とすることに遠慮してのことだったのか、ともかく、大きなトカゲの如き生物の存在が絵画から消された結果、長い年月を経て当該青年の正体が不明になってしまったのである。


 話がそれたが、『辺境伯大地に立つ』は作者が見たままを描き上げた逸品だ。なにしろ、ノルトラント北における開発工事の現場では絵画と寸分違わぬ状況が展開されている。恐れしらずの雇われ画家がフリッツに様々な姿勢と静止を要求するものだから、短気な彼が癇癪を起こしそうになり、そこへ現れたラウルをこれ幸いとイルメラが夫にあてがったのが本件絵画の登場人物に隠された諸事情だった。

 

「ええい、いまいましい。画家の想像力を刺激するために、いったいどれほどの忍耐を試されるのだ」

「そんなに嫌ならおやめになるか、気分の良い日に日のべなさったらどうですかね」


 フリッツがこめかみに青筋を立てて文句をいい、それをのんびりした調子でラウルがなだめ、居並ぶ側近たちは激しく首肯して同意する。昔の辺境伯様なら画家は今頃鞭で打たれていたろうに、と顔に書いてあった。ところが、ラウルがフリッツの相手を引き受けてくれたので、癇癪の雷を誰も食らわずにすんでいる。側近たちは避雷針のようなラウルの訪問を拝むように有難がっていた。昨年来丸くなったとはいえ、辺境伯の短気をノルトラントで知らぬ者はいないのだ。


「阿呆か、貴様は」


 フリッツはラウルが肩に乗せている妙な動物のことが気になったが、ちらと目をやっただけだ。聞けばグリノス皇帝からの贈り物らしいし、猟犬や鳥を絶えず身辺に侍らせる貴族や富裕層の人間は多い。トカゲとなると変わり種だが、それも全くいないわけではないからだ。


「うへッ」

「ヘルナー家の事績を後世に残すべく辛抱しておるのだ。いずれ辺境伯ヘルナー家の名跡を継ぐ者も現れようが、その際にはノルトラント中興の祖として尊ばれるほどでなければならぬ」


 ノルトラントに入ったラウルは、叔父のディーターが陞爵しょうしゃくの栄誉にあずかったことを知った。ただし、ヘルナー家はフリッツの代で一旦途絶えることになり、ディーターは苗字が代わってシュミット候爵となる。階級だけ引き上げてくれれば面倒がないものを、廃された名家を継承せねば成らぬ出世とは大層なことだ、とラウルは思う。


「なんでまた、そんなに面倒くさいことを」

「亜人と人とは違う、と言いたいのであろうよ。家門が偉いのであって、最高位の貴族に仲間入りするには条件があるというだけだ」

「そうかなあ」

「気のない相槌を打ちおって……まあいい。中央にも顔を出して行け。倅も喜ぶ」

「ええ、それは請け負いましたけど、じっとしたり姿勢の注文に我慢なさったりしているのも貴族の務めと言うわけですか」


 今やノルトラント辺境伯の役割は徐々に変化している。ノルトラント北の統治者であると同時に最北の防衛司令官としてにらみを効かせる一方で、北方諸侯の取りまとめ役としてアルメキア北部を仕切るディーターを陰から支えていた。『辺境伯大地に立つ』はフリッツが置かれていた当時の状況を雄弁に語っていた説明書のごとき絵画であると言えよう。


「グリノス国境を巡っての小競り合いや諜者の侵入は日常茶飯事だったが、このところ妙に静かでな。おかげで警備や防諜にかかる人手や費用は開発事業に回すことができた。結果、大忙しだ」

「ははあ」

「お前の仕業か」

「どうですかね」

「ふん、まあいい。良く聞け、いまいましいが絵描きどもは便利だ。国王や大司教の肖像画を広間に掲げておけば、帰属意識や忠誠の対象を公式に表明しているのと同じだ。他には、家族を大事にしている者は……見たことがあるか、妻が椅子に腰かけて赤子を抱き、その後ろに主人が立っている……」

「ああ、ありますあります」


 ラウルはグリノス皇帝の執務室で皇帝一家を描いた絵画を見ていた。さして留意はしていなかったが、なるほど、家族思いの人物が注文したと言われれば納得がいく。旧辺境伯邸にも同様の絵画があったはずだが思い出せない。翻って、よくよく考えてみればジーゲル家には静物画すらないことに気付いたラウルは、広間か個室に絵の一枚でも飾るべきではないかという気がしてきた。


「これでわかったろう」

「思ったより深い話でした。余裕が出来たらオレも考えます」

「そうしろ」


 ふん、とフリッツはひとつ鼻息を漏らした。それがきっかけになったのか、彼は言い忘れていたことを思い出す。珍しいことに、言おうか言うまいか悩んでいる様子であった。


「なんです?」

「いや、今となってはもはや、うむッ……」

「らしくないですねえ」

「措け。繊細な問題なのだ」

 

 フリッツが口ごもるのにはそれなりの理由がある。それもそのはず、ディーターは侯爵どころか公爵になる計画があったのだ。アルメキアの決まりでは公爵は王室の縁者でなければならないから、王族の女性との縁談話が進められていたことになるが、いつの間にか

立ち消えになっていた。


「なかったことにするには問題が大きすぎやしませんか?」


 当然の疑問に対する答えはいくつか考えられる、とフリッツは言う。おおかたは、人の子を狼にやれるか、などと人種差別的そもそも論が持ち上がったのであろうが、それなら企画の段階で静かに潰せばすむ話だ。


「話の消え方が妙ではあるが、反応としては予想の範囲内だ」

「そんな、今さら……ウチの両親みたいなのは例外としても、王家が率先して亜人を締め出すのかよ」

「王族と一般家庭が同列に語られるはずもあるまい。だが、どうだ?今なら先年の騒乱に至った理由がわかりそうなものだがな。アルメキア王家の業は深いぞ」


 ラウルは頭をかいて誤魔化した。謝罪したところで過ぎ去った時間はもとに戻らず、謀反のやり直しに協力するわけにいかない。グリノス帝国を見てきた彼にとって、アルメキア王家の人族至上主義はいかにもやりすぎのような気がした。ただ、国を割るような反乱の過程で発生するであろう被害を鑑みるに、フリッツの言い分を全て飲み込むわけにはいかない。その点に関する限りは、ノルトラント騒乱の揉み消しは正しかったとラウルは考えている。


「ま、まあ、オレと違って叔父貴はモテますからね。自分の好きな相手と結ばれるのが一番じゃないですか?」

「似たことを何度も言わせるな。貴族の婚姻が市井の人間と……待て、心当たりがあるのか?」


 心当たりはあるもののラウルは沈黙を守った。ノルトラント在住の有名冒険者が弟子にしている娘や、ディーター直属部隊の秘書を務めている少女の名前を出すのは余計な世話かつ無責任というものだ。


「知りません」

「本当か?」


 フリッツの追及でラウルが苦しくなったところに助け船が来た。作業指揮所から少し離れたところに毛氈もうせんと日傘で別世界を構築していたイルメラだ。庭用の机と椅子で休憩できるように設えてあり、リンがちゃっかり相伴にあずかっている。


「イルメラ様がお呼びです」


 ラウルを呼びにやってきた従僕は小さくお辞儀をすると給仕役に戻るべく、小走りで駆け去った。扇子を開いて招く仕草をするイルメラの表情はやや険しい。祖父の次は祖母からの追及と決まった。


いつもご愛読ありがとうございまず。

足利尊氏や武田信玄の肖像画が実は別人だった、とするニュースはそれぞれずいぶん昔のことでしたが、その件を思い出しながら書きました。家来と間違われてしまったラウル君です。

徃馬翻次郎でした。

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