第340話 金貨一枚 ①
いつもご愛読ありがとうございます。
やたらと長い両親のお話がこんなところに繋がりました。弱い人間を助けるために攻撃魔法が与えられたって話も怪しくなってきましたね。
徃馬翻次郎でした。
最後に訪れたルニングラードの春はいつであったか。季節の分類が冬と冬以外とされるグリノスにおいて、冬の終わりは何よりも尊いものであるのに、ルオート山を起点とする人工的な悪天候は春の到来を長い間許さなかった。それがラウル=ジーゲル一行の活躍によってようやく終止符を打たれることとなったのである。野山に獣が戻るには先々気の遠くなるような年月が掛かるとしても、死と静寂に支配された氷の大地に人の足が再び入るのだ。それに、帝国領の中心に空いた大穴が塞がった意味は実に大きい。
グリノス皇帝エドワード二世はラウルの武功を深く嘉し、キースチン邸を接収して設営した仮本営において表彰を行なった。左右に文武百官が居並ぶ公式の場ではないものの、彼なりに気を遣って異国の冒険者を労おうとしてのことだ。むろん、ひとつの街を奪還した功績は間違いなくグリノスの英雄として讃えられるべきだったが、何としたことか、帝国では外国人を顕彰する制度が未整備だった。
まず、帝国騎士に任じようとしてもラウルは既にアルメキアの騎士である。功一級帝国十字章は当の帝国人ですら授かった者がほとんど居ない。それならば、と直轄地を割いて代官付きの封地を与えようとしたが、これにはラウルが首を振った。
「どれも身の丈にすぎます」
「ジーゲル卿よ、王国への忠義立ては見事だが、何かは受けてもらわぬと帝国の沽券にかかわる」
命懸けのわりに報酬が渋い、と噂が立てば危険な任務を率先して引き受ける冒険者の寄り付きが悪くなる、というのが皇帝の本音だ。皇室から直に下された任務であるにもかかわらず、という前提がつけば猶のことである。ただ、ラウルが冒険の報酬についてあれこれ言いふらすはずもないので、これは要らぬ心配であろう。
「でしたら、実用的な物をいただきたく思います」
「金か。それは用意してあるが、ルニングラード相当の金貨となると持ち合わせがない」
本当かよ、とラウルは心の中で唸った。急ごしらえの執務室はある種の前線司令部のような様相を呈しており、ラウルとリン以外にも文官や使い走りの侍従が頻繁に出入りしている。そのような中で街に値段をつけて買い取ると言う宣言はただの思いつきとは思いない。皇帝流の冗談かと思いきや、どっこい皇帝は大真面目らしいのだから、新興領主のラウルが恐れ入った次第だ。
(大物過ぎるだろ……)
もちろん、釣り合いを取るために名誉的な何かを受け取れ、と皇帝が示唆しているのは分かっている。しかしながら、アルメキアの騎士としては受け取りにくいことこの上ない。他国の大物に気に入られ過ぎるのは危険だからだ。
「では、オレが困ったことになったら助けてくれる、というのはどうでしょうか」
ラウルは頭を捻って棚上げ策を出した。
「ふむ、ひとつ貸し、ということか」
今度は皇帝が考え込む。ラウルは現時点で何も要求してはいないが、意地悪く解釈すれば、限度額が空白の借用証書に裏書きするようなものだ。ただし、ルニングラードと皇帝への貸しとを同等と評価したとも取れる点において悪い気はしない。
「ああ、それから、帝国中を見て回る許可証をぜひともお願いします。臨時狩猟官の身分でも困ることはないのですが、帝国図書館や軍学校には入れませんので」
「そうだな」
悪い取引ではない、と皇帝は判断した。要求されている付録もごく可愛らしいもので、秘密書庫や軍事機密に触れない了解をラウルから取り付ければ何の問題もない。
「あと、フレッチャー兄弟に親しくお言葉を賜れば幸いです。名誉の戦士ですが、陛下のお気持ちを何倍にもして世間に伝えてくれます」
「なるほど。よし、卿の提案に乗ろう」
ラウルと皇帝が握手する様子をリンは黙って見ていた。違和感と言うほどのものではないが、彼女の主人が腕力一点張りから多少の宗旨替えをしたように思えるのだ。これが彼の頭の中に住まう人物の入れ知恵でないなら、思慮深くなったということであり、それはまことに結構なことなのだが、
(また熱を出したりしないかな?)
などと心配になってしまう。彼の身体を含めて、竜王や竜族が操る超常の力は到底リンの理解が及ぶものではない。さらに言えば、使命の旅を終えた時には全く別種の生物になっていそうな予感がしてならないのだ。
「ジーゲル夫人も大儀であった。お二人の旅路が平穏であることを祈っているよ」
グリノス皇帝が別れの挨拶をしたことでリンは我に返る。他国とは言え国家元首が直々に述べる労いの言葉には彼女なりに感動していたのだが、皇帝との面談などは流石にラウルとの冒険が無ければ一生縁のなかった世界の事象だから、緊張のあまり呆けてしまうことがある。
「過分なお言葉痛み入ります」
尻尾を出さずに取り繕ったリンが深々としたお辞儀から姿勢を直した時には、仮執務室の外に文官たちが列を成している気配がありありと感じられた。長居は無用、と退出したラウルとリンは新生ルニングラード住民第一号となったカナスタと話す。彼女は皇帝肝煎りの技術者としてしれっと合流しており、それらしい仕草や態度で皇帝周辺の取り巻きを騙すことにまんまと成功していた。役人たちが目の回るような忙しさに翻弄されていたのと、何かあるたびに皇帝の御前へ召され、多岐にわたる下問に素早く奉答する人物に対して“あれはどなたです”と誰も言えなくなってしまったのだ。
「うまいことやりましたね」
「案外見て見ぬふりだと思いますよ。我々竜族の存在は代々皇家の申し送り事項とされていますが、側近の方々がご存知ないはずはありませんからね」
「そんなものですか」
「皇帝陛下の御意ですよ」
リンはフレッチャー兄弟の提案を思い出さずにはいられなかった。正体が露見する前にグリノスヘ身を寄せてはどうか、という思いやりにあふれるものだ。彼女はラウルを瓦礫の下から救出した後に、彼らの提案をありのまま主人に報告したが、そいつはなんとも有難いね、と感想を述べるに留まった。具体的にどうするのか、という問いに対しては、オレはアルメキア人なんだよなあ、と口をへの字に曲げたのみである。意味不明な部分が多いやり取りではあったが、グリノス亡命の気持ちがないことだけはわかったので、ラウルの意思を尊重することに同意はしたけれども、異種異形の者に優しいグリノス帝国への誘いが魅力的に感じられたのは確かだ。
「そうそう、その皇帝陛下の御意ってやつで、あちこち見て回れる許可証をもらったからさ、復興事業の計画とか勉強になるものなら何でも大歓迎なんだけど。なあ、リン?」
「え?ああ、うん。ご迷惑じゃなければ」
「それは良いお考えですね」
カナスタの案内でラウルたちはキースチン邸の玄関広間に誘われた。大昔は屋敷に出入りする物を出迎える調度品が並び、数日前はそりを引く犬たちの休憩所に使用されていた空間にかつての面影は全くない。がらくたや荷物はすべて取り払われるか壁際に追いやられ、所狭しと図表や書類が並べられている。ひと際目を引くのは壁に掛けられている板に打ち付けられた地図だ。これだけでは何の変哲もないが、裁縫に使う待ち針のような道具があちこちに刺さっている。さらによく見ると飾りがついていてひとつひとつが微妙に違う。それだけでは足らないのか、数字を書いた紙片や色を塗った画鋲がとめられていたり、まさに色とりどりといった状況であった。
「これはラウル様、リン様、カナスタさんもおいでですか」
玄関広間にいた役人のひとりが目ざとく三人を見つけて声をかける。帝都からルニングラードへの旅で何度か顔を見た記憶がリンにはあった。皇帝へ直接報告に来ることができる時点で低位の文官ではないことがわかる。
「ああ、ごめん、見させてもらうよ」
ラウルはリンに言って真新しい許可証を示させたが、視線は地図から離れない。詳細な地図は他国者に触らせないのが通例となっているグリノスでは断られても仕方がない見学の申し込みである。半ば諦めるような気持ちで押してみたのだ。
「どうぞ、ラウル様」
素直な返答が意外で、ラウルは思わず声の主を見てしまった。
「へッ?」
「ラウル様は既にけっこうな帝国内旅行をされていますしね。聞くところによると、アルメキア人が決して知らない近道までご存知とか。ただ、本職としては、ご覧になったものはラウル様の腹のうちに留め置くか、ごく身近な範囲で使用に供されることを熱望いたします」
「秘密ってことね」
「はい、リン様」
玄関広間を仕切る立場の文官は言葉遣いこそ丁寧だが目が笑っていない。包み隠さずに言えば回れ右をしてほしいところだが、帝国の恩人かつ皇帝の客人を無下にするわけにはいけないので苦しいところを察しろ、と言外に言っているのだ。
「わかった。気を付けるよ」
「ありがとうございます、ラウル様」
リンは見学記録をつけようとしていた手控えを鞄に戻す。勇気を出して言いにくい注意をした文官の顔を立ててやる必要があったからだ。なお、この小さな動きは文官の目に入っており、リンに向き直って会釈を送ってきたのには、彼女はひそかに舌を巻いた。
「軽く説明してくれるか?そのほうが早くすむ」
「承りました」
早々に引き上げる、と明言したラウルの行動に気を良くしたのか、文官は細い棒きれを取り出して風変わりな地図の説明を始める。
「まず、黄色の旗は皇帝のおわす御座所にて、小さな黄旗は皇子の現在地点になります。二つはほぼ同地点になっているでしょう?」
「ほんとうだ!」
「紙片の数字は軍勢の数、物資の量、あるいは到着予定日」
「すげえ」
グリノスの官僚組織が発明した画期的な現況報告地図を拝見したラウルはいかにも感心している様子を隠せないでいたが、実のところ、彼にとっては既知の技術なのだ。これに似たものは竜王の精神世界で見ていた。複雑な線と光の点滅で慌ただしいだけの見世物ではあったが、要するに、はるか後世の軍組織においては常識となっている戦況表示装置だ。しかし、これを発明したと思われる文官は超常の力によって葬り去られてはいない。今もラウルの目前で元気に口角泡を飛ばしている。彼が生きていられるのは、おそらく、この発想が民生用途でも大いに有用だからであろうとは思う。
それにしても神々は妙なことをなさる、とラウルは思う。発明というものを極論すれば大いに人助けとなるか人殺しを捗らせるかのどちらかになるのは確かだ。戦況表示装置のように、戦時でも平時でも有用な発明は目こぼしがあるとして、人助けの回復魔法と人殺しの攻撃魔法はこの世界の掟にあって両立しうるだろうか。
(何か変だぞ)
ルオート山の冒険に出かける直前、グリノス皇帝が魔法の発見乃至発明の歴史は判然としない点について言及していたことをラウルは思い出す。そもそも、個人が持つ魔力の源泉は龍脈を流れる大地の気だが、それ自体に他人を殺傷するような効能や意図は一切ないから、全ては魔力を用いる人間次第なのだ。それでは、攻撃魔法を思いついた人間はなぜ消されなかったのか。
(理屈を無視できる……いや、そいつが人間じゃなかったらどうだ?)
仲良し両親が語る馴れ初めの大半は聞くに耐えないものだったが、生きているのが不思議な戦闘を潜り抜けた経験をつい最近になってラウルは聞いた。戦った相手は太古の昔に多数の人命を生贄として不死の命と雷を操る術を得たのだと言う。
(……待てよ、親父の話で聞いたような気が……)
ラウルの脳裏に浮かんでいる絵図は人々の命を少しでも永らえようとする神と棺桶をせっせと増産する神による足の引っ張り合いだ。その死神担当が直接的な脅威となって現れたとしか思えない敵と戦う羽目になったクルトとハンナの話は二十年近く前にさかのぼる。城塞都市アイアン・ブリッジ東での出来事だ。




