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第339話 【こぼれ話】仮初の都へ急げ【戦士兄弟】


 竜王の精神世界に招かれたラウル=ジーゲルが星の海へと漕ぎだしたちょうどその頃、フレッチャー兄弟に助けられて生き埋めを回避したリン=クラーフは息を吹き返して周辺の状況を飲み込むと、従騎士の面目が潰れたことなどよりも、言い様がない悲しみで胸がいっぱいになった。ラウルを犠牲にして生き延びようなどとは思いもしない彼女にとって、夫の未帰還という現状はあまりにも残酷だったが、さりとて調査部隊の指揮を引き継がねばならない。三人はルニングラードに取って返すと留守番のカナスタ・ナラニトイ=キースチンに事情を説明し、それぞれ救援を呼ぶために出発した。すなわち、リンは帝都へ向かい、フレッチャー兄弟は凍結した湖面が融解する前にセーヴェルへと犬ぞりを駆ったのである。 


 グリノス皇帝エドワード二世は帝都グリノスコエに飛来したリン=クラーフの急報を受け取るやいなや直ちに出御を宣言する。自身は即応体制にあった漆黒の猟犬を率いて直ちに進発、ルオート山で生き埋めになったラウル=ジーゲルの救出へ向かった。同時に、ヘンリー皇子と帝都守備隊に命じて食料や建材をかき集めさせ、ルニングラードへの進駐を行なう。まるで遷都ではありませんか、と文官たちが総ざらいの出撃準備を評して言ったものだが、皇帝の意図はまさに限定的な首都機能の移転だった。考えてみれば、これほどルニングラードの安全を喧伝する措置は他にない。皇帝の御座所が危険であろうはずがなく、怪異は取り除かれた、と言葉のみを声高に繰り返すよりもよほど効き目があろうというものだ。この手は後日になって帰郷を希望する旧住民やその子孫たちの申請を処理するのにも役立った。役所の一部を職員ごとルニングラードに引き連れてきたので、帝都まで問い合わせる手間が省けたのである。


 とまれ、グリノス皇帝が直接指揮を執る先遣隊は未だに融けきらぬ積雪を蹴散らして進み、リンは特別に近侍を許されて同行することになった。本音を言えばルオート山へ飛んで戻りたかったのだが、瓦礫を取り除く機材と人員の集結が完了しなければどうにもならぬ、という皇帝の諫めにより、彼女は車中の客となったのである。

 車中では生き残りの竜族と接触できたことや、ルオート山の冷凍睡眠施設を攻略したことを報告する。この時点でルニングラードへの接近を阻む悪天候は嘘のように消え去っていたから、怪異が解消したことは誰の目にも明らかだった。


「ジーゲル卿のことだ、手ぶらで帰ってくることはあるまい、と思っていたが……御主人の命を賭けさせる事態になったことは遺憾である」


 皇帝はリンに向かって軽く頭を下げた。彼の隣と対面には書類束を抱えた文官が乗り込んでおり、彼らが差し出す書類に目を通し、署名し、注釈を入れて突き返す作業を束の間中断しての詫びだったので、誠意のほどは十二分に伝わった。ルオート山の調査依頼はあくまでも冒険者としてのラウルに対するものであり、彼がエドワードの臣下ではない以上、その妻かつ副官のリンに対しても気を遣っていたのである。


「どうかお気遣いなく、陛下」

「そのお言葉に甘えさせてもらうが、ジーゲル夫人よ、些か顔色が冴えぬようだな」


 皇帝は車列に小休止を命じてリンを車外へ誘った。休憩の間に輓獣と替え馬を交換し、隊列の速度を維持しようという意気込みがうかがえる。

 実際、彼女の疲労は肉体精神ともにかなりものだったが寝込むほどではない。ラウルが少々のことでは死なない身体になっており、鍛えぬいた体術と併せて死地を潜り抜けたであろうと信じている。にもかかわらず、彼女の顔色は冴えない理由は、


「ラウルは、いえ、我が主は少し背負いすぎではないかと」


 と言うラウルに直接言えない不満からくる気分の悪さだった。グリノス皇帝に含むところはないが、いつの間にやらタイモール大陸中の怪異を解決する始末屋になっており、行方不明竜族の捜索まで引き受けている。故郷へ帰れば領地経営のこともあるのに、このままでは瓦礫以外の重圧に潰されてしまうのではないか。


「ふむふむ」


 うかうかと口を滑らせてしまったリンは話し相手がグリノス皇帝であったことを思い出して恐懼きょうくする。どれだけ落ち着いた魅力の持ち主であっても近所の小父さんとは違う。他国の国家元首相手に身の上相談などあり得ない話なのだが、肝心のグリノス皇帝が面白がって会話に乗ってしまった。


「申し訳ございません。陛下の御耳に入れることではありませんでした」

「かまわぬ。ジーゲル卿の歳に似合わぬ大功の裏には必ずや大小の無理があろうし、ジーゲル夫人が心配されるのも道理だ。しかし、ジーゲル卿は考えなしに仕事を引き受けているわけではあるまいよ」

「そうだと良いのですが」

「今少し夫君を信じても良かろう」

「信じてます。信じてますけど……」

「まあ、聞け」


 まず、行方不明の竜族に関しては、アルメキア王室は絶対に責任を取らない。竜族を食い物にして王国を発展させたという事実からして認めようとしないだろう。


「それは分かります。どうして、その代わりがラウルなのでしょうか?」


 国の責任を一騎士に過ぎないラウルが負わねばならない理由がどこにあるのか、と考えるだけでリンは何とも言えない気分になる。正道を貫く騎士道精神は大事だが、手一杯の状況で寄り道が許される身でもないはずなのだ。


「もっともだな」


 皇帝はリンの勢いに苦笑しながらエスト鋼を例にあげる。仮に、エスト鋼の主要材料であるエスト魔砂土が竜族由来のものであったとしたらどうか。


「ラウルは、ああ、クルトさんの代からだから、けっこうな勘定になりますね」

「そうだ。エストの鉱山主と精錬業者、それらから材料供給を受ける鍛冶屋は全員が利害関係者だ」


 その伝で言えば、稀代の名工クルト=ジーゲルなぞは竜族の恩恵に肩までどっぷり浸かっていることになるだろう。ラウルは魔力不能の関係でエスト鋼を触り出したのはつい最近のことになるが、それでも無関係と言うわけではない。鉱物以外にもエスト周辺の豊富な農産物や獣肉に加えて湖の漁労にまで影響があるとしたら、エスト民は総じて竜族の血肉を食べているのと同義なのだ。


「それなら、私だって……」

「うむ。ほとんどのアルメキア民が意識せずにいる……とは思うが、ジーゲル卿は真相を知ってしまった」


 リンは思わず唾を飲み込む。ファラーシャの計画による湯治宿はどうなのだ。どれが竜族の血なのか涙なのか最早特定のしようがないが、火山地帯でもない平野部に湧き出た鉱泉を幸運の賜物としていいものか。むろん、それら全てを竜族とは関係ない偶然の産物と考えることもできたが、疑い出せばきりがない。


「体のいいただ乗りだわ」


 ラウルの感じた罪悪感こそが竜族の捜索を引き受けた原因なのだ。大した資源もなく海なしの小国だったアルメキアが竜族を肥やしにして大国にのしあがったことに直接の責任はなくとも、その恩恵だけは残らず受けておいて竜族の悲惨な過去と現状に目をつぶることなどできない。異国の地へ逃亡せざるをえなかった彼らの未来を少しでも明るいものにしてやりたい一念なのである。


「おそらく、ジーゲル卿はそう感じたのだろう」


 皇帝はゆったりとした足取りで隊列を見回り、先遣隊の作業を督励する。姿を見せるだけの視察であっても効果は絶大だ。特殊部隊の精鋭相手に発破をかける必要はないのだが、皇帝が冷たい雪の中へ足を踏み入れることに意義がある。果して、朽ちた道標を新しいものにかけ替える任務を遂行中の一団から“皇帝万歳”の声がかかった。


「これは、私の考えが及ばぬところでした」


 皇帝は手を掲げて万歳に応えながら、わずかにうなだれるリンを見やる。


「何事もよく話し合うことだ。余は其方らの重荷が軽くなる助力を惜しまぬ。さしあたってはルニングラードへ急がねばならぬが、ここから先は除雪しながらの行軍ゆえ、悔しいことに速度が大幅に落ちる」

「でしたら、セーヴェルに知らせを送って、集落の犬ぞりを借りてはいかがでしょうか?」

「おお、犬ぞりか。かさばる機材や重量物を運んでもらえるのなら有難いが、犬たちはどうなのだ?連続の往復輸送に耐えうるのか?」

「耐久力については問題ありません」

「ほう、言い切ったな。自信の根拠はジーゲル卿の魔法かね」

「そのようなものです、皇帝陛下」


 回復鞭の由来について詳しく聞かれる前に、リンは再び空の旅人となった。セーヴェルで補給中のフレッチャー兄弟と合流し、犬ぞり隊を雇ってグリノスコエ北東に進出した皇帝の元へと向かわせる算段だ。重量物を下ろして身軽になった先遣隊の行軍速度と疲労の蓄積は比較にならないはずである。

 短いやり取りの間にグリノス皇帝とリンの思惑は明確に一致を見た。ラウル救助に一刻も早く取り掛かるべく、耐寒防御を優先した着ぶくれから解放されたリンは得意の大鷲変化でセーヴェルへと急ぐ。

 昼間飛行とは言え白一色の銀世界で目印に乏しいことに不安を抱きつつも、彼女は懸命に羽ばたいた。天候が回復したことで方向感覚を失う恐れがなくなったのが救いだ。しばらくは無人の雪原をひたすら飛ぶことになったが、やがて、街道沿いの集落にぽつぽつと人影が認められた。数は少ないが炊煙も上がっている。最大の目印であるゼールカロ湖を目視する段になると心強さはうんと増した。


(まだ近道は使えるかな?)


 リンの言う近道とは凍結した湖面のことだ。彼女が見たところ、湖面は完全な鏡のようにひびひとつない。 


(これなら大丈夫だよね!)


 周辺を見回す余裕もできた彼女にとって、セーヴェルへの飛行は容易いものとなった。肝心のフレッチャー兄弟は牧場におらず、集落の広場でルニングラード救援隊の編成中とのことだ。確かに、彼らは人員の募集や物資の集積に大わらわであったが、その合間に自分たちの英雄譚をせがまれるままに開陳することも忘れなかった。

 名付けて『フレッチャー兄弟と氷の巨人』とでも題すべき物語のあらすじは、アルメキアから修行に来ていたラウルが怪異に巻き込まれ、彼を助けてグリノス傭兵の二人が大活躍するという、嘘は言っていないが盛りすぎの気がある非常に愉快な妖物退治ものだ。


「おやまあ」(これぐらいはいいか)


 あえてリンは訂正せずに成り行きを見守る。彼らの語り口が興味深かっただけではない。アルメキアに帰った際に国王への報告用として筋書きを借りられるほどよくできていたからだ。


「……と言うわけで、ルニングラードを氷漬けにしていたのはルオート山にりついた氷の巨人だったのだ」


 両手を大きく広げて吠える真似をし、聞き入る集落の子供たちを怖がらせるアランはなかなかの演技派である。これなら、後日ルオート山が立ち入り禁止になっても不自然ではない。


「哀れ、アルメキアの騎士殿は寒気にてられて、ルニングラードで足止めを食っておられる。いやはや、我らがいなかったら危ないところであった」


 オチを付けるために不当と言っていいラウル下げが盛られた。トーマスがにやにやしながら語るものだから聴衆からも笑いが漏れる。正史だの稗史はいしだのと高尚な事を言うつもりはないが、謎伝説や怪しい昔話はこうして生まれるものなのか、とリンは妙なところで感心していた。


「さあさあ、皆の衆、ルニングラードはもう安全だ。安心して救援隊に志願……いや、帝国を支える流通再開の第一陣となってくれ」

「力自慢はついて来い。出稼ぎの口もたんとある」


 ラウルを幾分笑いの種にしている語り口はフレッチャー兄弟なりの志願者募集用盛り上げ口上だったのだ。それに、皇帝は車中でルニングラード復興事業の策定に入っており、トーマスの口上は丸っきり嘘ではない。


「その通りよ。皇帝陛下と皇子殿下はすでに帝都を出発されているもの」


 リンは人垣の後ろから口添えをしてやった。


「おお、従騎士殿」

「お早いお付きで」


 フレッチャー兄弟はおおげさに歓迎の意を示し、それがきっかけとなって救援隊の志願者が我も我もと名乗りをあげる。畑仕事がない時期に貴重な現金収入が確実とあっては当然のなりゆきだ。


「それにしてもよく考えられたお話ね。面白かったけど、もう少しラウルの面子を立てて欲しかったわ」

「それ見ろ、調子に乗りすぎだ」

「やや、若にはご内聞に」

「その代わり、と言うわけではないけど、皇帝陛下がセーヴェルの民の力を欲しておられるの。ご協力いただけませんか?」


 リンは犬ぞり部隊の編成を依頼する。帝都を進発してルニングラードへ向かう先遣隊は皇帝直率であり、彼の御意に適えば覚えが目出度いことはまず間違いない。


「セーヴェル中に呼びかければ増派は可能ですし、運搬のご期待にも沿って差し上げますが、まさか、お目通りがかなうなんてことは?」

「兄者よ、それはいくら何でも欲の皮が張りすぎだぞ」


 貴人を前にした場合は戦士兄弟の態度が普通である。近衛でも側近でもない元傭兵が皇帝を目にする機会は遠目の場合がほとんどであり、何か大手柄を立てて表彰でもされない限りは御前に呼ばれることもない。


「お二人は調査隊員です、って紹介します」


 危険を分かち合った戦友として当然の権利だと思って発したリンの言葉に、戦士兄弟は雷に打たれたかのように震えた。


「なんですと!?」

「まことですか?」


 フレッチャー兄弟は小躍りして喜ぶ。名誉を重んじる戦士に語り草が増えて『フレッチャー兄弟と氷の巨人』に凄みが増した。


「何とお礼を申し上げてよいのやら」

「うむむ。冒険からの生還、皇帝陛下との謁見、うまくすればご褒美。幸運続きでおかしくなっちまいそうだ」


 ところが、この幸運の結果を分かち合うべきラウルがいない。それに気づかないではしゃぎ続けるフレッチャー兄弟ではなかった。 


「後は、若がご無事であれば完璧ですな」

「なんの、あの御姿をみただろう。きっと若は大丈夫ですよ、従騎士殿」

「大っぴらにはできない姿だけどね。最近のラウルはとにかく頑丈だから……」


 ふと顔を曇らせたリンをアランは見逃さなかった。アルメキアは竜族という特殊な生物の存在を半ば公式に受け容れているグリノスとは違う。ただでさえ異国民に厳しく、些細なことがきっかけとなって亜人を見下す風潮が表面化しがちなアルメキアにおいて竜戦士の姿は致命的である。怪物扱い以外はあり得ない。したがって、ラウルと彼の正体を知る者たちは窮屈な思いをしているのではないか、と察しをつけた。


「従騎士殿、この際、グリノスヘ鞍替えされてはいかがです?」

「あ、兄者は何を言うのだ?」

「冒険者基準で言えば、若は都市奪還の功でルニングラードの領主に相当する扱いを受けても可笑しくない。エストに思い入れはおありでしょうが、何より安全です」

「おい、止せ。従騎士殿がお困りだろうが」


 鞍替えという発想がいかにも傭兵らしい。そして、魅力的な提案である。大邑たいゆうに封じられれば、領内整備の人員と元手はエスト南とは桁違いであろう。しかし、リンはアランに感謝の意を述べてから、彼の提案を棚上げにした。アルメキアで二進も三進もいかなくなったら世話になるかもしれないが、


「ラウルは騎士の誓いを重く見てる」


 ゆえに、グリノスヘ鞍替えする案には同意しないだろう、と彼女は述べる。騎士の身分は大陸中を旅して回るために手に入れた便宜上のものなのだが、ラウルは思いのほか騎士の義務に忠実なのだ。

 しかしながら、フレッチャー兄弟は出稼ぎ傭兵としてアルメキアに滞在した経験があったので、人族至上主義の聖タイモール教会主流派が幅を利かしている様を見ている。教会を野放しにしておく王室も同類と考えていた。それでも、果して忠誠に値しますかねえ、とは言わない。どこの国でも仕える相手の悪口は騎士にとってひどい侮辱になるからだ。


「騎士の模範ですな」

「おうとも。そう簡単に乗り換えられては、それこそ忠節を疑われます」


 トーマスが話に結尾をつけてお開きとなったが、リンはフレッチャー兄弟の話を長いこと反芻はんすうしていた。反射的にアランの提案を預かりはしたが、ラウルの副官としては話を上げて主人の判断を仰ぐべきであろう。ところが、グリノスへの鞍替え案を伝える気になれないでいる。騎士道が問題ではなかった。従騎士の彼女は就任の際に何の宣誓もしていない。


(なんでだろう?こんなお誘いがありました、ってラウルに言うだけの簡単なお仕事よね?アランさんは親身になって言ってくれたんだし、むしろ伝えなきゃ秘書失格じゃない)


 頭の中で分かっていても、ラウルが乗るとは思えないのだ。なぜなら、彼女には前々から彼が自分の領地で何事かを成そうとしている、という直感があった。その事業は領地運営だと踏んでいる。秘訣なり要領なりを聞いて回っているうちに領主の務めに興味を持ったのだろう、とは思うが、これも騎士の誓いと同様に、クルトとハンナに押し付けていただけの領地運営を本格化する気になった、とリンは考えている。これではグリノスに移ることなどラウルは思いもしないだろう。

 

 とは言え、ラウルがどのような領地運営を目指しているのかについて、確かなことを聞いていないリンは試みに思考を遊ばせてみることにする。手始めに、エスト南領へ誘致済みの産業を手控えに書き出してみた。



ジーゲルの店 武器防具製造業 武器庫

革製防具と実用品ヘーガー本店 革製品といかがわしい道具

マリンの薬草園 薬品製造及び原材料の販売

ヘリオット製材 林業 製材 土木 

焼き煉瓦製造所 

ファラーシャの湯治宿



 建築途中の湯治宿をのぞいてすべて本格稼働しており、ジーゲルの店は武器庫を兼ねている。コリン=ブライトリングがロスヴィータを相棒に営む薬草園はようやく商売が安定し始めた。治癒魔法を前面に出さないのはエストの聖堂との摩擦を避けるため、と聞いている。建材関係は非常に好調かつ大忙しで猫の手も借りたい状況が続いていた。ひときわ異彩を放つのはミルイヒ=ヘーガーの店であり、紙面に書き出すと改めて目を奪われるが、リンとしてはついつい二重線で抹消したくなる。


(えい!)


 鉛筆によってヘーガーの店を境に強固な城壁が築かれた。ラウルからはヘーガーをいじめないように言われているが、リンは夫を妙な趣味の同志に勧誘しようとする変態の監視を緩めてはいない。二重線はその決意の表れだったのだが、紙片が分割されたことで彼女はあることに気付く。上二つは道具の取り扱いに魔力が欠かせないし、部品製造には高魔力保持者を必要とする場合も多い。ところが下四つの業種はその逆だ。根気のいる地味な労働をこなしてくれる人員によって支えられている。湯治宿にしてもそうだ。華々しい接客部門だけでなく、客の目に留まらないところで働く裏方を大量に確保せねばならないのである。そして、そのどれもが高魔力保持者を必要としない。どちらかと言えば腕力が頼りになる亜人向けの仕事が多かった。


(これって偶然かな?領地の収入に関係あるようには思えないけど)

 

 儲かる儲からないは商人の娘として大いに気になるところである。意図して魔力量に左右されない働き口を多数用意したところで、エストから通ってくる労働者が増えるだけであり、最初から通勤至近であるエスト民の転入を促す要素たりえないだろう。当然、人頭税がラウルの懐を潤すこともない。


 次々と編成される犬ぞりに犬たちが繋がれて元気よく吠える。鳴き声で我に返ったリンはフレッチャー兄弟と最終の打ち合わせを行なう。彼らはルニングラード経由で皇帝と合流するので、できることなら南下の際にリンの誘導が欲しいのだ。素早い合流の為であるから彼女に否やはないが、再度の飛行に備えて翼を休めるべく、同乗の許可を得て犬ぞりに乗り込んだ。


「お世話になります」

「どうぞどうぞ」


 アランはそつなく座席を設えてリンを座らせる。そりの荷台には所狭しと物品が積まれ、いくつかの樽からはほのかに燻し木と磯の香りが漂った。


「えーと、これは?」

「や、や、臭いますか?魚の燻製です」


 何とも商魂たくましいことで、アランは燻製魚の新しい販路を開拓する依頼を受けていたのだ。トーマスのそりにはこまごまとした日用雑貨が積まれ、救援隊の名を借りた行商になっている。漁民や商人からいくらで請け負ったのかは措くとして、新生ルニングラード相手にひと儲けを企む肝の太さには流石のクラーフ商会職員も白旗を上げた。


「恐れ入ったわ。当分の間お客さんは兵隊さんばっかりだと思うけど、汗をかく肉体労働にはしょっぱい食べ物が必要よね」

「その通りです、従騎士殿」

「何が売れるか分かりませんからな。需要と供給というやつです。わはは」


 犬ぞり隊が極端な速度低下を起こすのでもない限り、参加報酬として余禄を認めてやる必要があった。それに、ルニングラードで荷下ろしを済ませれば、空荷の犬ぞりは矢のように進む。そして、そこからは回復鞭が物をいうことになる。


「こう言っては何ですが楽しみですな。この先ルニングラードは復興事業でたいへんな景気でしょう」

「本当ね」


 アランの台詞はリンの商人魂に刺さった。アルメキア国内の出来事であるならクラーフ商会もあやかりたいぐらいだ。


「しかし兄者よ。ルニングラードが活気を取り戻すのはいいが、出稼ぎの若い者が住み心地の良い都会にかぶれたら厄介だぞ」

「それがあったな」


 ややあって、雪煙をあげながら犬ぞり体が出発する。リンの耳にはトーマスが口走った“出稼ぎ”と“住み心地”の二語がしばらく残っていた。セーヴェルに限らず、便利な暮らしに慣れた者は辺境での生活に戻りたがらないものであり、それまで抱いていた郷土愛が無力化される現象も珍しくない。しかし、どこかエスト南の現状を想起させる会話だった。


(衣食はエストで揃うんだし、住むところさえ用意したらウチの領地はけっこういけるんじゃない?そして、職場が目の前だったら……)


 セーヴェルの将来を案じるフレッチャー兄弟には悪いが、アルメキア人だけでは賄いきれない労働力不足をサーラーンからの出稼ぎで補っているエスト南の将来を考えるうえで、リンは参考になるところが大であった。


いつもご愛読ありがとうございます。

ラウル君が埋まっている間の出来事になります。作中では戦士兄弟が物語を創作していましたが、ラウル君の冒険は大幅に脚色されて『ラウル=ジーゲルと骸骨兵団』『ラウル=ジーゲルと砂漠の主』『ラウル=ジーゲルと氷の巨人』三部作として大ヒットする予定です。(子供向け挿絵付き)

妄想です。

徃馬翻次郎でした。

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