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第29話 森の狩人 ④


 ともかく今は木剣である。

 何やらドリスに大幅値引きをさせて仕入れてしまった気がするが、自分一人ではどうしようもなく彼女の涙と鼻水に押し切られてしまった。そのままクルトに報告する以外にない、とあきらめたラウルはようやくジーゲル家に帰り着いた。


「おかえり、ラウル」

「ただいま、母さん」


 母親に一声かけてからラウルは鍛冶場へ荷下ろしに行った。親方に報告をして、材料の検品をしてもらう必要がある。クルトは鉈以外にもノミ・カンナ・ヤスリといった木材加工道具の手入れをしていたようだ。


「帰ったか」

「はい、親方」

「見せてみろ」

「はい、親方」

「なかなかのもんだな。」

「赤樫だそうです」

「四本で大銅貨二枚ってとこか」

「一枚です」

「おい、そりゃあ、いくら何でも」

「安いです、とオレも言いました」


 クルトは唸ったがあることに気付く。研ぎ賃の借りをその日のうちに返すとは、偶然にしてもちょっと水臭い。ドリスが感激していたことに嘘や演技はあるまいが、期せずして貸し借りなしになってしまった 


「まあいい。ウィリアムが来たら礼を言っておく。お前は忘れろ」

「はい、親方」(いいのかな)

「受取証は母さんに渡せ」

「はい、親方」


クルトが道具の手入れを再開したので、ラウルは受取証をハンナに渡しに母屋へ戻る。

金額に一瞬けげんな顔をしたハンナだが、受取証と引き換えに大銅貨を一枚渡してきた。


「これは?」

「経費精算よ」

「ケイヒセイサン……」

「仕事で使った分は受取証と引き換えに補充。ただし買い食いは除く」

「うん」

「特別な買い物以外はこのやり方。覚えておいてね」

「わかった」(受取証は大事だな)

「がんばって稼ぐのよ、ラウル!そうすれば余分も出てくるってものよ」


 頑張れといわれようが、今のところ家業以外に稼ぐ手段がないラウルは困ってしまった。そういえばオレの給金はどうなってるんだ。そもそも給金が出る体制なのか、という疑問をラウルはクルトにぶつけてみることにした。


「親方、オレって給金出るんですか」

「なんだ。遊ぶ金か」


 クルトの返事はにべもない厳しいものだったが、ラウルはここで正念場と踏ん張ってみることにした。

 理由がないわけではない。ひとつには今後も外回りに出るなら受取証が出ない出費がありそうなこと、もうひとつには収穫祭を見据えての資金源、まさにクルトの言う遊ぶ金である。


「衣食住の保証と訓練費用の負担以外にか?」

「うっ」(そうだった)

「言ってみろ」

「ぶ、歩合をください」(ひッ)

「なんだとォ?」


 クルトの威圧に震えながらもラウルは条件交渉に成功した。現段階でラウル製の製品は商品棚に並んでいないが、売上に貢献した場合は、売買代金から経費と納税予定額をさっぴいた分のさらに半分をいただく、というものだ。他にも研ぎや手入れ、接客や雑用を積極的にこなすことで得られる褒賞ほうしょうのようなものも獲得した。

 どちらにしても査定するのはクルトなのだからどうにでもなってしまうわけだが、そのあたりラウルは親方を信用するしかなかった。

(お駄賃も計画的に貯めなきゃ)

 驚いたことに経済観念のようなものまで芽生えつつあるラウルだが、まずは木剣作成に注力せなばならない。


 鍛冶場の作業台に集合した親子は再び師弟の礼を取る。ラウルは梱包を解いた赤樫を一本抜いて手に取った。木工道具の手入れが終わったクルトは腕組して瞑目していたが、やがて目と口を開いて語りだした。


「まず……」

「まず?」

「材料を触るのはまだ早い」

「……」(先に言ってくれよ)

「いいか、ラウル」


 最初は簡単でいいから設計図を書け、とクルトは言った。慣れてくれば頭に思い描いた通りに削ってみるのもいいが、まずは設計図と素材を何度も交互に見ながら完成に近づけろ、という指導である。


「はい、親方」(きっと手間を惜しんではいけない部分なんだろうけど)


 手間を問題にするなら、なにしろここは鍛冶屋である。農具や採掘道具用の交換柄を商品として置いていた。ウィリアムの鉈のようにこだわる客はともかく、柄や持ち手が傷んだ時点でさっさと交換したい客の需要に応える定番商品である。

 素材も木剣と同じ樫材であり、実はこれに少し手を加えるだけで木剣は完成する。反りをつけて東方風の木刀にでもしない限り、改造交換柄で済ますのが最速だったはずだ。


 しかし、これは修行である。

 材料の目利きにはじまって仕入先との顔つなぎ、加工に至るまでラウル自らが経験する必要があった。そうでなければ出費までして仕入れから始める必要がない。

 とはいえ、ヘリオット木材から仕入れた赤樫は木剣の完成形から遠く離れた形状をしているわけでもない。握りと刀身の長さを決めて削りだせば完成まで一直線という気がするのに設計図とはどういうことだろう、とラウルは疑問をクルトにぶつけてみた。


「それが、そうでもない」


 クルトは否定と肯定が半々の謎のような返事をした。ラウルの疑問はもっともだが、ひと手間かけて設計図を書くのには理由がある、というわけだ。


 第一に、大きく削ってしまうとやり直しの効かない木材の性質だ。最初は寸法決めを守って慎重にすすめるが、どうかすると堅牢な樫材相手に熱中して削り過ぎてしまうこともある。無心になりすぎてもいけない、途中で設計図をチラ見してわざと一息入れるのだ。

むろん樫材自体にも墨を入れて線引きをするが、それでもこの失敗は起きてしまう。


 第二に、記録としての設計図だ。単に完成予想図というだけだけでなく、余白の部分に工夫や親方に注意されたことを書き込んで教科書をつくれ、ということだ。

 ラウルが万が一幸福な家庭を営んで跡取りをもうけることになったら、ジーゲルの店は彼で終わることなく継続することも考えられる。つまり、将来の指導用資料としての教科書作りなのだ。

 クルトは指導者としては書物どころか口伝すら控えめな男だった。しかし、仕事中に技術を盗めと言う姿勢はもはや古いのでは、と彼なりに反省したのである。


 かくしてラウル著『ジーゲル鍛冶家伝』とでもいうべき書物の第一頁は、木剣から始まることになったのである。やがては金属製品の頁が増えていくことになるのだが、それはまだ先のことである。

 

 ちなみに、この後ラウルは木剣の研磨段階において体力と精神力を文字通りすり減らすことになる。ラウルにしてみれば、すさまじい荒行を敢行する修行僧と形容するのが一番近かったと言うべきだろう。 

 削りだし工程までは鍛え上げた体力と腕力のおかげで作業を順調に進めていたラウルは、研磨で精神力を大量に消耗し、夕食時には食欲を半減させていたほど疲れきっていた。


 食後はもう休みたい、と彼は宣言して両親の許可を得る。慣れないやすり掛けのせいで手がしびれるような感覚まで残っていた。

(うう、最初の一振りでこれだよ)

 ラウルは思わず泣き言を言いそうになったが、魔力抜きの生身とはこんなものである。購入した材料を全て木剣に加工するとすれば、単純計算で労力は今の三倍(疲労の蓄積も考えればそれ以上)必要ということだ。

 

 やすり屑と汗を落として熱い湯で顔を拭いたラウルはいくらか気分が良くなったものの、寝床で横になっても疲労がなかなか抜けなかった。

(生身の限界……)

 自分で言いだしたことである。

(遠いな……)

 遠いどころか到達の成否すら不明である。

(また明日がんばろう)

 これは本日ラウルが下した最も賢明な判断だったろう。疲れた頭と身体ではまともな思案も製品も生まれるはずがない。


 こうしてラウルの修行初日がようやく終わった。二件の外回りのうち、午前中のものがあまりにも強烈すぎて魂を飛ばされそうになり、午後からは木剣の研磨作業が思っていた以上に疲れることを思い知った実り多き一日だった。


 あわれラウルは夢の中でも木剣を磨いている。


いつもご愛読ありがとうございます。

ラウル君は歩合とインセンティブを手に入れたようです。

それでも魔法万能の世界で生身はきついのです。がんばれラウル!

徃馬翻次郎でした。

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