第27話 森の狩人 ②
談を終えたラウルがウィリアムを伴って母屋に戻るとハンナが出迎えてお茶を給仕しながら土産の内容を教えてくれた。
「ラウル、今夜は鹿肉よ!」
「やったぜ!ウィルさん、ありがとう」(母さんも喜んでるな)
「いいんだ。いくらウチの女房がよく食うと言っても、一頭は食べきれんよ」
おっとこれはご内密に、と妻の悪口を内緒にしてほしい仕草をまぜたウィリアムだが、これはノロケだ。体格的にはノミの夫婦と言えないこともないが、夫婦仲の良さはジーゲル夫妻に劣らないというのがもっぱらの噂である。
やがてクルトが預かっていた鉈を研ぎ終わり、鍛冶場から出てきた。
「できたぞ」
「すまんな。これが研ぎ賃だ」
「いらん。肉の礼だ」
「それはいかん」
「それよりも鉈の柄だ。直に替え時だぞ」
「そうだな」
「材料持ち込みでやってやる。その時は遠慮なく工賃をもらう」
「しかし……」
「なら、こうしよう」
クルトの提案は、木剣の素材を探すラウルの面倒を見てやってくれ、というものだ。正確にはウィリアムの妻であるドリスの領分だが、クルトの研ぎ賃がいくらかなのかはさておき、クルトとウィリアムの間では、どうやら釣り合いの取れた取引らしい。
「承知した。ラウル君、今からでも来るかい?」
「ええ、お邪魔して良ければ」
「ちゃんと聞いて来いよ」
「あらあら、せっかく帰ってきたのにまた外回り?」
「今日はもう一日勉強でいいと思う。なあ?親父ィ」
「ああ?うむ。そ、そうだな」
勝手に午後の課業を決めようとしたラウルに対して見せた不快な表情をクルトは一瞬で消した。午前中にラウルがヘーガーの店に行っていたことを思い出したのだ。それに出かける前には午後は好きにしてもいいような声もかけていた。
今のところラウルは静かに怒っているようだが、言いたいことがあるのは間違いない。そしてその内容はおおむね想像がつく。
裏に回ったウィリアムは鉈と道具袋をラウルに預けると変化して大きな山犬に姿を変える。魔法服が形状変化した装具に緑や黄土色が目立つが、これはこれでなかなか渋い、とラウルは服飾研究家か工芸師のように採点した。
山犬形態は善は急げというウィリアムの厚意である。ジーゲル家からヘリオット家までは歩いていけない距離ではないのだが、手早く用事がすめば周囲が明るい間に帰ることができる。
「乗ってくれ」
「失礼します」
ウィリアムが変化する山犬形態は犬神様の半分ほどの大きさだが、むしろこれが普通の体格である。実はエスト村にいる例のオババによって、犬神様の眷属という地位を本人の知らぬ間に与えられているのだがウィリアムは知らない。
一昔前に野盗団がジーゲル家を襲撃した時、ウィリアムは事件の翌日に野盗を何人か捕縛した。悪い奴らが仕事場の森に逃げ込んだので面倒だから山犬形態でちょっと脅かしてやった、とウィリアムはこの直後に妻となるドリスに告げたのだが、犬神伝説に尾ひれをつけるのにはそれで十分だった。
悲惨なのは野盗団だったろう。なんとか逃げ切ったと思って一息ついていたら、回り込まれているとしか思えない角度から遠吠えがし、大きな獣の気配がする。恐怖と混乱でいっぱいになった野盗たちには犬と狼の鳴き声は区別がつかず、腰を抜かした野盗団をウィリアムは暴力を使用することなく全員捕縛した。
ウイリアムは些少とは言え国境警備隊から報奨金をもらい、その雄姿を見て発情したドリスに襲われた結果つがいになり翌年ハリーを授かった、というわけである。
大局的に見れば犬神様は縁結びの神様でもあるのだ。
犬神様ほどではないが、山犬様も飛ぶように走る。比較の問題だが、犬神様よりも控えめな速度と揺れのおかげでラウルは快適な移動をすることができた。景色を楽しむ余裕まであったのに、短い時間でヘリオット家に着いてしまったのは何とも勿体なかった。
「ドリス!お客さんだよ」
「はいはーい、いま行きますよ……あら、まァ!ジーゲルの坊ちゃんじゃありませんか」
「ごぶさたしてますドリスさん。ラ・ウ・ルですッ」
めったに顔を見せないご近所さんの顔を覚えていてくれたことに小さな感激を覚えたラウルだったが、いつまでも坊ちゃん呼称なのには参った。
そのドリスは熊系亜人の例にもれず怪力の持ち主である。大の男が身体強化魔法を使用して運搬する丸太を軽々と運ぶ。背負わせてくれる人がいたら両肩に一本ずつ載せることは朝飯前らしい。
たとえ剽悍を持ってなる野盗団でもドリスにはまず勝ち目がない。魔法や飛び道具を使わずに正面戦闘を挑めば確実に殺されるか大けがをすることになるだろう。丸太で叩きのめされた挙句、血反吐を吐いて地面に這いつくばるのは確実だ。
ラウルのような魔力不能ゆえに肉体に頼っているという訳ではない。最初から桁外れに強かったのだ。それにラウルが決めたような生身の限界に挑む覚悟を持って修練を積んだわけでもない。丸太運搬という日常業務が肉体強化に磨きをかけたのである。
しかし、夫と客人を見る目はどこまでも優しい。生体起重機兼凶器を思わせる雰囲気はみじんもない。
「そうね、こんなに大きくなって坊ちゃんはやめましょうか、ラウル君」
「お願いします」
「そうだ、ドリスよ。クルトさんから注文だ」
「いつもの薪や柄材以外で?ラウル君、また何か壊したの?」
「ち、違いますよッ!」(オレって信用ないな)
ドリスが言っているのはラウルの暗黒時代における破壊活動の話だ。修繕業者として出張していた現場は主に学校で、机や椅子の分解に加えて壁に穴をあけたこともあったので、
そのたびにジーゲル家の依頼を受けて出動していたのだ。実はラウルの協力業者第一号はクラーフ商会エスト支店ではなく『ヘリオット製材』なのである。
学校と言えばヘリオット夫妻の愛息であるハリーはエストの学校に通っているらしいが、帰宅はまだ先らしい。ラウルは何度か遊び相手になったことがある程度の面識なのだが、ハリーのほうがよくなついて兄と呼んでいた。
「ハリー君は学校ですか?」
「ええ。旦那が変化を通学に使わせないもんだから、帰りはちょっと遅くなるね」
「なんでまたそんな面倒なこと」(便利なのに)
「亜人より人の子供が多いのだ。なじむ努力も必要さ」
「そうですかねえ」
ドリスはこの件に関して半信半疑といった感じだが、ラウルは解るような気がした。
始業寸前で疾走する山犬ハリーを遅刻間違いなしの同級生が見れば、当然乗せてくれ、という流れになるだろう。ところが小さい背中にそう何人もまたがれるものではない。そうなるとアイツは乗せて俺はだめなのかという争いの種だ。ハリーの立場次第ではいじめの原因にすらなりうる。
もう少ししたら変化の使い時を言い含めて魔法服の仕立てをする、とウィリアムは言う。
狩りや野営の知識は少しずつ教えている最中だが、母さんのような林業兼製材業兼小規模木工業者でもいいんだぞ、何なら別の仕事だって一向に構わないという話をし始めているところだ、と彼は付け加えた。
何気ない会話だがラウルは我が身とハリー少年を比べていた。この世界ではハリーぐらいの年齢で進路指導の導入をはじめるのが一般的なのだ。自分はどうだったか。荒れていて将来の話どころではなかったのだ。
遅まきながら人生をやり直しているラウルだが、両親のおかげもあって鍛えなおすための協力業者や友人も増えてきている。支援は心強い限りだが、それだけに途中で投げですわけにもいかない。
期待と不安が入り混じった感情の中でラウルは日々を過ごし、そしてまたひとつの出会いが彼を成長させようとしている。
ドリスの案内でラウルはヘリオット材木の資材倉庫へ移動し、ウィリアムは森を見回るための装具を点検し始めた。目立つのは足裏と内側にトゲが付いた木登り用の靴だ。森を健全に保つにはけっこうな手間がかかる。その手間のひとつが“枝打ち”である。樹木の下部に生える枝を鉈で打ち落として空間を確保する枝打ちは危険を伴う高所作業でもある。
製材した時に節の少ない良材を得るための技術なのだが、これを怠ると影響は森全体に及ぶ。余分な枝が日光を遮ることにより下草の植生自体が変化してしまうのだ。
樹木がどこから生えているかを考えれば、地面の状態や栄養環境に気を配るのは当然、というわけで林業を営む者にとっては必須の、しかし辛い作業となっている。
ドリスが嫌がる枝打ちをウィリアムは黙々とこなす。軽業師のようなこの男は高所も全く気にならないようで、かつては隣の木へ飛び移ったりロープ一本で滑り下りたり曲芸の真似事もしてみせたが、ハリーが生まれてしばらくした後にきっぱりやめている。子供が真似をしたらどうするつもりだ、とドリスに詰められたのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
ラウル君は明らかに人妻とわかる女性は守備範囲外という設定を書き忘れました。
どこかで自然に挿入できるといいんですが。
徃馬翻次郎でした。