第24話 昼食会 ②
ラウルがエスト丼を注文したのには理由がある。
まずは値段だ。現在の所持金で無理なく支払えるものを選んだ。次に予想される料理の量である。丼が東方諸島由来の食器であり、けっこうな大きさの椀であることは知っている。そこへアルメキアでも栽培が軌道に乗り出したコメを炊いて下地にする。
さらに焼いたエスト豚を甘辛いソースで調理して盛り付ければ完成という、東方諸島料理にしては華やかさに欠ける装いだが、見た目を犠牲にしている分、量と味に重点が置かれている、と推測したのだ。
注文をメモしたリンが支店長室を飛び出すと、グスマンは机上の帳面に向き直った。寸分を惜しんで仕事に打ち込む男らしい。座持ちはコリンに任せた、というわけである。
「ラウルさん、昨日はお疲れさまでした」
「ああ、どうも。マリンちゃんは慣れたもんだな」
「いえいえ、暗いところは怖いですし、逃げ出さないようにするので精一杯です」
謙遜かもしれないが素直に話してくれているのだとしたら、こちらも素直になる必要がある、とラウルは思った。エルザに頼まれたからというわけではないが、友達ならば隠し事や嘘は少ないほうが良いだろう。ラウルは顔をコリンに寄せると小声でしゃべった。
「実は魔獣と出くわしたの昨日が初めてなんだ」
「今までに一度も?」
「面目ない」
「とんでもない!本当にご立派です」
ラウルは小さく礼を言いながら背を起こして普通の姿勢と声量に戻る。ラウルの恥ずかしい秘密を共有したことでコリンとは若干打ち解けたようである。
「リンの先生なんだって?」
「はい。回復魔法を伸ばしたいとか」
「伸びるもんなの?」
「リン姉の場合、意図的に止めていたところがあって」
リンとコリンは早くも姉妹もとい姉弟の契りを結んだようである。新しい職場で不慣れな新人を姉のように指導してくれる存在はきっと心強いことだろう。それはいいが、なぜ今になって回復魔法なのだ。クラーフで仕事をする以上、必須技能というわけでもあるまい。ついラウルは気になって呟いてしまった。
「なんでまた今更……」
「ラウルさんのためじゃないんですか?」
「オレ?」
「いや、失言でした。どうかお忘れください」
どうやらこの姉弟は秘密も共有する仲らしい。友達作りとしては順調な滑り出しだが、この馬鹿丁寧な口調はもう少しどうにかならないものかとラウルは思う。秘密の件はリン本人に直接聞いたほうが良いだろう。できたら余人を交えず聞ければなお良い。
噂をすれば影、ということわざ通りにリンが帰ってきた。
「ただいま!すぐに持ってきてくれるって」
「おお、ご苦労さんだね、リン。先にお代をまとめておくか」
グスマンは銀貨一枚と大銅貨三枚を机に置いた。ラウルは慌てて大銅貨を取り出し、グスマンに渡す。
「ラウル君、気遣いは無用だよ」
「それでは私が両親に怒られます」
「そうかね?」
「こちらの社員でもありませんし、いつもご馳走になってばかりでは」
「そうか、そうだな。いつまでも子供扱いは失礼だったな。では遠慮なく」
グスマンは大銅貨を一枚引っ込めて、またもや帳面に戻った。リンにはラウルの変化が若干まぶしく見えたようだ。鍛冶屋から出なければ金も不要というわけで、おつかい以外で金を持つことがなかった男が、今は小銭入れまで所持している。外回りのようなことまではじめて、何らかの目的をもって動き出したことは明白だ。
ラウルは大っぴらに、リンはこっそりと、という違いはあるものの二人の若者は動き出していた。二つの流れはやがて合流してひとつの大河になるのだが、それはまだまだ先のことである。
「マリンちゃんもそのうち遊びにおいでよ。何にもないところだけど」
「本当ですか?ラウルさん」
「うん、まあ、手伝ってほしいこともあるかも知れないしね」
「私でよければ喜んでお手伝いします」
「私も混ぜてよ!」
リンが鼻息を荒くしたので、ラウルはエルザが協力してくれる訓練の計画を話すことにした。訓練がすすめば戦闘に関することも教えてもらう予定だ。つまり、ラウルが訓練課程でエルザに半殺しにされた場合はコリンに助けてもらおうということである。
訓練内容は明らかになってはないのだが、念入りに整えられつつあるけいこ道具から考えれば大けがをする可能性は十分考えられる。しかし、怪我のために訓練や鍛冶修行が滞っては話にならない。
そのための回復魔法であり、大聖堂最高の癒し手コリンをあてにしているというわけだ。
しかし、コリンも臨時職員とはいえクラーフの一員なのだから、簡単に借り出すわけにもいかないし、エルザの来訪に合わせて休みをとってもらうのも迷惑なことだろう。
困ったラウルは年長者でありコリンの雇用主であるグスマンに相談してみることにした。
グスマンは帳面を仕舞って他の三人と同じく応接椅子に納まった。ラウルの説明を聞いていたが、やはり他の職員の手前、気楽に抜けられるような真似は難しいと告げた。そのうえで製品検査業務をでっちあげるという案を考え出した。
「つまり、近々ラウル君は大けがをするかも知れないわけだ」
「その予定です」
「ならばウチの回復薬を試してもらうのはどうかね?」
「はぁ」(お金……)
「なあに、それらしい調査結果を添えて報告書をだしてくれれば代金は不要だ」
「なるほど」
「調査自体をきちんとしてくれるなら別に報酬も出そう」
グスマンは商人である。
善人でもあるが、何の見返りもなしに回復薬を譲ったり職員を貸し出したりすることはない。昨日の魔獣騒ぎの際も結構な散財をしたが、それも翌年の税金から控除されることを見越してのことである。むろん、クラーフの宣伝も忘れていない。
今回の件にしても、たとえば“腕の骨折が回復薬(小)何個で治るか”程度の情報収集をして、自社製品の効能を裏書きする機会だと捉えていた。非情な話だが、ラウルが死なない程度に同じ個所を複数回、できれば類似の負傷をしてくれれば良いとまで考えている。
従来は騎士団や衛兵、冒険者や一般の購入客からの使用感想という形でしか得られなかった情報が、制御された環境下で効能を確認し、その場で記録できるということにグスマンは興奮さえしていた。
ただし、申し出自体は気前が良い。成功報酬付きであるし、先に報告書さえ作成してしまえば、後はリンの回復魔法訓練をしてもかまわないのだ。
グスマンとラウルは条件に合意し握手をした。
「毎度どうも。ミツバチです」
握手とデマエの到来を告げる声は同時だった。
支店長室に招き入れられた若い亜人の丁稚は、手際よく料理を配膳する。手提げの道具箱のような形状をした運搬道具も珍しかったが、ラウルは突如出現した料理の芳香に感動していた。これで調理器具や食器の後片付けも不要とはいかなる極楽であろうか。
「えー、お代をいただき……あ、こちらですね。ありがとうございます」
「ご苦労さん。これをとっておきたまえ」
グスマンはポケットを探って代金とは別に銅貨を二枚握らせた。本来必要のない支払いのはずだが、とラウルは不思議な思いで見ていた。上流階級特有のものかも知れないが、気分良く仕事をしてもらうための必要経費なのかも知れない。事実、若い亜人の丁稚は大喜びで何度も頭を下げている。
貯金すれば結構な額になるのでは、と思ったラウルの直感は間違っていない。様々な業種で余禄やお駄賃で稼いでいる人たちはけっこうな数になるのだ。
「さあ、冷めないうちに食べよう。お祈りはマリン君にまかせて良いかな?」
「はい。では……」
四人は神妙に頭を垂れたが、コリンのお祈りは驚くほど簡潔であっさりしたものだった。何よりラウルは祈りを指名されなかったことに心底感謝していたので、祈りの短さには毛ほども気が向かなかったが、グスマンとリンは意外そうだった。
エスト丼はラウルが予想した通りの見た目と大きさだったが、日替わりのほうはかなり豪勢なものだった。おまかせ料理は何かの煮込みで、けっこう大きな肉片が入っている。パンの量も十分だし、ピクルスの小鉢に口直しとして干しブドウ入りのプディングまでついている。
(プリンだ!)
ラウルはかろうじて声に出してしまうのをこらえた。別段、甘みが好きというわけではないが、興奮してしまうあたり幼さが抜けていない。ともあれ四人は食事をはじめ、酒場のように食べながらしゃべるということもせず、礼儀正しくもあたたかな雰囲気の元、蜜蜂亭のデマエを賞味した。
(こういうぜいたくはたまにしたいな)
そうなると今まで以上に稼ぐ必要があるが、ラウルはむしろやる気になっていた。小さなぜいたくのために身を粉にして働く、というのは上流階級の人間にはわかるまいが、この世界の住人の大多数が営んでいる生活形態だ。
ラウルは今のところ両親のおかげでひもじい思いをしたことはないが、自分一人でも食べていけるようになるために、いろいろ学ぶことが多くなった。そして“生身の限界を目指す”という目標まであるのだ。
しかし、さらに稼ぐということになるとラウル一人の脳みそでは限界だった。忙しい合間をぬってあちこち顔を突っ込んで、よく物を知ってそうな人に話を聞く。この基本方針に何かを追加しなければならないはずだが、その何かがわからない。
この場で何か聞くとしたらグスマンだが、見てわかるように多忙の身であるから、努めて簡潔に質問する必要がある。まともに答えてくれる保証はもちろんない。
熱々のエスト丼をほおばるうちにラウルはふと、このコメについて聞いてみよう、という気になる。ラウルだけ食べるのが早かったので思考をまとめる時間ができた。
リンが肘でつつくのでラウルは我に返った。なんとリンが半分食べたプディングを残してくれていたのだ。ラウルは考え事をしていたのであってプリンを恨めしそうに見ていたわけではないのだが、リンは勘違いしてラウル用に残してくれたようである。
ただし、プリン用のスプーンは頑として手放してくれなかった。エスト丼用の大匙で食べろ、ということらしい。スプーンに何をするかどうしてバレたのだろうかとラウルは首をひねりつつも礼を言い、半分プリンを口に流し込んだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
訓練のスポンサーを見つけたラウル君です。がんばれラウル!
コリン君の闇は収穫祭ぐらいにねじ込もうと思います。
徃馬翻次郎でした。