第23話 昼食会 ①
最高の職人技を注ぎ込む予定の革防具は、仮縫いが完成次第ジーゲル家に使いを寄こすとのことだが、ラウルは最低でもあと一回(ヘーガーの主張によれば十数回)調整のために来店する必要がある。
伝統を守りつつ生計を立てているヘーガーは実に立派な人物である。彼からは得るものが実に多く、異業者とはいえ尊敬すべき技術の持ち主でもあった。
しかし、同時にヘーガーは一般的とはとても言えない倒錯した趣味の持ち主でもあった。
結果としてラウルは奇怪な趣味丸出しの異世界へ招待されてしまう。そこで獲得した知識をあえて言うなら、世の中にはいろんな趣味の持ち主がいる、という程度のことだ。もちろん、その中にはヘーガー店長も入っている。
実はヘーガー店長に倒錯趣味の一部を無意識化に刷り込まれるているのだが、ラウルはまだ気付いていない。
聞けば王都の支店にはわずかな商品見本と目録を置いているだけらしい。番頭と採寸係が二人で回せる小さな店にしている理由は想像がつく。
高貴な方々の中にはその趣味を是とするお客様も大勢いるが、眉をひそめる人間のほうが圧倒的に多い、ということだ。必要ならば堂々と売買すればよかろうとラウルは思うのだが、店の存在自体が王都には相応しくないと主張する過激派もいるらしく、エストで注文生産を行っているのは理由あってのことなのだ。
では、王都ではだめでエストならいいのか、という疑問が当然湧いて出るところだが、エストの隆盛次第では問題になる可能性もある。村を石壁で囲んで大きな町になり、今は数えるほどしかない貴族の別邸がもっと増えて礼儀や品性について口やかましい連中が増えてきたら、ヘーガー本店は移転を余儀なくされるだろう。
しかしヘーガー店長は精神的に頑強そのもので、その時はその時で何とでもなるそうだ。
何ならジーゲルの店の向かいに移転するという計画には恐怖したが、ラウルはエスト村民の寛容さに期待するほかなかった。
帰り際に魔獣騒ぎの被害がなかったのか聞いたが、不思議と無傷だったそうだ。店長曰く、小さい子供も家畜もいないからだという推理だったが、果たしてそうだろうか。
ラウルの妄想推理では店内に侵入した魔獣が店長を見るなり回れ右をして出て行った説が最有力である。
社交辞令のつもりでラウルはヘーガー店長の息災を祝ったのだが、いたく感激したふりをしてさりげなく手を握ろうとしたので、ラウルはとっさに手をはたいてしまった。
ところが、手をはたかれたヘーガーはどういうわけかさらに喜んだ。
ラウルの分析では、ヘーガー店長の異世界は二層構造になっている。
一層目は同性愛だ。もともとラウルは他人のスケベに寛容である。たとえそれが同性愛であっても、私は女の子が好き、そうではない男の人もいるのですね程度の感覚だ。無理に関係を迫ろうとする輩は論外だが、ヘーガー店長の接触行為は許容範囲ぎりぎりといったところである。
したがって、一層目について受容はできないが理解はできる。これは一時間以上を費やして実施された店長による速成講座受講後も変わらない。
二層目は何と呼称すべきかすらわからない全く未知の世界だ。ケガをしない程度に痛みを授受したり、キツくない程度に拘束されて快感を得るとは何とも倒錯した行為だが、本人たちの合意(これが重要らしい)があれば問題ないらしいと聞いて、ラウルはますますわからなくなった。
では何のための拘束であり鞭なのだ、という疑問は今も残る。結局のところ疑似的な主従関係、いびつではあるが信頼関係のようなものを構築する遊びなのかもとラウルは思ったが、熱心に質問して興味ありと誤解されるのは避けたかった。
ヘーガー店長はラウルを異世界に引きずり込むべく熱を入れて語ったが、ラウルは付いて行けなかった。ただし持ち前の寛容さで、私は遠慮しますがヘーガー店長はどうぞご自由に、といった感じで決裂はしていない。
これもまた社会勉強の一つなのかもしれないが、どうも知らなくて良い世界に片足を突っ込んでしまった気持ちがするラウルであり、いささか疲れてしまった。しかし、今日の外回りはこれで終わりというわけではない。
ラウルは立て続けに予想外の出来事に圧倒されていたので、もう少しでクラーフ商会エスト支店の昼休みにお邪魔するという用件を忘れるところだった。
招待してくれたグスマン支店長は末端ではあるがいわゆる富裕層に属している。ぞんざいな扱いを受けたことは一度もないのだが、それでもラウルは腰が引けるというかどうしても緊張をしてしまう。
教会の鐘が正午を知らせる。
ラウルはクラーフ商会の扉をくぐると迎えに出た店員に来意を告げた。ただちに支店長室に通され、グスマン支店長を待つ。王都の本店には立派な応接室と貴賓室があるが、エスト支店は支店長室が応接室を兼ねていた。
やがて、たいして待つでもなくグスマン支店長が書類を持ったまま足早に入って来る。
「やあやあラウル君、昨日はご功労様だったね」
「ご無沙汰してます、グスマンさん」
「うむ。家にも遊びにきなさい。といはえ君もリンも社会人だしな、そう暇はなかろうが」
「ええ。彼女も忙しそうですね」(そう言われると行きにくいよ)
「そうだな。最近は何やら学者の真似事まで始めた」
「勉強熱心なんですよ」(何を調べてるんだろう?)
「だといいが。ところでリンの新しい友達はもう知っているかな?」
「コリン君ですか?」
「ああ。何しろ彼は……」
「有名人らしいですね」
「本人の希望でマリン君と呼ぶことにしている。ラウル君も頼むよ」
「わかりました、グスマンさん」(有名人も大変だな)
ここでグスマン支店長はいったん話を区切り、呼び鈴をならして店員を呼んだ。リンとマリン君を呼んでくれたまえ、と店員に依頼してラウルとの会話に戻った。
「午前中はいろいろ忙しかったようだね」
「そうですね。朝こちらにうかがった後、ヴィリー隊長とヘーガーさんのところへ」
「ヘーガー……」
「ちょっと独特な方ですね」(ものすごく良い言い方をするとこうなる)
「そ、そうだな。あの悪趣味をやめてくれればウチだって取引したいほどの腕だ」
「……」(たしかにグスマンさんの趣味じゃないな)
「一部の悪魔的商品は神もお喜びにはなるまい」
「そうですね」(宗教的にもよくないのか)
話し込んでいるうちに扉をノックする音が聞こえ、リンが白い帽子とマスクを着用した薬師のような店員を連れて入ってきた。名札には“臨時職員マリン”と書いてある。事前に知らされていなければコリンと分からないだろう。というか女性にしか見えない。
マリンは部屋に入るとマスクを外してコリンの顔を見せた。
「ラウルさん、ボクですよボクボク!コリンです!」
「聞いたよ、マリンちゃんだろ?」(いやに元気だなオイ)
「そうでした。マリンです」
「ちょっとラウル、朝見た時よりやつれてない?何かあったの?」
「おや、私は気付かなかったな」
「後で話すよ」(リンは鋭いな)
しかし、グスマンの用件とはコリンの偽名についてのみだったのだろうか、とラウルは思った。たまには昼飯でも一緒に食べよう、ということならグスマンはラウルを毛嫌いしているわけではないということになる。
魔法不能はラウルいじめの原因だけだったわけではない。信心が足らぬ証左として、ともすれば家族全員が白い目で見られることもあった。
信仰心の篤い人だから、とこっちが勝手に遠慮していたが、ひょっとして普通の付き合いならしてもらえるかも、とラウルはグスマン評を新たにした。
お昼時の訪問なので食事の相談になった。グスマン支店長は外食を提案したがコリンが難色を示す。できることなら何か買ってきて店内で済ませたいらしい。リンが腰をあげて買い出し係を買って出たが、それを制してグスマンが新しい提案を出した。
「君たち“デマエ”を知っているかね?」
聞かれた側に正しい答えを出せるものは居なかった。グスマンが言うには、蜜蜂亭が開発した新しい営業形態であり、日中にのみ行われている料理の配達のことである。あまり凝った料理は無理だが、そこそこ早く届く上に食器付きですぐに食べられる。食後は食器を洗う必要もなく、蜜蜂亭の追い回し(料理人の補佐)が引き取りに来る。ちなみに決済方法は代金引き換えであり、エスト村内が配達可能範囲である。
「料理人がここへ来るわけではないのですね?」
「な、なんだって?料理人が家に……」
「ラウル……」
コリンの質問はいかにも上流階級らしいものだったが、ラウルには衝撃だったらしい。
リンはラウルの驚く表情を見て軽く引いたのだが、すぐに反省した。たまたま自分が料理人の出張営業を知っていたからと言ってラウルを馬鹿にしたのでは、財産や魔力の大小をいじめのネタにしていた学校時代の連中と同じである。
「ほら、私がラウルのところに届けたお弁当とよく似たものよ」
「そ、そうかな?」
「あれが有料になったと思えばいいんじゃないかな」
「なるほど」
「おお、そう言えば心づくしの品を受け取ったよ。お母様に宜しく伝えてくれたまえ」
「伝えます、グスマンさん」
リンは土産を独り占めせずに、クラーフ家への贈り物という体にしたようだ。それでは格式も金銭的価値も足りないような気がするのだが、グスマンが心から喜んでいるのを見てラウルはひと安心だった。
コリンはというと、クラーフ家とラウルのやり取りを微笑みながら見ていた。ラウルが思わず心拍数を増加させたほどの美しい微笑である。
ラウルはいつまでも見ていたかったが、四人はグスマンが取り出したデマエ献立表の中から昼食を何にするか選ばねばならない。
当然だが昼休みは無限ではない。
誰もが手早く食べて業務に遅延なく復帰する義務があるのだ。
ラウルを除く三人は日替わり料理にパンがついた大銅貨二枚の定食を素早く選ぶ。ラウルは少し考えてから大銅貨一枚のエスト丼に決めた。
いつもご愛読ありがとうございます。
お偉いさんと食事しても味がしないのは私だけではないはず。
がんばれラウル!
徃馬翻次郎でした。