第22話 大人のおつかい ②
さて、衛兵に教えてもらった“革製防具と実用品ヘーガー本店”はすぐにわかった。本店があるということは支店があるわけで、王都に本店を置かない理由はなんだろうかとラウルは疑問に思ったが、とにかく店主と話をしてみないことには始まらない。
開店直後のせいか他の客はいなかった。立て込んでいる時よりは丁寧な接客をしてもらえるだろうし、話しやすい職人なら勉強させてもらう機会でもある。
ところが、扉をあけて案内を請う前に見たこともない歓迎がラウルを圧倒した。
「いらっしゃいまーせー♡」
「はヒッ」
坊主頭に短く整えられた口髭といういかつい顔からは想像もできない甲高い声、かなり鍛えられた肉体と思われるが、駆け寄ってくる姿勢は乙女のそれだ。首に掛けている巻き尺がかろうじて職人風味を出しているが、他の部分が強烈すぎてラウルの目に入らない。
なぜ男性が胸毛と乳首を強調する必要があるのか。その鼻輪は牛のつもりか等々、不審点を数え上げればきりがない。
一般的に未知の存在に遭遇した人間の反応は嫌悪か恐怖のどちらかである、と言われている。ところが、ラウルには気持ち悪いと感じる余裕すら無かった。
コイツはヤバい。住む世界が違う。
もう帰りたい、とラウルは心の底から恐怖した。
「あらーいい男♡ヘーガーでえす♡」
「は、はじめまして」
「あらあ?どこかで会ったかしらん」
「初対面だと思います」(知らん知らん知らん!)
ラウルは猛獣相手に怯えた小動物のように震えながらも父親から預かった手紙を手渡す。
受け取ったヘーガーは開封する前に裏返して送り主を確認した。
「やだー♡久しぶりじゃなーい♡」
「はい?」
「貴男とは十六年?十七年かな?ラウルちゃーん♡」
「お、覚えがありません」(まさか親戚じゃないよな?)
「仕方ないわあ♡生まれたばかりだったもの」
ようやく動揺のおさまったラウルはジーゲル家とヘーガー店長のかかわりを聞くことができた。ジーゲル夫妻がエストにやって来たときからの知り合いで、クルトとは異業種だがお互いの腕を認め合う仲であること、今でも革部品と金具を融通しあう中なのだが、ラウルにはなるべく会わせないないようにしていたことが判明した。
「ラウルちゃんに余計なことを教えると二度と会わせないですって、ひどーい♡」
「そんなことがあったんですか」(ひどいもなにも原因はたぶんヘーガーさんだよ)
「でもこうして来てくれたってことは期待していいのよね♡」
「な、なんのことかはわかりませんが、まず手紙を……」(ヒッ!)
手紙の文章自体はごく短いものだったが、読み終えたヘーガー店長はしばらく目をつぶって沈思黙考していた。そして、目を開くと重々しい口調で語り始めた。
「これぞ職人冥利に尽きる、というやつだ」
「はぁ」(口調が変わった!?)
「魔法で何もかも便利になり過ぎたんだよ、ラウル」
「そうでしょうか」(オレは不便なままだぜ)
「調整不要の魔法防具が簡単に手に入れば、どこで革職人の技を披露する?」
「飾りとか部品あるいは全く別の革製品ですかね」
「そうだ。すると肝心の革防具を作る職人技はどうなる」
「廃れます」
「消えるんだよ、ラウル。消えてなくなるんだ」
どんな業界でも技術は進歩する一方だが、昔は出来ていたことが現在では再現できなくなることがある、とヘーガーは言う。魔法はたしかに便利で欠くべからざる存在だが、連綿と受け継がれた技術を潰してしまうこともあるということだ。
そこへクルトの依頼である。魔法抜き。ラウルの体に合ったフルオーダーメイド。余った予算は魔法防具には使う必要のない小技や部品に注ぎ込んで構わないという申し出。
これは単なる商品の売買にとどまる話ではない。失われつつある革防具技術の純正見本として自分の製品が残せるのだ。
「難しい話だったかな。でも大切な事なんだ」
「覚えておきます、店長」
「そうか。うれしいよ。預かり証を書くから待っていてくれ」
「わかりました」
虎の子の金貨を手渡し、ラウルは店内を見ながら待つことにした。
売れ筋はやはり魔法防具のようだが、経営上仕方なく置いている、ということだろう。大切な事だとは言ったものの、たとえヘーガーでも霞を食べて生きていけるわけではないから、自分の主義主張を曲げて世間の主流に合わせた商品も置かねば生計が成り立たない。どれだけ高品質の商品をこしらえても買い手が付かなければタンスの肥やしと同じなのだ。
ラウルはヘーガーから早くもひとつ学んだ。
技術の伝承と生計の両立は一筋縄ではいかない。
ラウルがふと気になったのはヘーガーの店でひときわ異彩を放っている一角である。
全体的に黒い光沢のある革が目立ち、なかでも網のように形成されて男女どちらが着用しても乳首が見えてしまうような服が目をひいた。もし人形が着ていなかったら服とさえ認識できなかったであろう。人形の手には短いハタキのような鞭が握られている。たしかに革製品に違いないが武器まで置いているとは幅広い品揃えだ、とラウルは舌を巻いた。
「ヘーガー店長」
「なんだい?」
「こっちの黒いのは何ですか?」
「やーだー♡やっぱり興味あるのね♡」
「へっ?」(嫌な予感がする)
「強引に教えたらクルトに怒られちゃうけど聞かれた以上は答えないとね♡」
押印した預かり証を持って乙女ヘーガーがラウルの側へ押し寄せてきた。さきほどよりも距離がかなり近い。
「教え甲斐があるわあ♡お時間よろしいかしら♡」
「あの、ええ、昼までなら」
馬鹿正直に答えたラウルは召喚魔法なしで異世界への扉を開けてしまったようである。彼にそのつもりはなかったのだが、今日までいまいち意味が分からなかった“好奇心猫をも殺す”という北国のことわざを身をもって体験することとなった。
「先に採寸しちゃいましょうか♡」
「よ、よろしくお願いしまッ、ちょ」
「それでわ失礼しまあす♡」
「ふおおッ!」
以降、腕や太ももを触られるのは序の口で、胸囲測定と称して抱き着かれたり、足に力が入ってると言われて尻を撫でられたり、必要以上に入念な採寸が終盤にさしかかったころにはラウルはもはや生きた心地がしなかった。
最高の革防具を作るためとはいえ、採寸というにはあまりにも濃い時間をラウルは過ごした。もはや狂乱の異世界と称しても差し支えない試着室兼採寸室からやっとのことで這い出たラウルを待っていたのは、ヘーガー店長が自ら用意したさらに別の異世界である。
黒い光沢に支配された異世界には金属のトゲがいたるところに生えていた。罪人でもないのに縄や手錠で拘束され、鞭だけでなく滑車や蝋燭までも奇怪な目的で使用している。
うかつに迷い込んだ者を捕らえて放さぬめくるめく漆黒の異世界だった。
いつもご愛読ありがとうございます。
訓練用防具を手に入れる前にひと波乱のラウル君です。
がんばれラウル!染まるなラウル!
ちなみに、ヘーガー店長のごっこ遊びをするときは玄田哲章さんでやってます。
徃馬翻次郎でした。