第21話 大人のおつかい ①
エスト村の外周は木の柵で囲まれ、主要道路を扉のついていない門と見張り小屋で警備している。常駐している衛兵は一つの門に二、三名。禁止されている薬物や奴隷の密輸がないか馬車の積み荷を抜き打ちで調べるが、それも一応といった程度のものだ。
もし荷物の箱にクラーフの焼き印が押されていれば、ハイ結構です、と検査済みになってしまうあたりクラーフ商会の信用は絶大なものが有る。
さらにエスト支店長のグスマンは篤い信仰心の持ち主ということはエスト村民共通の常識と言ってよい。昨日の魔獣騒ぎへの対応を見てもわかるが、いざとなれば率先して人助けをするような立派な人物である。むろん密輸に手を染めるはずもなく、衛兵の任務をますます退屈なものにしていた。
本日、ラウルのおつかいはそのクラーフ商会とクルトから紹介された革防具専門店を訪問することだが、彼はあることに気付いて訪問先を一か所追加した。
(ヴィリー隊長と話せるかな?)
昨晩の宴会でラウルは話をしたいと思っていた。特に戦闘とか警備関連で専門職らしい経験談が聞ければいいと思っていたのだが、彼は御用繁多でさっさと姿を消している。無理に引き留めて話をするわけにもいかず、次の機会を待っていたのだ。
なにしろその御用には魔獣騒ぎ事件の捜査が含まれている。捜査自体がそんなに早く進むはずもないが、それでも衛兵詰所を訪ねてみることにしたのには理由がある。
それは、どこに鍛冶の仕事が転がっているとも分からない、御用聞きというわけではないがあいさつぐらいはしておいて損はないだろう、という判断だ。
この営業熱心な精神こそ商人の鏡と称賛され、あるいは嫌がられる東方諸島商人の真骨頂なのだが、ラウルは知らない間に身につけてしまっていた。
牧草地帯をすぎてエスト村の南門に近づくと、衛兵のひとりが手を振ってあいさつしてきた。ラウルは坑道に突入した衛兵その一からその二十のうちの誰かだろうと思ったが、顔を見てようやく担架兵その四だと気付いた。
「よう、買い物かい?」
「どうも、ご苦労様です。えーと、ヘーガーさんの店ってどこになります?」
ラウルは手紙の宛名を読みながら衛兵に問い合わせたのだが、衛兵は店主の名前に微妙な反応を見せつつ場所を教えてくれた。
「防具を買いに行くんだよな?」
「そうですけど」(ほかに何があるって言うんだよ)
「そ、そうだよな。気にしないでくれ」
「はぁ。隊長さんはお仕事中ですか?」
「ああ。今だと朝礼中かな。用事があるなら時間取ってくれると思うよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「良い一日を!」
今朝のクルトに続いてこの担架兵その四の態度だ。ラウルは何となく不安になりかけたが、衛兵隊の朝礼が終わるのを待つ間に、衛兵隊詰所からほど近いクラーフ商会を先に訪ねることにした。
店先では店員が何名か出ていて開店前の清掃中である。その中には前掛け姿のリンもいたので、土産を渡すために近づくと彼女のほうから声をかけてきた。
「おはようございます」
「おはよう」(いやに丁寧だな。あ、そうか!)
開店前とはいえ、すでに仕事中だったのだ。友人と無駄話をしているとでも他の店員に思われたら、あとあと楽しいことにはならないだろう。支店長の娘であるからこそ余計に気をつけねばならないのだ、ということにラウルは間一髪で気付いた。
「開店までもうしばらくお待ちください」
リンが目くばせを送ってきたので、ラウルもうなずいて返しておく。
「いえ、母から届け物を預かって参りました。皆様にくれぐれもよろしく」
ラウルは知ってる限りの敬語を総動員してなんとかその場をやり過ごすことができたが、事情を知っている者が聞けば間違いとわかる点もあった。そもそもお持たせはリンに対する返礼なのだから皆様のくだりは必要ないのだ。
それでもリンは必死の無言符丁がラウルに通じて嬉しそうだった。
「ありがとうございます。実はグスマンからお話がございます」
「へっ?」
「差し支えなければ、本日の昼時にでもご来店いただければ幸いです」
「そうなの?」
「ご都合はいかがでしょうか?」
「そ、その時間に参ります」
もうラウルの化けの皮は限界だった。パン籠を渡してお辞儀をするが足が震える。それにしても恐ろしいのはリンだ。いつの間にやら別人かと見まごう上品な物腰と言い回しを身に着けていた。これが女性の裏表というやつか、そう言えばウチの母親はどうなんだ、と思い及んだラウルはぞっとした。別人どころか元冒険者・主婦・犬神様の三位一体ではないか。
もしかして世の女の子はみんなこうなのかも知れない。ロッテにしても高貴な美少女・残虐魔術師・隙あらばの酒豪だ。
つまり、リンはあと一回変身を残していることになる。
ラウルがアホな妄想をしている間に、衛兵隊の朝礼が終了した。詰所から衛兵たちが出てきて各々の配置に散っていく。ヴィリー隊長が出てきた様子はないので、ラウルは衛兵隊詰所の扉をノックしてみた。
「ごめんください」
「ん?どうぞ入って下さい」
「失礼します」
「おお、ラウル君じゃないか。元気そうで本当に良かったよ」
「おかげさまで、隊長。全くお役に立てませんで恥ずかしいです」
「そんなことはない。戦闘が原因で精神的に病んでしまう者も多い」
「初めて聞きました」(たしかに恐ろしかったが……)
「幸い、私の部下たちは乗り越えてくれたようだがね」
◇
“戦の病”は実に多くの兵士や冒険者をむしばんでいる。奇襲を受けた時の動揺や仲間が殺された瞬間を目撃したことによる心理的衝撃等が戦闘後も残り、身体の震えがとまらなくなったり、根拠地や故郷に帰還した後も不眠や悪夢が続いたりする者たちのことである。さらに症状が進行するとまともな受け答えも難しくなり、他人の助けを借りずに生活することすら危ぶまれることも少なくない。
さらに、大量破壊が可能な大威力魔法の発展にともなって、この病もさらに変化を見せている。アルメキアとグリノスとの国境紛争に投入されたアルメキア魔術師団が大型の合成魔法を発動して敵の部隊を壊滅させたことは記憶に新しい。むろん敵は大損害を被って総崩れとなり、歴史的大戦果として華々しく顕彰されたが、驚いたことに魔法を発動した側の魔術師団から“戦の病”患者が出たのだ。聖堂治癒師や宮廷薬師の見解では、自分たちの魔法が作り出した凄惨な地獄絵図を正視して心が壊れてしまったらしい、とのことであった。
今や大規模な武力衝突は敵味方双方の心を壊す様相を呈してきているのである。
【ミーン・メイ著 それでも歩兵は前進する より】
◇
昨夜のラウルは常に守られながらの戦闘だったわけで、むしろ精神的にきつかったのは巣袋ミイラの運搬だったくらいだ。突然魔獣に襲われた村人のほうがよほど怖い思いをしただろう。
「村の人は大丈夫ですか?」
「大人はなんとか。問題は子供たちだよ。我々の力不足だ」
魔獣に襲われた子供たちの外傷や麻痺は全員が完治した。しかし、心に傷を負ってしまった子供もかなりいて、昨晩眠れぬ夜を過ごした親子も多かったようだ。悪夢にうなされ夜尿症をしてしまうほど精神が不安定になってしまった子もいたらしい。これは睡眠薬か弱い鎮静魔法で制御して落ち着かせる以外に治療方法が存在しない。魔法とて万能ではないのだ。
「……」(隊長の責任じゃないのに)
「そうだ、ご両親に伝言を頼みたい」
「はい、隊長」
「明後日の夜にでもお伺いすると伝えてほしい。さすがに今日はもう眠くて頭が回らん」
「伝えます」(徹夜かな?)
「すまないね。よろしく頼む」
御用聞き兼あいさつのつもりが、ずいぶんと重い話になってしまった。たしかに、あちこち顔を突っ込めば人脈が広がっていろんな話を聞く機会が増える。しかし、今回のように心が痛む話も当然耳に入るし、いつも心地よい話ばかりが聞けるとは限らない。
他人と関わって生きていくとはそういうことなのだ、とラウルは痛感した。
伝言を預かって退出する前に、隊長の机に何冊か本が並んでいたのが目に留まった。衛兵隊長とはいえ平民だから、読書家というのは珍しい。武術や戦術の教本もあるのだろうが、それにしては冊数が多い。
ラウルは詳しく聞いてみたかったが、ヴィリー隊長の目の下にクマができて睡眠不足を主張しつつ美男子を台無しにしていたので、質問をあきらめて退散することにした。クマの原因は徹夜だけではない。心に傷を負った子供たちのことで心を痛めていることは、さきほどの会話からも明らかだ。
朝の早い時間だが、村内ではあちこちで工事の音が響いている。魔獣に破壊された倉庫や家屋を復旧しているのだ。物は修理すればよいが心はそう簡単ではない。
ラウルもよく知っていることだけに、ひとりで背負い込むヴィリー隊長が気の毒だった。そんなに一人で責任を感じなくても良いではないかとも思うが、隊長の任務に臨む態度は騎士のそれ以上だ。
初対面時に理不尽な嫉妬の炎を燃やしていたラウルは自分が恥ずかしかった。衛兵隊長の仕事と彼のまじめな勤務態度を考えたら、美人の奥さんが五、六人いなければ不公平ではないかとも思う。
(あの見た目ならモテそうなもんだけどな)
しかしながら、衛兵は任務の過酷さのわりに高給取りではない。貧乏くらい何よ、と言い切る女性もそうそういるものではない。となればラウルの言うところの美人の奥さんを複数養うことも難しいのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
強くなる前に訓練用のお道具を仕入れなければならないラウル君です。
この調子だと本格的な修行はまだ先ですね。がんばれラウル!
徃馬翻次郎でした。