第20話 進路指導 ②
「食うか」
「はい、親方」
台所ではハンナが鍋をテーブル上に移すところだった。椀とスプーンを受け取り、三人は朝の祈りもそこそこに温かいパン粥を味わった。
「母さん、このパンはもしかして……」
「昨日リンちゃんが持ってきてくれたわ。クルトさんとお昼に食べた残りね」
「ちょっと貰いすぎたかな」
「そうだな」
「いいところに気付いたわね」
ラウルに指摘されるかたちとはなったが、ハンナはあらかじめ考えていたらしい返礼計画を披露した。預かっていたパン籠にハンナの手作りジャムとビスケットを詰め、ラウルに運ばせるというものだ。
「なんのジャム?」
「リンゴとスグリね」
「お昼休みを見計らって差し入れるよ」
「それがいいわ」
「礼儀正しくな」
「わかったよ」
クルトはパン粥のお代わりを求めて椀をハンナに差し出す。ハンナは椀を受け取りながら追加の提案を口にした。
「新しいお友達と三人でお茶する機会かも知れないわね」
「母さんはコリン君のこと知ってるの?」
「突然王都から姿を消して話題になったのは二年ほど前だったかしら。ねえ、あなた」
「ああ」
「王都へ行く用事なんか滅多に無いから噂だけね」
「一度だけ……納品のついでに見たことがある」
「まあ、うらやましいわ」
「歌は聴いた?」
「立ち見だったがな、大したものだった」
おかわりを受け取りながらクルトは当時を思い出している。
王都のタイモール大聖堂は満員、建物を取り巻くように聴衆が詰め掛けていた。威張り腐った大司教が全身全霊をかたむけての説教はあくびが出るほどつまらなかったが、それがコリンの歌声を一層美しく感じさせたという。神様には言いたいことが山ほどあるクルトも、“天使の歌声”には魅了されてしまったようだ。
お茶会はともかく、コリンに昨日の礼を改めて言うべきだとラウルは思った。エルザから友人になるよう依頼された件も忘れてはならない。
そこで思い出したのだが、エルザからは戦闘訓練用の道具をそろえておくようにとの指示も受けていたのだ。これは両親と金銭の相談をする必要がある。
「父さん、エルザさんからいろいろ教えてもらう約束をしたんだ」
「ほう」
「あらあら、そんな話をつけてきたの?」
「うん。向こうも仕事があるから、たまに顔を見せてくれる程度だけど」
「うむ」
「それでさ、お古でいいからウチに剣術のけいこ道具が……」
「ない」
「即答だね」
「木剣を作れ。材料選びから教えてやる。それも仕事だ」
「ちゃんとしたのを買うとけっこう高いわよ」
「そうなの?」
「短いものでも銀貨一枚。材料や長さはもちろん握りの造りでも値段が変わるわ」
「そんなに!?」
作る時間が惜しいが自分の予想をはるかに超える値段設定にラウルは屈服した。しかし、どうせなら自分で作ってみたい欲も出てきたのでクルトの指導に従うことにした。
「大事なのは防具だ。金貨を三枚渡すから新調しろ」
「それこそウチでなんとかなるんじゃないの?」(金貨三枚!?)
ラウルは革製防具の値段に驚いた。革製防具一式が金貨三枚なら、クルト印のエスト鋼製全身鎧は金貨二、三十枚ということになるのではないか。
そうすると騎士や冒険者を目指すにしても、その日暮らしの者はおよそなりえない。騎士はなりたいと思ってなれるものではないが、冒険者になるにしても命を守るための初期投資が必要で、それが決して安くはないことを思い知った。
「ラウル、木剣をなめてはいかん」
「相手が剣の達人じゃなくても受け損なったりしたら大けがするわよ」
「うん。だからこそウチの鎧……」
「重い。打たれても痛くない。体さばきと弾きを覚えるには邪魔だわ」
「な、なるほど」(確かにそうだ)
「詰め物がしっかり入った革の兜に鎧、あと手袋も大事ね」
「手袋?」
「そうよ。戦いなれた剣士は手首を狙ってくる」
「うん」
「武器を叩き落とせば手っ取り早く戦闘不能に追い込める。真剣だと手首が飛ぶ」
「……」(怖ッ!)
「東方諸島の剣術訓練では“籠手”というわね」
「握った指を怪我せんためにも手袋は大事だ」
最後にクルトは忠告を付け加えたが、ラウルがハンナと話し込んでいる間にパン粥の残量を心細くしてくれたようだ。ラウルはハンナと鍋に残った最後の一すくいを分け合った。
指を怪我しては鍛冶修行に差し支える。ラウルの“痛いの飛んでけ”では追いつかない場合はエルザや両親の手を煩わせることになる。けがの程度がひどければコリンを呼んでくる羽目になってしまう。
そんな事態を招かないために良質な防具が必要なのだ。けいこ用とはいえ、手を抜いていいわけがない。こっそりパン粥をおかわりしていたのは許せないが、クルトのもっともな忠告を聞いたラウルは素直に首肯した。
この日以降、ラウルは自社製品の防具だけでなく他店の商品や衛兵や冒険者の防具にも注意を向けるようになる。そして、自分の両親は例外として、けっこうな手柄を立てている者や大きな名声を得ている者ほど防具に金をかけている事実を知るのである。
「エストに革専門の防具屋がいる。手紙を書いてやるから相談にのってもらえ」
「父さんだって作れるでしょ?」
「ああ」
「でもエストの職人さんに頼む?」
「魔法防具じゃねぇんだ。伸縮自在ってわけにはいかん」
「うん」(そうだった。オレの魔力じゃ鎧にかけられた調整の魔法が発動しない)
今般、魔法服や魔法防具にかけられている形状変化魔法は亜人や魔族の変化用途にとどまらず、人間用にも広く用いられている。そもそも全く別の形状に変化させてしまうより、大きさを変えるだけの魔法のほうが、はるかに構成が単純で手間も少ない。
亜人や一部魔族の変化がもともとの人型からあまりにもかけ離れた大きさと形状になってしまうために考案されたのが形状変化魔法である。その魔法の一部を取り出して、着用者の体格にあわせた大きさ調整を行なう機能にのみ特化した魔法が組まれるのにいくらも時間はかからなかった。
すなわち、人間族用の魔法服と魔法防具の誕生である。
防具をつくる側にしてみれば、大小取り揃えずに同じものを作れば済むわけだから手間いらずだ。客も店売りのものを財布と相談して買って帰ればいいわけで、売り買い双方に利点のある大発明と言えた。
つまり、今やのこの世界では購入資金さえあれば、ラウル以外のほぼ全員が調整も採寸もいらない服や防具の恩恵にあずかれるわけである。
「お前の場合、材料選びから細かい採寸に作ったあとは微調整が要る」
「うん」
「長年革を扱ってきた職人の手はそれ自体が魔法だ」
「魔法の手」(格好いい!)
「うむ」
ハンナが後片付けを始めたのでラウルも食器をまとめて片すのを手伝う。
「ラウルは午前中いっぱい外回りね。お昼は帰ってくる?」
「リンとコリン君次第だよ。どうしようかな」
つまり、今から出かけてリンの始業前にパン籠を渡して防具屋によれば外食せずに帰って来られるかもしれない。お昼時にお邪魔しては、また昼食をごちそうになってしまう可能性もある。グスマンが居合わせた場合を想像すると、ラウル君も一緒にどうかね、という台詞が容易に思い浮かぶが、それでは返礼の意味が薄くなってしまう。
ラウルが考えている間にハンナは自分の前掛けやポケットを物色している。そうだ昨日のお釣りが、と言いながら二階の自室へ行ってすぐに戻ってきた。
「男の子がお外で一文無しはだめよね」
ハンナが持ってきたのは小銭入れだ。“ジーゲル”と刺繍が入っている以外はごくありふれた品なのだが、彼女曰く出かけた先で落としたりしてもエスト近くなら必ず自宅に帰ってくる不思議の品だそうだ。
「魔法道具?」
「いいえ。エストの皆さんの親切じゃないかしら」
「そ、そうだね。大事に使わせてもらうよ」
どう考えても犬神様の御威光によるわけだが、ラウルはあえて指摘せずにその場を離れて中身を確認してみた。銅貨と大銅貨が数枚に銀貨が一枚だけ入っている。ラウルが始めて手にした大金だが、今日はここに金貨が加わる予定でめまいがしそうだった。
「父さん」
「なんだ」
「大きいお金で買い物するのは初めてなんだけど」
「うむ」
「防具屋の支払いってどうなるの?買い食いと同じ?」
「違う」
「えっと……」
「今回は引き渡しが後日の点でまず違う。全額前払いの点でも違う」
「全額?」(本当かよ)
「信頼の証でもある」
「うん」(な、なるほど)
「そのへんも手紙に書いといてやる。預かり証をもらって来い」
「わかった」
「店主はいい奴だが……いや、会えばわかる」
クルトは最後に少々思わせぶりなことを言ったが、親方が紹介する相手だ、とラウルは安心しきっていた。これならついでに専門外である革細工の勉強もさせてもらえる機会かもしれないと喜んでいる。結果として異世界を知ることになるのは数時間後だ。
手紙と土産の準備が整ったのでラウルは半休をもらって出かけることにした。帰ってきて元気が残っていたら店を手伝え、というクルトのいつになく優しい言葉がひっかかったが、ハンナに持たせてもらった小銭入れのおかげで元気百倍、エスト村までの道のりが楽しく思えるほどだった。朝の空気が清々しかったおかげでもあるのだが、ラウルの心が前向きになっていたせいでもある。
鍛冶修行に加えて外回りもするようになって、一日の密度が急に濃くなってしまったラウルだが、疲労やわずらわしさは感じていない。昨日とよく似た天気だったが、気分は昨日までとは段違いの爽やかさだった。
いつもご愛読ありがとうございます。
社会性を身に着けるところから始める主人公です。がんばれラウル!
次回はおつかい編です。お楽しみに!
徃馬翻次郎でした。