第19話 進路指導 ①
起床時に夢の内容を完全に記憶している人がいる。これは夢を見ているのだ、と自覚しながら夢の世界を楽しみ、その内容を制御できる人までもいる。
ラウルはその真逆の人間だった。なにかとても重要なことを聞いた気がするのだが思い出せないのはざらで、神託のごとき映像を見せられながら目覚めた瞬間にきれいさっぱり忘れたことは一度や二度ではすまない。
起きたら忘れるとはいえ、スケベな夢はほとんど見たことがなく、高所から落下したり怖い目にあう夢のほうが圧倒的に回数が多いのだから気の毒なことだ。
今朝も夢の中で何者かの接触を受けたはずなのだが、起きた時にはきれいさっぱり忘れていた。スケベ夢でなかったことは下着の中の状態からも明らかだ。
なにしろ昨日は大変な一日だった。夢の中で思い出したり冒険の続きを思い描いていたとしても不思議はない。たしか蛇だか竜だか謎の巨大生物の夢だった気もするが、教会の窓飾りや壁画でしか見たことがない生物の夢というのもおかしなものである。
当然だが窓飾りや壁画は平面での表現であり、幾分時代が付いて色あせている。しかし、今朝の夢は立体的で色彩も鮮やかだった。
(あれは一体……なんの夢だったっけ?)
残念、ラウルの寝起き頭は映像の途中で再生不良を起こした。
ようやく外が明るくなりはじめたばかりなので寝なおそうかとも思ったが、今日は父親と約束した人生指南がある。顔を洗ったら朝食の前に外の空気を吸って身体を動かしてみるのも良いかもしれないと思って着替えを始めた。
階下では両親がすでに朝食の支度を始めていた。
「おはよ」
「あら今朝はずいぶん早起きね、ラウル」
「まだ寝ててもいいんだぞ」
「なんか覚めちゃったからもう起きるよ」
「そうか、ならちょうど良い。話がある」
どうやらクルトは朝食前に進路指導を始める気らしいので、ラウルは予定を変更して椅子に腰かけた。エルザも温かいお茶を給仕したあと席に着いた。
「まず、そうだな、昨日はご苦労だった。怪我がなくて何よりだ」
「父さんと母さんもね」
「ありがと、ラウル」
「うむ。冒険者稼業のごく一部分がアレだ。確認だが、アレになるつもりは無いんだな?」
「うん。今のところはね」
「今のところ?」
「鍛冶修行を放り出すわけにはいかないよ」
「そうだな」
「この世界の大人としてどうするかって話」
「言ってみろ」
昨日のことだ。両親やエルザ隊が巨大蜘蛛と戦っている間、ラウルはエスト第四番坑道の入り口で待機する羽目になった。その時考えていたことを整理しながら説明した。
今のままでは鍛冶屋としても一個の大人としても頼りないこと、魔獣はおろか野盗のようなならず者相手でも後れをとるであろう厳しい現状を素直に認めた。
いつまでも魔力不能のせいにしてはいられない。見聞を広げながら鍛冶をみがき、身体と剣技を鍛えて、いつの日か生身の限界に挑戦する。最低でも我が家と自分の大事なものを失わずにすむだけの強さを手に入れたい。
そのための意見を人生と鍛冶と冒険の先輩である両親から聞きたい、ということだ。
「そういうことか」
「うん」
「急に具体的になったな」
「エルザさんに相談した」
「そうか」
「うん」
クルトは腕組をしながら目をつぶった。息子は思っていた以上にきちんと考えていたようだ。我々夫婦と相談して導き出した考えではなかった点はさびしい限りだが、自分やハンナでは思い切ったことが言えず、画期的な考えは出にくいだろう。
何より“生身の限界”という言葉が良かった。口で言うほど簡単な道のりではあるまいが、聞いた以上はその言葉に沿って話を進めることにした。
「ラウル、今だから言うがかつて俺は神を疑った」
「え?」
「お前に魔力が無いと判明した時だ」
「……」(そうだよね)
さんざん息子の心を傷つけてゆがめてしまった原因を口にしなけらばならない重圧でクルトは押しつぶされそうだった。さらにクルトはあまり弁がたつ男ではない。それでもこの話題は避けないほうが良いと判断した。
息子が自身の問題に立ち向かおうとしている以上、こちらも隠し事はせずに一切をぶちまける必要がある、と覚悟を決めた。
「まあ、いろいろ言われた。寄付金をケチっただの感謝が足りないだの」
「うん」
これはラウルの魔力量がほとんど空に近いことが判明した際に、ジーゲル家に対して一部の村人がたたいた半ば公然の陰口だ。クルトにとっては思い出すのもクソ忌々しい限りの過去だった。
「親の信仰心欠如は罪だとしても、なぜ子供に罰が及ぶ」
「……」(それはオレも思ったよ)
「神は答えをくれはしないから自分を責めたよ。ずっと。今でもな」
「あなた」
「父さん」(それは知っていたよ)
「だが、神がくれなかった答えをお前は自分で出したらしい」
「……生身の限界に挑む」
「そうだ。俺もハンナも思いもしなかったことだ」
「そうね、ラウルを守ることばかり考えていたもの」
「母さん」(ご、ごめんよ)
いつしかハンナは泣いていた。
あの犬神様がさめざめと泣いていた。
つらい思いをしたのはのはクルトだけではないのだ。母親としてはクルト以上のものが有っただろう。それほど私は罪深いのかと、数えきれない自問自答を繰り返してきたに違いないが、その問いに答えるものはやはり居なかった。
答えも慰めも与えられず、やっぱり冒険者時代に殺生をしすぎたんじゃないか、というまことしやかな噂だけが嫌でも耳に入ってきた。あとはクルトと同じだ。殺生の罪に対する罰なら我を裁けとこいねがったのは一度や二度ではない。
「くどいようだが、鍛冶修行優先でいいんだな?」
「うん。あー、お願いします」
「よし。続きは鍛冶場で話す。ハンナは朝飯の支度を頼む」
「まかせて!ごちそうよ!」
「普通にしろ」
「はーい……」
ハンナは不満げだったがクルトに従って朝食の支度を始めた。
ラウルとクルトは鍛冶場に入ってそれぞれ腰かけにおさまり、鍛冶指南を開始する。
「ラウル」
「はい、親方」
「お前はとっくに素人鍛冶の域を超えている。厳密にいえば初伝だ」
「はい」(えっ、そうなの?)
「だがな、上を目指すならお前の大嫌いな“心”の話をしなきゃならん」
「はぁ」(またそれか)
「まあ聞け。そうだな……リンちゃんがお嫁にいく」
「はい」(なんでリンが出てくるんだよッ)
「そうなったらグスマンさんがウチに守り刀の短剣を注文するだろ?」
「はい」(た、たとえ話かよ)
「お前打ってみろって俺が言ったらどうする?どんな心で打つんだ?」
「そ、それは……」
金床を見つめながらラウルは時間をかけて考えた。
守り刀である以上は祈りながら打たねばなるまい。リンが災難に遭わぬように、新しい家族に幸多かれ、短剣を抜かねばならないような日が来ませんように、と心をこめて打たねばなるまい。
「剣でも刀でもホウチョウでも同じ。持ち主のことを想えってことだ」
「あっ」
「わかったか。それが鍛冶屋の“心”だ」
「……」
これまでにラウルが打った刀剣に心がなかったわけではない。ただし、今に見てろとか見返してやるといった不気味な怨念めいた心が詰まっていた。怨念の塊で邪悪なものが切れるはずがあろうか。それどころか持ち主が非業の最後を遂げるのは目に見えている。
「今なら解るんじゃねえのか」
「上手く言えないけど」(理屈はわかった)
「ま、続きは追々な」
「はい、親方」
特に売る相手が決まってない店売りの商品でも、戦闘中に折れたり怪我をしたりすることがないように心を込めて打つべきだ。そうでもしない限り持ち主に失礼ではないかというのがクルトの持論だ。
実際、彼は冒険者時代に戦闘中において店売りの長剣を折ってしまった経験があるのだ。その長剣を打った鍛冶屋に罪はないし、使い方に問題があった可能性のほうが大きいのだが、突然相棒に裏切られたような絶望感はいまだに忘れられない。
今、クルトが一度に話を進めずに一旦切り上げた理由は二つある。
ひとつには、昨日の今日であまり急に詰め込んでも逆効果だからだ。あとは鍛冶の実務を通じてゆっくりとだが確実にラウルの血肉にしたかった。
もうひとつの理由は、鍋の中でハンナ特製ジャガイモと玉ねぎの入ったパン粥が煮えていい匂いを漂わせてきたからである。少量だがベーコンも入っているようだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
いろんな人と出会って強くなっていく描写がつづきます。
まあ、その過程で妙なスキルや知識が身につくかも知れませんが(笑)
徃馬翻次郎でした。