第18話 宴会 ③
エルザがお茶で一服中なのを見計らってラウルは素早く隣の席にすべりこんだ。今まで兄者が座っていたが歌うために立ち上がったので空いた椅子だ。
「エルザさん、ちょっとお話が」
「おっ、なんだい?つがいの申し込みかな?」
「ちがいますよ!」(そ、それ受け付けてるの?)
「えー、お姉さん残念」
「からかわないでくださいよ」(そんなに飲んだのかな)
「では話を聞こうか、若人よ」
“北方の戦士”三番が流れる中でラウルはクルトにしたのと同じ要請をエルザにしてみたが、エルザは思案顔だ。酔いらしきものも消えている。
「冒険者になりたいわけではないんだよね?」
「そうです」
「ちゃんと親御さんには相談したよね?」
「はい」
エルザは基本的にラウルの依頼を引き受けたいが、もう少し目標を明確に設定しないか、と提案した。名門貴族の家訓や大商会の社是のようなものが素晴らしいとは言わないが、今のままではエルザも相談に乗りにくいし、ラウル本人の為にも良いと言うのだ。
「どうかな?」
「そうですね……長くなりますけど聞いてくれますか?」
「拝聴するぜ」
「それでは……」
ラウルはできるだけ簡潔に『短縮版ラウルの人生』を語り、このままでは家業を継ぐどころか、一人の人間としても運任せの厳しい人生になってしまう不安を正直に告げた。
二人の話が途中なのを見た弟者が気をきかせて歌を続ける。“戦士の休息”は労働後の一杯とハチミツ酒の偉大さを讃える歌詞だから今の状況と酒場の名前にもぴったりだ。今度は戦士兄弟以外にも和するものが出てきて酒場全体が盛り上がる。
「魔力が最初からほぼ空ってのは珍しいね」
「ですよね」
「ロッテと逆だわ」
「彼女が?」
「うっ、口が滑った。この件は話せる日が来たら言うよ」
「はい」
魔力が原因で悩みを抱えているのはラウルだけではないらしい、そう思うとラウルはいたたまれない気持ちになり、また恥ずかしい気持ちにもなった。今まで自分一人だけが不幸でいじめられてきたと思っていたのだ。そのいじめっ子たちを見返すつもりで鍛冶に打ち込んできた話に及んだとき、はじめてエルザの美しい眉間にしわがよった。
「お姉さん、そういう向上心は良くないと思うけどな」
「はい」(そうは言うけどさ)
「自家製呪いの武器に挑戦してるみたいだよ?」
「そんなつもりじゃ……」
話が手荒く煮詰まってしまう前にエルザは話題を変えた。
「この際、いじめっ子はどうでもいいよ。一旦忘れよう」
「はぁ」(どうでもいい?)
「君がどうなりたいかだけ考えよう」
「なりたい……」
「言っておくけどなりたい職業の話じゃないよ」
「……」
「辛くても他人から尊敬されたい?何も考えなくてもいいかわりに足蹴にされたい?」
ラウルでなくとも人生における究極の二択とはこれだろう。他国や異世界でも同じ事が言えるかも知れない。
ラウルにも自分に足りないものがようやくぼんやりと見えてきた。敏感に空気を読んだ戦士兄弟が目くばせをかわして“戦士の休息”のアンコールをでっちあげる。
「厳しいほうを選びます」
「うん。でも魔力なしだと厳しいどころのさわぎじゃないよ?」
「限界まで挑んでみます」
「おじいさんになっても尊敬される人生に届かなかったら?」
「……死ねばいいと思います」
「できた!それだよ!」
「どれです?」
「その覚悟だよ」
「!」
ラウルに足りないものは魔力だけではなかった。
覚悟が足りなかったのだ。
もちろん、この世界で魔力不能は大変な負い目だろう。だからと言って怒りと焦りにまみれて日々を過ごしたところで何の成果が得られようか。その日暮らしで糊口をしのぐ様が待っているだけではないのか。
しかし、ラウルはエルザとの問答の中でひとつの答えを見出した。
“魔力抜きで生身の限界に挑む”のだ。
この魔力万能の世界ではおよそ正気の沙汰とは言えぬであろう。しかし、一旦男が覚悟を持って決めたなら、それは立派な目標である。そして、成否の責任は自らの命である。
「戦士兄弟にもたまに顔を出して土産話をするか、けいこをつけるように言っておくよ」
「大歓迎です」
「じゃ、そういうことにしよう!と言いたいのはやまやまなんだけどさ」
エルザはラウルの依頼を無料で引き受けることにしたが、直ちに実行できるわけではない理由を説明した。
明日にでもブラウン男爵と面会して、依頼完了の報告と報酬受領をすませるだろう。けっこうな額になるので、隊員と分配した残りを王都にあるクラーフ商会本店に併設されている金庫室に保管しに行くことになる。他にも小さな用事が溜まっているらしい。
魔術師の師弟は今回入手した蜘蛛型魔獣の情報や卵の研究をするためにいったん王都の魔法学院に戻るとのことだ。
戦士兄弟も同じく王都の傭兵旅団本部に出頭した後、北の故郷で一族が経営している農場の様子を見てくるらしい。
つまりエルザ隊は近日中にいったん解散するのだ。
「休暇の続きともうけ話を探しにきっと戻ってくるからさ」
「お待ちしてます」
「うんうん、けいこの道具とか揃えておくといいよ」
「わかりました。ところで農場というのは?」
「あ、それね……」
戦士兄弟に限らず、冒険者の中には稼いだ報酬を投資に回している者も大勢いる。彼らの中には本業そっちのけで儲けているものもいるほどである。
フレッチャー兄弟の場合は故郷に一族の雇用を創出し、同時に自分たちの再就職先を確保することにしたわけだ。いつ身体をいためて引退を余儀なくされるかわからない稼業ゆえの用心と言えるかもしれない。精神的にきてしまった場合も同じであろう。
帰る場所を持たない冒険者は続かない、ということだろう。かくいうエルザもエスト西の湖畔に隠れ家を持っているらしい。すると帰る場所がないらしいのはコリンだけということになりはすまいか。
「コリン君は?」
「明日からしばらくクラーフ邸でお世話になるらしいよ」
「へっ?」
「あとでリンちゃんに聞いてみな。それから」
「はい」
「よかったらコリンと友達になってやってよ」
「はぁ」
「ロッテ以外に同年代の友達がいないんだわ」
「……」(なんかオレと似てるな)
「どうかな?」
「喜んで」
「おお?いい返事だな。頼んだよ」
コリンとはすでに戦友であるうえに、男と知らなかったとは言え、一方的に永遠の愛を誓ってしまった相手である。友達になるぐらいはむしろ望むところだとラウルは考えて返事をした。実はコリンも他人に言えない痛ましい過去と闇をかかえていたのだが、この時のラウルはまだ知らない。
エルザ隊は夜通し飲み続けても問題ないのだが、ジーゲル一家とリンは明日も仕事、そこそこに切り上げて寝る支度をせねばなるまい。
「あなた、そろそろお暇しないと」
「まだいいんじゃねぇか?」
「ラウル、リンちゃんをお家まで送るように」
「むむっ」
「はい、母さん」
有無を言わさぬハンナのお開き宣言により、ジーゲル一家とリンは戦士の宴から退出することとなった。
最後に全員と握手を交わして今日の戦果をたたえ合った。校長先生は王都に来たら学院を訪ねるようにと声をかけてくれたし、戦士兄弟のごつい手も印象的だった。
酒場を出るとジーゲル夫妻は村の出口で待つと言い残し、肩や腰に手を回し合いながら仲良く歩いて行った。
ラウルはリンと並んで歩きながら気になっていたことをいくつか質問する。
「ラウル、さっきはごめんね。もう痛くない?」
「謝らなくていいよもう。何だったのあれ」
「魔法による精神操作。抵抗に失敗してロッテの言いなり」
「たしかロッテの口元から視線が外れなくなって……」
「一発でかかった人は初めて見たわ」(さてはロッテの色香にあてられたな?スケベ!)
「もう自分の身体じゃない感覚だった」
「そうだろうね。それでとっさに何とかしないと、って思って……」
「ブッスリ?」
「ごめん」
「できたら次はフォーク以外で頼むよ」
「う、うん」(次?)
「そういえば、コリン君って有名人なのか」
「あー、ラウルは興味ないかもね」
「なんだよそれ」
「でも“天使の歌声”って聞いたことないでしょ」
「ないです」
「私も噂だけなんだけどさ」
アルメキア王都タイモール大聖堂最高の癒し手にして美声の持ち主、おまけに出自は名門貴族であり、きわめつけに神々しいまでの美男子。絶大な人気で大聖堂を信者や患者に加えて参拝客で一杯にしていたが突如として姿を消したという、若いながらもコリンは伝説の治癒師である。
その生きた伝説が王都を離れて冒険者部隊に参加していた。いったい何をしていたのだという謎があるが、その経歴と失踪めいた噂話を考えれば秘密の事情があると考えるのが普通だ。鈍感なラウルでも無理に聞かないほうがいいだろうと判断した。
「それで、習い事の先生をお願いしたんだ」
「回復魔法か?」
「そうだね」
「嫌がってたじゃん、就職が決まってしまうって」
「だーかーら、内緒で教えてもらうんだよ」
「内緒ねぇ」(いつかバレるよな)
「普段はクラーフ商会で杖や長衣とか魔力回復薬への助言をする仕事」
「商品開発だな」(これならバレないかな?)
「そうそう。空いた時間で私の先生ってわけ」
コリンは神職経験者なのに教会には近寄らないわけだ。謎がまた一つ増えてしまった。
そもそもどうしてリンは回復魔法の修練を今さら再開しようと思ったのかラウルが聞く前に、二人はクラーフ邸に到着してしまった。
「ここでいいよ」
「うん。それじゃ……」
「待って。今度の休みはコリン君と三人で出かけない?」
「そうだな。新しい友達だもんな」
「そうだよ!」
「じゃあアチチッ」
ラウルが別れを告げようとした瞬間、右手に弱い電撃のような痛みが走る。驚いたラウルは手を調べたが傷のようなものは見当たらない。
「ちょっと、ラウル?」
「なんだろ?虫かな?」
「蚊や羽虫ならウチの塗り薬で」
「ほんとうになんともないから」
しっかりクラーフ印の医薬品を勧めてくるリンに、今度こそ別れを告げたラウルは村の出口へと急ぎ、両親と合流した。クルトは門の守衛たちと握手を交わしていた。
ハンナはすでに銀狼状態で待機しており、クルトは来た時と同じ要領でラウルを乗せる。
ラウルは疲れ切っていたうえに少しだが酒も入っていたので眠気を催したが、なんとかハンナにしがみついて振り落とされないことにだけ集中した。一方ハンナは少々飲んでも酔わないようで、おまけに暗闇でも目が効くので日中とかわらない速度で家路を駆ける。
三人はつむじ風のようにジーゲル家に帰り着いた。
ハンナは銀狼変化を解除して人型に戻ると、今度は主婦に変身した。
「ただいま~。さあみんな!服を脱いで洗濯よ!」
「おう」
「面倒くさいよ」
「だめよ。寝床やタンスに小さい虫が湧いたら母さん気絶しちゃう」
虫よりはるかに大きな魔獣を相手に戦って大量に退治してのけた人の言葉とは思えないほどの可愛らしさだが、衛生面を考えた場合、消毒は急務である。
ジーゲル夫妻と違ってラウルは魔獣の返り血を浴びていない分キレイなものだが、コリンの『浄化』による洗浄を受けていない。とにかく戦場とは不潔なもので、小さな傷と馬鹿にして放置したために化膿したり発熱することはよくある。
ハンナはわかりやすく小さい虫と表現したが、不潔の原因が目に見える大きさのものとは限らないのだ。それに今日のラウルは巣袋ミイラを何度も抱いている。
三人は武装を鍛冶場に収納した後、湯を沸かして沐浴の準備を整えた。一番風呂の栄誉を承ったのはラウルである。手早く全裸になると桶にサボ草の乾燥粉末を入れて泡立て、乱暴に身体を洗い出した。
「着替え置いておくわね」
「ありがと」
「もっとゆっくり洗えばいいのに」
「これでいいの!」
ラウルが速度重視で身体を洗っているのは、さっさと両親に洗い場を明け渡すためだ。いくつになっても仲の良い二人は、互いに洗い合ったりそのほかいろんなことをするのだという程度の現実はラウルも承知している。
男性はそれこそいくつになっても子作りができる。亜人の女性はそもそも人間と歳の取り方が違う。ひょっとしてまさかの第二子誕生もありえるのではという考えに至ったラウルは温かい湯で泡を流しているはずなのに寒い思いをした。
(もうひとり“不能”を増やしてしまったらどうするんだよ)
口に出すことはしないが、ラウルにしてみれば当然の思考だ。そんな苦労をするのは自分一人でよいのだとも思う。
(父母が仲良しってのも考え物だな)
年中ののしり合ったり物を投げつけたり果ては暴力沙汰を起こす夫婦もこの世に大勢いるわけだが、ジーゲル家はそのような心配はかけらもなく、そのかわりにラウルを少々不安にしていたのだ。
「空いたよ」
「ラウル」
「なに?」
「例の件は明日だ。今日はもう寝ろ」
「わかった。おやすみ」
「ああ。冷えないようにしろ」
ラウルも疲れていたが、ジーゲル夫妻の疲労はそれ以上だろう。進路指導は明日に持ち越しとなったが、無理に徹夜で話し込んでも良い指南ができるとは限らないから、正しい判断と言えよう。
暖炉前で髪の毛を乾かしながら、ラウルは今日一日の出来事を思い出していた。確か、昼ごろまではいつもと変わらない日常だった。そこからエスト村の事故に続いてちょっとした冒険、最後は生還と新しい出会いを祝って一杯やった。
一度にいろんなことが起きた密度の濃い一日だったことは間違いない。直ちに何かが変わるとは思えないが、息のつまるようないら立ちから幾分解放された気分になっていた。
何しろ明日からはやることがたくさんある。
洗い場から両親が乳繰り合うキャッキャウフフが聞こえた気がするが、ベッドに倒れこんだラウルは泥のような深い眠りへ落ちていった。
こうしてラウルの長い一日がようやく終わった。日付も変わったから新しい一日のはじまり、ラウルにとっては日付以上の意味を持つ新しい日常のはじまりである。
焦るばかりでちっとも前に進めない人生の泥沼からようやく片足を抜け出せたラウルは早くも豪快ないびきをかきながら夢を見ていた。
大きな竜が体中を鎖で縛られ、地面にぬいつけられてもがいている夢だった。
いつもご愛読ありがとうございます。
脳筋変態暴力主人公を矯正するのは両親の役目かとも思ったのですが、どうしてそれができなかったのかを次のお話で書こうと思います。
ごっこ遊びに没入し過ぎるあまりサガフロ2のギュスターヴママ(説教)を思い出して泣いてしまったのは公然の秘密です。
徃馬翻次郎でした。