第16話 宴会 ①
周辺地域からの急激な人口流入にともなって、エストの街並みはかなりの勢いで整備されつつある。村内でも居住区や繁華街というような区画ができ、さらにそのなかで富裕層と庶民向けのものに分かれる。中心部に近いところは石畳で舗装されており、これで下水道を整備すれば大都市の仲間入りである。
街並みから雑多な感じを受けないのは都市計画を立案した専門家や役人の手腕によるものだろうが、そうするとブラウン男爵の部下を見る目も立派と言うことになる。
繁華街とは言っても王都やポレダの港町には遠く及ばない小規模なものだが、飲食だけでなく宿泊施設も兼ねた酒場が何軒かあり、住民や旅人の渇きと疲れを癒している。
深夜における泊り客以外への酒食提供は認められていない。深酒に起因する無用の争いごとを避けるためだ。ちなみに時間の管理は教会の仕事である。目盛付きのロウソクと最近発明された歯車式の時計を併用して、決まった時間に鐘を鳴らす。教会の連中は祈りの時間にはうるさいから、鐘の音が聞こえる範囲に住んでいれば正確な時間を知ることができることになる。
今夜に限っては酒場の深夜営業を男爵が許可した。収穫祭の開催期間中以外はめったにないことである。まったく芯から疲れる一日で、飲める者は誰もが一杯やりたい気分だった。飲んで寝て目が覚めたらまた日常に戻らねばならないとしてもだ。
ささやかな宴の会場となったのは採掘現場からそれほど離れていない“蜜蜂亭”だった。
エルザ隊がエストに立ち寄った際の常宿でもある。建物の二階が宿泊施設になっているので、エルザ隊の面々はつぶれるまで飲めるというわけだ。
店名はかつてエストの経済と雇用をささえた養蜂業に由来する。エスト鋼以前、他国に誇れる特産品はハチミツだった。現在も栄養食品や酒の原料として需要は多く、エストでは北側の平野から森林地帯にかけてたくさんの巣箱を見ることができる。
この店では一般的なアルメキア料理に加えて、最近では一風変わった東方諸島の料理を出すことが知られている。ただし、品書きには載っていない。あまりにも客を選ぶので、希望者にのみ別の品書きを見せるのだ。料理人は東方諸島から海を渡ってきた変わり者で、大陸各地の飲食店で働きながら修行中とのことだ。
クルトも一度“ヤキザカナ”を試したことがあるが、口に合わなかった。魚は近隣で取れた川魚だったが、バターやオイルで焼けば美味いものをどうしてわざわざ油を落とす調理法を編み出したのかがわからない。多い油脂分は東方のひとたちが好まないのだろう、と思うことにしたが、川魚が泳いでいるかのような盛りつけには目を奪われた。どうやら東方諸島人は美的感覚においてはアルメキア人の数段上を行くらしい。
逆に気に入ったのは“ヤキトリ”だ。小さな串焼きといったほうが正確なこの料理は多様な味付けにも対応しており、キジや鶏の部位別に注文することもできる。単純な塩味でも素材の旨味を引き出しており、香りも素晴らしくエールとの相性も良い。
同じ“ヤキ”でどうしてこうも違うのかクルトは疑問だったが、東方の料理人がアルメキアの料理人とは明らかにとは異なる行動規範をもっているのは明らかだ。
一同が酒場に入ると、遅い時間だというのに客はかなり残っていた。村人以外にも、当直解除されて寝る前の一杯をやりに来た衛兵や仲間に鎮魂の杯を掲げている採掘作業員たちもいて、女給たちが忙しく走り回っている。
商隊と思われる一行が部屋に引き上げるらしく、テーブルが空いた。酒場の一角を素早く占拠することに成功した一同のもとへ、何も言わずとも最初の一杯が運ばれてくる。井戸水と魔法で生み出された氷のおかげでほどよく冷えたエールだ。
最初の一杯はなんと店主からのおごりだった。店主は十一人の新客が何をしてきたかちゃんと知っていて、村人を見捨てずに危険を冒した戦士たちをもてなす栄誉に喜んでいた。
陶製のジョッキを掲げての陽気な乾杯が始まるかと思ったが、ヴィリー隊長がちらりと採掘作業員たちを見やって、まず彼らのほうにむかって低くジョッキを持ち上げた。見ていたみんなもそれにならう。
作業員たちから感謝の頷きとジョッキを掲げる仕草が帰ってきたので、救出部隊の面々も心持ち控えめに乾杯する。みんな喉が渇いていたので一気にジョッキを干した。吐息の後にようやくみんなから笑顔がこぼれる。仕事をやりとげた者たちの顔だ。
一息ついたところで、
「さて、みなさん改めまして、エスト衛兵隊長ヴィルヘルム=シュタイナーです」
といった具合に自己紹介が続く。
ラウルは隊長を除いてエルザ隊の面々は名前も知らない。特に魔術師の弟子と治癒師については名前以上のものを知って、できればもっとお近づきになりたいと考えを巡らすのに必死になるあまり、自分の自己紹介がずいぶん薄味なものになってしまった。
戦士は北方出身のフレッチャー兄弟、アランとトーマスと言う立派な名前があるが、仲間や本人同士も兄者、弟者という呼称に慣れているのでそれで構わないそうだ。
魔術師の師弟はそれぞれ、クラウス・ホイベルガーにロッテ・コルネリウスと名乗り、魔法学院在籍中で実戦形式での校外活動と研究をしているとのことだ。
リンはここでようやく魔術師の師匠が何者かに気付いて、甲高い声を出してしまった。
「院長先生!?」
「ほっほっ、なんじゃ君はうちの生徒じゃったか」
「ええ……」(中退デス)
「校長でも院長でも好きなように呼んでくれたまえ」
式典以外で姿を見せない校長先生だったが、生徒と一緒に冒険者部隊と行動を共にしているとは常ならぬ話だ。そんな危ない校外活動は聞いたことがないから、何か特殊な事情があるに違いない、とリンは推測する。
最後は治癒師の番だ。頭巾を脱いでコリン・ブライトリングと美しいが小さな声で名乗り、また頭巾を被りなおしてしまった。どうやらあまりじろじろ見られたくないようだが、両親もリンもその名前には憶えがあるらしい。もしかして有名人なのかとラウルは一瞬思ったが、そこは重要なところではない。
ラウルは心の底から震えあがっていた。
(男の子だって!?)
ついさきほど遺跡内で永遠の愛を一人で勝手に誓っていたはずだが、予想外の展開に混乱を通り越して恐怖に近いものすら感じている。
つまり、コリン君はものすごく美しい男の子だ。オレはとうとう性別を気にしなくなってしまったのか、いや本当に尊敬できる相手なら性別なんて大した問題じゃないのかも、いやいや今となっては短髪がむしろ可愛い、といった具合でもはや錯乱に近い。
ラウルの錯乱をヴィリー隊長の声が正気へと引き戻した。隊長は最初の一杯に使うはずだった銀貨を数枚エルザに渡して中座の非礼を詫びた。
「おや、本当に一杯だけでお帰りかい?隊長さん」
「いやー、これから報告と調べ物で残業なんです」
「そうだったね」
「ではこれで失礼を」
「ご苦労さん」
「こちらこそ、みなさんの支援に感謝します」
どこまでも礼儀正しい彼はさっと一礼すると衛兵詰所に帰って行った。調書をまとめてブラウン男爵に報告、元鉱山主をしめあげて真相を吐かせる仕事が残っている。
骨惜しみすることなく働く彼のような人物がエストの治安を守っていた。ラウルはいろいろ質問する機会を失ってしまったが、何かの折にもう一度話す機会をつかめたらと願う。
さて、一同はもう少し金を足して遅くなった夕飯をここで軽くとることにした。時間も遅いので翌朝までひもじくない程度の夜食だ。クルトとエルザは全然飲み足りないようだったが、ラウルやリンは家まで帰らなければならない。節度のある大人しい宴会だったが、文句を言う者はいなかった。なにより部隊から重傷者をひとりも出さなかったことに満足していた。
スープとパン、蒸かしたジャガイモにバター、焼いた腸詰が少しという簡素だが温かい食事を分け合って舌鼓を打ちながら、今日はエライ騒ぎだったなと話したり、休暇中なのにまた働いてしまったと軽口をたたきあっている様子を見て、ラウルはいっぱしの冒険者として仲間入りをした気分になっていた。
ラウルはロッテが熱い視線を送ってきていることにふと気付いた。たしか魔力が豊富な者に特有の見下す態度が持ち味の性悪魔法使いではなかったか。コリンと違って戦闘中は助けてくれるどころか存在しないかのように無視されてたし、トイレの件ではラウルの失態を笑うような人間だったはずだ。
ラウルはもうスケベ対象としての興味が失せて、見るだけにしようと思っていた矢先だ。もはやお近づきになりたくもないが、謝罪くらいなら受けてもいいと思って口を開いた。
「なにか?」
「ラウル、だったかしら?よく見たらいい男ね」
「はぁ、どうも」
「今日まであかの他人だったとは思えないくらい……ムラムラする」
ラウルはロッテの可愛らしい小さな口がかすかに動いているのを見た。詠唱だ、と気付いた時にはもう遅い。精神を操作する魔法は多岐に及ぶ。術者の中には精神操作に魔力以上のものをこめる者も多い。一部の魔族が異性愛を刺激する色香を乗せ、妖艶な見た目も加えて魔法効果を増大させる話は有名だ。もちろん、魔法を破ったり抵抗する術や道具はいくらでもあるのだが、ラウルの魔力量では十中十まで抵抗に失敗する。
そして、詠唱が完了した。ロッテは息荒く舌なめずりまでしている。
「さあ、二階まで連れて行ってくれる?」
「ハイ、ロッテ様」(く、口が勝手に!)
仲良く立ち上がりかけた二人をあわやというところで制したのはリンである。
ラウルの太ももにリンのフォークが軽く食い込んでいる。
校長先生も異常事態に気付いて杖を取り出し、ロッテの頭を小突く指導をやりだした。
「そういうのは魔法抜きでやりなされ」
「いたっ、なっ、何でしたっけ?うっ」
「なんじゃ、記憶にないんかのう」
「むしろどの件をお訊ねなのか、わかりかねますう」
ラウルもロッテも正気に戻った。リンは魔法学院に在籍していた時の知識でラウルにかけられたロッテの精神操作を破ったのである。校長の杖と同じ効果だが、とっさに持っていたフォークを使ってしまったのは、ラウルにとって不運だったと言う他ない。
「ご、ごめんねラウル。ブッ刺しちゃった」
「ちょっとヒリヒリするけど大丈夫だよ、リン」(や、やばかった)
ロッテは自分が何をしていたのか記憶にないらしい。校長先生が諭すように説明し、二人そろってラウルに謝ってきた。
「弟子の不始末じゃ、申し訳ない」
「つまり私は貴男と……」
「二階でいいことしようって」(てんごく……)
「お、覚えがないわ」
「ま、まずはお友達から」(なんなら改めてお誘いをば)
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。心からお詫びします」
「……」(なんか勝手にフラれた!?)
言葉にならないほどラウルは悲しかった。何か特別な理由があるらしいとはいえ、一方的に誘惑されて手もつながぬうちにお払い箱にされたのは初めてである。校長先生はいつか必ず事情を説明すると約束してくれたが、この気持ちが晴れる日は当分来ないだろう。
そんな中でリンが涙目になってラウルの太ももを回復魔法で治療するのには沁みた。
悲しみの反動で余計に沁みたが、それならロッテの精神操作をフォークで阻止した時の乙女心にも気付いてやるべきだったろう。
いつもご愛読ありがとうございます。
タイトルを二文字にすると某大人気刑事ドラマのタイトルみたいでカッコイイですね。けれども宴会よりは進路指導といったほうが正確だったかもしれません。
ちなみに校長先生を書くときはH・Pを思い描いてます。
徃馬翻次郎でした。