第194話 ノルトラントの怪 骸骨兵団 ②
ノルトラント南へ向かう馬車内では和やかな歓談が続いている。
駅馬車の先客は王都からノルトラントへ帰る三人組であったが、王都に商用で出かけるヒューグラーが雇った護衛がカペル師弟であることがわかった。ラウルが予想した帰省客ではなかった、ということだ。
「塩ですよ。一にも二にも塩です」
ヒューグラーはあっさりと商用の中身を明かす。
ノルトラントでは大量ではないものの岩塩が入手できた。足りない分をポレダの塩田から王都を経由して仕入れる。出来ることなら安く仕入れたいが、そこはノルトラントならではの立場の弱さがある、と彼は言う。
「ノルトラントをひとつの国として考えれば海なしの内陸国ですからね、もし岩塩の産出がなかったら塩停め一発で干上がる土地なんです。利益を確保したうえで、クラーフさんに負けない価格設定をしたいのですが、これがなかなか難しい」
弓矢ばかりが戦争手段ではない。人が塩なしで生きていけない以上、塩の流通を阻害すれば戦わずして国力を低下させる経済制裁になるのだ。
ノルトラントやアイアン・ブリッジに塩を持っていけば高く売れる商人の感覚は、現地の人が足元を見られていることの裏返しでもあった。
「はあ、なるほど」(塩戦争か)
「ちょっと買ったり使ったりする分には気付かないけどね、塩はけっこう高いものなんだよ、ラウル。煮詰めるのも一苦労だし、すごく手間暇がかかってる」
「その通り。そのあたりが私みずから直接交渉に出向くことになった理由でして。もう少しグリノスとの仲が良ければ輸入塩を仕入れても儲かるのでしょうけど」
いつ手切れになるか分からない国から生活必需品を仕入れる不安定さは受け容れられるものではない。それに、グリノスの沿岸部からアルメキアの内陸部まで運ぶ手間を考えれば、劇的な安価が実現するとも思えなかった。
塩の件が一段落した後は、ラウルがカペル師弟の山菜取りにしてはやや剣呑な職業経験談に耳をかたむけ、リンはアルメキア北部の流通事情をヒューグラーから仕入れるのに余念がなかった。
どちらも営利目的の情報収集ではない。不慣れな土地での注意事項や入手が難しくなる日用品の情報などを聞きこんでおけば何かと役立つだろう、と判断してのことだ。はじめはリンの思惑を測りかねていたヒューグラーも、そう言うことなら商売抜きで、と腹の探り合いをやめて饒舌になる。
いつしか五人の乗客は輪になって情報交換を始めた。
「靴下、ですか?ウルリヒさん」
「そうだ。ラウル君はお連れさんの分まで荷物を背負っているようだしな。面倒だが汗をかいたら交換、小休止でまた交換、という具合にすることで足の皮を長持ちさせる」
「ははぁ」
「ラウルさん、冬になろうとしている時期に濡れた靴下は危険ですよ。こうして馬車で移動している間は問題になりませんけど」
「うう、わかるよ。聞いているだけで冷たい」
ラウルは昨日の寒中水泳を思い出していたが、冷たいどころの話ではない。
カペル師弟は凍傷の危険について警告しているのだ。仮に、これからグリノスヘ向かうなら気候条件は一段と過酷になり、保温や乾燥の機能が付いている魔法素材製の衣服が必要になるだろう。第一、ラウルが着用しているヘーガー製のブーツや手袋には形状変化以外の魔法が掛けられていない。これも北方を旅する際に考えなければならない課題だった。
「えー、手前味噌ですが、ノルトラントにお立ち寄りの際はヒューグラー・ウント・コルベ商店をどうぞごひいきに。南は支店ですが、中央に本店がございます」
ここぞとばかりにヒューグラーが自分の店を売り込む。
防寒具や季節商品の品ぞろえを淀みなく並べ立てられるあたりは、さすが熟練の商人、と思わせるだけのものが有り、その口上の終わりには小さい拍手が起こった。
「勉強になるなあ」
リンは拍手しながらもクラーフ商会の一員であることを忘れていない。
「いやいや、これは、ご同業の前で一席打つとはお恥ずかしい」
「とんでもない。これだけ商品需要を教えてもらったんですから、返礼になるかはわかりませんけど、ぜひお店に立ち寄らせていただきます」
「なんとも手強いお客様だ。靴下でしたら羊毛との綿混がおすすめです。保温力もさることながら通気性抜群。今なら南支店限定で三足一組がお買い得になりますよ」
「リン、これは途中下車だよ!」
ラウルがヒューグラーの売り口上に乗せられて買う気満々になっている。
商品の品質だけでなく販売方法も含めてたいしたものだ、とリンは舌を巻いた。ノルトラントの地でヒューグラー・ウント・コルベ商店の第二選択としてクラーフ商会を頭に入れてもらうには、富裕層向けの高付加価値路線のような工夫をするか、あるいは薄利多売路線で活路を見出すのか、いずれにしても現地支店長は頭を抱えていることだろう、と想像がつく。
手強い、などとはお世辞も良いところで、ノルトラントでのヒューグラーはクラーフの商売敵として同格以上、地域に根差している点では勝負にならない可能性まである。商品需要を知られたところでお宅に真似ができますか、という彼の態度がリンには憎々しくさえ思えてきた。
「そうだね」(ヒューグラー氏はずいぶんと余裕ですこと)
「買い物の間、お二方には少々お待たせすることになるけど……」
ラウルの心配は途中下車することで同乗者のカペラ師弟に迷惑がかかりかねないことだ。
彼は三足一組の靴下以外に用事はないが、リンに限らず女性の買い物がやたらと長引くことは承知している。
「かまわんとも。停車時間もあることだ。それに私も足腰を伸ばしたいしな」
「そうですよ、お気遣いなく、ラウルさん」
南から中央へ向かう乗客がいることを見越して多少の待ち時間を設けることは了承済みだし、なによりお馬さんを休ませて水をあげなくちゃ、とミリアムは言う。動物好きなのか、彼女は御者の仕事を手伝うつもりらしい。
和気あいあいとした空気が続いたが、ようやく日が高くのぼり、間もなくノルトラント南にさしかかろうかという地点でオトヒメが警告を発したことで状況が一変する。
山岳地帯を右手に見ながら街道は北西方向へ折れていく登り勾配の途中のことだ。
(主様、緊急)
(襲撃!?)
ラウルはノルトラント南で早昼を食べるか中央の有名店でやや遅い昼食にするか悩んでいたところだったので危うく飛び上がるところだった。
だが、野盗団の襲撃などではない。
微かに鬨の声が風に乗って聞こえた気がする。
ラウルが驚いて立ち上がろうとしたところに、ウルリヒも何事かに気付いて御者台へ顔を出した。外套の下から遠眼鏡を出して目にあて、背伸びして偵察を開始するが、一瞬で首を引っ込めると御者に転進を命令する。
「いかん!御者君、坂の下まで馬を戻せ。ゆっくりとな」
「は、はい……カペルの旦那、あれは一体……」
「師匠?」
「包囲攻撃だ。つかみで二百以上はいたと思う。街道は騎兵に封鎖されて援軍を呼びに行こうにも出られない状況らしい」
つかみ、とはざっと数えて推定値を加味した数字である。この場合は包囲陣の左右両翼が均等に配置されていたと仮定してのものだ。ごく短時間のうちに偵察を済ませたことも併せて考えると、凄腕の山菜取りがいたものだ、とラウルは思う。とにかく、これで駅馬車がいつまで経ってもガンテ村に到着しない理由がわかった。そもそもノルトラント南にすら到着していないか、集落の中に押し込められているに違いないのだ。
「軍装はグリノス帝国のものに見えた」
ウルリヒの報告に車内は騒然となる。
確かに、グリノスとは友好国ではない。しかしながら、規模は別にして流通もあるし、出稼ぎのような人材交流も自由である。でなければ、戦士兄弟がエスト第四番坑道で活躍することも無かっただろう。
改めて武力紛争を引き起こすような外交事案があったとも聞かない。
つまり、目前の状況はアルメキアが先制奇襲攻撃を受けていることを示している。
ノルトラント北は平原、北東には峠があって、グリノスから侵入するにはそのどちらかしかない。いきなりノルトラント南にグリノス帝国軍が出現するには峠越え一本である。冬の峠越えが大軍の移動に適さないことは自明の理だが、目前の状況は疑いようがない。
「信じられない!この時期に峠を越えてきたなんて……」
ヒューグラーが吠える。ノルトラント南には店だけでなく家族もあるのだろう。少々語尾が震えているのも無理からぬことだ。
ややあって、なだらかな坂を包囲攻撃中の軍勢に見つからずに引き返すことができた駅馬車ご一行だが、御者二名と乗客五名に何ほどのこともできるはずがない。非戦闘員含めて七名に対して二百以上の軍勢では兵力差を論じるまでもなかった。
「ヒューグラーさん、我々の任務は貴方の護衛だ。貴方には馬車ごとガンテ村まで後退していただく。勝手を言うようで申し訳ないが、この非常時だ。リンさんには中央まで援軍要請に飛んでもらえまいか?」
ウルリヒの口調は有無を言わせないものだ。しかし、彼が立てた作戦は非の打ちどころがない。護衛任務の主目的に忠実であり、善後策まで考えている点で文句のつけようが無かった。御者たちはがくがくと首肯しているが、我が身の安全を考慮すれば撤退案に賛成するほかない。
「待ってくれ!本当にそれしかないのか?いや、わかっているんだ。それでも、家族や友が皆殺しにされるのを黙って……」
ヒューグラーの反論は感情論でしかない。
しかし、夫や親としての感情は誰もが共有し得る。自分の生命だけでなく他人をも巻き込んでしまう危険を理屈を無視したがっているからと言って、家族や友を想う気持ちを誰が大上段からとがめられようか。
「ヒューグラーさん、このままでは私たちだって安全とは言えません。騎兵に追跡されたら逃げ切れない……後退の許可をいただけませんか」
ミリアムの説得も勢いに欠ける。
原因はヒューグラーの発言だけではない。彼の心情は察して余りあるが、雇われの身という境遇では強い言葉がなかなか出てこないのだ。
一方、ヒューグラーも自分の置かれた状況を理解できないわけではないから、余計に理性と感情のせめぎ合いで苦しむことになった。
我々ではどうにもならないから諦めなさい、と言う側のカペル師弟にしても、その心は到底無傷ではすまない。感情にとらわれては正しい判断が下せない、という理論を身に染みて知っていても、地元の顔見知りに家族を見捨てて離脱するように説得するのは、どれだけ言葉を選んだとしても辛いものだ。
心の痛むやり取りを聞いていたラウルも思うことがないわけではない。
騎士の誓いは、王国を守る盾となり敵を打ち倒す刃たること、王と任務に忠実たること、信義と礼節を重んじることを求めている。
今にして思えば“王国民”を守れ、とは一言半句も求められてはいないのだが、王国民あっての王国と考えれば、後は信義の問題である。
ただし、信義を貫くことで正体が露見することになるかも知れない危険をあえて冒すか、その相談をリンとする必要があった。
「ねえ、ラウル……」
気づけばリンがラウルの袖を引いている。
「うん?」(先を越されたかな?)
「これって“手がかりの怪異”ってやつじゃない?火のないところに煙が立つなんて絶対に怪しいって!」
「戦争ってそんなもんでしょ?まさか、誰かに操られているとでも?」
「だ、か、ら、それを確かめるの。騎士の務めと人助けも同時に果たせるし、言うことなしよね?」
さすがに一石三鳥は欲張りすぎではないか、とラウルは危ぶむ。最近のリンは何かにつけて度胸が良すぎるのだ。
「竜戦士に変化する羽目になったら……」
「構わないよ。そんなの、怪異のついでだよ。人助けが終わったら、さよなら!って逃げちゃおう」
「お前さんは飛べるからって、すぐにそんなことを言う……」
ラウルとリンが密談している間に、とうとうヒューグラーがうなだれた。カペル師弟の説得に折れたようだ。
「どうしたね、ラウル君は?リンさんも協力していただけるかな?」
ウルリヒが声を掛けてくる。
二人の密談を、何か不都合でもあるのか、と考えてのことだったのだが、ラウルとリンの返答はウルリヒの予想をはるかに超えていた。
「あー、あのですね……」
「作戦の一部修正を要求します!」
「な、なんだって!?」
「実はオレたち副業がありまして……どうも、すいません」
ラウルが謝りながら首元から取り出した騎士団員証には自称山菜取りも開いた口が塞がらない。
おまけに“作戦の一部修正”は穏当に過ぎる表現だった。逃げて応援を呼ぶだけの作戦が、どうしたことかノルトラント南の住民を救出する作戦へと変更されてしまう。
やがてヒューグラーを乗せた馬車がガンテ村を目指して走り去り、騎士の主従と山菜取りの師弟が残る。集落を包囲する軍勢は数えられるだけでも二百以上、普通に考えれば戦闘はおろか陽動すら難しい状況下でノルトラント南解囲作戦が開始された。
いつもご愛読ありがとうございます。
目的地に付く寸前に事件に巻き込まれてしまいました。楽しい買い物ツアーのはずが一転、荒事の予感です。事件と言うよりは戦争ですね。アルメキアの騎士としては放っておくわけにはまいりませぬぞ。
熱いバトル展開は待て次号。
徃馬翻次郎でした。