第193話 ノルトラントの怪 骸骨兵団 ①
アルメキア最北の地ノルトラントは王都近郊に比べると決して肥えた土地とは言えない。さらに、グリノス国境にも近く、忘れたころに地域紛争が勃発する最前線でもあった。
それでもノルトラントを故郷とする人たちは辛抱強さ以上の何かをもって畑を耕し、異民族やならず者の侵入を阻み、かつては最果ての寂しい集落だったノルトラントをアルメキア有数の都市へと成長させつつある。
いったい何が彼らをそうさせるのか。
それは彼らがもはやノルトラント人と称しても違和感がないほど独自の文化を形成しているからでは、と分析する学者も珍しくない。
例えば、国教である聖タイモール教会の影響は著しく少なかった。聖堂はまことに質素なものでしかなく、修道僧が静かな祈りを捧げる場所以上の機能を持たない。治癒師の回復魔法に頼ることなく、薬師の育成に力を入れたり、ひそかに魔族の技術者を招聘したりすることで原始医術の萌芽とも呼ぶべき新しい産業を興しているのは他地域では考えられないことだ。
さらに、人口に占める人族の割合はアルメキアの何処よりも少なく、とりわけ狼系亜人の比率においては国内最高、と言われるほど集中している。北の狼、と異名を取るノルトラント辺境伯の一族はかつて聖者伝説の亡者退治で名をはせた従者の末裔とされ、北の狼とその家臣団は今日も北方警備の要としてにらみを利かしているのだ。
間もなくノルトラント南の集落から中央と呼ばれる石壁で囲まれた街へ接近しようとしている駅馬車のなかにラウルとリンの姿はあるのだが、車外の様子が尋常でない。
なんと護衛がついている。それも一人二人ではない。駅馬車の前後左右を固めるのは紛れもない北の狼たちであった。
狼変化した者に歩兵がふたりずつまたがっており、変化を解除すれば歩兵が背負っている両手斧を受け取って三人ひと組の部隊が出来上がる寸法だ。白地に銀の縫い取りが高貴かつ清冽な印象を与える軍装で統一されており、それがざっと三十組以上はいるのだから壮観である。
駅馬車の御者は御召馬車の鞭を預かったかのような錯覚に陥った。その感覚が正しければ荷台の客は貴人ということになるが、どうも心当たりがない。自分が知っている貴人の類型にも当てはまらない。高貴な身分の者なら自前の馬や馬車を使用するはずであり、乗り合いの駅馬車にはまず縁がないのだ。
今では、どうやらガンテ村で乗せた夫婦だか主従だか若い男女が貴人らしい、と御者にも分かっている。剽悍無比で鳴るノルトラント辺境伯の家臣団が、遠来の身内を迎えるかのような歓待ぶりを示したからだ。
御者は好奇心からあれこれ聞いてみたかったが、男の方は荷台に上がりこむなり寝てしまい、女の方は早くも船を漕ぎ始めた男にぴったりくっついて何やら書き物を始めたので、どちらも邪魔するのは無粋の極み、と思いとどまった。
なにより、その男女のおかげでノルトラント南の集落が怪異に飲み込まれずにすんだらしいとあっては、わざわざ男を起こすのも女の書き物を中断させるのもためらわれる。
今は男から借りた黒光りする不思議な鞭を鳴らしてノルトラント中央へ急ぐべきだった。
事の起こりは数時間前にさかのぼる。
《 今朝のガンテ村 》
「やや、北へ行く馬車が来ちゃったよ。おかしいな、私のほうが一足先に出発するはずだったのに」
ガンテ村の村長宅で旅の準備を完了していたエルザは思わずぼやく。背負っていた荷物を降ろすと広場に出る。これはラウルとリンを見送るためだ。夜明けと同時にノルトラントを出た南向きの駅馬車はちょうど朝食過ぎにガンテ村へ着くはずなのだ。
出かけるのはエルザのあと、とばかりにすっかり寛いでいたラウル主従は慌てて荷物を持ち、エルザに続く。手すきの村人が放浪の徒弟に別れを告げるが、王都方面へ向かう馬車に先立つことについての言葉がちらほらと聞こえてきた。
「何かあったのかねえ」
「そうだなあ、御者が腹を壊したにしてもちょっと遅いなあ」
こんなことは珍しい、と村民の誰もが首をかしげるのだが、あまり心配しているふうでもない。北の狼が目を光らせているお膝元で駅馬車襲撃を試みる者などいるはずない、という信頼感のなせる業なのだろう。延着の原因を口々に推測するが、あくまでも馬車の故障か御者の不都合という域を出ない。
「そうだ!馬車が故障で立ち往生しているようなら君の出番だよね?」
「はぁ」
「ほらほら、徒弟さんでしょ?」
ラウルはエルザに促されて鍛冶修行の体を思い出す。ここでは騎士の名乗りを上げていないのだ。
「ええ、まあ、木工でも鉄工でもおまかせ、放浪の徒弟ですからね。乗り合わせる皆さんが待ってて下さるなら、持ってる材料の範囲で何とかしてみます」
まだ馬車が故障していたと決まったわけではないのだが、エルザの推薦にラウルが胸を叩いて応える様を見て村民たちが大いに喜ぶ。
「本当かい?」
「うーん、徒弟さんは時の神、救いの神だなあ」
ノルトラントへ向かう往来を見てきてくれて、おまけに条件付きだが障害を取り除いてくれそうな志願者が現れたのだから喜ばないほうがおかしい。
馬の休憩と水分補給をすませると、ガンテ村では二人の他にノルトラントへ行く者もなく、御者は銀貨を受け取ると出発を高らかに宣言した。目的地はそう遠くない為、銀貨一枚で二人分の半金になる。
「ノルトラントに着いたら便りの一枚でも書くように。私はともかく、二人ともご両親を心配させちゃいけないよ」
見送りのエルザは言わずもがなの注意を二人に与える。
アルメキア国内でクラーフの支店があるところなら社内便に紛れ込ませてもらうことができる約束で話を通してある以上、これを利用しない手はない。
無事なら無事と、たとえ使命の旅に関する収穫がなくともその旨を知らせるように、エルザはくどいほど念押しした。
「リンちゃん、ラウル君をよろしく頼むよ」
「はい、エルザさんもどうかお元気で」
「……」(オレはそんなに頼りないのか)
他人から見ればやや念の入った別れの挨拶にしか見えないが、三人のそれには万感の思いが込められている。修行の旅と銘打ってはいるが、その実は先に何が待ち受けているか皆目見当のつかない試練の道行きでしかないのだ。
エルザは鼻の奥がツンとするような感覚を振り払うように大きく手を振って馬車を見送った。村人や子供連中も釣られて手を振ったので、
「ずいぶん賑やかな見送りですねえ」
と乗り合わせた客が驚く有様だった。
ラウルはそつなく、放浪の徒弟で御厄介になったんですよ、と本当のところを教えておく。王都からの帰りらしい商人体の男性は、当節珍しいことですな、と述べたきりラウルにはそれ以上の興味を示さなかった。彼が興味をひかれたのはリンのほうである。
「こちらは貴方の護衛ですかな、いや従者のかた、えーと、お若いが奥様でらっしゃる?」
質問が過ぎるようだが、短い時間とは言え狭い空間に得体の知れない他人と押し込めららるのが辛いと感じる人も珍しくない。駅馬車の旅を快適に過ごすためには、ある程度の質疑応答が避けられない場合もあるのだ。
「その全部かも知れませんよ、ご主人」
「素敵!」
リンの答えに飛びついたのは外套を羽織った女性だ。その横に座っている冒険者然とした初老の男性に、これよさんか、とたしなめられている。
(主様、亜人の男女は武装してますよ)
(あ、本当だ。外套の下から柄がのぞいているな)
オトヒメの警告にラウルは礼を言う。
二人とも狼系の亜人なので、年末の帰省だろう、とラウルは勝手に見当をつけていたものの、武装の有無までは確認していなかった。駅馬車を襲うために変装して乗り込んだ野盗には到底見えないが、用心に越したことはない。
一方のリンは商人の男性と打ち解けて盛り上がっている。
「これはどうもお見それしました、お嬢さん、いえ、奥様。私はノルトラントで雑貨商を営んでおりますヒューグラーと申します」
「あら、でしたら私の実家とは商売敵ですね、ヒューグラー・ウント・コルベ商店さん」
「すると、クラーフ商会の娘さんでらっしゃる?いやはや、どうか、お手柔らかにお願いしますぞ」
「頭を上げてください、ヒューグラーさん。こちらこそ勉強させていただきます」
リンはあらかじめ同業者の情報を知っていたらしく、ヒューグラーはリンの翼からクラーフ一族の関係者であろう、と察しを付けていた。雑貨商同士が腹の探り合いにも似た情報交換を始めたので、ラウルは他の乗客に向かって一礼する。
「どうも騒がしくてすいません。ノルトラントまでお邪魔します」
「なんの、楽しい旅は大歓迎だよ。私はウルリヒ=カぺルと申す便利屋だ。こっちは姪の……」
「ミリアム=カぺルです!」
「お、元気いいね」
「兄の娘なのだ。私の仕事を手伝って……」
「叔父様、弟子と呼んでくださる約束でしょう!」
「わかった、わかった。ご覧の通り、元気だけはあり余っとる」
ウルリヒの台詞に被せるようにしてミリアムが訂正する。師弟と言うからには芸事なり武術なり、何らかの技術職という事になる。
「オレはラウル=ジーゲル。修行中の鍛冶屋です。家はエストなんですが、ノルトラントに身内がいるので修行方々訪ねに行くところです」
「エストのジーゲル……鍛冶屋……」
「お聞き及びなら、それは父親のことだと思います」
「やはりそうか。どうしてまた、名工の誉れ高い親御さんの元を離れて修行の旅に?」
「それは放浪の徒弟というやつです」
「師匠、私も話に入れて下さいよ!」
おお、すまんすまん、とウルリヒは頭をかきながら、仲間外れにされてむくれるミリアムに説明する。さすがは伝説級鍛冶職人の跡を継ぐ者、という持ち上げには面はゆい思いをしたラウルだが、ウルリヒの話に合いの手を入れる形で放浪の徒弟制度について補足した。
「へぇ、修行ね。私も独り立ちした時は同じような感じになるのかな?」
「そうだ。一人で山に入っても自分の面倒を自分で見られるのが理想だ」
「えっと、お二方は山に入って何をされるのですか?」
「我々は素材収集専門の……山菜取りと言った方が正確かも知れんな。薬用、食用、染料、何でもござれ。いつの日か、ノルトラント付近の冷涼な高地に詳しい者ならカペル、と言われるようになりたいものだ」
「てっきり冒険者の方かと」(隠してるけど武装してるし)
「さすがラウルさん、お目が高い!」
「よさんか、ミリアム。自己流の護身剣術を少々たしなむ程度だよ。熊や狼を追い払う程度のことができなければ、その、山菜取りも命懸けになってしまうのでな。わっはっは」
高笑いで煙に巻こうとするウルリヒに合わせて納得した表情を見せるラウルに、本当は名うての冒険者なんですよ、とミリアムが耳打ちしてくる。
実際そうなのだろう、とラウルは思った。
剣術の腕も少々どころではあるまい。外套越しにわかる範囲では師弟揃っての双剣使いらしかった。あるいは、ノルトラントの衛兵に武装を見られてもとがめられないほど高名な冒険者とその弟子なのか、その両方に裏打ちされた自信のようなものがラウルには感じられるのだった。
いつもご愛読ありがとうございます。
母親の実家を訪ねて聞き込みをしようかと考える主人公に新しい出会いがありました。ウルリヒはナウシカ世界のユパ様に近い隠者のイメージです。納谷悟朗さんの声で脳内再生すると楽しいかも知れません。
徃馬翻次郎でした。