第192話 揺れる水面の下で ③
巨人の足跡と呼ばれる池の上空では大鷲リンが大きく旋回して近づく者がいないか監視中、地上ではエルザが焚火の番をしながら耳をすましてこれも見張りの最中だ。
一方、高濃度魔素が沈殿している水底でラウルは竜眼の機能を強化することで辛うじて視界を確保しているが、魔力の使用量が急増したために竜戦士形態の活動限界を早めてしまった。もう少し巨人の足が大きければいったん浮上して休憩をはさむ必要があったぐらいだ。そのような状況下で、ラウルの視野に倒木のような物体が映ったのは全くの偶然だった。
(……あれ!オトヒメさん、龍脈柱ってやつじゃない?)
(さん候)
どうやらそのようですね、とオトヒメの同意を得たラウルは横倒しになっている石柱に手を触れてみる。彼が見つけたのは二抱えほどもある石の柱だが、途中で破断されているらしいことが分かった。
(これが先っぽなら根っこはどこなんだろう?)
(至近のはずです)
(踏んだ巨人さんが怒って遠くへ蹴り飛ばしたりした可能性は?)
(無きにしも非ず、ですが、このあたりが最深部ですので……)
(石柱が破壊された時に爆発とかがあったとすると、その中心地なわけか)
(御意)
石柱からはそれ以上の情報が読み取れなかったので、ラウルは引き続いて暗闇に目を凝らす。石柱の破断面が若干斜めになっていたので、同じような形をした石の切株を探してみることにした。
この捜索方法は図に当たり、ラウルはほどなくして竜の祠跡を突きとめることに成功する。折れた石柱の台座を発見したのだ。
(オトヒメさん、これ、これ!)
(主様、今一度、断面に手を触れていただきとうござりまする)
ラウルは言われた通りに身体を屈めてかつて石柱が立っていたであろう根元に手を触れる。社の構造物は吹き飛ばされたのか、とうの昔に風化してしまっているのだろう、かけらも見つからないから、情報収集の対象としてはこれが頼りなのだ。
(龍脈を確認……)
(おおッ!)
(されど微弱……龍穴の反応なし……)
(えーと……リュウケツ?)
(ここに龍脈柱を再建する意味がない、ということです)
オトヒメは何かの作業を並行してこなしながら龍穴の説明を始める。
この世界における龍穴とは龍脈を流れる気が噴出する地点であり、繁栄が約束された聖地でもある。
ただし、未来永劫不変不動というわけではない。
例えば、地殻変動のような大きな力が大地に加わった際に、龍穴が移動してしまうことはある。龍脈柱は竜の子に大地の気を伝送する装置でもあるが、同時に、龍穴が簡単に移動してしまわないようにするため、釘や画鋲のように繋ぎとめる役割を担っていたのだ。かつて竜の祠付近では天変地異が少ないことが魔物を封じた証拠とされてきたが、封じられていたのは龍脈の移動と考えれば何もかも得心がいく話なのである。
(なるほど、重しか!)
(左様、それゆえ少々押したり引いたりしても壊れないはずでしたが)
しかし、現状の龍脈柱は破壊されて池の底である。
(大魔王の足なら……)
(少々、の範囲を超えてしまった、ということですね)
推測の域は出ないが、破壊された瞬間に力いっぱいたわめてから解き放った発条
のように龍脈の気が解放されて爆発を起こし、その衝撃で龍穴が移動した可能性についてオトヒメは告げる。
(新しい龍穴を探せる?)
(直ちには出来かねます)
(手がかりは?)
(……主様は龍穴の説明を覚えておられますか?繁栄が約束された聖地、と端的に申し上げましたが)
(う、うん)
ラウルは“繁栄”という言葉の印象から施行を伸ばす。
例えば、大地の気が湧き出るような地点では、むやみやたらと育った野獣が大量発生したり、それまでやせていた土地が突然豊作になったりするのではなかろうか。“聖地”という言葉からは人の手が入っていない豊かな森林や湖水が思い浮かぶ。
(……それは良い影響の話ですね)
(悪い方もあるの?)
(魔獣や怪物が力を取り込んでいる場合もございましょう)
(縁起でもない……オトヒメさん、やばいよ、時間時間!)
ラウルは竜戦士としていられる時間がほとんどないことに気付いた。
(破壊時に断片化された情報を収集中、お待ちください)
(早く!急いで!)
(……完了、浮上しましょう、主様。尻尾を上手に動かすと早く上がれますよ)
(そうか……いや、ダメだよ、何言ってんのオトヒメさん。沈殿物を巻き上げたら生活用水に使えなくなってしまうよ!)
そこまで言ったラウルは身に染みてわかり切っていたことを改めて思い知る。オトヒメは人や亜人が困ったことになっても我関せずなのだ。
ラウルは細心の注意を払いながら浮上し、間違っても堆積している高濃度魔素を撹拌するような始末にならないように気を付けた。
どうにか水面近くまでたどり着いたのだが、そこで魔力切れを起こして変身が解除される。彼は生まれたままの姿で寒中水泳をする羽目になった。
(く、くそッ、あだだだだだ!痛い!しびれる!)
(後先構わず浮上するよう申し上げたでしょうに)
竜体、わけても鱗が温度変化に強いことは伝説として語り継がれているところであるが、ラウルがその恩恵を受けるには竜戦士形態が必要である。容赦なく肌に食いつく冷水は人型ラウルの限界でもあった。
幸い、火の番をしていたエルザが駆けつけて水難救助を開始する。彼女は得意の鞭をほぐしてラウルに放った。水面を叩いた鞭先はラウルの手前に落ち、なんとか手繰り寄せてつかんだ彼はエルザが引っ張って池の縁に打ち上げられた。
「だ、大丈夫?早く火の側へ!」
「あ、あい……」
歯の根が合わないラウルは動きまでぎこちない。そこへ上空からリンが降下して帆布の上に積んであった毛布をつかんで駆け寄り、ラウルに被せると力任せに擦り始めた。
「まるで氷みたいだよ、ラウル。冷え切ってる……」(温めなくちゃ!)
遅ればせながらエルザも自分の手ぬぐいを取り出して擦りながら焚火へと誘導する。
女性二人に挟まれて裸体を擦られるような状況は、普段のラウルならよこしまなスケベ精神を如何なく発揮してきかん棒を制御不能の状況に追い込むはずなのだが、今の彼は身体中例外なく縮こまっており、けしからん煩悩が入り込む余地などなかった。大人しく女性陣のなされるがままに身体をゆだね、焚火と白湯の効果で何とか常態に戻る。
「ふう、助かった!」
「ラウル君、水温が低いと人間は簡単に気絶するんだよ。こんな所で死にたいの?」
これは厳しいようだが事実であり、グリノスヘ行ったことがあるエルザだからこそ出てきた言葉であろう。
たとえば、グリノスでは冬の漁が命懸けになる。別して荒天時に舷側から転落しようものならまず助からない。頑健な肉体を持つ者でも冷たい海水に落ちればものの数分で死亡する。声を振り絞って助けを呼ぼうにも、体温が三十度を切ると口が震えて呂律が回らなくなるのだ。
「は、はい、師匠」
「宜しい。あまりリンちゃんを心配させちゃダメだよ」
当のリンはラウルに後ろからしがみつくようにして彼の身体を温めていた。
「ごめんよ、リン。浮き上がるのに手間取ってさ」
「……」
返事がない。
どうやらリンを怒らせてしまったようだ、と感じたラウルは付け足す言葉を探そうとして止めた。これは言い訳して余計に怒られる典型だ、と彼なりに学習しているのである。
そもそもリン相手に言いくるめるような真似をしたくないラウルは言葉より行動で気持ちを示すべく、右肩に置かれていた彼女の手に毛布の間から出した左手でそっと触れる。
触れるか触れないかの刹那、ラウルとリンの指と指が交互に組まれて主従と言うよりは恋人同士の雰囲気が醸し出されたことにエルザは目をむいた。
これでは私が邪魔者ではないか、ええもう、ここは導師としての役割に徹するしかない、と女探検家は心を鬼にしてしっとりした桃色の空気を振り払いにかかる。
「えー、あの、お二人さん、盛り上がっているところを悪いんだけど、状況報告をお願いできるかな」
「じ、上空からは接近する人影を認知せずッ」
慌ててラウルの背中から身体を離したリンから反射的に傭兵旅団式の報告があったことにエルザは満足する。これは同時にリンが斥候としての訓練を受けていたことの証左でもあった。異常無し、という報告は熟練の斥候が何も見落としていない場合にのみ許されるのであって、“何が”“どの程度”異常無しだったのかをきちんと報告しているリンは斥候初心者として満点だったのだ。
しかし、探検家としての判断を下すにはまだまだ情報が必要である。リンの報告はラウルの潜水調査が隠密裏に行なわれたことを裏付ける一材料でしかない。
「次、ラウル君」
「は、はい……あー、何と言ったらいいか……」
「歯切れ悪いね。まとまってないのかな?凍え死にかけたのだから無理もないけど、そうだな、順番に話してみてよ。まとめたり考えたりするのはみんなでやろう」
「わかりました」
ラウルはようやく解凍なった脳を叩き起こして語りだした。
・目指す竜の祠跡は池の最深部で発見した。
・龍脈柱は破壊されており、龍穴と呼ばれるある種の力場も失われている。
・新しい冒険の目的地は移動したと思われる龍穴。手当たり次第に探してもいいが、大がかりな怪異の現場を求めて聞きこむのが手っ取り早い。
リンは筆記用具を取り出して記録を付け、エルザは腕組をしながら聞いている。
「これは宝探しだね。私の得意分野でもあるけど」
「お宝ですか?」
「そうだね、宝の地図が手に入るとするでしょ?喜び勇んで冒険に出かけるけど、地図を解読して目的地を探し当てたとしても、そこで見つかるのは次の手がかり、って塩梅になることが多いのさ」
財宝を隠匿した側からすれば直接的な手がかりを残すはずもなく、ひどい場合は次の次、次の次の次まで手がかりだけが続くことも珍しくない、とエルザは探検家の経験をもとにして力説した。
龍穴が何かの拍子に移動する性質を帯びてしまったなら、手がかりに振り回されて駆けずり回る状況も覚悟しておかなければならない。龍穴がひとつところにじっとしてくれる保証などどこにもありはしないのだ。
「ラウル君、リンちゃんもよく聞いて。これは忍の一字だよ。地味な情報収集は根気がいる。私も気を付けておくけど、判明している竜の祠跡を回るだけじゃ不十分なんだ」
エルザは自戒をこめて話す。
ミーン・メイの『聖地への旅』等の著作を信じるならば、竜の祠がおしなべて何らかの被害を受けていることは確実であり、そのうち二つまでエルザが現地へ飛んで確認している。アルメキアの祠に関してはラウルが目の当たりにしたところだ。
龍脈柱の破壊は龍穴の移動に繋がる。
既に龍穴が移動してしまった事例が他の祠跡でも同様に発生している可能性を考えれば、怪異にまつわる情報も同時に集めなければならない。
「私たちは何を探すことになるんでしょうか?」
「ラウル君?」
「うーん、急に物成りが良くなった土地とかべらぼうに大きな獣がいる森とか」
「それなら噂か言い伝えになっているかもね。祠の破壊が何時だったかにもよるけど」
「うんうん。他には?」
「異常に活性化した迷宮のような話ですかね。あるいは『まじゅうのひみつ』にも載っていないような超大型魔獣の出現……エストに出た巨大蜘蛛の倍くらいある奴が突然湧いて出たりしたら……」
「どっちも大騒ぎになるよ。エルザさん、全くの見込み無しってわけでもなさそうですね」
エルザはグリノス調査行を思い出している。
一昔前に温泉が出た話を小耳にはさんだのは何処の町だったか、傭兵崩れでも山賊でもない正体不明の武装勢力に封鎖されている峠の話は噂だったか昔話だったか、いずれにしても、もう一度調査報告書を読み返せばいろいろと思い出すかもしれない。
「エルザさん?」
「師匠?」
「……よし、ガンテ村へ戻って作戦会議とこれまでに仕入れた情報の再検討だよ!」
応、とラウルとリンが元気よく返事をする。
先行き不透明な旅にあって、唯一の好材料は彼らの団結心であった。
「それから、明日になったら……私は南に発つ」
「南……サーラーンですか?」
リンの問いにエルザは首肯する。
「王都に寄って野暮用をいくつか片づける。エストにも行くよ。ラウル君やリンちゃんの親御さんにも、二人は仲良く元気にやってます、ぐらいは知らせておかないとね。それに……」
ここでリンは頬を染めてうつむいた。
仲良く、の意味内容に注文を出さねばならない。少なくともスケベ膝枕の件だけは黙っておいてもらうように頼む必要がある、と焦る彼女は目が泳ぐ。
「……それに?」
ラウルがリンにかわって話の続きを促す。
「言ったよね?私は寒いのが苦手なんだ。おまけに一人旅だしね、おお寒い寒い」
大業に身震いまでして見せたエルザの目が妙に艶めかしい。
これは気温にかこつけてラウルとリンの仲をあてこすっているのだ、と気付いた新米騎士が赤面する。その後ろでこれまた赤くなっている戦乙女が何とも微笑ましく、エルザは、何としても使命の旅を完遂させてやろう、との思いを新たにするのだった。
いつもご愛読ありがとうございます。
ラウル君が悶えている様子は熱湯コマーシャル冷水版のようで気の毒なのですが、自分自身を傷めつけながらも民草を守るのが元設定にあるので頑張ってもらいました。女の子二人に温めてもらったんだから結果オーライ!
頑張れラウル!当分二人っきりで旅行だぞ!
徃馬翻次郎でした。




