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第190話 揺れる水面の下で ①


 アルメキア北部のガンテ村近くにある大きな池は夏の暑い時期でも豊かな水量を湛えて居り、どうやら雨水だけでなく数か所の湧水が流れ込んで村人を日照りから守っているらしい。

 巨人の足跡と呼ばれる水源地には、もはやかつての古戦場の面影などなく、比較的水深の浅い小指に相当する部分では大人が付き添えば子供の遊泳すら許可される。涼しい木陰で村の若者たちがひと夏の思い出をつくる絶好の遊び場にもなっていた。


 しかし、季節はまもなく冬になろうとしている。

 元気よく遊び回っている村の子供たちも、ラウル一行が巨人の足跡まで出かけるにあたっては同行しようとしない。用水路をたどって行くといいよ、と簡単な道案内をするにとどまった。水遊びができない季節における巨人の足跡には魅力がないのだろう、オレは今からその水遊びなわけだが、とぼやくラウルは潜水調査をなめていた。


 池をよくよく観察してみると、せいぜいが膝まで、深いとしても腰か肩までと予想していた濡らすことになる高さ、すなわち水深が思っていた以上にあるのだ。

 目指す場所は足で言うところの親指の付け根部分なのだが、自然の浸食や形成がなせる業なのか、あるいは伝説の巨大生物がこの部分に力を入れすぎたのか、はたまた龍脈柱が破壊された際に小規模な爆発でも発生したのか、すり鉢状に深くなっていて水底がよく見えない。透明度の高い水質のおかげで自然光は十分に届いているはずなのだが、陰になっているためか、夜の闇を流し込んだようん水底は恐ろしくさえあった。


 念のため、ラウルはブーツを脱いで膝まくりしてから池の中へ歩を進めて偵察を試みる。水深が深くなっている縁の部分から覗き込んだのだが、やはりこれではいけない、本格的な潜水をすることになりそうだ、と諦めていったん引き返すことになった。

 一方、池のほとりではリンとエルザが薪を集めて火をおこし、湯を沸かしてラウルの体温低下に備えて待機中である。


「ラウル、どうだった?」

「うーん、思ったより深い。最悪、ちょっと顔をつけるぐらいで済むと思ったんだけどな。あてが外れたよ」


 ラウルは敷かれた防水帆布に腰を下ろすとエルザから白湯の入った椀を受け取った。


「あ、どうも……温かい!」

「その、ラウル君の身体でも池の水はこたえるわけ?私も冷たいのは得意じゃないけど」

「あー、人の形をしているときは、そうですね、長持ちはするけど感覚的なものは普通の人間とかわらないみたいです」

「そ、そうなんだ」(ひとのかたち……)

「魚とは肉や脂身の仕組みが違うらしくって、低温環境では心臓が止まりはしないが生命維持に力をとられて身体の動作は緩慢になる、だったかな?とにかく、生身がもったとしても、ぎこちない動きで息継ぎしながらじゃあ、はかどらないな」

 

 オトヒメの解説をそのままエルザに説明したラウルだが、池の深さが単なる寒中水泳大会以上のことを要求していることは明白だ。油分を皮膚に擦り込んで保温効果を上げる方法もあるが、それとて長時間の低温環境に耐えられるものではない。


「どうする、ラウル君?」

「お二方には周辺を見張ってもらって、ちょっくら変化して手早く調べてこようと思います。あれなら溺れることもありませんし、低温でも長い時間活動できそうな気がします」


 変化とは竜戦士形態への変身のことだ。確かに、常人ならものの数分で身動きできなくなる水温では別の手段を考えねばならない。


「ごめんね、ラウル。ついて行けなくて……」(翼が邪魔で水鳥みたいに潜れない)

「いいよいいよ、水中はお任せ」(スケベ的には惜しいが)

「でも……ラウルの翼は邪魔にならないの?」

「……」(ラウル君の翼!?)

「羽毛はないからね、浮いたりはしないよ」


 リンは自分だけが暖かい場所で待つのを承知しかねる様子だったが、潜水の未経験を指摘されては抗いようがない。あるいは練習すればや鴨のように潜れるのかもしれないが、今、それを練習している余裕はない。


「オレじゃないと分からないこともあるし、それよりも見張りと火の番を頼むよ。エルザさん、何か危険はありますか?」

「周辺にいる小動物の気配以外は私たちだけだね。危険があるとしたら池の中かな?生き物はいそうにないけど、ほら、底で足を取られたりしたら助けに行くのもたいへんだ」


 エルザは熟練の探検家らしく、周囲を一瞥いちべつしてから返答する。

 池や沼を調べる際の一般的な注意事項を追加したのは、仮に潜るのがラウルでないなら、暗い部分の調査には命綱や鎖を用意しなければならなかったことが念頭にあるからだ。

 

「なるほど、気を付けます……エルザさんには竜戦士の初お目見えですね」

「うん?ああ、他の皆はもう知ってるの?」

「ええ、エストを出る前に一度。すいません、エルザさんは出張中だったもので、紹介が遅れました」


 他の皆とはラウル英雄化計画の参加者、出張中とはエルザがアルメキア内外で竜の祠に関する情報を集めていたのでエストには居なかったことを指す。

 ジーゲルの店裏の射撃場にエスト捜査班の面々を集め、厳重に人払いをしてからほんのわずかの時間に限って披露されたラウルの竜戦士形態は、やはりと言うか見ていた者たちの度肝を抜いた。大きいだけの変化なら亜人のなかにちらほらいるが、混ぜ物の感が強い悪鬼か化け物のような外観は、中身がラウルだとわかっていても即座に受け入れがたいものが有った。

 受け入れがたい、というのは控えめに過ぎる表現であり、現在のアルメキアにおいては正体不明の怪物ないし怪異の元凶として討伐対象に指定されるおそれが濃厚、と言うほうが正確だろう。

 

 ラウルとて異形の姿をわざわざ見せたいわけではないが、少なくともラウル英雄化計画の参加者には周知しておく必要があった。ハンナの助言に従ってゆっくりと正体を現し、周りを協力者で固める。彼女が言うところの“ちょっと変わった変化ができる人”程度に受け入れられる日が来るかは不明だが、エスト捜査班の面々に拒絶されるようでは話にならないのだ。


「では、ちょっと失礼して……」


 ラウルは背を向けると上着に手をかけて服を脱ぎだした。


「ここで脱ぐの!?」

 

 最低限の礼儀としてエルザも回れ右をする。リンはラウルが脱いだ衣服を回収して畳み、防水帆布の上に積んでいるが、ラウルの半ケツに乙女な反応を示さないのがエルザには以外だった。


「や、汚い絵面で申し訳ない」

「それは気にしないで。だけど、衣服は形状変化魔法つきのもので揃えたんだよね?」

「そうなんですけどね、変身が解除された瞬間に身体が濡れていたら、服が湿気てしまいますよね?変化初心者なんで、そのへんが気になって仕方がないと言いますか……」


 変化に関して言えば、ラウルはつい先日亜人になったようなものである。初心者という言い方も間違いではない。濡れたら困る、という理屈はエルザにも何となくわかった。

 

「なるほどね」

(オトヒメさん、竜戦士形態)

(御意)


 短い閃光の後に姿を現した竜戦士ラウルはエルザを数瞬黙らせるのに十分な威容を持っていた。むしろ奇怪と表現するべきかもしれない。ラウルが背を向けて変化したので、彼女の目に飛び込んだのは巨大なトカゲの尻尾とコウモリに似た翼が最初だった。これは普通の亜人変化の概念からかけ離れている。それら以外はハンナとクルトから継承したと強弁できなくもなかったが、ラウル本人だけでなく親にも親戚にもない生物的特徴が混ざっているとしか思えない。


「これは、また、びっくりだなあ」

「……つまり……」

「私たち以外の人間が見たら、びっくりどころではすまないだろうね」 

「ですよね……」


 野太い声で唸りながら肩を落としてしょげかえるラウルを見て、エルザはか弱い生き物を守ってやりたくなるのと似た感情を覚えた。怪物を守る、というのも妙な話だが、この図体と見かけで心優しい怪物というのも随分つらいのではないか、万人の理解を得ることが難しい変化形態をいつまで秘密にすることになるのか、と考えると心底同情する。

 しかし、その感情もエルザゆえなのだ。

 繰り返しになるが、事情を知らぬ人には生まれようもない気持ちであることは間違いない。騎士団や教会への通報を避ける為にはガンテの村人にさえ目撃されたくなかった。


「まあ、その姿があったからこそ、この時期の潜水調査ができるようになったわけだし、お姉さんは高みの見物で悪いけど、よろしく頼むよ」(励ますのが難しいな)

「わかりました」

「気を付けてね、ラウル」


 やがて竜戦士ラウルは波紋を残して水中に姿を消した。

 後に残った女性二人は火の番をしながら周囲を警戒する。村人ならエルザの聴覚や嗅覚を潜り抜けて接近することは不可能なのだが、用心のし過ぎで困ることはない。

 とは言え、乙女たちが焚火を囲めば話も弾む。

 エルザとリンは旧交を温めつつ情報交換を実施することにした。


「ラウル君の変化もびっくりだけど、リンちゃんの鍛えっぷりには驚いたよ」

「えっと、最初は傭兵旅団の個人訓練講座に申し込んだんですけど……」

「ああ、あの民間人向けのやつ?」

「そうです、そうです!」

「あれって護身術に毛が生えた程度のことしか教えない、って聞いた気がするよ?」


 そう言いながらエルザはリンの身体に同性同士だからこそ許される遠慮のない視線を走らせる。不思議の力が働いたとしても、通り一遍の護身術講座で肉体改造に至るのか、と目が訴えていた。


「その護身術講座がですよ、本当にもう、基礎体力の時点で落第でした」

「リンちゃん、あれでしょ、走り込みも初めてだった口でしょ?」

「わかります?」

「わかるもなにも、地上を走る鳥系亜人の姿が貴重だってば」

「あはは、そうですよね。本当にそう……」


 力なく笑うリンは延々と続く激烈な訓練の日々を思い出している。商会職員の身なら一生縁遠いままでいられたに違いない、汗と埃にまみれながら訓練担当教官にどやしつけられる屈辱の毎日だった。


「それが、急に訓練に付いて行けるようになって」

「そこが謎だよ」

「ラウルが言うには、一緒に寝たからじゃないか、って」

「おおっと?」

「ち、違いますよ!?彼、びっくりするくらい寝つきがいいし、訓練期間中は私も疲れてすぐにバタンキューだったんで、あの、ほら、臥竜亭にある例の特別室……」

「ははあ」(あの部屋に居続けして何もなしではもったいないのでは)

 

 ようやくリンから乙女の笑みがこぼれる。

 彼女の肉体改造にラウルの何かが影響したらしいことは推測の域を出ない理論なのだが、エルザは得心顔で頷いている。

 むしろ、ラウルの竜戦士形態を見た今では、リンから角や尻尾が生えてこなくてよかった、とさえ思っていた。


いつもご愛読ありがとうございます。

ケーブルテレビでやってるアラスカの蟹工船番組が好きなのですが、アレよりは暖かいけど泳ぐには厳しい水温、という体です。ひとつの地点で水上と水中に分かれて大事な話をする回とでも言いましょうか。残念ながら出てくるのは男の裸だけです。念のため。

徃馬翻次郎でした。

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