第187話 舞い降りた戦乙女 ②
ラウルとエルザが滞在中のガンテ村を含むノルトラント地方は快晴、雲量もさほど多くはないため、村人たちは冬前の陽光を惜しむように享受していた。大人が野良仕事に精を出し、子供が目いっぱい屋外で遊ぶことができる季節も終わりに近づいているのだ。
「とにかく、いい天気でよかったですよ。冷たい雨や雪にでも降られたらリンも飛んでていい気分はしないでしょうし」
「だよねえ……」
食後に束の間の午睡を決め込みたくなるような心地よさの中、エルザはふと見上げた空にぽつんと浮かぶ黒点を発見した。
「ね、ね、あれ、リンちゃんじゃない?」
「……ほんとうだ。そうだ、村の人が驚くといけないから、皆に見えるように手でも振ってやるかな」
よっこらせ、と年齢に似合わない掛け声で立ち上がったラウルはエルザを伴って軒下から村の広場へ出る。
「どういうこと、ラウル君?」
「いや、まあ、ちょっと大きく育ってしまった、と言いますか、成長期なんて終わったと思っていたんですけど、彼女には伸びしろがあったと言うか……」
「ダメだよ、女の子に大きいとか言っちゃあ」
女心に疎いラウルに対して年上の女性らしい訓戒を垂れてやろうと口を開きかけたエルザは言葉を飲む。鳥系亜人が変化した場合の平均的な大きさは彼女でなくとも知っていることだが、ガンテ村に近づいている大鷲は明らかに平均を凌駕する翼の持ち主らしいのだ。
「ち、ちょっと、ラウル君、あれ!」
「ね?変化の大きさまで違うんですよ。エルザさん、お手数ですけど手伝ってくれますか?」
ラウルとエルザは二人して、おういおうい、と大きな手振りを添えてやりだした。何人かの村人も接近する飛行生物に気付いて騒ぎになりかけたが、徒弟さんの仲間だってさ、という言葉が広がると一応の落ち着きを見せた。子供たちは無邪気なもので、なかには二人の真似をして手を振る者まで出てくる始末だ。
やがて村の広場に羽音をたてて舞い降りた大鷲は閃光を発して人型を現した。おお、というざわめきが起こるが、亜人変化と分かればそう珍しいものではない。
「お騒がせしてごめんなさい。クラーフと申します。しばらく御厄介になります」
魔獣や怪物の類なら折り目正しい挨拶は口から出てこないはずだ。不安げに囲んでいた村人たちは解散し、ラウルとエルザ以外には、でかい、かっこいい、とはしゃぐ子供たちだけが残った。
「リンちゃん!?」
「エルザさん、ご無沙汰してます!」
エルザとリンは姉妹のように手を取り合って再会を喜ぶのだが、エルザは思わず目を瞠る。深窓の令嬢といった雰囲気は鳴りを潜め、精悍な女戦士とでも呼ぶべき女性の姿がそこにはあった。
「リンちゃん、ずいぶん感じかわったね」(強そう)
リンと再会の抱擁をしていたエルザは非礼にならないように尋ねる。つい先ほどラウルの大女呼ばわりを修正しようとした以上、正しい手本を示さねばならない。
「うーん、よく言われます」
「何があったの?かなり鍛え込んだみたいだけど……」
「傭兵旅団で訓練してもらってました。これ以上二の腕が太くなっても困るんですけど、それならそれでラウルが辛抱すればいいですよね!」
情報量の多さに面食らって二の句が継げないでいるエルザにラウルが最近の動向を要約して伝える。確かに、使命の旅への同行希望者であるリンに対する配慮を見落としていたことは痛恨の一事だ、と彼女はラウルの説明に同意した。
ひとつにはリンの身分であり、もうひとつにはリンの近接戦闘能力をラウルと同等とは行かなくとも、準じたものに底上げする必要があったのだ。
その結果として、リンが公私ともにラウルの相棒になっているのは賀すべしとしても、こうも短期間で肉体改造に成功しているのを目の当たりにして空恐ろしいものを感じずにはいられないエルザである。
「わ、わ、何です?エルザさん、くすぐったい!」
「あ、ごめん。つい触ってしまった……」
傭兵旅団が課す訓練の内容についてはエルザも元団員として熟知しているところだが、リンの力こぶやどうやらかすかに割れているらしい腹筋は訓練の成果だけとは到底思えない。
「……ラウル君?」
「そうですよね。やっぱりオレのせいですよね。心当たりはあるんですけど、ひとつの寝床で寝たとか膝枕までで、やましいことはまだ何も……」
オトヒメ曰く、竜の子と相性のいい個体が至近距離で休息した場合に竜気を取り込む場合があり、その際にラウルに生来備わっていた加護の超回復能力を共有した可能性が考えられる、とのことだ。具体的には一風変わった膝枕を経験したことによるのだが、ラウルが詳しい説明をする前にリンは頬を赤く染めながら半ば遮るようにして状況説明を求めた。
「情報提供者の準備が整うまで待機中、ってとこかな」
「オレは鍛冶屋の営業をしてた……巨人の足跡って名所があったけど、じっくりは見ていない。水たまりみたいなものだよ。リンは上空から見て何か気付いた?」
「あれね。それらしい窪地と池、としか言いようがないなあ。もしかして、肝心の祠はうんと昔にぺしゃんことか?」
「お、リンちゃん鋭い」
リンの発言は既に入手していた情報に基づくもので、別段うがった推理ではない。
かつてマグスの骨董品店で閲覧した発禁本と旅行記を組み合わせて情報を得ていたことは先に述べたが、竜の祠が破壊されている状況は彼女にとって既知のものであり、ぺしゃんこ云々は破壊の方法だけを当てて見せたに過ぎない。もちろん、足跡に匹敵する図体を持つ生物の存在は気になるが、伝説や昔話の描写はある程度割引いて考える必要があった。話自体が盛られていたり史実が改ざんされていたりすることはままあるからだ。
「足跡の主は大魔王らしいよ」
ラウルが情報収集できたのも名所の説明程度の話でしかない。
年月の経過は竜の祠自体を人々の記憶から消し去りかけていた。
まず、竜の祠は怪物を封じ込めてフタや重しをのせた場所と各地の伝承で言われているのだが、この時点で竜王の説明と異なる。本当のところは大地の力を竜の子に伝達する中継点であり、破壊したり打ち捨てたりしたところで物の怪があふれ出すような怪異が起ころうはずもない。その結果、いつの間にやら竜の祠は信仰の対象どころか観光名所ですらなくなり、存在そのものが忘れられようとしていたのだから、『聖地への巡礼』で祠を巡ろったミーン・メイの落胆はいかばかりであったろうか。
「そっか……ねー!、みんなは巨人の足跡について何か知ってる?」
リンはまとわりついているガンテ村の子供たちに話を振り、我先に喋ろうとする集団を整理してどうにか要点をまとめた。
かつての古戦場も、今では湧水や雨水を貯めて農業用水に使用する等、立派に地域住民に貢献している以外に目新しい情報は得られなかった。ただし、
「王都からね、学者さんたちがね、調べに来たよ!」
という証言が飛び出したのにはラウルたちが飛びつく。危険を冒してミーン・メイの足跡をたどる者が他にもいることになるからだ。
「いつごろの話かわかるかな?」
リンは優しく問いかけながらしゃがんで視線を子供の位置に近づける。
「うーんとね、あれ?いつだったっけ……」
「何人くらい?男の人かな女の人かな?」
「えーとね、よくわかんない!」
どうも子供の返答が要領を得ない。
よくよく聞けば、別段お忍びでもなく覆面をしていたわけでもない王都の学者が来たはずなのに、詳細を思い出そうとしても上手くいかないのだ。後から調べて分かったことだが、この傾向は村人全員に共通していた。
「エルザさん、これは……」
「精神操作魔法か、はたまた幻を見せて認識を妨害したか、どちらにしても何者かに先回りされているってことだね。気を付けなくちゃ」
「……」(オトヒメさん、聞いた?)
(御意。不意に鉢合せするやも知れませぬ。ご用心を、主様)
敵味方は不明だが、何者かがガンテ村を既に調べている。このことはラウル一行をいやでも緊張させることになった。エルザだけでなくオトヒメまでもが警戒を呼びかけているのは、正体をくらます方法が変装のような地味な手段によっていないからだ。
「あのお、お待たせしました、皆様方。爺様が食事を済まされましたので……」
三人が村長宅へ戻ったところに村長の孫娘が声をかけてきた。
リンは、またあとでね、と子供たちを解散させる。
「後は村長さんにお話を聞いてからにするか」
「うんうん、それがいいよ」
「ラウル、筆記用具出してくれる?」
リンは早速ラウルの副官として動き出す。彼女は書記係として村長の口述から要点を漏らさぬようにするつもりだ。
やがて通された部屋には村長が寝台に腰かけて待っていた。正しくは名誉村長とでもいうべきか、村長の業務は息子が代理で行っており、今では三度の食事が何よりの楽しみなのだろう。膳はとうに下げられているのだが、まだ口を名残惜しそうに動かしている。
三人は配られた座布団に座ると村長に向きなおり、どうぞよろしく、と礼をした。
「爺様、このひとたち、巨人の足跡の話を聞きたいんだって!」
孫娘が村長に話を始めるように促す。
孫娘の声はびっくりするほど大きい。耳の遠い人間を長期間相手にすると身についてしまう習性だ。逆に言えば、それだけ村長が孫娘に好かれている証左でもあるのだが、突然の大声にラウルたちは声の主である少女をまじまじと見てしまった。
これに対する村長の返事が、
「あー、飯はー、まだかいのう」
という間延びしたものであったから、三人はそれこそずっこける思いである。正直なところ、まだ食べるのかよ、と言いたいぐらいだ。しかし、村長の孫娘は慣れたもので、もう食べたでしょう、などと鉄板の答えを返したりはしない。
「お話が終わったら持ってくるからね」
愛情をもって祖父を丸め込む技術にラウルたちは小さな感動を覚えた。
爺様は食べたかどうかなんて覚えていませんから、とラウルたちに小声で告げながら目くばせする少女は相当にしたたかなもので、また、そうでもなければ老人の介護は務まらないのだろう。
「むかーしむかーしのことじゃったーッ」
自身の栄養補給が完了していたことを思い出したのか、村長の語りが突如として始まる。
「あれは魔族の連中が大挙して押し寄せてきよったときのことじゃ。このあたりも激戦地になってのお……」
村長の語り口は滑らかで停滞することが少ない。いったん起動すると停止することがないからくりのようにとめどなく言葉があふれてくる様は先ほど見せた要介護高齢者の姿とは別人に思えるほどだ。
とは言え、アルメキアに伝わる伝説以上の情報が含まれているわけではない。ムロック連合が繰り出す圧倒的兵力にはどうすることもできずに押しまくられるアルメキアの人と亜人の窮地を救ったのが勇者制度であることは多くのアルメキア王国民が常識として知っている。新情報をあえてあげるなら、大魔王討伐の大金星を挙げた地点がここ、ガンテ村である点だろうか。
村長の語りも終盤に入るとさらに熱を帯びる。極悪非道な魔族や魔獣の大群に追われて逃げ惑う村人たち、その盾となって踏みとどまる勇者と力任せに非戦闘員を襲う大魔王が対照的に強調されていた。
「……やられてしもーたーッ。憎き大魔王が勇者様をお社ごと踏みつぶしてしもうたのじゃ。じゃが、勇者様は命と引き換えに最後の力を振り絞って一撃を放っておった。その時の傷が原因で大魔王は命を落とし、追い詰められておったアルメキアが勢いを盛り返してようやく平和が訪れたのじゃ」
えーい、どーん、と掛け声や爆発音の演技を織り交ぜつつ盛り上がった村長の昔話も終幕を迎えた。ラウルたちは想像以上の出来栄えに拍手を惜しまない。
「面白い!さすがは村長さんだね」
「ええ、本当」(どうして王立の史跡公園とかになってないんだろ?)
「すげえ、相打ちかよ」(どう?オトヒメさん)
(勇者は眉唾。実際は、龍脈柱を踏み抜いたことによって対象に装甲貫通か部位破壊が発生した、といったところでしょう。高威力の光線系魔法とでもお考え下さい。その大魔王と称する巨大生物が本当にいたとして、ですが、傷口の周囲は焼損によって簡単に回復しなかったでしょう)
(つまり……)
(ありうることです。事実、東方半島には山のように大きな神もいましたから、ムロックにそれがいないとは言い切れませぬ。魔族に対して勝利を収めたかのように偽装しているのは薄汚い人間共には似合いの真似でございましょう)
ラウルは相変わらず人間に手厳しいオトヒメと問答中のため沈黙、リンも忙しく鉛筆を動かしているので、エルザが三人を代表して質問する。
「村長さん、祠はどこにあったのかな?その、足の部分で言うと……」
これこそが最も入手したい情報であった。正確な位置がわかればやみくもに池の底をさらう必要がなくなる。
「爺様、祠はどこ?だって!」
「おこわ?」
「ほ!こ!ら!」
東方諸島から米作と同時に伝播した炊き込みご飯はアルメキアでも人気が高く、村長の聞き間違いは料理名に誘導される場合が多いらしい。幸い、村長の孫娘が通訳をしてくれたおかげで、目指す祠跡が巨人の足跡でいうところの親指の付け根部分の位置にあったことが判明した。
ラウルたちは村長と孫娘に昔話の礼を言って出発の準備を開始する。破壊された竜の祠を調査するためには、どうやら寒中水泳をやる羽目になりそうなことだけがラウルには億劫だった。
いつもご愛読ありがとうございます。
ヒロインのビルドアップは悩んだところですが、何にも無しで冒険についてこれるのもおかしな話なので盛り込んだ次第です。あまり前に出し過ぎるとラウル君がヒモみたいになってしまうので気を付けます。
あと、村長の声は常田富士夫さんで脳内再生すると楽しいかもしれません。
徃馬翻次郎でした。